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田中利典師「夫婦の情景」(週刊朝日 2005.6.17号)

2023年07月13日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」では、週刊朝日(2005.6.17号)に掲載された「夫婦の情景」を紹介する。師は〈近頃のマイブーム「おやすみギャラリー」〉(師のブログ 2012.10.10 付)で紹介されたが、よほど気に入っておられたのだろう、3年後に〈夫婦の情景(1)~(3)2015.12.20~22〉として、再掲載されているし、それらを何度か「過去の思い出」としてFacebookで紹介されている。3年後のブログ(2015.12.20)では、
※トップ写真は吉野山花矢倉展望台から、金峯山寺蔵王堂を望む(3/31撮影)

これはもう10年以上前の記事で、毎週連載されていたこの「夫婦の情景」というコラムも今はすでに消滅しています。ちなみに私たちの前の週はなんとあの大鵬幸喜ご夫婦でした。巨人・大鵬・卵焼きに並んだ、田中夫婦なのでした(笑)

知友の文筆家中島史子氏をして「この一冊の本の中で、読むべき価値が一番あったのは、当欄の奥様の最後の一言」と言わしめた掲載でした。期待して、最後までお読み下さい。


とあったので、奥さまの最後の一言は太字にしておいた。のちに(2023.7.21)師がFacebookで明かされた話では、奥さまのIQは147だったとか! なお週刊朝日は、今年(2023年)5月末日をもって休刊となった。かつて私の実家では定期購読していたので、残念でならない。では師のブログ(2012.10.10 付)から、「夫婦の情景」の全文を紹介する。長文になるが、ぜひ奥さまの最後の一言まで、お読みいただきたい。

近頃のマイブーム「おやすみギャラリー」
「今日の一言シリーズ」がネタ切れ気味の私。で、近頃の私の、マイブームはFBやツイッターで、気が向いた夜にアップする「おやすみギャラリー」。…もう半年近くになります。

一番受けるのが、有名人編。今まで、中田英寿氏や渥美清さん、秋吉久美子さんなどとのツーショット写真を披露してきました。一番受けたのがキティちゃんとの写真でした。まだまだ未公開の有名人ネタはあります。

でも、今夜のおやすみギャラリーはちょっと渋く7年前の週刊朝日「夫婦の情景」シリーズから。懐かしい私達夫婦の写真入りです。このときのあかちゃんだった三男は、もう8歳。小学校2年生…今日からかけ算を習ったとか。年月とは早いものですねえ。

以下、当時の全文を転載します。以前、HP上の過去ログに貼ってあったのがなぜか読めなくなっていますので、文章のみ掲載しました。

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田中利典(49)たなか・りてん 金峯山修験本宗宗務総長、総本山金峯山寺執行長
田中周子(39)たなか・ちかこ

幾重にも重なる山々にこだまする法螺貝の音が、山伏の季節が到来したことを告げている。紀伊半島の霊峰大峯山脈を尾根づたいに行く「大峯奥駈道」は、吉野山に始まる。山伏である夫は、この修行の道を世界文化遺産に登録させた仕掛け人だった。霊域と世俗を行き来する夫と、彼を支える妻に会いに、修験道の聖地・吉野山を訪ねた。

春くれて 人ちりぬめり 吉野山 西行法師がそう詠んだように、奈良の吉野山は観桜の季節が終わり、ひっそりと静まりかえっていた。新緑の山々に、ウグイスの鳴き声が一際大きく響く。遠くから法螺貝の音が近づき、国宝の蔵王堂を擁する修験本宗の総本山・金峯山寺の境内に、山伏の隊列が入ってきた。

妻「私は吉野で生まれ育ちました。4月は花見客で混雑しますが、それが終わると、今度は鈴の音が聞こえてくる。大峯山の山開きは5月から9月です。山伏の姿を見かけると、夏が来たなと……。まさか、自分が山伏と結婚するとは思いもしませんでした」

妻と1歳になったばかりの三男宏宜くんが見守るなかで、護摩焚きが始まった。山伏たちの読経と太鼓の音が徐々にボルテージを上げ、竜が天に昇るように白い煙がうねりながら上昇していく。護摩木の組み方に秘訣があるのか。それとも、加持祈祷が天に通じているのか。

◆奥駈病
夫「お坊さんになっていろんな儀式をしましたけれど、外でやる護摩ほどダイナミックな宗教儀礼はありません。お堂のなかでどんな立派なお経を読んでもよく見えないでしょ。護摩はみんなが四方から取り囲むなかで煙が上がる」

妻「檜葉のパチパチという音がいいですよね」

吉野山から熊野本宮大社(和歌山県本宮町)まで続く修行の道・大峯奥駈道は昨年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。夫は登録活動の先頭に立った。毎夏、自ら山伏の衣装をまとい、紀伊半島を背骨のように貫く霊峰大峯山脈を尾根づたいに170キロにわたって七泊八日で歩く奥駈修行をしている。聖地中の聖地である大峯山山上ケ岳(標高1719メートル)は今なお、女人禁制が守られている。

妻「朝2時、3時から12時間以上、山道をずっと歩くんですよね。雨が降っても汗をかいても、毎日洗えるわけでもない。干しても生乾きの状態で、臭いし、汚いし、しんどいのにね」

夫「山伏は、山に入ってこそ山伏です。奥駈修行をすると、一度死んで生まれ変わると言われている。大峯山には何もありません。非日常の世界です。都会生活で自分自身を失った人たちが山でヘロヘロになって修行し、自分をリセットして蘇生して帰っていく。二度と行きたくないほど疲れるんですけど、二度と来るかと怒って帰った人ほど、またやって来る」

妻「それを主人たちは『奥駈病』と呼んでいるんですよ。女の私には全然分からない」

夫「現代社会で人々は自分を失っています。会社にも地域にも家族にもどこにも帰属していないでしょ。日本人は、神も仏も人間も自然の営みのなかにあり、自然そのものであるという信仰を持ってきました。自然のなかに入ってヘロヘロになることで、自分は自然の一部であると再認識できるんです」

妻「年末に宏宜を連れて山登りに行ったんですが、主人は『山に行くと血が騒ぐ』と言って、宏宜をだっこしているのにすぐ姿が見えなくなるんですよ。夫婦で山登りしているのに、『体が覚えている』と言ってホイホイ先に行ってしまう」

京都・綾部に生まれた夫が奥駈修行に初めて参加したのは5歳のとき。山伏の父親に連れていかれた。

◆女人禁制
夫「在家でありながら修行するのが山伏の本分。親父は国鉄に勤めながら修行していました。綾部はもともと行者信仰が厚いところで。昔はもっと厳格で、家族のものも精進していました。親父は、着々と私がこの道を歩むようにしていったのだと思います」

妻「私も行きたいなと思いますよ。ひざも悪いし、若いうちに行きたいなという気持ちはあります。小学校の林間学校でも、大峯山に登ったのは男子だけでした。女も入らせてくださいと毎年訴えにこられる人の意見も同性としてわかる。女人禁制を守っている人たちの意見もわかる」

夫「女人禁制によって大峯山の非日常性、聖地性が高められてきたのは間違いありません。ただし、女人禁制自体は信仰ではない。大切なのは、今の時代に禁制を堅持することが、大峯山の信仰を守っていくのに大事かどうかです。これは、信仰にかかわっている宗教者たちが問い直すべき問題だと思います。ジェンダーフリーの人たちが、人権問題として開けろと主張する問題ではありません。そんなことをしたら先人たちに申し訳ない」

妻「家でも議論したこともありますが、私が『開けたら』といって、主人が『開けるわ』という問題でもないんです」

夫は大学卒業後、金峯山寺に勤めた。吉野山にある東南院の宿坊でアルバイトしていた妻と出会ったとき、妻は高校生だった。

夫「かわいらしいなと思って……」

妻「お坊さんの格好していたら、だれも彼も同じに見えますやん。違いは、眼鏡をかけているか、いないかだけ(笑い)。部屋を準備していたときに主人に文句をつけられたことがあって。30歳を超えて結婚してはるんやないかと思ってました。私は専門学校を卒業したあと、金峯山寺の事務をするようになって」

夫「ぼくが一生懸命口説きました」

妻「最初は断ったんですよ。私は軽井沢の教会でウエディングドレスを着て、馬車に乗って結婚するのが夢でした。そしたら、『前代未聞だけど、東南院でウエディングドレスを着させてあげるから』と言われて」

夫「ウエディングドレス買いましてん(笑い)。東南院で赤い毛氈を引いたのは、私たちの結婚式が初めてでした」

ほどなく、夫妻は吉野を離れ、夫の父が建てた綾部の寺に移った。夫は93年夏、護摩堂に120日間こもって護摩を焚き続ける修行「一千座護摩供」に挑んだ。夏場は堂内温度が60度を超える。金峯山寺関係寺院では戦後初の苦行だった。

◆五穀断ち
夫「普段は坊さんかどうかわからんような生活なんで、日常を離れ、大きく期間を定めて修行したいという気持ちが時折、私のなかで生まれるんです」

妻「朝2時に起きて、1日9回護摩焚きをするんですよ。おばあちゃんと私は5時に起きて、精進料理を作りました。寝食も別で、夫婦の会話は『おはよう、こんにちは、おやすみ』くらい。主人はいつもイライラしていて、『余計なことはわずらわしいので聞かすな』『気が散るから子供も外で遊ばすな』と言って。いちばん上のお姉ちゃんはまだ幼稚園で、パパさんを怖がっていたんですよ」

夫「髭がすごく伸びていて……。家族に負担をかけました。最後は五穀(米、麦、大豆、小豆、胡麻)断ちをしたんであまり手はかからなかったと思うけど」

妻「いや、そのほうが大変ですよ。おそば屋さんにそば粉をわけてもらって、それを練ったものをお湯のなかに落として。野菜は苦いですから、主人に内緒で塩もみして、何回も水でさらって、塩気がないようにして渡しました」

夫「五穀と塩を断つと、体が浮くような気がしました。体重が79キロから64キロに落ちて、飛ぶんと違うかなと思った(笑い)。でも、実は修行で得たものはあまりないんです。むしろ修行しても何にもならないとわかったことに意味がありました」

妻「……。あんなに苦労した4カ月間なのに、何も得たものがなかったの」

夫「髭をしばらくそのままにしておこうと思ったんですが、お世話になった和尚から『行で得たものは捨てなさい』と言われ、さっぱり剃りました。そういうのを残しておくと、いつまでも『俺は行をやり遂げたんだ』と肩に力が入ってしまうんです。得たものははなかったけど、捨てたことは良かった」

苦行を終え、夫は総本山の仕事に駆り出されることが多くなった。

妻「金峯山寺から月に1週間でも10日でもいいからと言われるようになって。私は最初、『1週間か10日だけやで』と言っていたのに、いつの間にか半月になって、今はほとんどこっち」

夫「単身赴任13年目になりました。実はうちのお袋も奈良出身なんです。うちは奈良にはえらいご縁があって。弟は吉野山の東南院に養子に入りました。奈良の人が綾部を守り、綾部の者が吉野にいる」

昨年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、金峯山寺の参拝者は数倍に増えた。夫は「修験道ルネサンス」を提唱し、秘仏とされてきた金剛蔵王権現像の特別開帳にも踏み切った(今年6月末まで)。

◆神と仏と
夫「99年末に日光の社寺が世界遺産登録されました。山岳信仰ではうちが本家やないか、日光は分家やないか、という気持ちがあったんです。吉野町の役人に聞くと、『和歌山が動いている。和歌山だけ先に認められるとうちは認められん』と。それで奈良県に働きかけて、和歌山、奈良、三重の三県あげての活動に発展しました」

妻「中国の蘇州であったユネスコの会議でみんなが真剣に話し合っているのを見て、すごいなと思って」

夫「明治維新で日本人の精神文化だった神仏習合は壊されました。日本人はお宮参りをしたり、仏前でお葬式をしたり、クリスマスを祝ったりしているのに、みんな自分は無宗教と思っている。でも、そんなことはない。日本には雑多で多神教的な世界観があるんです。1300年の歴史を持つ修験道は、神と仏が融合した日本独自の信仰です。今の世界はひとつの価値観でくくろうとするから、キリスト教やイスラム教の『文明の衝突』が起きる。日本人は今こそ、その多様性を自信をもって世界に発信していけるはずです」

妻「世界遺産になったから終わりではなくて、それをこの先どう守っていくかだと思うんです。確かに観光客は増えましたが、さっきまで拝んでいた人がタバコをポイ捨てする姿も見かけました。いろんな人が来る中でどう守っていくか。それが主人の仕事かなと思います」

昨年はもうひとつおめでたいことがあった。4人目の子、宏宜くんの誕生だ。

妻「昔は綾部に帰れば家のパパさんでした。でも、パソコンや携帯ができてからは家でもパソコンの前に座ってばかり。寂しいですよお。体は家にあっても、心はパソコンによって本山に引き戻されている」

夫「……」

妻「上の子供たちが思春期になって会話がなくなっていたんです。子供がもうひとりできれば心は満たされるかなと思って。宏宜を授かり子供たちが優しくなった。家族がひとつの部屋でいることも増えました。パパさんもその場にいてほしいんですよ。主人はよく金峯山寺を何とかしよう、日本や世界を何とかしようと言います。『田中家の平和が世界の平和に通じると違うん?』と言っても、『僕はそんな小さな人間ではない』と言うし」

夫「田中家を一生懸命する人は、日本や世界のことを心配せん。日本や世界のことを心配すると、田中家のことは二の次になる」

妻「日本や世界を何とかしようと思っている人は何人もいると思いますよ。でもね、田中家を何とかするのはあんただけやねんと言うと、笑ってごまかすだけ」

夫「安心しとき。世界遺産の次、今は何もしたいと思ってないから。ま、日本を何とかしたいとは思っているけど」

~週刊朝日 2005-06-17(朝日新聞社刊) から
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