鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

サッカーワールドカップ予選、バーレーン:日本を観て思ったこと

2008年03月27日 19時39分06秒 | 勝手に応援
試合をテレビで観ていて、何だか子供のサッカーを観ているような印象を受けた。ボールがぽーんぽーんと大きく相手方へと飛んでいくだけで、ちっともパスになっていない。お互いが自分達のゴールから遠ざけさえすればいいという感じに見えた。

以前にも書いたが、サッカー観戦はイライラを愉しむ娯楽だ。究極のイライラから一気に開放される瞬間があるかないか解らないのにひたすらそれを期待しながら観るのだ。

それとは別に個別の華麗なプレイを楽しむこともできるのだが、今回はドリブルもパス回しもなにせ少なかったから、それがあまりなかった。

昨日はNHKテレビでサッカーの起源や歴史を紹介していた。19世紀にイギリスで手を使うラグビーと手を使わないサッカーに分かれたのだという。ラグビーの美しさは何と言っても高所から映される、右に流れ左に流れるパス回しだ。残像として美しい流れが残る。

サッカーにしてもそうだ。巧みにスライディングしてくる相手をかわし、ワン・タッチ、ツー・タッチでくるくる回すパス回しから、機を見てのセンタリングそしてシュートを狙う。その軌跡が美しいのだ。

もちろんサッカーの場合、その軌跡の終りはほとんど『あ~ぁ、やっぱりダメかぁ』で終わるのだ。そしてイライラがつのっていく。

今回の試合では、その軌跡(パスからシュートへ)がほとんどワン・チャンスだったにもかかわらずバーレーンに勝利をもたらした。しかもあきらかに審判の反則見落としの結果としてだ。

審判からは見えなかったのだろうが、コーナー近くで高いボールを受けたバーレーンの選手は、あきらかにトラップ・ミス、ハンドのファールを犯していた。左の二の腕内側でボールを受けていた。テレビの解説者も『ハンドですねぇ』と何回か言っていた。

結果、折り返しのセンタリングをキーパー川口が中途半端にはじき、その先に詰めていたバーレーン選手の苦し紛れの、ほとんど偶発的なヘディングがふわりと日本のゴールに入ってしまったのだ。

川口にしてみれば、当然笛が吹かれるだろうと思っていた筈だ。そこにスキができてしまったのかも知れない。本人はそのことを決して言い訳にせず、自分のミスとして反省を口にしているようだ。何たって、審判は公正で絶対だ。今回の主審は公正だった。この見落としさえなければ完璧だったのに・・・。

わたし、直ぐにマラドーナの『神の手』と言われた、手を使ってのゴールを思い起こしました。今回はアシストの選手だから取り上げられることはないだろうが、あれは奥の手と言うのだろうか、神の手というのだろうか、そうですね『アラーの腕』でした。

戦いの後で岡田監督のインタビューがあった。前回は大人気ない態度だった。でも今回は無表情ではあったが、キチンと質問に応え、冷静な分析と今後の課題を述べていた。反省したのかも知れない。身近な人に諭されたのかも知れない・・などと私は勝手な想像をしている。

コメント
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