鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

東山山頂公園からの景色

2016年04月15日 02時30分44秒 | アングル

西北西方向。ぽこっとふくらんだ一番高い山は愛宕山。どこから北山・・愛宕山も北山になるのか・・?。


西南西方向。真ん中に京都タワーが見える。見えている山並みは西山と呼ばれているが、丘陵全体の事だろうか?。





四日前に五条バイパスを通り、少し時間があったので、東山山頂公園に寄ってみた。
山桜が見下ろす山腹に咲いていた。
森との境界に、柵を噛んでいる木があった。
『しょうがなかったんだよな・・』と、同情のようなものを禁じえない。

『熊本地震』と命名されると思われる震度7の地震が発生した。
私の故郷で起きた中越地震に、余震の多さ大きさなどが似ているようだ。
被災者の方々にお見舞い申し上げます。
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カリン(花梨)の花

2016年04月14日 00時06分17秒 | 身の周りの植物




赤い蕾の時にも撮っておけばよかった。
すごくきれいな咲きようかと思わせる雰囲気があったのだ。
でも、咲き広がる時には葉も一緒に開くから、たいしたことはない。
撮ってみて初めて画像で観察してみるに、何となく何かが足りないという感じ。
人に使ったら、失礼な表現だけれど、花だからいいだろう・・足りない感じ。
どんな木目模様か忘れたが、高級家具で花梨の座卓というのがあったはず。
調べてみると、高級家具に使う花梨は南洋材でマメ科。
熱帯から亜熱帯に育つもので、全くの別種だそうだ。
これはバラ科の花梨でノドに薬効ありの果実酒にしたりするタイプ。
運動公園内のあまり人が踏み込まない一角にあるので、末長く成長し続け大樹になって欲しい。
思い入れがあるわけではないけれど、自由にのびのび枝を広げて、いい感じだ。
実もかなり生るのを確認済みなので、今秋は落ちた実を利用してみようかと・・思うだけだけど・。
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サクラの次はツツジ

2016年04月13日 01時17分03秒 | 身の周りの植物




桜の花は葉っぱが出てきて、見頃があっという間に過ぎていく。
すると山中の林道で出会うのは、この薄紫のミツバツツジ。
葉っぱの三枚葉が開ききらないうちは、折かけの鶴みたいに見える。
三つの花が横並びなのが目を引いたから、ぐっと迫って撮ってみた。
何となく、昔、スリー・グレイセスという三人組歌手がいたことを想い出した。
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路傍に咲く花

2016年04月12日 06時43分43秒 | 身の周りの植物




近頃は、けもの道のような抜け道、それも持ち主や行政などから見て見ぬふりをされているようなところにしか土の道はない。
というわけで路傍の草となれば、舗装のつなぎ目とか縁石周りから生えるヤツのことになる。
スミレやタンポポは花を咲かせたら邪険に踏まれることも避けられるだろう。
タンポポとタンポポの間に生えたこの草はオオバコだろうか。
だとしたら良い位置に芽吹いたラッキーなヤツに見えるが、踏みつけられることにはめっぽう強いヤツ。
子供の頃は、こいつの花茎を交差させて引っ張りあう遊びをよくやった。
タンポポの茎も千切って乳色の汁が出たのを手の甲に押したり、付けっこしたり。
わざわざ千切らなくても良いものを、目に付く何でもおもちゃにして容赦なしのガキ時代。
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源平咲きの桃

2016年04月11日 04時38分22秒 | 身の周りの植物


断定する自信はないけれど、たぶん桃。
桃なら桃色のはずだから白花がイレギュラー。
桃だとして、実はどういう色合いになるのだろう。
散歩コースのうちの一つだから、注目していきたい。
紅白の枝がはっきり分かれているわけではない。
白の小枝にも赤が混じっているから区別はできそうもないか。
ウチのものではないから印を付けられないのが残念。
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捨てられた葉牡丹

2016年04月10日 01時19分19秒 | アングル




田んぼに投げ捨てられた葉牡丹が花を咲かせていた。
花が咲いたから捨てられたのかも。
捨てられたと言うべきではないのかもしれない。
鋤きこまれて稲作の肥やしになるのだから。
葉っぱより花が地味だからといって、何だかかなぁという感じ。
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女紅場跡

2016年04月09日 00時02分48秒 | アングル


NHKの大河ドラマ「八重の桜」で女子教育の草分け『女紅場』というのが出てきて、その歴史的存在を少しだけ知った。
八重が女紅場の教師になっていたが、別の大河「花燃ゆ」の文は群馬県に行ってから女工に読み書きなどを教える私塾をやっていた。
女紅場は女工場とも書いたそうで、女工の教育施設として広く作られたらしい。
「花燃ゆ」では女紅場とは出てこなかったけれど同時期に同様のものが各地で作られたのだろう。
それはともかく、初めて『女紅場跡』と言う碑を見た。
東西の通り、丸太町通りの鴨川にかかる右岸橋詰め。
枝垂れ柳の若葉の向こうに透けて見える薄紅色は川端通り鴨川土手の桜。
ブルーシートが掛けてある一塊は、ホームレスの方の財産一式。
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今年の桜はこの雨で〆

2016年04月08日 07時29分49秒 | 身の周りの植物




昨日は一日中、桜を散らす無情の雨。
無情などと自然現象に思い入れを込めるのは、他人が言う分にはいいけれど、自分で表現してみると違和感がある。
これで今春の桜は終わりかと一応少しばかり残念な気分で、通りかかった蹴上のインクラインを車から撮った。
道路上に散り敷いた薄紅色の広がりを撮りたいと思う場所が何箇所かあったのに、用に気が急いてやり過ごした。
坂道の縁石に雨水の流れができて、花びらの帯ができているところもあった。
伏見のインクライン疎水の淀みにも花びらの水紋が細い雨に打たれていた。
車体全体に花びらを貼り付けたまま走っている車もあった。
大きい枝垂れ桜は、先日撮った五条バイパスの最高位地のコブシの反対側に生えている古木。
ちょうど小雨になっていたので車を停めて撮り、逆光で暗い写りをライトだけ編集してトリミングした。
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水菜(京菜)の花

2016年04月07日 00時45分54秒 | 身の周りの植物


今はアブラナ科の野菜がどれもこれもとう立ちして花の時季を迎えている。
よその家の玄関先の葉牡丹が、のびあがって咲いているのを見た。
この水菜は愛媛県の親戚から根がついたまま送られてきたもの。
花が開きすぎたけれど、アブラナ科の菜の花のほろ苦さは春のご馳走。
水菜の花は食べたことがないけれど、夜が明けたら食うつもり。
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近所の桜の木

2016年04月06日 00時26分37秒 | 身の周りの植物




すぐ近くにある建築関連業者さんの敷地に植わっている一本の桜。
今はどこに行っても、桜、さくら、サクラだ。
昨日は晴れて絶好の花見日和だったのに、桜の名所のサクラになることもないかと、家にこもっていた。
コタツは一番低い温度にしていても、時々はOFFにしないではいられない位に暖かい。
どこかでちゃんと花見をしたいとも思うけれど、一昨日見た画像の桜で満足してしまった感じだ。
ソメイヨシノの儚げな花とは違い、ぽってりした密集度と色の鮮やかさが妖しげでいい。
全体を撮ると建物がバックに写って気に入らない。
建物が写らないようにすると逆光になるから、ぐっと近づいて撮った。
ライトやカラーをいじらずに編集はトリミングだけにした。
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金色の草むら

2016年04月05日 07時47分57秒 | 身の周りの植物


宅地造成でできた法(のり)面や、売れ残っている空き地で、こういう枯れ草の広がりが見られる。
滋賀県湖東の田園地帯では、おそらく麦の金色に染まった広がりが今時分は見られるはず。
道路の片側は田植え後の緑の広がりで、もう片側は収穫直前の金色の広がりという対比が素晴らしいのだけれど、ちょうど良く用ができる偶然が重ならないと見られない。
画像の枯れ草はイネ科だろうとは思うものの、枯れていない時はどういう姿なのか記憶になく、名も知らない。
ドライフラワーを飾って楽しむような趣味があれば、これを刈り取って大きい花瓶にでも挿したら良さそうだ。
たいてい金網フェンスに囲われていて入り込めないが、タバコのポイ捨てでもされたら、野焼きふうに燃え広がってしまうのではないか。
手前側が刈ってあるのは、その予防対策か。
もう直ぐ新たな雑草が萌え広がって、この枯れた美しさは消える。
今年はこの草がどんな花を咲かせ、どういう実を結ぶのか見定めて名を調べたいとは思うが、覚えていられるかどうか。
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岸和田、春木川の生き物

2016年04月04日 00時47分22秒 | 旅行




小鴨が見渡せる範囲に7~8羽いた。
カモの仲間では一番小さい種類だが、オスの化粧が歌舞伎風というのか未開民族風というか、なかなかに素晴らしい。
太陽が写ってカモの姿は不鮮明にしか撮れなかった。
ちょっと小さいカモも何羽かいたから、この春に育った小鴨の仔鴨だろう。
上から観察しているのを警戒してか、オスがチ(ピ)ーチ(ピ)ーと警戒鳴きを繰り返していた。

侵略的外来種のミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)もいた。
親子のような雰囲気があるが、オスメスの関係だろう。
長期間つがいになるのか、どのくらいの時期を共にするのか、その時だけの交尾なのか、どちらがオスかメスか、かなり仲睦まじく見えた。

腹ボテの大きな鯉も数匹かたまっていたけれど、泥にまみれていてうまく撮れそうになかったので諦めた。
必死に撮ろうとしたりすると、iPhoneをぽちゃんと落とす気がして、すぐにやめたのは正解だったはず。
胸騒ぎのような予感があった場合は、何はともあれ勇気ある撤退をすること、これに尽きる。
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春木川の岸辺

2016年04月03日 07時46分22秒 | 旅行

影を撮ったのでは自撮りといえず、アリバイ証拠写真にもならないのか。


若葉萌えるシダレヤナギに対して、サルスベリは黒ずんだ実だけを付けて、まだ死んだふり。


雌雄異株だけれど日本では雌株雌花は滅多に見られないそうなので、こいつは雄花だろう。


ムカデのような送電線鉄塔が邪魔。


遊歩道にうじゃうじゃと無数の虫、と見えるのはヤナギの落花で、生垣下に生えているのはオキザリス。

岸和田に行ってきた。
通過したことはあっても、足をついたのは初めてだったので、マンホール・ウォッチングをすべしだったのに、見過ごして撮りそびれた。
約束の時間までに余裕があったのでシダレヤナギの若葉やサルスベリを観て、春の木は面白いなと思いつつ川の名を見たら春木川。

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亀の餌を施して咲いたシンビジウム

2016年04月02日 06時24分42秒 | 身の周りの植物


昨年はダメだったシンビジウムが今年はうまくいった。
昨年の春に、飼っていた亀が死んだので、残ってしまった餌を肥料代わりに施したのが良かったか。
一本の花茎からこれだけ咲き、これが四本で花数二十八。
画像を撮って初めて思うことだけれど、ハチドリが蜜を吸おうとしているように見える模様。
何かを誘うための、そういう進化だったのかどうか興味深い。
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横綱相撲

2016年04月01日 21時56分22秒 | 懐疑・猜疑・疑義
五日前に終わった大相撲千秋楽、最後の最後の大一番は、意地と意地のぶつかり合う、さすがは大相撲と観る者をうならせる最高の注文相撲で終わった。
注文というのは、片方が何かを差し出す条件と引き換えに、別の欲しい何かを要求することだ。
対する方はその要望に納得して応えるから商売として成り立ち、WIN WINの取引となる。
誰の目にも明らかな注文相撲だったから、勝負を捨て商売に徹した一番となった。
負けた方は何を得たのだろう。
駆け引きの甘さを悔いつつも、大きな財を得たと納得しただろうか。
「他人の振り見て我が振り直せ」と、相手を軽蔑しつつ気を引き締めただろうか。
あんなことだったら、土俵の上で指相撲でもした方がマシじゃないか、などと荒んだ気分でいるんだろうか。
品位無きガキ大将出稼ぎダメ押し力士などと言うつもりはない。
言っているけれど、言うつもりはないと最後にひっくり返せば、実は何でも言えて当てこすりできるのが日本語表現の良さだ。
大相撲は世界に門戸を開いて行われている、いわば Japan open sumou なのだから、エジプト出身の大砂嵐にだって頑張ってもらいたい。
などと話が飛びながらでもついつい思うのは、誰か手を上げて物言いできなかったのかということ。
空気を読まない一番なので取り直しとか、ビデオ判定したところ両者の4つの拳が同時に着いていないので取り直しとか、この一番はイナシもスカシも禁じ手とか、そんな感じに出来ないのかということ。
本日はエイプリルフール。
最後は皆が笑えるユーモアとしてのエイプリルフールでなければいけないだろうけれど、思いつくまま皮肉でも何でも言っても良い日と拡大解釈しちゃうのは空気を読まない所業・・かも。
五日前に書きたかったのだけれど、わざわざ機を逸した格好で、今日の日になってから書くところがミソなのであります。
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