エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

今朝触れた 青春の心

2010-05-14 | 文芸
             【建立された歌碑 ネットより】

   今朝早朝のラジオで、盛岡の視聴者からの話題報告を聞いた。
JR盛岡と花巻の間の日詰駅の駅前に賢治の歌碑が建ったという話だった。

  さくらばな 日詰の驛のさくらばな
      かぜに高鳴り こころみだれぬ
 ”

宮沢賢治が1917年賢治21歳、日詰出身の初恋の女性を訪ね、駅に降り立ったときに詠んだ歌だそうだ。
ネットで調べてみた。
 18歳盛岡中学を卒業後、蓄膿症を患い岩手病院に入院。そのとき、看護婦の高橋ミネさんに恋をしたが、父に反対され失恋した。
賢治は後年、この成就されなかった恋の経緯をうたっている。
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 桐の木に青き花咲き/ 雲はいま 夏型をなす
 熱疾みし身はあたらしく/ きみをもふこころはくるし
 父母のゆるさぬもゆゑ/ きみわれと 年も同じく/
 ともに尚 はたちにみたず/ われはなほ なすこと多く/
 きみが辺は 八雲のかなた
 わが父は わが病ごと/ 二たびの いたつきを得ぬ/
 火のごとくきみをおもへど/ わが父にそむきかねたり
 はるばるときみをのぞめば/ 桐の花 むらさきにもえ/
 夏の雲 遠くながるゝ     」
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この初恋のほのぼのした恋心を知り、あの堅物な、詩人、童話作家、農業指導家、地質学者、哲学者である賢治の別の一面を見る思いがした。

今朝も目覚めが早かった。4時過ぎに起きで朝刊を広げた。
朝日の「文化」欄で「伊東静雄 恋多き青春日記」という記事が目に入った。
 『我は今日以下のことを天同盟わん。強気力を以て。・・・・我は詩人なり」-詩集『わが人に与ふる哀歌』で知られる詩人とあった。初めて聞く詩人だった。
彼が「見せないで」と弟に託したノート5冊から、長女が刊行したという。ノートの表紙には『詩へのかどで』とあった。解説には近代抒情詩を代表する才能が刻んだ『若い詩人の肖像』が、生々しくよみがえる、とある。

 早朝に触れた2つの話題に、同じ時代に生きた、苦しみながら過ごした青春の心を思った。そして、生きていることの素晴らしさを痛感した。
わずか37歳で逝ってしまった賢治の人生をもう一度巡らしたいと思った。
また、知らなかった伊東静雄について作品に触れて見たいと思っている。