鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ターミナル・ケアのコミュニケーション・ツール

2009年04月24日 19時07分59秒 | 個人的主張など
タイトルに書いた形で検索をしたが、私の望む紹介記事あるいは論文はネット上では探せなかった。どこかにいくらでも書かれているのだろうけれど、検索方法が悪いだけなのだろう。

そのように検索したのは、身内に不幸があったから・・・。『シマッタ!遅かったか・・・』という思いをしたのだ。制癌剤の副作用で難聴になり、看取る家族が意志疎通に苦労していると聞いていた。そんな折、ミクシー仲間が補聴器の購入レポートをタイムリーに書いたのを見て、連絡しようとしていた矢先に訃報が来たのだ。補聴器は性能が良くて割安なもので片方15万円位ということだった。

通夜で、果たせなかったから詮ない事ながら補聴器のことを言ってみた。義姉が、耳に口をあてて話すのが大変だから補聴器を買いたいと医師に言ったところ、耳に合うのでないと駄目だから・・・ということでうやむやになってしまっていたらしい。

しょせん医師は医師であって、身内の必死さや死に瀕している人間の希求なんてわからないものなんだろうと思ってしまう。たとえ1日だけしか使えずに死んだとしても、金銭に換えられぬ『よかった』という思いが残る方がどんなにか良いだろう。

実を言えば、故人とは訳ありで10年以上会うことができなかった。何とか対話を持ちたいと願ってはいたが、会うときはどちらかの葬式でしかないだろうという諦めの気持ちも半ばだった。もちろん自分の方が先に死ぬという事は、先ず無いだろうとは思っていた。

死の間際の数日は、多くの面会者にも会いたくないと言っていたらしい。食べても吐いてしまい、痛みもあって、しんどいのだからさもありなん。補聴器があったとて、何ほどのものかとも思われるが最後は何故か丸々三日程も眠り続けて死んだという。薬が効き過ぎたんじゃないかしら・・・とのことだったから、匙加減の間違いかと誰もが疑う呆気ない死だったようだ。

死はたいてい残念無念なものだけれど、遺族席の一人一人がそれぞれ微妙に違った感慨の残念無念を感じていた筈だ。誰も表立って嫌味を言うこともなく、あてこすりも皮肉も言わなかったけれど、私だって遺族席に並んで座りながら残念無念だったんである。合掌して瞑目しても視野が暗くなっただけだったけれど。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする