透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

2020-05-05 | A 読書日記

  

 フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ハヤカワ文庫)は映画「ブレードランナー」の原作として有名。私はこの小説を2003、4年頃読み、昨年(2019年)再読している(過去ログ)。

昨年は書斎がカオスな状態で、左の文庫(2003年46刷)が見つからず、右の文庫(2017年82刷)を改めて買い求めて読んだ。

先日文庫本およそ1,100冊を古書店にひきとってもらった。書棚に残したのは250冊くらいだろうか、この2冊も残しておいた。だが、2冊はいらない。で、どちらを残すか・・・。カバーデザインの好みとかではなく、古い方を残す。

なぜ古い方を残したいと思うのか。このことについて、考えてみたいと思う。


新型コロナウイルス感染拡大対策として、不要不急の外出の自粛が求められている。しばらく、火の見櫓めぐりも控えたい。


「わたしと小鳥とすずと」

2020-05-03 | A 読書日記


『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ(JULA出版局 1984年第1刷 2003年第75刷)

■ この本には60編の童謡(童心を表現した子どものための詩)が収録されています。私が特に好きなのは「夕顔」です。

空の星が夕顔にさびしかないの、と訊くと、夕顔はさびしかないわ、と答えるのです。星がそれっきり夕顔のことを気にかけないでキラキラ光っていると、夕顔はさびしくなって下をむいてしまうという内容の詩です。**さびしくなった夕顔は、だんだん下をむきました。(99頁)引用した、ここが好きなんです。

「さびしい」という感情に私は共感します。北杜夫の作品に通底しているのもこの感情です。これからは自室に残した北杜夫作品を再読することが多くなるように思います。


初稿(2010.04.19)改編再掲


本にさよなら その3

2020-05-03 | A 読書日記



 既に文庫本の大半を減冊したが、今日(3日)は単行本と新書本の減冊作業(処分とは書きにくく、減冊とした)をした。単行本も新書も大半を減冊したいと思ってはいるが、一気にはできない。今日の減冊数は単行本130冊(*1)、新書本100(*2)冊だった。

最終的に書棚に残るのは小説ではないか・・・、自分探しのための減冊はまだ続く。


*1 *2 10冊追加した。


ブックレビュー 2020.04

2020-05-03 | A ブックレビュー

 

 4月の読了本は3冊。

『非常識な建築業界 「どや建築」という病』森山高至(光文社新書2016・初版1刷)
章立ては次の通り
第1章 非常識なコンペ 新国立競技場問題は「よくある話」
第2章 非常識な建築史 建築はなぜ「どや顔」をするようになったか
第3章 非常識な建築家 オリジナルでなければ建築ではない!?
第4章 非常識な建築現場 ゼネコンという名の総合商社
第5章 非常識な建築論 建築業界にも「常識」はある

本書で指摘されている事柄について、「なるほど、確かに」と頷くことができないこともあるが、いろいろな捉え方、見解があることを知ることは自分なりの知見を得るために必要なこと。やはり類書多読だ。

『アウトブレイク 感染』ロビン・クック(ハヤカワ文庫1995・14刷)
新型コロナウイルス感染拡大が続く。手元にある同作家の作品は18冊、久しぶりで本書、医学サスペンスを再読した。意図的な感染はなぜ行われたのか・・・。

『昭和の漱石先生』小島英俊(文芸社文庫2020・初版1刷)
昭和20年まで漱石が生きて、戦争回避のために暗躍、工作するという「歴史改変小説」。昭和史に関する知識がないと、どこをどう変えたのか、分からない。昭和史に詳しい人は興味深く読めるだろう。


自室の文系本の書棚がかなりすっきりしたので、4月の読了本を所定の棚に置くことができる。


さらなる減冊を

2020-05-01 | A 読書日記



 小説やエッセイほか文系本の書棚は以前のカオスな状態と比べてかなりスッキリした。ただし新書は単行本の前に並べてあるし、横積みしている本も少しある。更に減冊してこのような状態を解消しなければ・・・。

文庫本をかなり処分したことによる喪失感・・・、たまらなく寂しい。書棚全体を果樹に喩えれば、この減冊は摘花に相当するだろう。摘花は良質な果実を得るために欠かせない。この様に考えれば多少喪失感が和らぐ。



次は理系本の書棚の整理だ。こちらも減冊して、スッキリさせたい。