透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

連休だ、本を読もう

2012-09-16 | A 読書日記



 昨日(15日) 妹夫婦が脱穀に来てくれた。午前9時過ぎに作業をはじめて午後4時ころまでに、はぜ木の片づけまで一通り済ませることができた。脱穀機の調子がよくて作業が捗った。私は年に数日しか農作業をしないが(それでこの国の農業の将来を案じているとかなんとか)、これで今年の作業は終わった。やれやれ。

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午前中、久しぶりに松本駅前の書店・丸善に出かけた。レジカウンターにお客さんが並んでいた。よかった・・・。休日なのに店内が閑散としていたら、学都松本の名が廃るではないか。

あれこれ本を探すのは楽しい。至福の時といっていい。

城山三郎の『男子の本懐』新潮文庫を手にするも、今この分厚い長編はちょっと無理かな、と小川洋子のエッセイ『カラーひよことコーヒー豆』小学館文庫を買い求めた。エッセイは細切れ時間の読書向きだ。

夕方までに読了してしまった。

最後の方に「理想の一日」というエッセイが収録されていて、小川さんが理想とする一日の過ごし方が綴られている。**朝早く起きて一番に何をするか、小説を書くのである。(中略)二時間か三時間、集中して小説を書く。朝は電話も掛かってこないし、宅配便も来ない。この貴重な数時間を無駄にしてしまったら、一日全部が台無しになってしまう。**(149、150頁)

同感だ。

休みの日くらいゆっくり寝ていたいという声をよく聞くが、私にはできない。休日は平日より早起きをする。

「大人の女性とは」で小川さんは**一体いつになったら大人になれるのか、見当もつかない。一生大人に憧れ続け、結局大人になれないまま死んでゆくのかもしれない。(中略)せめて一生のうちに一度くらい、小川さんはなんて大人なんだろう、と思われてから死にたい。**(32、33頁)と書いている。

確かに。いくつになっても大人として振舞うのはなかなか難しいものだ。


 


― なぜ長野県には火の見櫓が多いのか

2012-09-16 | A 火の見櫓っておもしろい

  




安曇野市豊科上鳥羽の火の見櫓

 長野県内の火の見櫓の数は2,300基くらいという調査がある(『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』 火の見櫓からまちづくりを考える会編/鹿島出版会に紹介されている)。全国的にみて数が多い県だが、なぜ長野県には火の見櫓が多いのか・・・。

火の見櫓はその機能から、次の二つの条件をクリアできる範囲ごとに建設され、全ての集落をカバーしていると考えるのが妥当だろう。

① 半鐘の音が聞こえること : 見櫓の半鐘を叩いて火災が発生したことや鎮火したことなどを伝えることができる範囲

② 見張り台から見渡すことができること : 火災の状況を把握することができる範囲

更に火の見櫓に早く到達することができることという条件を加えたい。

長野県は地形が複雑で例えば沿岸部のような平坦な場所と比べて半鐘の音が遠くまで届きにくく、見通しもききにくい。また、例えば川で地域が分断されている場合、川の両側に火の見櫓がないと、火の見櫓に到達するのに時間がかかってしまう。このようなことから長野県には火の見櫓が多いのではないかと私は推察している。

ところで、長野県は全国で最も村の多い県だが、山あり谷ありという複雑な地形だと合併してひとつの町や市にはなりにくい面もあるだろう。このように村の数が多いことと火の見櫓の数が多いこととは無関係ではないと思うがどうだろう・・・。村の数が多いのは、議論好きで、まとまりにくいという県民性に因るところ大なのかもしれないが。