透明タペストリー

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「北杜夫の文学世界」

2021-04-24 | A 読書日記

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 『北杜夫の文学世界』奥野健男*1(中央公論社1978)を再読した。

書き出しが有名な小説、私は川端康成の『雪国』と島崎藤村の『夜明け前』がまず浮かぶ。北 杜夫のファンならば**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。**という『幽霊』の書き出しが浮かぶだろう。

この書き出しは**その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**と続く。

この魅力的な書き出しに、この小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める「心の旅」がテーマの作品だ。『幽霊』は北 杜夫の最初の長篇小説で、幼年期から旧制高校時代までを扱っている。23歳のときに書き始め、26歳のときに書き上げて同人誌に発表した後、自費出版した作品。

北 杜夫の作品を論じた本書で奥野健男氏もこの『幽霊』の書き出しをまず取り上げ、**北 杜夫文学のライト・モチーフが、象徴的に語られているように思われる。**(7、8頁)と書いている。

小説も建築も最初の作品に作家のすべてが詰まっているという自説と上掲した奥野氏の指摘は一致している。

北 杜夫が子どものころ、昆虫採集に夢中になっていたことはよく知られているが、奥野氏は『楡家の人びと』(*2)を次のように分析している。**ぼくは大長篇「楡家の人びと」は、昆虫の観察、分類の手法を、明治、大正、昭和三代の楡病院の人々や日本全体に用いることによって、誰もなし得なかった日本の近代史を冷静にしかもいきいきと描くことができたのではないかと考える。**(29頁) なるほど、このような捉え方があったか・・・。

**北 杜夫文学の本質は幼年期の神話的な記憶と、少年期の傷つきやすい、鋭敏な魂の上に形成されている。自己の中にある幼少年期を純粋培養し、それを現代に、大人の世界に投影させ、人々に忘れていた素朴な詩心――全人間的なかなしさとよろこびを蘇らせる、そこに北 杜夫文学の本質的な魅力があるのだ。**(91頁)

奥野氏はずばりこのように指摘している。そう、北 杜夫作品の本流は追憶にあるのだ。

昨年の春に文庫本の大半を古書店に引き取ってもらったが、北 杜夫の作品は残した。これからも再読する機会があるだろう。


*1 奥野氏と北 杜夫は麻布中学(旧制)時代からの友人
*2 **戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性(オーソドクシー)を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる。(中略)これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!**三島由紀夫はこのように「楡家の人びと」を激賞している。