tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師 ご母堂への思い

2023年07月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈我が儘をさせていただきました…「亡き母の供養」〉(師のブログ 2012.10.11 付)より。ご母堂の一周忌にあたり、過去に書かれた追悼の文章(ご葬儀、満中陰、百ヵ日)を再録されている。母を思う子の心が率直に表現された文章の数々、ぜひ最後までお読みいただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

我が儘をさせていただきました…「亡き母の供養」
10月8日は、金峯山寺仏舎利殿で、親戚、子ども、母の知友の人などを遠く吉野にお呼び立てをして、母の一周忌を営ませていただいた。ことあるごとに、ずーーと、吉野に来たがっていた母の思いを、最後、納骨前にどうしても叶えたくて、私の我が儘を通させていただいた。「父母恩重経」も読ませていただいた。参拝者に、母の供養にと、恩重経を配ることも出来た。

翌日は実家綾部に戻り、近親者で、納骨法要を営んだ。ようやく、墓におさまった母の骨。みなさんのお蔭で、なんとか、子どものつとめを果たさせていただけた。

かえって多くの人に迷惑をかけることになった。全て、私の我が儘であった。でも我が儘を通せて、有り難かった。母への想いを綴った過去の文章を、一周忌当日の挨拶文につけて、参拝のみなさんに改めて披露した。これも私の我が儘である。

それは、なにも出来ずに見送った母への、私の懺悔でもある。母が私をずっと待っていたこと、そして自分の側にいて欲しいと思っていたことはわかっていた。…わかっていても出来なかったから、やっぱり亡くしてみて、心残りは尽きなかった。今回、我が儘を通させてもらう中で、母への想いを形に出来て、ようやく、私自身が納得を得られたような気がする。

以下、以前にブログにアップしている(当日配った)文章ですが、よろしければ、葬儀、満中陰、百ヶ日・・・それぞれの時に綴った母へのレクイエムです…読んで下さい。

********************

「子から母へ、その想い・・・葬儀、満中陰、百か日」 …母妙佳法尼に捧ぐ 

◆通夜ご挨拶 「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて、喜びに来る」
本日は母のためにお忙しい中ご参列を賜り、厚く御礼を申し上げます。通夜法話の席ですが、お導師さまにお許しをいただいて、挨拶と合わせて、母を偲ぶお話しをさせていただきたいと思います。

母は大正15年7月に奈良市京終(きょうばて)の地に生まれました。生家はすでにありませんが、平城京が営まれた時代、その都の一番端の土地という意味で京終といったそうです。今は市内に位置します。20代の後半に父得詮大僧正との縁を得て、ここ綾部の地に移り住まわせていただき、約60年になりました。

母はいろいろ苦労をした人生でした。いろいろお世話をかけた人生でした。いろいろみなさんに助けていただいた人生でした。そしてみごとに今生を生ききりました。

私は母の幼い頃のこと、そして若い頃のことは詳しく知りません。実際には、父と一緒になり、私が生まれてからの母しか知らないのですが、満85年の人生を顧みると、最後は苦労のしがいのある、幸せな人生だったように思います。

得詮大僧正の座右の銘に「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて、喜びに来る」という言葉があります。父と母とは決して仲むつまじいというような夫婦ではなかったのですが、「喜び集めて、喜びに来る…」というようなところが共通していたから、喧嘩しながらも、添い遂げることが出来たのではないかと思っています。

母はここ2~3年体調を悪くし、入退院を繰り返しました。今年1月に緊急入院して、一時は危篤となりました。そのとき、あんなに行きたがった吉野にも、元気になって行こうと誘っても「もう…よい」と言いました。何かして欲しいことがあるかって聞いても、「にいちゃんには十分してもらったから、もうよい…」と言いました。

そんなふうに心が定まっている母に対し、あの頃の私は泣いてばかりいました。そして9ヵ月、母の長い闘病生活は続き、私にもようやく覚悟らしいものが出来てきていました。

亡くなる前日の12日の夜、ずいぶん弱った母を見て、「家のことも寺のことも、後のことは何も心配はいらないから…死んだ先のこともご本尊に安心してお任せすればよいから」と言い聞かせてやることが出来ました。言い聞かせすぎたのか、翌日朝、母は今生を終えたのでした。死に目には会えませんでしたが、遺体となって再会した母はキラキラと光に包まれていて、とても清らかに見えました。

辛い闘病生活だったと思いますが、最後はたくさんの人に見送られ、賑わいが好きだった母らしく「喜びごとを喜んで」っていうに相応しい人生だったように思います。

母に対し、今まで頂戴したご交情に心より御礼を申し上げるとともに、残りました私どもに、母と変わらぬご交情をいただくことをお願いし、ご挨拶と致します。

◆満中陰 「回転焼きと母」
10月に母が亡くなり、もう満中陰を迎えます。本当に早いものです。母は今年1月に危篤になり、医者からも余命一週間と宣告されましたが、その後、入院治療加療のおかげで、一時期は車イスに乗って病院の食堂で食事が出来るくらいまで回復しました。

闘病生活9ヵ月。その間は、今まで、あまり母のことに気をかけなかった息子にとって、母を病室に見舞うことで、親孝行のまねごとをさせてもらった貴重な時間でした。

少し元気になった頃、何が食べたいってきくと、「回転焼き、買ってきてんか」と言いました。それから、病院に行くときは、病院近くにあるカドヤさんという回転焼き屋さんで、回転焼きを買って持参するようになりました。あまりたくさんは食べられないので、毎回、一個だけを注文しましたが、いつ行っても、カドヤさんは面倒がらずに、快く、一個の回転焼きを売っていただきました。母が美味しそうに食べていたことが今でも思い出されます。

お葬式の朝、ふと、回転焼きのことを思い出しました。棺にいれてあげようと思い、カドヤさんに寄りました。普段は一個しか頼まなかったのですが、その日は母が好きだった三つの味の回転焼きを三つ全部注文しましたた。いつも一種類の一個しか頼まないので、いぶかしく思われたのか、「今日は三つなのですね?」とお店の方に声をかけられました。

「はい‥、母が好きだったので、いつも買わせていただいていました。その母が亡くなり、今日はお葬式なので、いっぱい食べさせてやろうと思って‥」というと、「お金はいらんから」と言われて、温かい三つの回転焼きを渡していただきました。その優しさに、思わず涙が出ました。

母のことばかりを思ってはいられませんが、でも、カドヤさんの前を通るたびに、美味しそうに回転焼きをほおばっていた母の顔が思い出されて、心がちくり、とします。母の思い出が嬉しくなる、カドヤさんの親切に今でも感謝です。

◆百か日 「父母恩重経」
昨日は母の百か日。早いものです…。ささやかに、身内だけで、お勤めをしました。父の時は唱えませんでしたが、母には読んでやりたいと思って、昨日の法要では「父母恩重経」を弟や息子たち、そして家内や弟子数人で唱えました。このお経は父母の恩徳について、きつい言葉で説かれていますが、その大半が母の恩についてであります。少し紹介すると…

「一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。」

「この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。」

「月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。」

「それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣(きもの)を脱(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐(は)きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。」

「母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅっし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し…。」

なにか、お釈迦さまに不徳の我が身を責められるような、心に痛い経文内容ですが、母への感謝を込めて読ませていただきました。母への供養の一助になればと念じます。親の恩は本当に有り難いものです。

***********

子は親を選んで生まれてくるという。親が選ぶのではない。私もまた、父と母を選んで今生の生を受けたのだと思う。なおさら、感謝である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする