透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

山ノ内町のマンホール蓋

2018-09-15 | B 地面の蓋っておもしろい




撮影日180914                                                                                  町章

◎ 山ノ内町といえば、ニホンザルが浸かる地獄谷温泉が有名。この山ノ内町のマンホール蓋には数種類ある(過去ログ)。これはその内のひとつで横倉で見かけた。

蓋の中央の山は山容から高社山(別名高井富士)だと思われる。山の上に配された町章は「3つの山」が「内」を囲むデザイン。町章の両側のブドウと山の下のリンゴ(リンゴの花が村の花)とエノキダケは町の特産。「西部地区 農業集落排水」と「やまのうち」の文字。


 


1076 火の見櫓のある風景

2018-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1076 上高井郡高山村高井 高山中学校南 4脚8〇型 撮影日180914




■ 火の見櫓の撮影方向は同じでも写し込む範囲や前景、後景などによって印象が違う。火の見櫓のある風景というからには近景も遠景も取りれていない②でも周囲の様子が分かるだけの説明的な撮り方でも物足りない。好みの①の構図の前景として、コスモスを写し込める位置を探せばよかった。加えて晴天ならば尚良かった。無造作に撮ってはダメ、反省。


 


1075 高山村奥山田の火の見櫓

2018-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1075 上高井郡高山村奥山田 山田温泉 4脚8〇型 撮影日180914

■  形は好いのに維持管理が良くなくて、錆が目立つのは残念。





見張り台まで登らずに地上でワイヤーを曳くことで半鐘を叩くことができる打鐘装置を設置してある。



脚元にいろんなものがあって、ごちゃごちゃしてる。これはちょっと・・・。



銘板に「山田村消防団温泉分団 竣工 昭和三十一年四月」とある。1956年(昭和31年)9月30日に山田村と高井村が合併して高山村が誕生した。この火の見櫓は高井村との合併直前に竣工している。山田村は1889年(明治22年)に中山村と奥山田村が合併してできた。所在地の奥山田という地区名は旧村名で、この経緯の名残。


 


1074 小布施町都住の火の見櫓

2018-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1074 上高井郡小布施町都住 4脚4〇KP型 撮影日180914

■ このように道路を中心に配置し、両側の家屋などで遠近感、奥行き感を示す構図を「道路山水」というそうだが(過去ログ)、好きな構図だ。





端正なつくりは見て気持ちが良い。見張り台の開口上部に安全手すりを設置してある。カンガルーポケット(KPと略記)もきちんとつくられている。「きちんと」は私が火の見櫓に限らずものを見るときのキーワード。



脚部 前後にアーチ部材を配し、両測面にブレースを設置している。マンホール蓋が写っている(小布施町のマンホール蓋:過去ログ)。


 


― 中野市中野の火の見櫓

2018-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再) 中野市中野栗和田 栗和田区コミュニティセンター 4脚8〇〇型 撮影日180914

 この火の見櫓は再訪。17年4月にも訪ねている(過去ログ)。 同じ火の見櫓でも季節や見る方向によって印象が違うし、注目する細部も違う。前回撮らなかった方向からの写真を載せる。





消火ホースを掛けるフックを付けた腕木を支える方杖の下端には蕨手のようなくるりんちょなデザインがしてある。昨年見た時にはこれに気づいていなかった。

8角形の屋根と円形の見張り台の組み合わせは好い。



こういう張り紙がしてあるということは、火の見櫓に登る子どもがいるということだろう。


 


1073 山ノ内町横倉の火の見櫓

2018-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1073 下高井郡山ノ内町横倉 4脚88KP8型 撮影日180914

 背の高い火の見櫓だ。上の写真にスケールを当てて、高さを測ると約16mある(掛けてある消火ホースを基準におよその高さを知ることができる)。

4角形の櫓に8角形の屋根、同見張り台というのは珍しくはないが、踊り場まで8角形というのはあまり目にしない。屋根のてっぺんは建設当初からこの形だったのだろうか。少し違和感がある。