透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

続ブックカバーデザイン 

2020-05-20 | A 読書日記

 前稿に続き、新潮文庫の漱石作品のカバーデザインについて。

『門』のデザインが好みだが、すべてそのデザインの文庫本がそろっているわけではなく、別のデザインのものも何冊かあると前稿に書いた。

書棚に並ぶ文庫本を確認すると、大半は『門』のデザインで、違うのは『三四郎』『それから』『こころ』だけだった。もっと多いと思っていた。理由は分からないが2冊ある『吾輩は猫である』は共に角川文庫だ。

それから『坊ちゃん』が無いことに気がついた。これを機に買い求めて再読してみよう。この歳であの作品を読んでどんな感想をもつだろう。

ところで『三四郎』と『それから』『こころ』のカバーの絵は共に安野光雅の作品。個人的な感想にすぎないが『三四郎』の絵からは通俗的な作品をイメージしてしまう。漱石作品のもつ雰囲気にそぐわないように思うがどうだろう。角川文庫の『吾輩は猫である』(右)は私の好み。






 


ブックカバーデザイン

2020-05-19 | A 読書日記



 漱石の『こころ』、手元にある2冊は共に新潮文庫だがカバーデザインが違う。新潮文庫の漱石は『門』のカバーデザインが好みだが、このデザインの『こころ』は手元にない。以前は全て『門』のデザインで揃っていたと思うが、何冊か友人にあげるなどして、後から再び買い求めたためにデザインが違うものになってしまった。白いカバーの方は2008年に、右のイラストのカバーの方は1994年に買い求めたものと思われる。では、2冊の『こころ』どちらを残すか。活字が大きくて読みやすい白かな。


 


「古事記の宇宙」

2020-05-18 | A 読書日記




 先週末に読んだ『希林のコトダマ』椎根 和(芸術新聞社2020年)には「樹木希林のコトバと心をみがいた98冊の保存本」というサブタイトルが付いている。本書で椎根さんは希林さんが残した100冊の本のうち98冊を読み、希林さんの心根を推量している。

巻頭には100冊の本が並ぶ希林さんの本棚のカラー写真が掲載されているが、それぞれの本の背後を数多の本が通り過ぎていったことだろう。

本書で紹介されている本の中で、たった1冊だけ私が読んだ本があった。『古事記の宇宙(コスモス)―神と自然』千田 稔(中公新書2013年)。帯に書かれた本書の内容紹介文から引用する。**古代の日本人は、自然をどのように感じ取っていたのだろうか。本書は『古事記』に記された神々や神話と自然との関係を、海・植物・天地・身体など、具体的なテーマに分けて解説する。**

椎根さんは希林さんが残した本は言霊でつながっていると解説している。このような補助線が示されると、確かにそうだな、と納得できる。

巻頭には希林さんの書斎も掲載されている。希林さんはこの書斎で静かに本を読んでいたのだろう・・・。


 


文庫本

2020-05-17 | A 読書日記



 文系本の書棚の上の空き寸法は文庫本が収まるように165ミリにしてある(*1)。ここに文庫本を並べてあるが、冊数の関係で右側が少しだけ前後2列になっている。これ以上文庫本を増やすつもりはない。できれば少し減らして前後2列を解消したい(*2)。

北 杜夫と安部公房、夏目漱石の作品は処分しなかったが、最終的に北杜夫は『幽霊』と『木霊』、『どくとるマンボウ青春記』があれば良いし、安部公房は『砂の女』、『箱男』、『方舟さくら丸』があれば良く、漱石は『吾輩は猫である』だけあれば良い。ただしこの3人の作品は再読したいので当分の間、全て並べておく(*3)。単行本も残しておく。

高校生の頃よく読んだ大江健三郎も三島由紀夫も川端康成も文庫はごく一部を残して処分してしまった。何冊もあった松本清張、吉村 昭、司馬遼太郎の文庫本も。それからマイクル・クライトン、アーサー・C・クラークも。

再読したくなったらまた買い求めることにする。


*1 理系本の棚の上は新書本が収まるように200ミリ空けてある。
*2 理系本の棚にも建築関係の文庫を少し並べてあるが、当面処分の予定はない。
*3 3人の文庫本を左端から80冊並べてある。


巣ごもり読書

2020-05-17 | A 読書日記

 数日前に「特別定額給付金交付申請書」が届いていた。昨日(16日)、必要事項を記入し、運転免許証などのコピーを用意した。後は投函するだけだ。この給付金の目的は何だろう・・・。コロナ禍による収入減の補填なのか、停滞している経済の活性化なのか。私は後者と捉えて10万円を使いたい。文庫が1冊税込800円、とすると10万円で125冊も購入できる。新書なら1,000円、100冊。「巣ごもり読書」効果で書籍の売り上げは堅調のようだから、他の使い道を考えた方が良いかもしれない。

さて、本代、もとい本題。

自室前の廊下の書棚を片付けて新規購入本の置き場を1段確保した。幅が80cm(内法75cm)あるから、1年間で購入する本の置き場として十分だ。読了後、この棚に順番に仮置きしておき、年末に自室の書棚の本たちと入れ替え戦をする。こうすれば1年間でどんな本を読んだかも一目瞭然だし、定常状態が保てる。 早速今月から実行するつもり。

320

昨日は巣ごもり読書で、『ターミナル 末期症状』ロビン・クック(ハヤカワ文庫1994年)を読了した。マイアミにあるフォーブズ癌センターは脳腫瘍治療でめざましい、奇跡ともいえる成果をあげていた。センターに研修に来た医学生が恋人のナースと共にその裏に隠された驚きの事実を暴き出す。分子生物学や免疫科学に関する描写が多く、読みにくい箇所も多いスリラーだが、実に興味深いストーリー展開だった。それにしても主人公の医学生はタフで優秀だ、天才的と評してもよい。この辺りの人物設定、能力設定に多少無理があるかな・・・。

この本から廊下の書棚に仮置きスタート。


 


「着陸拒否」

2020-05-16 | A 読書日記

320

 書棚に残した文庫本を数えると、250冊くらいだった。中には「僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう」的な本もあれば、もう一度読むかもしれない本もある。『着陸拒否』ジョン・J・ナンス(新潮文庫1997年)は後者の1冊。

カバー裏面の本書紹介文から引く。**フランクフルトを発ったクワンタム航空66便のホランド機長は絶句した。心臓発作の急患を乗せたジャンボの緊急着陸が拒否されたのだ。患者があるウイルスに感染しているというのが理由で、管制との交信がCNNにすっぱ抜かれると、欧州各国は次々と66便を拒絶。(後略)**

この小説、再読するなら今。


 


目次のデザイン

2020-05-16 | A 読書日記

 建築家・宮脇 檀さんの書く文章が好きで、昔よく読んでいた。自室に何冊もあるが、この際、全て友人にあげることにした。書棚から取り出してパラパラとページを繰っていて、目次のデザインが本によってかなり違うことに気がついた。昔は本のデザインは今より個性的だったのかもしれない。

①は上揃えのオーソドックスなデザイン。②のような下揃えはあまり見ない。③はセンタリングしている。④は横書き(本文は縦書き)。

映画のエンドロールの出演者表示にもデザイン上の工夫があるが、同様に本の目次にも工夫がある。手元の本の目次を見比べるのも楽しい。






 


動的平衡

2020-05-15 | A 読書日記



 「百冊以上は、家に置かないの。あたらしく気に入った本、手元に置きたくなった一冊がでてきたら、百冊のなかの一冊を、人にあげてしまうの。だから、いつも百冊」これは今日(15日)買い求めた『希林のコトダマ』椎根 和(芸術新聞社2020年)のまえがきに紹介されている樹木希林さんのことば。

私も希林さんにならって、これからは書棚の本を一定数に保とうと思う。で、年末に「行く本 来る本」をしようと考えている。今年買い求めた本の仮置き場を決めて、とりあえずそこに並べる。で、年末に本の入れ替え戦をして、行く本を希林さんのように友人にあげ、来る本を書棚に並べようと思う。そうすれば書棚の本の定常状態、福岡伸一さん言うところの動的平衡が保てるというわけだ。 

希林さんのように100冊というわけにはいかないが、いずれは1,000冊まで減らし、更に500冊まで減らすことができれば、と思う。で、最終的に200冊したときに自分を知ることになるだろう。


 


1,700冊もの本と さよならして

2020-05-15 | A 読書日記

 このところ投稿記事は自室の本の整理のことばかりだ。



減冊数は1,700冊だが、内訳は単行本260冊、新書本300冊、文庫本1,140冊。先日、減冊数調整のために120冊追加したが、既に文庫本は大半を処分しているので追加した冊数は少なく、10冊のみだった。この中には読んだばかりの歴史改変小説『昭和の漱石先生』小島英俊(文芸社文庫)も含まれている。書棚に残した文庫本はいまのところどれも処分し難く、このような結果となった。



すっきりとした書棚を見ていると気がつくことがある。新書本は出版社別に棚を分けて並べているが、光文社新書の棚が美しい。帯の淡い色、書名の上で留めているグレーの地、その上に残した白地。デザインのセンスが実に好い。やはりブックデザインは書棚に並べた時に美しいことが肝心ではないか。


 


本にさよなら その5

2020-05-10 | A 読書日記

写真1

写真2
2020.05.10撮影  

 今日(10日)は主に単行本の減冊作業をした。これまでに減冊した1,580冊に120冊(単行本110冊、文庫本10冊 写真3)加え、ちょうど合計1,700冊にした。それから雑誌も片付けた(写真4)。

1,700冊も減らしたので書棚はかなりスッキリ。 

新書は出版社別に整理し、二つの書棚に分けて並べた。文系本の棚の新書は単行本の前に並べてあるが、しばらくこのままにしておく。 

写真3

写真4

これからは居心地の良くなった自室で好きな音楽を聴きながら読書をする。 



減冊前のカオスな文系本の書棚(2016年2月)


「本棚が見たい!」

2020-05-10 | A 読書日記

 近くの医院で診察の順番を待つ間、室井佑月さんが「週刊朝日」に連載しているコラム「しがみつく女」を読む(*1)。「センセイの本棚」というタイトルだった。センセイとは政治家のこと。

本棚を見ればその人の趣向、知能指数、変態性、すべてが分かるからというのが彼女の挙げている理由。まあ、変態性までは分からないと思うが、確かに趣向は分かるだろう。室井佑月は裸を見られるより本棚を見られる方がヤダという。

で、最近のセンセイたちはどうなっているの?ということから、室井さんは「センセイの鞄」、もとい、本棚を見てみたいというわけだ。

手元にこんな本がある。



本棚には持ち主の内面世界というか、脳みそが可視化されている。本の分類の仕方、並べ方にも持ち主の世界が現れている(机の上にも脳みそが可視化されている、というのが私の説だが、このことについてはまたいつか)。

写真の3冊の本に収録されている著名人の本棚は整然、雑然、十人十色。女性の本棚はなぜか少ない。裸はOKだけど、本棚はNO!って女性が多いことの証拠か?

『本棚が見たい!3』は1998年の発行だが、その後、4、5・・・と続いたのだろうか。

どうやら続かなかったようだ。


*1 既に掲載した記事(2010.07.17)を改稿して再掲した。


カッパ・ノベルス版「砂の器」

2020-05-10 | A 読書日記




松本清張作品(新潮文庫)

 松本清張の代表作『砂の器』については、もう何回も書いた(過去ログ)。中学生の時にこの作品を読んだことがきっかけで本好きになった。この時読んだ『砂の器』は友達のお父さんが貸してくれた本だから、手元にはない。

今、本を減らす作業をしていて不要な本を松本市内の古書店に引き取ってもらっている。オーナーに本好きになった理由(わけ)について、上記のことを話すと、見つかったら差し上げますとの返事。

昨日(9日)もダンボール箱に詰めた本を持ち込んだが、その時にカッパ・ノベルスの『砂の器』を渡された。こんなに早く入手できるとは思っていなかったのでびっくりした。新書サイズの『砂の器』、とても懐かしい気がした。そうか、この本か・・・。奥付けに昭和36年7月5日初版発行、昭和51年12月1日263版発行とある。中学生の時に読んだ本とおそらく同じ装丁だろう。

松本清張作品も大半を整理してしまったが、この本は大切に残しておきたい。


 


まるい月

2020-05-08 | A あれこれ


撮影日時2020.05.07 6:51PM 

 アメリカの先住民は季節を把握するために1月から12月まで各月の満月に名前を付けていたそうだ(*1)。で、5月の満月はフラワームーンと呼ばれているとのこと。ちなみに6月の満月はストロベリームーン。

山端の月はなぜか大きく見える。あまりに大きく、あまりに美しかったので車を停めてカメラを向けた。 


*1 ウェザーニュースのHPによる  


本にさよなら その4

2020-05-06 | A 読書日記



 今日(6日)は昼過ぎに所用で2時間ほど外出したが、それ以外は自室で減冊作業をしていた。

結果、単行本20冊、文庫30冊、新書200冊(*1)とさよならすることになった。これで減冊した本は文庫1,130冊、新書300冊、単行本150冊で合計1,580冊となった。

さすがにこれだけ減冊すると書棚はかなりスッキリする。前後2列に並べた棚も減り、空きスペースも出来た。カオスな状態になるのは置き場所がきちんと確保できていないからだが、ようやくこの状態が解消されて新たな購入本も所定の棚に納めることができるようになった。

次回は主に単行本の減冊作業をする予定。


*1 新書の冊数調整のために写真撮影後に10冊追加した。


来し方 行く末

2020-05-06 | A 読書日記



「過去は未来のためにのみある」この言葉は高卒30周年記念の文集に当時の担任が寄せた文章のタイトル。 ここで内容には触れない。

今日(6日)付けの信濃毎日新聞朝刊の文化欄に長野県立歴史館館長の笹本氏の「未来のために足元を知る」と題した文章が掲載されている。この中で笹本氏は歴史を学ぶ理由について**私はどこから来てどこに行こうとするのか、私とは一体何なのかとの問いかけがある。**と書いておられる。

私が今進めている蔵書の減冊は来し方をより鮮明にあぶりだす行為なのかもしれない。これは例えば歴史の教科書で重要なポイントだと思う箇所に下線を引いたり、マーカーで色を付けたりすることに喩えることができるだろう。

減冊の意義がはっきりしてくると、作業は捗る。

島崎藤村の『夜明け前』、右の4巻(1993年)を1994年に読み、20年後の2014、5年に左の4巻(2013)を読んだ過去ログ)。この長編小説はもう一度読むことになるかもしれない。で、どちらを残しておくか。カバーデザインは右が好みだが、活字が細かく読みずらい(*1)。再読のために残すのだから、左。

漱石の『三四郎』も2冊あるが、おそらく再読はしないだろう。で、残すのは古い方。


*1 総ページ数は右が1,332ページ、左が1,745ページで3割ほど多い。それだけ左の版は活字が大きいということだ。