「Kちゃん 久しぶり。待たせてごめん」
「あ、いえ、私も今来たところでまだ注文もしてません」
「あ、そう?何にする?」
「アイスコーヒーがいいな」
「すみません。アイスコーヒーとホットコーヒーお願いします。Kちゃん、元気そうだね。そのTシャツ、ちょっと変わってるね。袖がひらひらしてる」
「え?フレアスリーブっていうのかな? U1さん、先日新聞に載ってましたね。見ましたよ。火の見櫓の写真が何枚も。見開きで大きく載っていて、びっくりしました」
「あの記事を見た人からメールをもらったりしてね。これで火の見が日の目を見ることになればいいけど、ってオヤジギャグじゃなくて。まあ、興味を持ってくれる人は出てくるかもね。ところでKちゃん、この写真見て」
と言って、私はカメラを差し出した。
「あ、これって諏訪湖の水陸両用バスですよね。私、普段あまりテレビを見ないんですけど、これは確か、ニュースで見ました」
「そう、水上を走っていてもバス。これって水陸両用船ってどうして言わないんだろうね」
「え~、だってバスの形してるじゃないですか・・・」
「じゃ、さ、遊覧船の形をしていて、船底に車輪が付いていたらどうだろうね」
「え?見たことないから分からないですけど・・・、水陸両用遊覧船、ですかね・・・」
「それって、つまり何であるかということを形というか、見た目、外観で判断しているってことだよね」
「そうですね。でも普通そうじゃないですか?」
「じゃあ、これはどう? 普通の住宅をカフェに改装している途中の建物はどっち?住宅?カフェ?」
「え~、どっちだろう。完成していないんだからまだ、住宅なのかな。でも違うか・・・。でもU1さん、どうしたんですか。こんなこと聞いて」
「この写真、見て」
「あ、これって新聞に載ってた火の見櫓ですよね」
「そう。でもこれは火の見櫓じゃないらしい・・・」
「え?どうして・・・、違うんですか?」
「これは太鼓櫓といって、神社の祭りの時なんかに、ここで太鼓を叩くんだろうね。だから、用途が違う・・・」
「あっ、分かった。いままでの質問って、これに関係していたんですね。水上を走っていても船ではなくてバスだって思うとか、住宅なのか、カフェなのかと同じ問題」
「そう、人はものをどのように認識するかという問題。機能というか用途ではなくて外観で判断してしまう傾向がどうしてもあるということのいい例かなぁ。ここに半鐘が吊るしてあったらどうだろうね。誰が見たって火の見櫓だって思うよね。でもその半鐘は飾りで、本当は太鼓櫓なんだろうね」
「う~ん、そうなんでしょうね。でも何かの事情でここで太鼓を叩かなくなったら?」
「その場合はどうなんだろう・・・。あ、雨が降ってきた」
「え? あ、ホントだ」
「江戸には定火消というのがあってね、まあ他にも大名火消と町火消があって、それぞれ火の見櫓の形が違うんだけど、そういう決まりがあってね。で、定火消しの火の見櫓にはなんと太鼓が置いてあって、半鐘もあったんだけど、ふたりの同心が見張っていたということだから、ね。火事を見つけた時は太鼓を叩いて知らせたんだろうね」
「そうなんですか・・・火の見櫓に太鼓が置いてあったんですね」
「この写真は飛騨高山の駅の近くにある火の見櫓だけど、川越の時の鐘と同じような形だよね」
「これって火の見櫓なんですか? 私に説明するためにこの写真をわざわざ取り込んで来たんですか?」
「そう。今や何でも画像で示す時代だからね。メモリーカードにコピーしてきた」
「U1さんってマメですよね、こういうこと。で、川越の時の鐘だって火の見櫓といって、間違いではないということですか?」
「う~ん、どうだろうね。でも川越の時の鐘って外観上はこの火の見とよく似ているから、そう考えるのもまるっきり×ではないだろうね。火の見の用途としても使われていたとすればね。まあ、実際、使われていたらしいけど。ものの認識の仕方なんかを考えると難しいね」
「そうですね。何だかよく分からない・・・。そういえば関係ないかもしれませんが、誰もいない無人島で例えば木の枝が折れるときの音って音なのかっていう問いも、認識論って言うんですか、に関係ありますよね、きっと」
「誰にも認識されない音は本当に音って言えるのか・・・」
「ええ、どうなんでしょうね」
「どうなんだろうね。よく分からないな・・・」