毎日放送のニュース番組VOICEを一昨日観た。
http://www.mbs.jp/voice/special/201001/21_26603.shtml
すばらしく真面目で真摯な人たちがいるものだなぁと思った。
すぐに思い浮かんだのが、『ジョニーは戦場へ行った』という映画のシーンだ。戦場で負傷して、頭と胴体と性器だけになってしまったジョニーの話だ。慈しみと思いやりのある担当看護婦が、ある朝に性の介助をするというシーンがあった。そのシーンはもちろんあからさまではなく、わかる人にはわかる(男ならたいてい判る、女性でも性体験がある程度あれば判る)情緒的表現というのか暗喩描写がなされていた。20代だった私はそこに深く感動したのであった。
オランダの先進的な取り組みに対するNHKなどの報道特集にはいつも注目してきた。売買春の問題でもドラッグの問題でも安楽死の問題でも強く賛意を持った。いろいろと今回のタイトルの問題を検索してホームページや書籍紹介記事などを読んで思いめぐらしている内に、また思い出したことがある。
大橋巨泉という昔イレブンPMなどで有名なマルチタレントがいる。彼は独身時代に『自分は子供を作らない』という信念のもとにパイプカットをしたそうだ。プレイボーイだから、女性を孕ませてしまう危険を回避したのでもあろうが、そう決心させたものは何なのか。理由を言っている所をテレビで見たが、ついでに言ったに過ぎないコメントだったから納得できるものではなかった。何か深いものがあったのだろうと気になってきた。彼はかなり若いタレントと結婚して子供はできていない筈。パイプを繋ぐ手術もしなかったということだろう。タモリというタレントも子供がいない。彼はあるとき、あの独特のもうすぐ吹き出すよ、という笑いを噛み殺すような顔で「家庭にセックスはもちこまない」と言った。そして誰かが、子供を作らないのか子供が嫌いなのか、というような質問をしたら、「子供って、ほんとうにコドモ(わからずや)じゃない!?」と言っていた。笑いを誘うために言ったようでいて、何かとても深い彼の信条のようなものが含まれているように思ったものだ。
何故こんなことを思い出して書くか。それを詳しく自己分析して書いてもつまらないだろう。性は個々人の問題であり、当人同士の問題であり、家庭の問題なのだ。しかし何たって何だってケース・バイ・ケースのわけで、性生活のありようは組み合わせの数、あるいは人の数だけある多様なものだろうし、所有欲や支配欲や依存性や差別意識などから解放された性とはどういうものだろうなどといろいろと想像をめぐらすのである。