エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

ある事件(熱帯魚)

2006-12-12 | 日々の生活
 2,3日前、熱帯魚の水槽を掃除した。ときどき黒い藻が繁茂して、見苦しいし魚にも悪いような気がして取り除いている。また、冬は外気温が低くかなり水分が逃げるので、フタのガラスの下にポリエチのシートを敷いている。そうした作業を終えたのが前日の午後3時だった。
 翌日の午後になり、どうも水槽ががらんとしていることに気づいた。よく見ると、ラスボラは何匹もが白い腹を上にして水槽の底に沈んでいた。浮いた水草の間には三々五々グッピー類がじっと動かないではないか。一瞬、昨日の掃除で入れ替えた水のせいかと思った。すぐに、水温が下がっていることに気づいた。まる1日、ヒーターのコンセントがはずれていたのだ。玄関脇で室温が低いので10度以下に下がっていただろう。
 なんと言うことだ。30年来ずっとかわいがってきた熱帯魚たちが全滅かと後悔し、自分のミスとはいえ本当にがっかりした。世代交代を繰り返し、グッピーは毎年5,6匹が生まれていた。
 冷たい水槽の水を大急ぎでボールに取って、濾過槽から熱湯を少しづつ注いだ。でも、水槽は60cm幅の結構容量も多いのでなかなか水温は上がらなかった。愛嬌のあるコリトラスも動かない。大きいのは4,5匹が身を寄せ合って濾過吸水口あたりに沈んでいた。仮死状態だったろう。
 えさを与えられ生きる生き物だ。自分のミスで死なせてしまう切なさを思った。でも、幸か不幸か寝る前には弱々しいが、快方に向かうように思えた。ぎりぎりのところで助かったようだ。翌朝は動きが普通に戻りつつあり、夕方にはまたもとの元気を取り戻した。
 苦しい思いをさせ、かわいそうなことをしてしまったと後悔した。

 昔、学生の頃の、部屋の温度が下がり、小さい水槽が金魚ごと凍ってしまったおぼえがある。その時、氷が溶けて普通に泳ぎだした金魚が思い出された。部屋の中でインクが凍り、こたつで温めて使った実際の体験もある。風呂上がりのタオルもかちかちに凍って、布が逆立ちするほどだった。懐かしい思い出だ。信じられない信州の寒さだった。


藤沢周平の世界

2006-12-11 | 文芸
 最近、藤沢周平の話題が多いようだ。
 つい先日もラジオの特集番組で「藤沢周平の世界」を公開生放送があった。
ちょうど山形へ向かう車の中で聞いたが、〈“海坂藩”に込めたふるさとへの思い〉と題して、藤沢作品ゆかりの總穏寺(『又蔵の火』の舞台)などからの多元中継であった。ラジオで、今年が作家藤沢周平の没後10年になることを知った。
 
 「武士の一分」先日上映が始まった。今、テレビでの宣伝や新聞、雑誌での評論と話題である。雑誌の広告には「命をかけて、守りたい愛がある」とある。原作が何なのか。読んではいないが、心に静かに染みいる海坂藩の下級武士の生活だ。昨年の「蝉時雨」の映画化から1年になる。また、つい先日まではラジオ深夜便で朗読が続いていた。

 確かに、藤沢周平の世界には、日本人の求めるこころの郷愁、ふるさとの原風景がある。
 私も話題になるずっと前からのファンで、今、騒がれすぎる上辺の雑音を離れ、静かにその何とも言えない心に残る思いを振り返っている。
 
 藤沢が海坂藩を通して本当のふるさとを追い求めていたと思う。その、面影を求めて鶴岡へは何度も旅していた。 (拙ブログ 10/9 「鶴岡への旅 (その1)」、10/11「鶴岡への旅 (その2)

 

小学校「農業科」の学習に期待する

2006-12-10 | 教育を考える


 喜多方市が、来年度から国の構造改革特区制度を活用して、市立小学校に農業科を新設すると言う。その構想がとても素晴らしいと思った。
 将来の担い手をも期待しているとのことだが、小学校で体系的に農業を学ぶことにはそれ以上の人間教育としての意義を認めたい。
 お米や麦、果樹、キノコ、草花等々の作物の成長を見つめながら、土壌や肥料、バイオ農業の温室の空調、さらには農産物の流通や経済など、関わる周辺を具体的に学んでもいいだろう。自然とのふれあいが深い農業と、その学際的領域を学ぶ意義は計り知れない。
生き物との対話やそうした作業を通しての体験をまとめ、話し合い、文章に綴ることは生きた総合的な学習であろう。学ぶ子どもの歓声が聞こえるような気がする
 何よりも、生き物を見つめる体験は、落ち着いた情緒や人としての大切なこころを育むに違いない。そんな授業を期待したい。 。

孫たちの1日

2006-12-08 | 日々の生活
               《天気のいい日は庭で自転車に乗る》

【 30年前の子育ては忘れた。
孫を見つめながら、いずれ忘れてしまうであろう幸せな1日を、
断片的に記録しておきたい。 】

 僕は、9月に満4歳になった。妹は2歳半、毎日二人で元気で遊んでいる。
 9月から、ママが午前中のお勤めに出たので、ほとんどじいちゃん、ばあちゃんの家にいる。
 僕は、いつもばあちゃんと寝ている。物心ついてからママやパパと寝たことは2,3回しかない。どうしてもばあちゃんがいいし、ばあちゃんの家が楽しいから、ほとんどじいちゃんの家で遊んでいる。
 ついこの前までは、朝目を覚ましたとき、手をつないでいたばあちゃんが隣にいないと泣いていたが、最近は、階段の上から「ばあちゃん~」と大きな声で呼ぶと、ばあちゃんが迎えにきてくれる。今日はじいちゃんの布団へ入って、じいちゃんと恐竜や鮫やカブトムシの話をいっぱいした。「ティラノザウルスはどこに住んでいるの」ときいた。最近、恐竜に興味を持ち、今度じいちゃんが病院へ行ったときのお土産も恐竜をお願いした。
  下へ下りていくと、8時前にママが萌えちゃんを連れてくる。朝ご飯を食べながら、ママにバイバイをする。 僕の好物は、餃子、すじこ、ハム、豆腐などで野菜は嫌いだ。萌えちゃんは好き嫌いがなくて、ニンジンまで食べる。
 最近は雨ばかり降っていたので、毎日家の中で遊んでいた。アンパンマンのビデオが好きで何回も同じものを見ている。でも何度見てもあきないで、萌香と一緒にいつも同じところで笑っている。
 今日はお日様が柔らかく温かかったので、午前中は僕の家の庭で自転車に乗って遊んだ。砂遊びもした。じいちゃんはいつも二人の遊んでいるところを写真に撮ってくれる。
 10時になるとばあちゃんがお茶を入れてくれた。今はリンゴや柿が美味しい。夏はアイスが大好きでよく食べた。萌香は飴が大好きし、二人とも甘いものが好きだ。
 萌香も僕も、じいちゃんやばあちゃんが好きだけど、萌香は特にじいちゃんが好きで、ご飯はいつももじいちゃんの横で食べているし、じいちゃんと寝ると言っている。少しご機嫌を取っているようにも見える。

 
《初めて描いた僕の画 2006.5》



ママが帰ってくると一緒にお昼を食べて、午後はママの家に帰って遊ぶようにしている。ミニカーやブロックで遊んだりお絵かきをする。お絵かきは、いろいろな色を使ってタンクローリーショベルカーやボウケンジャーを描いている。ブロックで工夫していろいろなものを作ることができるようになった。この前は蟹やワニやボーケンジャーを作ってみんなに驚かれた。

《創造的なブロック》

 夕方はまたばあちゃんの家に行く。僕は夕食もほとんどばあちゃんの家で食べている。たまに夕食をママの家で食べたり、お風呂に入ったりしたときは、ばあちゃんに迎えにきてもらうように携帯をかけている。まだ一人では行けないから。
パパはいつも帰りが遅いので、ほとんど遊んだことはないし、何日も顔を合わせたことがないときもある。お風呂も大体はばあちゃんかじいちゃんと入っている。
 最近はお昼寝をしないので、お夕飯を食べるとすぐ眠くなってしまう。遅くても9時半にはバーちゃんと2階へ上がってお話をしながら寝ている。今日も、お風呂から出て一人で絵を描いていた。ふと気づいたらこたつで寝ていた。大人になった
反面、もーらしい(かわいそうな)気がした。
おしっこはお便所でできるようになったけど、うんちはまだオムつでないとできない。みんなが早くパンツだけにしなと言うが。
 僕は、じっとしていないからいつも「落ち着きなさい」と言われている。でも、一人で夢中になって本を見たり、ブロックで遊んだりお絵かきしたりするようになってきた。
 萌えちゃんは少し我が儘で、気に入らないとよく泣く。泣くとばあちゃんがなだめて、すぐにおんぶをする。僕も寝起きの悪いときなどは、ばあちゃんにおんぶしてもらいたいと思っている。
 来年は幼稚園へ行くことになっているらしい。この前、入園テストみたいなものがあって受けてきた。じいちゃんは、この前、「武琉もそろそろ、お友達が欲しいな。」と言っていた。また、何でも食べないと大きくなれないよと言われると、僕は大きくならなくてもいいとよく言う。今は、ばあちゃんとじいちゃんと萌香と、楽しい毎日なので仲良く遊んでいるので、本当に大きくなりたくないとも思う。

 


  


カナリア

2006-12-07 | エッセイ
今日 久しぶりに美しい文章を見つけた。
精一杯に生きる庶民がいる。その痛みを感じない政治が情けない。
 
《信濃毎日新聞 12/6 コラム「今日の視角 カナリア」より》
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 このところ、小さな旅行が続いている。母の介護があるので、すべて日帰りになるが、人権週間で話をする機会が増えているからだ。/
 帰路。車窓から外を見ると、実を幾つか残して葉が散った柿の木が薄い夕闇にくっきりとシルエットを刻んでいたりする。その横を、お年寄りが歩いている姿などをみると、わけもなく鼻のつけ根がじんとしてくる。その年齢に辿(たど)りつくまで、さまざまなことがあっただろう。人生は決して、容易なものではないから、苦難の季節も、屈辱にまみれた瞬間もあったに違いない。それでも、ひとつひとつ節目の扉を、自分で開け閉めしながら、「ここまで、やってきました」という姿の、なんと尊いことだろう。/
 けれど、彼らや彼女たちの人権は十分に保障されているだろうか。/
 ハンディキャップがある息子がいる女友だちがいる。娘さんは独立をして、いまは息子さんとふたり暮らしだ。息子さんは施設で働いている。「ゆっくりした息子の言葉や動作が、お年寄りからは歓迎されているようだけど」。しかし、「年齢からいえば、当然母であるわたしが先に逝くはず。娘には娘の家庭もあるし、そのとき遺(のこ)された息子はどうするのだろうと考えると、眠れない」。いつもは元気な彼女がため息をつく夜もある。/
 改変された医療制度の下、長期の入院が以前ほどできなくなって苦しんでいる人々もいる。国が抱えた大きな赤字はこうして、ひとりひとりの、特に大変な日々を送っているひとたちを直撃する。/
 財政が破綻(はたん)し、すでに厳寒がはじまっている夕張で暮らすお年寄りはどうしておられるだろう。/
 子どもとお年寄りは、「カナリア」だ。炭鉱の酸素が希薄になると、鳴いて「危険」を知らせるカナリアである。ひとりひとりの、この悲鳴が聞こえないのか、この国の「えらいひと」には。/
 「来年、2007年はどんな1年になると思いますか?」-。年の暮れ、そんな取材やアンケートが次々に舞い込む。そのたびに、泣きたくなるわたしがいる。この酸素希薄な現実を、どうして「美しい国」と呼ぶことができるのだろう、と。(落合 恵子)

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 上の文章とは関係ないが、カナリヤについて思い出すことがあった。
父の残してくれたアルバムだ。いつかブロブに書いたが(3/26)、子を思う気持ちの中に、「歌を忘れたカナリヤにはなりたくないね」とあった。
〔以下にエッセイ「父の残した私のアルバム」を再掲載する〕
 人として生きるに、大事なものを忘れるな、と言うことだろう。では、人として失ってはならないものとは、何なのだろうか。
 ときどき、歌を忘れたカナリヤを口ずさみ、そのことを思い浮かべている。

エッセイ
「父の残した私のアルバム」
父はは3人の兄弟それぞれに数冊のアルバムを残してくれた。小学校時代のアルバムの見返しには次のように書かれてある。「十年、二十年、あるいは三十年を過ぎた暁にこのアルバムは価値あるものになるであろう。「貧すれば鈍す」いくら貧乏暮らしをしていても、子供達の成長に心血を注ぐのが親の情けというものです。何も贈り物らしい贈り物を出来ない貧しいお父さんの残す唯一の記念品です。幼き日の思い出が成人ののちに何らかの詩情を併せてほのかに浮かぶとき、人間の美しい魂がよみがえる。歌を忘れたカナリヤにはなりたくないね。いつの時代にも永遠にロマンチストであることが大切だよ。雑な人間になることは望まない。夢を持った人でありたい。健康でありたいね。」
父は貼った写真の傍らに思い出を綴ってくれた。それらの文字をたどり忘れた思い出を呼び起こそうとした。、セピア色に色あせた写真を見ながら、在りし日の父との思い出がよみがえった。豊かな少年の日の清らかに精一杯に生きる姿と静かに見つめる父を思いに涙が落ちた。

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西条八十作詞の童謡、「唄を忘れたカナリア

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す
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みちくさ新聞 2006.12

2006-12-06 | 文芸
 今年最後のみちくさ新聞(118号)が送られてきた。また一月が流れたのか。
 雑用を片づけて、届いた新聞を読んだ。新聞とメモとペンを持って、あらたまってこころの準備を整えてソファーに座った。
 同封の「無名者の歌」は、いつも一つ一つの歌を声に出して読み、これらの心に残る作品との出会いを楽しんでいる。この歌集に選ばれまとめられた30年ほど前の歌に、作者の心情、懐かしい情景を思い浮かべこころ動かされた。
かつて自分も経験した悲しさ、辛さ、苦しさ寂しさを思い出すコメント、感謝する気持ち、切ない境遇にも頑張る姿・・・・など、今日も沢山の癒しをもらった。

【今回選んだ歌 (朝日歌壇1986)】
愛も誓いも世俗の日々に濾過されて内に残りし星の如きもの   滝沢幸助(会津若松市)
あなたのこと忘れぬといいくれし亡姑の言葉いま不思議の力もち来つ   大塚綾子(名古屋市)
安静のみに命延ばして何ならん医師に背きて深夜墨書す   田中功二(長崎市)

今回の20数首の歌の中に、たまたま会津若松市の滝沢幸助さんの作品を見つけた。

(参)拙ブログ 11/9「「みちくさ新聞」を読む」

教員の評価制度は疑問

2006-12-05 | 教育を考える
 今、学校の教員を評価する制度が導入されようとしている。教員の資質を向上させる為というが、子どもたちにとって本当にいい先生を評価できるのだろうか。
カントは「人は教育によってのみ人となる」と言う。三つ子の魂百までもで、その教育の基礎は、まず両親による和やかな温かい家庭から始まる。そして、集団の中での人としての基礎が育まれる幼児教育から小学校での教育が重要だ。だから、関わる先生の資質が問われるのは当然で、いい先生であって欲しいのだ。
 しかし、先生の何を、どのように、誰が評価するのだろうか。先生の、例えばやさしい気持ちを客観的に計ることができるのだろうか。心配でならない。誤った評価で、営々と続いてきた大切な教育の場が壊されてしまうような気がしてならない。
私の小学生のころの恩師は、子ども同様に純真で、正直で、汚れがなかった。理屈ではなく、信念を持って優しく、厳しく接する教師像が浮かんでくる。そんな先生を今も尊敬している。

私の書斎

2006-12-03 | 日々の生活
 一日のほとんどを書斎で過ごしている。
 退院後、身体の動きに自信がなかったので、いつも庭を見れるようにと書斎を2階から階下に移した。
 書斎は庭に面した西南の隅の6畳間、北側の居間とは唐紙1枚で仕切られ、東側は縁側に続き、縁側の先が玄関前の風除室になっている。
 小高い山を借景に家の南と西側に庭がある。南側、西側は吐き出しのガラス窓なので、部屋の濡れ縁から庭へ出入りできる。冬を除いては、書斎と庭だけで1日が暮れている。
 先日取り込んだ鉢植えの草花が、風除室、縁側、書斎の中まで所狭しと並んでいる。

 書斎の両袖の机は大きく150cm×70cmある。机の上は、左前にはメタルラックにスキャナーとプリンターと小さなCDプレーヤーが、右前にはサイズの小さい4段の本棚がある。机の上にはノートPC、ペン立てが3つ、万年筆のペンケース、卓上時計やミニ盆栽も置いてある。白いクロスの壁には、カレンダー、写真、スケッチ、陶板画が貼り付けてある。壁時計、状差し、バネ式の温度・気圧・湿度計も架かっている。

 机の右側は背の高い本棚で囲まれている。本は大分整理したが、なかなか捨てられずにいる。物置と、娘の家に一部屋借りておいてある。この蔵書量からすれば、もっとこころ豊かに、頭脳明晰、思慮深くあってもよかったはずなのに、なんと効率の悪いことかと思っている。

 ときどきコーヒーを沸かし、手には数冊の書物とメモ帳を持ちロッキングチェアーに揺られている。庭に目をやり、クラッシク音楽を聴きながら思索にふける。この上ない至福のひとときだ。傍らには、いつも私から離れない愛犬「ラック」が寝そべっている。

 でも、こんな幸せは長続きはしないと思っている。寂しい思いに駆られるときがある。 
 健康なうちに、できるうちに、静かに与えられた夢のような日々を過ごそうと思っている。

贅沢な朝食

2006-12-03 | 食文化
 ブログ「海辺の日々」さん(http://blogs.dion.ne.jp/na2600_na/)を真似て、朴葉味噌を作ってみた。しばらくぶりにお勝手に立った。
 昨日庭で拾った朴の葉の上に、白みそにネギを細かく刻み、エノキダケ、竹輪などを入れてみた。網渡しにアルミホイルを敷いてその上に朴の葉を置いた。火が通って出来上がり。 特別な香りは感じなかったが、さらに置いた朴の葉が何か食卓を豊かにした。
 以前、飛騨高山で郷土料理をいただいたことがあったが、そこには飛騨牛も入っていたような記憶がある。いろいろ工夫して、またやってみたいと思う。
 今朝は、先日漬けた野沢菜を初めて出して味わってみた。ちょうど1週間で水も上がり、多少生漬かりだが温かいご飯に合い、本当に美味しかった。これからいっそう美味しくなるだろう。春まで毎日信州の味を楽しみたいと思う。
おでん、焼きししゃもに加わり、朴葉味噌と野沢菜の質素だが贅沢な朝食となった。

写真投稿「すなっぷショット」

2006-12-02 | 日々の生活
 *** 紅葉を楽しむ *** 2006.11.27
  いつも孫と一緒に身近な自然と遊んでいます。
  小春日和に美しく色づいた木々の葉を観察しました。

福島民友新聞の「ふくしま街角交差点」のページに「すなっぷショット」という読者の写真投稿欄がある。
 毎年数葉を投稿している。拙い写真だが、今年は以下の写真とコメントが掲載された。

「写真」の奥深さを認識しているが、とかくデジカメ撮影はいろいろ便利で、それを忘れてしまう傾向がある。いい写真を撮りたいと思っている。


*** 交差点の夜景 *** 2006.2.24
  交差点での夜景。会津若松駅前の融雪噴水です。
  信号をライトに光って美しいショーを見るようでした。


 *** 春を待つハクモクレン  *** 2006.3.24
  ふわふわとハクモクレンの花芽を包む淡い春の雪。
  すぐに春の陽に溶けました。やがて神秘的な白い大きな花が咲きます。

 
 *** ハクモクレン開く *** 2006.4.21 
  ハクモクレンが春の陽に輝いていた。
  冬を越し、少しづつ膨らんできたつぼみがようやくクリーム色の手のひらを
  開こうとしている。  

 *** 六地蔵の八重桜 *** 2006.5.22 
  新鶴にある杉村薬師堂の石段を上ると六地蔵がたたずんでいました。
  ヤエザクラと地蔵を包む赤い衣とのコントラストが鮮やかでした。


 *** テングチョウの吸水 *** 2006.  
  群がるテングチョウの壮観な情景を撮りました。
  今年は東山ダムの周囲でテングチョウが多く見られるようです。


 *** アオイトトンボの産卵 *** 2006.9.20
  ペアになりカンガレイの葉に産卵しているアオイトトンボです。
  孵化した前幼虫は落下して、水中で幼虫になるようです。 


 *** はいパチリ *** 2006.10.21
  じいちゃんのまねをして、おもちゃのカメラで庭の草花を撮る孫です。
     【10月のスナップ大賞を受賞


 *** 秋の風物詩「はぜかけ」 *** 2006.10.27 
   市内を探してようやく見つけた秋の風物詩です。今は「はぜかけ」や
  「ほにお」などの光景がほとんど見られなくなったように感じます。

 









傍観するしかないのか

2006-12-01 | 日々の生活
 教育基本法に続いて、防衛庁が防衛省へ昇格する法案が簡単に衆議院を通過してしまった。国民不在の議論で政治家集団がすべてを決めていく。国民が選んだ議員とは言え、これが民主主義なのだろうか。国民から遊離している政治への憤りも、いつかあきらめへ変わりつつある。
 60年の歳月で世の中が変わったからと言って、何でも変えていいことにはならない。
大きな過ちの反省も喉元過ぎればで、不戦を誓いながら、軍備を増強する愚が繰り返されてきた。世界にアピールすべき素晴らしい理念の平和憲法の第9条も、その改悪が心配でならない。
税金の無駄使いが次々に明らかになっているが、じきに消費税の引き上げもあるだろう。
国民は黙っているしかないのか。
 ただ、政治を傍観し、世俗にかかわらず、こころ豊かに自然を愛で、人間らしく生活することができれば満足するしかないのだろうか。