一昨日、昨日と、神奈川の大学病院へ定期検診のため上京した。
3ヶ月ごとに年に4回の検診、四季の移ろいごとに3年が経過し4度目の冬を迎えた。
朝7時発の高速バスで一路東京へ、山の端より朝日射し込む新しい師走の1日の始まりだった。今年は会津盆地にまだ積雪はない。穏やかな師走の磐梯が真白に聳え、まだ朝靄に沈む猪苗代湖の湖面に朝日が映えて、早朝のたたずまいは何とも麗しかった
つかの間に登った陽光は目に眩しく、周囲の低い山々の連なり、朝靄に煙る田園風景は墨絵の世界だ。朝の光に照らされた山々、木々、家並みすべてが明るく燦然と輝いていた。
この美しい自然のもと、人々がそれぞれに精一杯生きている。
「ああなんて、人それぞれ生きているの 昨日 今日 明日 変わりゆく私・・・」
谷村新司の三都物語の一節が浮かび、今生きていることの喜びが広がり、生かされてある自分を大切にしたいと思った。そんな思いがいつももたげた。
冬は山々の遠望が美しい季節だ。真白な那須連峰、ひときわ白いのが、茶臼岳か。上空の絹雲はこころ洗われる美しさだ。雑木林の間から青空がさわやかに見え、目に映るすべてが美しく感じられて、尊く有難い気持ちだった。バスのシートの背もたれを少し倒して車窓から冬の空を眺める。ぽかんと透明な半月が青空に浮かんでいた。左半分が雲の白さ、右半分が透明な空色の月が浮かんでいる。飛び過ぎる木々や家並みの上空に美しい雲がまるで壁紙のように貼り付いていた。
自分のお腹はどうなっているのだろう。ときどき炎症を起こすのは仕方ないのか、でも不安だ。また三月が経ち、生き延びし命を見つめ高速道を走った。
三月ごと見つめし命山茶花の咲く
首都東京は冬と言うより晩秋、穏やかな日だった。日本橋界隈、巣鴨、神田あたりのイチョウ並木は散り始めの、黄色い紅葉がとても美しかった。プラタナス並木はすっかり葉を落としたが、イチョウは今一番の見頃、師走の陽に鮮やかだった。
日帰りは無理なので、近頃は朝1番の検診をお願いし前泊にしている。翌日の検診は検査結果を待ってからの診察なので、下手をすると2泊しなければならないこともあった。 前日は、途中に美術館巡りをしている。この時期休館が多く、今回は丸の内の出光美術館で芸術に触れた。
待合室での数時間はいつも、懐かしの病院の生活を思い出したり、今の健康を有難く思っていた。今回も、安心と不安の結果を持って帰った。次回は来春。
帰路、東京駅の地下街で買い物を済ませて地上へ出るともう真っ暗、すっかり冬の夜であった。八重洲ブックセンターで孫への土産「恐竜図鑑」などを求め、6時前に会津若松行きの高速バスに乗った。
隅田川沿いを下り、川口市から東北道へ向かう。対岸の高層ビル街の明かりが美しく水面に映えていた。電車が通る。車のテールランプ、街のネオンサイン、街の灯など、窓からの大都会の夜景の美しさは新しい発見だった。
隅田川に架かる橋の照明もそれぞれに趣があった。あの光のエネルギーに驚き、近代都市の夜がこれから始まるのだと思った。見ていて飽きない都会の夜景だった。この空の下に何万もの人々が暮らしているのか。
いつも上京して思う第1印象は、自分は都会には住めない、東京は人の住む環境ではないと言うことだ。あの人混みの雑踏、あふれる車の洪水がいやだ。その雑踏を囲む都会の無機質空間がどうもいけない。ささやかな、質素な日常を支える豊かな自然空間、静かな自然に囲まれた空間を思うと、地方がいっそう素晴らしいものに思えてくる。
いつしか高速道は暗黒の世界へ、道路脇の側路灯もなくなり、眠りの世界へと走った。煌々としたこれから生活が始まる光の世界から、眠りの闇の夜へと。その闇の彼方に我が家があるのだ。
3ヶ月ごとに年に4回の検診、四季の移ろいごとに3年が経過し4度目の冬を迎えた。
朝7時発の高速バスで一路東京へ、山の端より朝日射し込む新しい師走の1日の始まりだった。今年は会津盆地にまだ積雪はない。穏やかな師走の磐梯が真白に聳え、まだ朝靄に沈む猪苗代湖の湖面に朝日が映えて、早朝のたたずまいは何とも麗しかった
つかの間に登った陽光は目に眩しく、周囲の低い山々の連なり、朝靄に煙る田園風景は墨絵の世界だ。朝の光に照らされた山々、木々、家並みすべてが明るく燦然と輝いていた。
この美しい自然のもと、人々がそれぞれに精一杯生きている。
「ああなんて、人それぞれ生きているの 昨日 今日 明日 変わりゆく私・・・」
谷村新司の三都物語の一節が浮かび、今生きていることの喜びが広がり、生かされてある自分を大切にしたいと思った。そんな思いがいつももたげた。
冬は山々の遠望が美しい季節だ。真白な那須連峰、ひときわ白いのが、茶臼岳か。上空の絹雲はこころ洗われる美しさだ。雑木林の間から青空がさわやかに見え、目に映るすべてが美しく感じられて、尊く有難い気持ちだった。バスのシートの背もたれを少し倒して車窓から冬の空を眺める。ぽかんと透明な半月が青空に浮かんでいた。左半分が雲の白さ、右半分が透明な空色の月が浮かんでいる。飛び過ぎる木々や家並みの上空に美しい雲がまるで壁紙のように貼り付いていた。
自分のお腹はどうなっているのだろう。ときどき炎症を起こすのは仕方ないのか、でも不安だ。また三月が経ち、生き延びし命を見つめ高速道を走った。
三月ごと見つめし命山茶花の咲く
首都東京は冬と言うより晩秋、穏やかな日だった。日本橋界隈、巣鴨、神田あたりのイチョウ並木は散り始めの、黄色い紅葉がとても美しかった。プラタナス並木はすっかり葉を落としたが、イチョウは今一番の見頃、師走の陽に鮮やかだった。
日帰りは無理なので、近頃は朝1番の検診をお願いし前泊にしている。翌日の検診は検査結果を待ってからの診察なので、下手をすると2泊しなければならないこともあった。 前日は、途中に美術館巡りをしている。この時期休館が多く、今回は丸の内の出光美術館で芸術に触れた。
待合室での数時間はいつも、懐かしの病院の生活を思い出したり、今の健康を有難く思っていた。今回も、安心と不安の結果を持って帰った。次回は来春。
帰路、東京駅の地下街で買い物を済ませて地上へ出るともう真っ暗、すっかり冬の夜であった。八重洲ブックセンターで孫への土産「恐竜図鑑」などを求め、6時前に会津若松行きの高速バスに乗った。
隅田川沿いを下り、川口市から東北道へ向かう。対岸の高層ビル街の明かりが美しく水面に映えていた。電車が通る。車のテールランプ、街のネオンサイン、街の灯など、窓からの大都会の夜景の美しさは新しい発見だった。
隅田川に架かる橋の照明もそれぞれに趣があった。あの光のエネルギーに驚き、近代都市の夜がこれから始まるのだと思った。見ていて飽きない都会の夜景だった。この空の下に何万もの人々が暮らしているのか。
いつも上京して思う第1印象は、自分は都会には住めない、東京は人の住む環境ではないと言うことだ。あの人混みの雑踏、あふれる車の洪水がいやだ。その雑踏を囲む都会の無機質空間がどうもいけない。ささやかな、質素な日常を支える豊かな自然空間、静かな自然に囲まれた空間を思うと、地方がいっそう素晴らしいものに思えてくる。
いつしか高速道は暗黒の世界へ、道路脇の側路灯もなくなり、眠りの世界へと走った。煌々としたこれから生活が始まる光の世界から、眠りの闇の夜へと。その闇の彼方に我が家があるのだ。