透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「どくとるマンボウ回想記」

2012-01-06 | A 読書日記



 年末年始の休みに本を数冊読んだ。

自分史を書いて自費出版することが流行っているようだが、この『どくとるマンボウ回想記』日本経済新聞社は北杜夫が来し方をふり返ってまとめたもの。「出生」、「幼少期」、「父・斎藤茂吉」、「小学校入学」・・・。簡潔な文章で綴られている。

何枚か写真も載っている。

「祖父が建てた青山脳病院」の写真は今読んでいる『楡家の人びと』に描かれている「楡脳病院」の描写に一致している。カラコルム登山隊に加わった時の写真も載っている。『どくとるマンボウ航海記』は北杜夫を一躍人気作家にした作品だが、この作品の元となった水産庁のマグロ調査船で航海をした時の写真も載っている。遠藤周作とのツーショット、阿川弘之とのツーショット、佐藤愛子とのツーショット。埴谷雄高と奥野健男と一緒に写っている写真。孫を抱く北杜夫などなど。

自作の評価も載っていて興味深い。

**カラコルム登山隊にドクターとして加わった折の作品「白きたおやかな峰」は(中略)まあ高級エンターテイメントのたぐいであろう。(116頁)**「どくとるマンボウ航海記」は、笑いの文学の少なかった日本でマーク・トウェイン流のオーバーなユーモアを持ち込んだものとして納得できる。(117頁)**「楡家の人びと」は、いつか書こうと思っていた長篇であった。大学時代から、私はトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を模して自分の家のことを書きたいと考えていた。(90頁)** この作品については**自分でも納得できる長篇である。(115頁)**と書いている。三島由紀夫はこれこそ小説なのだと絶賛した。(文庫本の下巻カバー折り返しに載っている)

北杜夫ファンにはたまらない本だ。巻末の北杜夫著作目録もありがたい。


 


正月の伝統行事 御柱 その3

2012-01-06 | B 石神・石仏

松本市波田上波田下町の御柱


御柱全景


御柱に飾られている白幣とびっしり飾られた色鮮やかな御幣(オンベ)、巾着(キンチャク)。先端のデザインとしても興味深い。




 正月の伝統行事に詳しい友人から「道祖神の柱立てと火祭りとの関係」という論文が郵送されてきた。雑誌「信濃」に掲載された論文の別刷だ。道祖神の御柱と三九郎(どんど焼き)との関係に関する論考。

三九郎について友人は正月の終りに松や注連飾りを炊き上げるのではなく、年の終りに一年間の厄を焼き払う「厄払い」の行事だとし、御柱については、歳神が降臨する依り代だと指摘している(下線:私)。

また、色鮮やかな御幣を飾る理由について、厄神(例えば疫病神や貧乏神)は陰気なもの、弱々しいものに取り憑くので、元気なもの陽気なもので「威嚇」をしているのだと説明している。

正月に松本平で行われる三九郎と御柱。道祖神の近くで三九郎(火祭り)を行って厄を払い、穢れを清める。そして色鮮やかな御柱(柱立て)によって厄神を避け、歳神を迎えるという一連の行事と捉えることができる(ただしこの時系列は必ずしも守られてはいない)という。

このような説を実証する手立てがあるのかどうか私には分からないが大変興味深い論考だ。

私の住む僻村でも明治末期まで御柱が行われていたことが村誌に記載されているが、その復活は無理だろうか・・・。


別の友人からは安曇野市豊科新田では火の見櫓の隣に御柱を立てるという情報をもらった。この御柱も後日紹介したい(先の論文にもこの地区の御柱の写真が掲載されているが、確かに隣に火の見櫓が写っている)。