今日の「田中利典師曰く」は「役行者霊蹟札所会」(師のブログ 2014.10.21付)、正木晃氏との共著『はじめての修験道』(2004年春秋社刊)「第5章 現代の修験道」からの抜粋である。
※トップ写真は、師がご住職を務める林南院の開山50周年記念大祭(11/3)。師のFBから拝借
師は2000年の「役行者千三百年忌」に際し、「修験三本山が力をあわせて、遠忌年を一緒に迎えよう」という呼びかけをされ、共同事業を行った。これをベースに、2002年には近畿一円の36寺社による「役行者霊蹟札所会」が発足、これで修験道の新たな連帯ができた。ここに至るまでには、大変なご苦労があったことだろう。では、以下に全文を紹介する。
「役行者霊蹟札所会」
私は修験道再生を意識して、修験道間の横の繋がり、つまりネットワーク作りを行いたいと考えてきた。その第一の取り組みは修験三本山の合同であった。
平成12年(2000)に迎えた役行者千三百年忌では、まず吉野修験総本山金峯山寺から、本山派修験総本山聖護院と当山派修験総本山醍醐寺に呼びかけをして、修験道史上はじめて、修験三本山が力をあわせて遠忌年を一緒に迎えることになった。
加えて互いに手を携えて合同事業に取り組むことも合意した。結果、特別展覧会「役行者と修験道の世界」や役行者シンポジウム開催、大峯山寺合同法要など数多くの共同事業をやり遂げることとなる。
一連の合同事業の中、平成12年1年限定の取り組みとして、近畿日本鉄道株式会社の協力の下に主催したのが「役行者ゆかりの三十九寺社集印巡り会」であった。この「役行者ゆかりの三十九寺社集印巡り会」は近鉄沿線を中心に、役行者開基と伝える寺や役行者修行の地など、役行者にまつわる寺歴のあるお寺を集めたものである。
現代に役行者信仰を打ち出していくひとつの方法として、多くの寺社を巻き込んで行われ、広く人々の支持を集めるところとなった。ただ本会は平成13年3月に当初の予定通り解散することとなる。
そしてこのとき集った39寺社をもとに、やめるところは削除し、新しく追加して誘うところも入れて、近畿一円の36寺社で再編したのが「役行者霊蹟札所会」である。会は平成14年(2002年)9月に正式に発足した。新しい修験道関連寺社のネットワークがはじめられたのである。
この「役行者霊蹟札所会」は役行者の由緒と歴史を自覚し、その法灯の護持と、各霊蹟札所相互の連絡と親睦・協調を図ることを目的としている。つまり役行者信仰の宣揚と霊蹟巡礼の興隆発展を目指して設立されたもので、役行者に関わる初めての修験道霊場の誕生であった。
役行者というとまだまだ「ヤクノジョウジャ」とよばれたりするほどで、一般には「エンノギョウジャ」とよんで貰らえない状況にあるが、本会の興隆とネットワークの連携を通して、もともとは広く世の人々に指示されてきた役行者信仰をふたたび広めていきたいと念願するものである。修験三本山からはじまったネットワークは近畿一円の新しい修験道の連帯へと繋がったのである。
『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第5章 現代の修験道」より
※トップ写真は、師がご住職を務める林南院の開山50周年記念大祭(11/3)。師のFBから拝借
師は2000年の「役行者千三百年忌」に際し、「修験三本山が力をあわせて、遠忌年を一緒に迎えよう」という呼びかけをされ、共同事業を行った。これをベースに、2002年には近畿一円の36寺社による「役行者霊蹟札所会」が発足、これで修験道の新たな連帯ができた。ここに至るまでには、大変なご苦労があったことだろう。では、以下に全文を紹介する。
「役行者霊蹟札所会」
私は修験道再生を意識して、修験道間の横の繋がり、つまりネットワーク作りを行いたいと考えてきた。その第一の取り組みは修験三本山の合同であった。
平成12年(2000)に迎えた役行者千三百年忌では、まず吉野修験総本山金峯山寺から、本山派修験総本山聖護院と当山派修験総本山醍醐寺に呼びかけをして、修験道史上はじめて、修験三本山が力をあわせて遠忌年を一緒に迎えることになった。
加えて互いに手を携えて合同事業に取り組むことも合意した。結果、特別展覧会「役行者と修験道の世界」や役行者シンポジウム開催、大峯山寺合同法要など数多くの共同事業をやり遂げることとなる。
一連の合同事業の中、平成12年1年限定の取り組みとして、近畿日本鉄道株式会社の協力の下に主催したのが「役行者ゆかりの三十九寺社集印巡り会」であった。この「役行者ゆかりの三十九寺社集印巡り会」は近鉄沿線を中心に、役行者開基と伝える寺や役行者修行の地など、役行者にまつわる寺歴のあるお寺を集めたものである。
現代に役行者信仰を打ち出していくひとつの方法として、多くの寺社を巻き込んで行われ、広く人々の支持を集めるところとなった。ただ本会は平成13年3月に当初の予定通り解散することとなる。
そしてこのとき集った39寺社をもとに、やめるところは削除し、新しく追加して誘うところも入れて、近畿一円の36寺社で再編したのが「役行者霊蹟札所会」である。会は平成14年(2002年)9月に正式に発足した。新しい修験道関連寺社のネットワークがはじめられたのである。
この「役行者霊蹟札所会」は役行者の由緒と歴史を自覚し、その法灯の護持と、各霊蹟札所相互の連絡と親睦・協調を図ることを目的としている。つまり役行者信仰の宣揚と霊蹟巡礼の興隆発展を目指して設立されたもので、役行者に関わる初めての修験道霊場の誕生であった。
役行者というとまだまだ「ヤクノジョウジャ」とよばれたりするほどで、一般には「エンノギョウジャ」とよんで貰らえない状況にあるが、本会の興隆とネットワークの連携を通して、もともとは広く世の人々に指示されてきた役行者信仰をふたたび広めていきたいと念願するものである。修験三本山からはじまったネットワークは近畿一円の新しい修験道の連帯へと繋がったのである。
『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第5章 現代の修験道」より
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