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ダム建設で高台に遷座した 丹生川上神社 上社(川上村)/毎日新聞「やまとの神さま」第49回

2023年07月03日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。6/22(木)に掲載されたのは〈ダム湖見下ろす龍神の社/丹生川上神社 上社(川上村)〉、執筆されたのは、同会会員で大阪府にお住まいの柳原恵子さんだった。
※トップ写真は、大滝ダム建設に伴って現在地に遷座した丹生川上神社上社の拝殿=川上村迫で

丹生川上神社は上社(かみしゃ)、中社(なかしゃ)、下社(しもしゃ)と三社あり、今後、連続して紙上で紹介される。上社は川「上」村、下社は「下」市町、残る中社は東吉野村、と覚えたものだ。三社とも、水の神さまを祭るが、それぞれ少し性格が違う。上社の「高龗(たかおかみ)」は、日本国語大辞典によると、

(「たか(高)」は「くら(闇)」に対する語で、山峰を意味し、「龗」は水をつかさどる蛇体の神のこと)「日本書紀」一書に見える神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がその子軻遇突智(かぐつち)を斬った時に、雷神・山神とともに出生した神。水をつかさどる神として、闇龗(くらおかみ)とともに、祈雨・止雨の信仰を受けた。たかおかみのかみ。

と、高いところにいらっしゃる神さまである。では、全文を紹介する。

丹生川上神社 上社(川上村)
丹生(にう)川上神社は、675(天武天皇4)年の創建とされ古来、祈雨(きう)、止雨(しう)の社(やしろ)として朝廷から重んじられました。平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記されましたが、室町時代後期には所在不明に。

しかし、明治~大正時代に現在の上社(かみしゃ)(川上村)、中社(なかしゃ)(東吉野村)、下社(しもしゃ)(下市町)が同神社と由緒があることが順次確認され、1952(昭和27)年に別々の宗教法人として独立しました。

上社は、水を掌握する龍神である高龗大神(たかおかみのおおかみ)がご祭神です。大滝ダム建設に伴い、1998年に高台に遷座しました。その際、旧社地で宮の平(みやのたいら)遺跡(縄文時代)が発掘され、細長い石棒(長さ30㌢前後)が10本以上見つかり、縄文時代中期末~後期初め(約4000年前)の祭祀(さいし)跡とみられています。

現在の拝殿、本殿がある境内には、遷座前の旧社地を遠くから拝む「元宮遙拝所(もとみやようはいしょ)」が設けられ、平安時代の敷石遺構が旧社地から移転・復元されています。

年間神事は、古くからの10月の例大祭に加えて、98年の遷座を祝う春季大祭も3月に催されます。ダム湖「おおたき龍神湖」を見下ろす場所にあるため「天空の社」と呼ばれており、龍神総本宮として新たな伝統を築いています。(奈良まほろばソムリエの会会員 柳原恵子)

(住 所)川上村迫869の1
(祭 神)高龗大神
(交 通)近鉄大和上市駅からバスで「ホテル杉の湯」停留所まで約30分。徒歩約10分
(拝 観)自由
(駐車場)有り
(電 話)0746・52・0733


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