tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

桜が危ない!外来昆虫「クビアカツヤカミキリ」が繁殖、早期発見にご協力を!

2023年05月16日 | 環境問題
ゴールデンウィーク中の奈良新聞(2023.5.6付)に、〈県内のサクラに危機 特定外来生物「クビアカツヤカミキリ」早期発見が鍵〉という大きな記事が1面および3面に出ていた。漢字で書けば「首赤艶髪切」となる。リード文は、
※これら2枚の写真は、奈良新聞の記事サイト(2023.5.6付)から拝借した

春を象徴する花として愛されてきたサクラに危機が迫りつつある。近年、特定外来生物の昆虫クビアカツヤカミキリ(クビアカ)によるサクラの被害が増加。現在のところ完全な防御策はなく、一度被害が広がると手の打ちようがないという。被害拡大を防ぐには早期発見、早期防除が欠かせない。被害の報告事例が増えている奈良県内でも、サクラを守る取り組みが本格化している。


根元に見えるのが「フラス」

記事内容は、末尾の画像をご覧いただきたい。この話を私は、NPO法人「平城宮跡サポートネットワーク」の公式HPで見ていた(=末尾のチラシ)。同法人は、「平城宮跡桜見守り隊」(ボランティア)を組織して、被害を受けた桜の早期発見に努めている。とにかく木の根元のフラス(木くずと糞が混じったもの)を見つけ、薬剤を散布したり、成虫を踏みつぶすなどの対策を講じなければならない。

県内では2022年度に、北西部の21市町村で612本の被害木が見つかっている。幸い吉野山ではまだ見つかっていないようだが、飛び火すれば大変なことになる。皆さんも散歩のときなどにフラスを見つけられたら、成虫は踏みつぶした上で、市役所・町村役場へお知らせください!







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田中利典師曰く「僧侶自身が祈りを取り戻さないと、日本仏教は危うい」

2023年05月15日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「どこが日本仏教の危機なのか」(2010.12.27)。中外日報(宗教専門の新聞)の「論壇」欄に、「日本仏教の危機~僧侶がみずから祈りを取りもどすこと」という見出しで掲載された記事である。論陣を張っておられるので5章立ての長い記事になっているが、ぜひ最後までお読みいただきたい。
※トップ写真は金峯山寺の「南朝妙法殿」(2023.3.28 撮影)

文中で師は、映画『おくりびと』に僧侶が出てこなかったとお書きだが、これは私は気づかなかった。かつて伊丹十三監督作品『お葬式』に登場した笠智衆演じる浄土真宗の僧侶は、家具装飾の愛好家で、ロールスロイスで斎場に乗り付ける俗物というマイナスイメージで描かれていた。僧侶という存在が、軽視されているようだ。では、師の「論壇」記事全文を紹介する。

「どこが日本仏教の危機なのか」
中外日報社から「日本仏教の危機について」ということで、依頼された論壇の記事。日記に書いたように誤植があり、新聞記事はそのまま読むと肝心のところでずっこけるのですが、元原稿を貼ります。何人かの方にはお送りしました。でも体裁は新聞掲載記事の方がよいですね。

表題テーマ「日本仏教の危機~僧侶がみずから祈りを取りもどすこと」

*********************

1)葬式仏教の危機じゃないの?
友人から「日本仏教って危機なの?」と聞かれた。

「そりゃあそうでしょう。日本仏教って危機的じゃないの。ここ数年、お寺を取り巻く状況は悪化の一途をたどっているよ。たとえば、『おくりびと』って映画には僧侶は出てこなかった。葬送の場に僧侶が不在だった。『千の風になって』が流行ったけど、お坊さんまで「私のお墓の前で泣かないでください~♪」と歌う」。

「島田裕巳氏の『葬式は、要らない』って本もよく売れた。それから、イオングループが葬祭業に参入し、死者を弔う心も一種の経済行為としての見方に拍車をかけた。読経や葬送儀礼のない直葬や無宗教葬は、どんどんと広がっている。檀家離れや無縁社会が現出し、肝心のお寺自身も後継者不足が問題になっていて、日本仏教は間違いなく危機に瀕しているんじゃないの」。

私はそう答えた。だが、友人は反論する。

「でもそれって、葬式仏教の危機であって、それが日本仏教の危機ということにはならないんじゃないのかなあ……。だってさ。仏教そのものは、一般の人の間では、関心は高まってるよ。仏教書はよく売れている。上座部仏教系の気づきの瞑想の本とか、ダライ・ラマ法王をはじめチベット仏教系の本は、書店で平積みになっている」。

「ここ数年の仏像ブームはすごいよね。奈良・平城遷都1300年祭がらみでは、寺院を訪れる人はすごく増えたんじゃないの。君の寺だって、昨秋に12万人が押し寄せたんでしょ。だから、どこが日本仏教の危機なのよ」。

──なるほどなあ、そう言われたら、そうかなあとも思う。でもやはり、日本仏教は危機を迎えているように思えてならない。

2)多くの寺院は葬祭仏教を基盤にしている
10年ほど前だが、私がまだ全日本仏教青年会の副理事長だったときに、「葬式仏教をぶっとばせ!」というテーマで全国大会を京都で行ったことがある。

そのときの大会記録を『葬式仏教は死なない』(白馬社刊)として出版した。その中で全国の寺院にアンケート調査を行い、調査報告を掲載した。全調査の8割以上が、葬儀や年忌法事、墓地管理など葬祭関連によるお布施収入に頼っていた。

やはり今の日本の多くのお寺の実態は、葬祭と法事で経済基盤を成り立たせているのである。葬祭仏教の危機は日本仏教の危機に直結している……。寺の内側から見て、正直にそう感じたし、今もそれは変わらない。

ところで、私は実は葬儀をしない僧侶である。寺はあるが檀家はない。信者さまを相手に、加持祈祷を専職にしている祈願寺院である。もちろん葬式ができないわけではなく、頼まれればしないこともないし、法事や年忌のお勤めもさせていただくこともあるが、それが主たる法務ではない。

だから檀家制度の崩壊と、葬祭仏教の衰微は、逆に我々にとって大きなチャンスなのだ……って言える立場にいるのかもしれない。が、ことは、そんな簡単なことではない。

3)その時代に生きた僧侶たちが血の滲むような努力をつづけてきたからこそ
6世紀中頃、日本に仏教が公伝して以来、仏教は国家的な規模による繁栄とともに、幾多の危機も迎えている。豊臣秀吉の時代、刀狩りが行われ、寺院にあった僧兵達は武装解除して寺は武力を失う。

武力を持った寺院が日本の仏教にとってよいことだったかどうかは別だが、それ以来、政治に対して発言力を失ったことは間違いない。江戸時代の寺請制度・檀家制度は、寺院の経済基盤を安定させたが、しかし布教の自由はなく、葬祭仏教となって、いきいきとした活力は奪われてしまった。明治の「神仏分離・廃仏毀釈」による打撃も日本仏教の形を大いに変容させた。

そして大東亜戦争の敗戦による農地解放は、寺院の経営基盤であった田畑などを大いに失い、これによって葬祭儀礼に収入を依存する体質や実子相続などの形が一般化した。戦後は新興宗教が活発に起こった。また都市化による核家族化が進み、檀家離れに拍車をかけた。

しかしながら、大きな節目ごとに、その時代に生きた僧侶たちが血の滲むような努力をつづけたからこそ、現代にまで、曲がりなりにも日本仏教の法灯は守られてきたのだと思う。それはまた僧侶だけの努力ではなく、日本人全体が先祖供養や現世利益などの祈りを通して、やはり日本仏教を心のよりどころとして求め、存続させてきたのだと思う。

4)本当の日本仏教の危機とは
人の生き死には人生最大の問題である。そこに宗教が必要とされるのは世の東西を問わず、そして長い人類の歴史を通じて変わらないことだったはずである。けれども、いまやその厳粛な場に僧侶が必要とされない社会となってきているのだ。

それがもし本当なら、人生の厳粛なる節に、祈願などの場さえも生まれない。そしてそれは、祈りを喪失させた社会をも生むことになるであろう。先祖供養や死者儀礼は現世利益と表裏一体でやってきたのが日本仏教だった、と私は思っている。そこにこそ、祈りがあったのだ。

人々の心に祈りの心があり、僧侶の祈りが必要とされてきたのである。映画『おくりびと』で僧侶がいなかったことも、「私のお墓の前で泣かないで下さい~♪」と歌う心も、『葬式は、要らない』のベストセラーも、イオングループのビジネスモデルも、どこか、僧侶自身の祈りの喪失とつながっているような気がする。

社会ぜんたいで祈りの喪失という現象は、今後ますます拍車をかけるにちがいない。実はそこが今の日本仏教の危機たる本当の所以なのではないだろうか。──そう私は思っている。

5)まず僧侶自身が祈りを取り戻さなければならない
まず、僧侶自身が祈りを取り戻さなければならない。仏に祈りもしない僧侶が死者儀礼や加持祈祷などに携われるはずがない。世間の人たちが祈りを忘れているのは、しっかりと祈る僧侶がいないからなのではないだろうか。

その現れをもっとも顕著に感じるのが葬儀の場だ。祈りの心を伝えられない僧侶が増えている。たんなる儀式の執行者になっていないだろうか。人の生き死にの場で、祈りを期待されないような僧侶では意味がない。葬祭の場こそ、僧侶がみずから祈りの心をお伝えする機会なのだと思う。

あるいは、仏像は見るものではない。拝むものであり、祈りの対象である。そこにも僧侶が祈りの体現者として登場していなくてはならない。博物館の管理人のようなことではダメなのは言うまでもない。

祈りのない、拝む心のない仏像ブームは仏教の自滅であるとさえ、僧侶は思わなくてはならないだろう。祈りを取り戻すこと、私はそれをなにより大切にしていきたいと思っている。
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吾平津媛命(あひらつひめのみこと)を祭る 嗛間(ほほま)神社/毎日新聞「やまとの神さま」第43回

2023年05月14日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.5.11)掲載されたのは〈嗛間(ほほま)神社(御所市)/神武天皇の最初の妻祭る〉、執筆されたのは同会会員で桜井市在住の福原康之さんだった。

最近は神武天皇社(御所市柏原)をお参りする人が増えているそうだが、すぐ近くの嗛間神社に足を運ぶ人はまれだ。私は同社総代で、ここを管理する藤井謙昌(よしまさ)さん(会社の先輩)に教えていただいた。ブロック塀の中に小さな祠(ほこら)がある。ご近所で婚礼があった時は同社の前に白い幕を張り、しかも行列は同社の前を避けて通るのだそうだ。では、記事全文を紹介する。

神武天皇の最初の妻祭る
嗛間(ほほま)神社は御所市柏原(かしはら)にある神武天皇社の境外摂社で、神武天皇の最初の妻・吾平津媛命(あひらつひめのみこと)を祭ります。

天皇が東征を果たした後、三輪の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を正妃に迎えたため、吾平津媛命が微妙な立場になったことに配慮してか、当地では婚礼の際に神社の前に白い幕を張り、行列が神社の前を通るのを差し控える風習が、近年まで続いていたそうです。

吾平津媛命は宮崎県日南市の吾平津神社でも祭られ、鹿児島県鹿屋市にも吾平の地名が残ります。大隅半島には柏原(かしわばる)の地名があり、神武東征の九州と大和の関連を想像すると、興味を覚えます。

日本書紀には、神武天皇が当地の近くの丘から大和盆地を見下ろし、トンボ(古名は「あきつ」)が交尾して飛んでいる国だとたとえた故事から、日本国の別名を「秋津島」というようになった伝説が紹介されています。

周辺には、石室が見学できる国史跡・宮山古墳(室大墓古墳)や、修験道の開祖・役行者の生誕地とされる吉祥草寺(きっしょうそうじ)などの史跡・寺社が点在しています。

春の一日、古い歴史に彩られ、清酒やしょうゆ、豆腐などの特産品に恵まれた御所市を訪ねてみては、いかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 福原康之)

嗛間神社の𧙈(ほこら)=御所市柏原で
(住 所)御所市柏原325
(祭 神)吾平津媛命 
(交 通)JR掖上駅から徒歩約10分
(拝 観)日中開扉時は自由
(駐車場)無
(電話)0745・62・2141(同社総代・藤井謙昌(よしまさ)さん)


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田中利典師曰く「感謝を忘れたら、心身のバランスが崩れる」

2023年05月13日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、ブログ「山人のあるがままに」から、「感謝力」(2010.7.26)である。この少し前頃に、渡辺淳一著『鈍感力』という本が話題になっていた。このブログ記事には、歩く・ならの女さんから、こんなコメントが入っていた(2010.7.27)。
※写真は、吉野山下千本の桜(2023.3.28 撮影)

ご無沙汰しております。いい文章ですね。いつもながら心にしみこむようです。感謝を忘れたらバランスが崩れ去る・・・なるほどと思いました。つい忘れがちになってしまってました。明日からまた思い出して、朝から感謝の笑顔ですごそうと思いました。

明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」で、ここから娘さんに「いまる」さんという名前を付けた。多少の心の悩みや体の病いがあっても、目に見えない大きな力によって生かされている、それに対する感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。では師のブログ記事全文を紹介する。

感謝力
いつもの機関誌(金峯山時報「蔵王清風」欄)に書いている随筆の転載である。今月は「感謝力」。7月号掲載なので少し遅くなったが、ご笑覧あれ。

***********************

「感謝力」
人間は所詮猥雑な生き物である、と私は思っている。どんな人間だって心に一つや二つの悩みを抱えているし、人に言えない心の影を抱えていてもおかしくない。それは心だけのことではなく、生きているっていうこと自体が猥雑なことなのだとおもうからだ。

体ひとつとってもそうである。私はすこぶる健康体だ、と思っている人だって、大きな病気はなくても、たとえば水虫やら痔や肩こりやら、どこかしら病いは抱えているし、今は大した自覚がないだけで、重大な病気を抱えていることだってありえる。

ただ平常でいられるのは、心の悩みにしても、体の病いにしても、悪いなら悪いなりに、それなりのバランスや調和が取れているからなのである。いずれにしろ、純粋無垢な心、完全無欠な健康体の人間などはいないのある。

完璧に清楚な人もいるはずがなく、逆に完璧な悪人もいやしない。あいつは極悪人だ、と言われる人がいるなら、それは善悪の調和が極端に崩れているだけだと私は思っている。つまり、誰にしても心も体も、善悪ともども猥雑なままに生きている、それが人間の本性なのである。

肝心なのは調和を保つこと、バランス保つことなのだ。ではどうやってそのバランスを保てばよいのかというと、その答えは一様でない。ただ私は僧侶だから、「それが御本尊の冥加であり、信心の力だ」と答えるしかない。

調和を保てることはまことに奇跡に近いわけで、バランスを失わず生きていけているのは正に自分の力の及ばざるところだ、と感じずにはいられないのだから。

実はこのところ、私自身そんなに健康体というわけではなく、成人病も抱えているし、僧侶のくせにストレスも自覚的にたまる一方の生活をしている。それでもなんとかバランスを崩さずに生かせて頂いているのは御本尊のご加護のお陰だし、信心の賜物だとつくづく思っている。

他人が見ているほど強くもないし清楚でもない猥雑な私であるが、それでも守られている大いなる力に感謝せずにはいられない日々なのである。

感謝がなにより大事なのだ。その感謝を忘れたらバランスは崩れ去るのかもしれない。一時期、『鈍感力』っていう本が売れていたそうだが、心身のバランスを保つためにも「感謝力」という言葉を少し心にとどめておきたいものである。
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奈良市民の好きな食べ物は?/奈良新聞「明風清音」第88回

2023年05月12日 | 明風清音(奈良新聞)
総務省統計局が毎年公表している『2021年 家計調査年報(家計収支編)』を繰って、奈良市民がよく買っている「食べ物」を調べ上げた。結構手間がかかったが、興味深い結果が得られた。これを講演で披露すると、とても反応が良い。調べておいて良かった!
※2枚の写真は、三宅町のミートショップ山口のHPから拝借。ここのお肉は美味しいです!

1つ、理由が分からなかったのが、酢(数量で全国2位)だ。わが家では酢を洗剤代わりに使っているが、まさか奈良市内の各家庭が、そんなことをしているとは思えない。料理研究家のSさんにうかがうと「健康に注意されている方が、多いんでしょうね」「塩分を減らせます。煮物やうどんのおダシに少し加えると、お醤油が控えられ味が引き締まります」とのことだった。これはぜひ試してみたい。

こないだNHKの朝ドラ「らんまん」(主人公の生家は土佐の造り酒屋)を見ていて、「そういえば、土佐の人はお酒をよく飲むと聞いたな」と思い出し、家計調査年報で高知市の「清酒(購入金額・数量)」を見たが、全く多くない。全国平均をはるかに下回っているし、奈良市よりも少ない。「酒類」全体でも奈良市より少なく、全国平均並みだった。

しかし「待てよ」と思い直し、「外食」の「飲酒代(金額)」を見ると、日本一!奈良市の倍近くだった。つまり高知市民は外で飲んでいるのだ。こんな「食行動」が家計調査で正確に分かるので、面白い。「ケンミンショー」も、見習ってほしいものだ。では全文(2023.4.20付)を紹介する。

奈良市民の「好物」
「ギョーザ購入額、宮崎市が日本一」というニュースを覚えておられる方も多いことだろう。宮崎市では2020年に「市ぎょうざ協議会」が発足、消費拡大を図ってきたという。この数字は、総務省統計局が毎年公表している家計調査に基づいている。

私も図書館で『2021年 家計調査年報(家計収支編)』を目にすることができた。そこには47の県庁所在地と、5つの政令指定都市の年間の「品目別支出金額・購入数量」が掲載されている。奈良県内では奈良市民限定の調査結果となるが、県北部住民の大まかな傾向はつかめることだろう。以下、「2人以上世帯」で支出(金額または数量)の多かったものを紹介する。

▼日本一!牛肉購入量
なんと牛肉は購入数量(グラム)で全国1位、金額(円)で2位だった。なお金額1位は京都市だった、強し!関西勢。私は以前から駅前のスーパー(近商ストア学園前店)で、ショーケースに並ぶたくさんの高級牛肉を目にして「こんなに多くの牛肉を買う人がいるのだろうか」と、怪訝(けげん)に思っていた。



近鉄百貨店奈良店地下の福寿館(精肉販売)でも、いつも行列ができている。やはり、奈良市民は牛肉好きだったのだ。今回調査では白菜も全国2位(金額・数量とも)なので、しゃぶしゃぶにして食べているのかも知れない。

牛肉以外を含む「生鮮肉」も、金額3位、数量5位なので、奈良市民は肉好きなのだ。だから調理に使う油脂が3位(数量)、食用油が4位(同)と高いのだろう。

▼食パン購入量は全国2位
食パンのランクも高い、全国で2位(数量)だ。ちなみに1位は堺市、3位は神戸市。食パンは、ハイカラな食べ物のようだ。なおパン全体でも奈良市は6位(数量)、小麦粉も9位(金額)と高い。

コーヒーは3位(金額)、卵も3位(同)、マーガリンは8位(数量)。こここから奈良市民の朝食事情がうかがえる。「朝食は茶粥」の時代は、遠い昔の話になったのだ。

▼ウナギ、カニ、タイ
魚介類に目を転じる。ウナギの蒲焼き(調理食品)は4位(金額)だった。なお1位は京都市、2位は浜松市、3位は東京都区部。京都がウナギの都・浜松を抜いたというのは、すごい。

奈良市はエビも4位(金額)、カニは5位(数量)。カニ1位はダントツで鳥取市、さすがは松葉ガニの本場だ。タイは金額7位、数量8位と健闘している。奈良市民は、高級魚介がお好きなようだ。

▼果物好きな奈良市民
生鮮果物は7位(数量)で、品目別ではやはり柿が高く金額3位、数量2位。イチゴは6位(金額・数量とも)、ブドウとオレンジは数量8位だ。あと理由は分からないが、酢が2位(数量)だった。酢の物をよく作るのだろうか。

▼焼酎(金額・数量)は2位
酒類を見てみると、焼酎が2位と高い。1位(金額・数量とも)の本場・宮崎市に肉薄する高さだし、鹿児島市、大分市、熊本市の九州各市よりも高い。焼酎は、高齢者が好むといわれる。この調査対象世帯の世帯主の全国平均年齢は60・1歳。奈良市は63・8歳で最高齢だし、最も若い金沢市(56・8歳)とは7歳もの差がある。これが、影響しているのかも知れない。

これに対して奈良市が発祥という清酒が、金額28位・数量35位と低迷しているのは意外だった。せっかく奈良市で「日本酒で乾杯条例」を作ったのに。

以上をまとめると、奈良市民は牛肉などの生鮮肉、食パン、コーヒー、ウナギの蒲焼き、柿、酢をよく買い、アルコールは焼酎。果たしてあなたのイメージと、合っていただろうか。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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