鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

「それでもボクはやってない」と『痴漢でっち上げ事件』で思うこと。

2008年03月15日 19時57分22秒 | 個人的主張など
マスコミに報じられている範囲で感じることは、まずは自分がハメられたらどうしたか・・・という事と、いろんな予測を完璧に立てた上で迫真の演技と打ち合わせができていたらどうか・・・という事だ。

考えるだに恐ろしい。もっとも想像力を十分に使って予測を二人でしていたら、こんな馬鹿げたでっち上げは割りに合わないと、すぐに結論は出そうなものだけれど・・・。

ハメられた会社員は自ら潔白を証明しようと進んで駅員(鉄道警察?)に申し出たとのことだが、これは一般的に取りうる行動だろうか?正義は我にありと自信をもっての主張をしても、警察は当初聞き入れずさんざんな取調べをされているのだ。

私だったらパニックになって、大学生とその連れの女の計画通りに誘導されてしまうかと言えば、そうではなくて、その二人に対して何をするかわからないのが怖いのだ。無実をどこで主張してもなかなか埒があかないだろうと瞬時に思ってしまうだろうからだ。何たって自分に全くの覚えがない無実だ。その二人にどんな危害を加えるかわからない。それが怖い。

気は弱いのだけれど、だからこそパニックになる自分が怖い。腕っ節は強いし、気が弱いくせに負けん気はあるというか、理不尽なことに対しては断固戦ってしまう自分が怖いのだ。線路に二人を突き落としかねないと想像して恐怖に震えそうだ。

恐怖を作り上げて金を得ようとする人間はどこにでもいる。恐怖は金になる。恐怖は商売になる。軍隊も軍需産業も恐怖を糧に存在している。本当は冷戦以後の世界に大戦争なんて起きよう筈はないのに・・・。ちょっと飛躍するが、イブ・モンタンが主演していた『恐怖の報酬』という映画があった。とんでもなくずれたり、飛躍してしまったりしてる。これはちゃんと結論を出さないといけない。
   つづく(たぶん)
コメント
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