親しくしていた同級生がコロナウィルス感染者となり、喉が痛いと言っていると聞いた。
ある会合に出席して、そこから10人ほどが感染者となり、濃厚接触者という波紋が広がり、その同級生の夫も罹ったと又聞きでの情報。
私は住民票をこちらに移していないので、冬と病院以外は生家で暮らしているものの、滞在者という身分。
十日町市のLINE広報を受けているので、各種イベントやコロナ関連のニュースは毎日届く。
市会議員が1人、市職員が2人、○○中学の生徒が1人というような記事が入り、在住者か滞在者かの別も記されている。
コロナに関しては、県の発表を受けて市が広報に載せるという体裁になっている。
まだ2年半のコロナ騒動だけれど、あれよあれよの間にコロナ体制ができてしまい驚くばかりだ。
少し感染力が強いけれど普通にインフルエンザの一種でしかないから大騒ぎするに値しないという見方や主張は隅に押しやられ、世界の大勢に従う日和見体制は盤石だ。
検査をするから増えるのではないか、とずっと思ってきて、今もそのように思い続けている。
数の操作が直接的に行われているかどうかは別として、雰囲気作りとプロパガンダで、数量はある程度操作できるのだろうと思えてくる。
大部分は普通の風邪か毎冬のインフルエンザのような症状で、それなりに治っているのだけれど、極端な例だけがことさら強調されているに違いない。
元々風邪は万病の元と言われているのに、こじらせたり、初めから病気だった人や弱っていた人が重篤になったり運悪く亡くなったりしたら、死因は新型コロナという形でデータに入れられているのだろう。
こういう体制にしたのは何が悪かったのだろうか、そうしてどういう力と思惑が働いたのだろうということばかりを考えてしまう。
みなが踊りだして引っ込みがつかないということではないかと。
ゼレンスキーもプーチンもバイデンもトランプもそのように見える。
ところが近隣アジア諸国のトップや日本の政治屋を見ると、どれもこれも幼児性から抜け出せないモンスターに見えてしまう。
政治をやる多くは『自分が間違っていたかもしれない』などと言うことはまずもって無いどころか、敵とする相手を非難するばかりで引っ込みがつかないようだ。
私は加齢と病気とコロナで仕事は激減して引退状態となり、田舎に引っ込んでいる。
引っ込んでの引きこもりが性に合っていることもあって、もう引っ込みがつかない。
画像は、昨日の雨でお辞儀しているタチアオイ(立葵)を下から見上げたもので、空の明るさにより花が暗くなったので明るさを調整した。
感謝ですか・・・もしかして感染・・?
>すべてが素晴らしい「弁論」。
善玉こころ・・ですか?
たまには懐疑的になって、疑りながら本心を探ってください。
沖縄も石垣もコロナの感謝が記録を作ってますが、慣れてしまいました。だれだれが感染した。と。
ウクライナには慣れたくないが、…政治とは参議院の選挙も、素晴らしい発言が多々あります。すべてが素晴らしい「弁論」。
期日前、行ってきました。