《飯盛山 白虎隊士の墓》
白虎隊で有名な飯盛山まで約1キロ、今朝も散歩で足を伸ばした。
滝沢本陣から裏道を厳島神社へ向かうと、神社の入り口あたりが騒然としている。パトカー、警察官、鑑識係らしき人が黄色いテープを張っているではないか。殺人事件でもあったのか・・・。でも、すぐに撮影風景と直感した。報道役らしき人に尋ねると、西村京太郎の十津川警部シリーズのテレビドラマの撮影だった。観光客らしいエキストラも沢山、忙しく撮影の準備をする中、戸の口堰洞門へ向かった。
変わらない戸の口堰洞門が見えた。白虎隊士が戸の口原の戦いから逃れてきた隧道だ。小さい頃、腰くらいまできれいな水が流れる洞門の出口付近でよく泳いでいた。今も変わらず、猪苗代湖からの清らかな水が蕩々と流れていた。
厳島神社の静寂のなか、杉の大木が聳え、年の瀬を迎える今、すっかり葉を落とした枝越しにさざえ堂が見えた。さざえ堂は紅葉と雪が似合うが、まだ雪はない。
何年ぶりだろうか、いつもお花が供えられ線香が絶えない白虎隊士の墓に参った。寒くなったが、今日は日曜日、観光客もちらほら見かけた。
前途のある子どもたちが戦火に散った、「忠烈永久に香を残す花も会津の」白虎隊の悲劇をあらためて思った。隊士の墓の傍らには会津藩主 源容保公の弔歌碑が建っている。
「幾人の涙は石に注ぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」
また、いままで気づかなかったが、少年武士慰霊碑が建ち、碑の裏には14歳から17歳までの戦死した少年の名が記されていた。今更のように時の流れが恨めしい。
墓の裏に廻って谷を眺めた。もっと奥深いと思っていた谷には、かつてオオムラサキが悠然と舞っていた。あれから半世紀、小学生のころの過ぎ去ったこころの風景が甦ってきた。
白虎隊の悲劇があった。小さい頃よく遊んだ風景もあった。でも、その時は過ぎてしまった。すべてが空しいような気がしている。
今年もまもなく暮れる。何か心を決めようと思いつつ歩いたが、何らこころの整理も付かないまま帰宅した。焦ることはないと言い聞かせている。
白虎隊で有名な飯盛山まで約1キロ、今朝も散歩で足を伸ばした。
滝沢本陣から裏道を厳島神社へ向かうと、神社の入り口あたりが騒然としている。パトカー、警察官、鑑識係らしき人が黄色いテープを張っているではないか。殺人事件でもあったのか・・・。でも、すぐに撮影風景と直感した。報道役らしき人に尋ねると、西村京太郎の十津川警部シリーズのテレビドラマの撮影だった。観光客らしいエキストラも沢山、忙しく撮影の準備をする中、戸の口堰洞門へ向かった。
変わらない戸の口堰洞門が見えた。白虎隊士が戸の口原の戦いから逃れてきた隧道だ。小さい頃、腰くらいまできれいな水が流れる洞門の出口付近でよく泳いでいた。今も変わらず、猪苗代湖からの清らかな水が蕩々と流れていた。
厳島神社の静寂のなか、杉の大木が聳え、年の瀬を迎える今、すっかり葉を落とした枝越しにさざえ堂が見えた。さざえ堂は紅葉と雪が似合うが、まだ雪はない。
何年ぶりだろうか、いつもお花が供えられ線香が絶えない白虎隊士の墓に参った。寒くなったが、今日は日曜日、観光客もちらほら見かけた。
前途のある子どもたちが戦火に散った、「忠烈永久に香を残す花も会津の」白虎隊の悲劇をあらためて思った。隊士の墓の傍らには会津藩主 源容保公の弔歌碑が建っている。
「幾人の涙は石に注ぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」
また、いままで気づかなかったが、少年武士慰霊碑が建ち、碑の裏には14歳から17歳までの戦死した少年の名が記されていた。今更のように時の流れが恨めしい。
墓の裏に廻って谷を眺めた。もっと奥深いと思っていた谷には、かつてオオムラサキが悠然と舞っていた。あれから半世紀、小学生のころの過ぎ去ったこころの風景が甦ってきた。
白虎隊の悲劇があった。小さい頃よく遊んだ風景もあった。でも、その時は過ぎてしまった。すべてが空しいような気がしている。
今年もまもなく暮れる。何か心を決めようと思いつつ歩いたが、何らこころの整理も付かないまま帰宅した。焦ることはないと言い聞かせている。