■ 上田市真田町長の戸沢地区の電飾火の見を見るために、一昨日(25日)、昼前から出かけた。途中で何基か火の見櫓を観察したので、既に観ているものも含めて載せておきたい。
(再)上田市平井 4柱4〇型SA脚 撮影日2022.08.25
東信地域では7割近くがこの4脚4〇型の火の見櫓。
東信地域では脚の6割がアーチ形の補強部材の下半分を柱と束ねて柱脚まで伸ばした「たばね脚(B)」で、このように柱の中間で留めている「ショートアーチ脚(SA)」は珍しい(3/267)。
■ 上田市真田町長の戸沢地区の電飾火の見を見るために、一昨日(25日)、昼前から出かけた。途中で何基か火の見櫓を観察したので、既に観ているものも含めて載せておきたい。
(再)上田市平井 4柱4〇型SA脚 撮影日2022.08.25
東信地域では7割近くがこの4脚4〇型の火の見櫓。
東信地域では脚の6割がアーチ形の補強部材の下半分を柱と束ねて柱脚まで伸ばした「たばね脚(B)」で、このように柱の中間で留めている「ショートアーチ脚(SA)」は珍しい(3/267)。
(再 過去ログ)上田市真田町長 戸澤公民館
4柱4〇型左右交叉ブレース(BC)前後開放(O)脚(消防倉庫プチ貫通) 撮影日202.08.25
■ 上田市真田町長の戸澤地区に立っている火の見櫓が9月に解体される。集落のランドマークであり、住民の地域を愛する気持ちの象徴でもある火の見櫓が姿を消す・・・。
地元の自治会がその労をねぎらい、感謝の気持ちを表すために火の見櫓にイルミネーションを飾り付けて、今月(8月)31まで点灯しているという情報が寄せられた。友人からこのことを知らされた時、僕はとてもうれしかった。「そうか、そんな自治会があるのか」
早速昨日(25日)出かけて観てきた。
「今までありがとう」 小学生を中心に1字ずつ書いたという。火の見櫓に感謝するこのメッセージを目にして、僕はうるっときてしまった。火の見櫓好きにとってこんなうれしいことはない。
夕方6時半頃、火の見櫓のイルミネーションが点灯された。美しい! 何枚も写真を撮った、せめて1枚ちゃんと写って欲しいと願いながら。写真では美しさが十分伝わらないのは残念だ。
イルミネーションが点灯されて、消防倉庫のシャッターが開けられた。内部に小学生が描いたこの火の見櫓の絵や、図面(解体工事発注用に描かれたものだろう)、建設の様子を写した写真、他の地区の火の見櫓の写真などが展示されていた。展示品により、この火の見櫓が倉庫とともに1961年(昭和36年)に建設されたこと、高さが16mであることなどが分かった。この火の見櫓が建設されるまで、近くに木造の火の見櫓が立っていたことも写真から分かった。イルミネーション点灯といい、関係資料等の展示といい、実にすばらしい企画だ。
22日の夜に行われたお別れセレモニーの様子はNHKと民放のSBCでも報じられた。残念ながら見逃してしまったが、昨晩、帰宅してからネットで見ることができた。どちらも期限付きだろうから、見ることができたのは幸運だった。
■ 前稿、前々稿に火の見櫓の脚のタイプ分けについて書いた。本稿ではまずそれぞれの型を実例写真で紹介し、次に長野県内4地域について脚のタイプの偏在が顕著だということが分かったのでその結果を報告したい。
以前、珍しい火の見櫓のタイプの名前を考えた時「道路またぎ」は跨線橋に倣って跨道櫓(こどうやぐら)がまず浮かんだ。読み言葉としては意味が分かるが、話し言葉で跨道(こどう)という音読みは分かりにくいので、道路またぎとした。よいネーミングだと自負している。
脚の型の名前、例えば④直線材中留め型は直線状補強部材の柱中間留め型を簡略化したものだが、もっと簡潔で的確、親しみやすい名前を考えたい。
①柱単材型(構面及び柱に補強無し。横架材の位置が極端に下になると、判断が難しくなる。)
②片掛ブレース型(構面補強)(櫓の垂直構面と同じ型の場合がほとんど)
③交叉ブレース型(構面補強)
④直線材中留め型
⑤直線材下留め型 柱脚固定の方法によって、補強材の下留め位置が少し上になるケースもある。これを中留め型とは見ない。
⑥アーチ材中留め型
⑦アーチ材柱材たばね型
⑧アーチ材下留め型 (⑥アーチ材中留め型や⑦アーチ材柱材たばね型、⑨トラス型とは区別する。短材が2本くらいしかなく、トラス脚を構成していないもの。柱と一体にはならず、柱の下端で接合されている。写真の事例はコンクリート基礎から立ち上げた束材に柱脚を固定しているため、アーチ材下端が基礎面の少し上になっている)
⑨トラス型(右のような「トラスもどき」も含める 柱材と二次部材(補強材)を短材3本以上で繋ぎ、一体化している脚)
⑩複合型 複数の型が複合している。(写真は正面のみ⑦で他の3面は③になっている。複合型の扱いについては更なる検討を要す。)
⑪その他(①~⑩以外のレアタイプ)
上の写真の事例は柱に石束(短い柱)を添えている。石束のすぐ上で柱材が座屈している。補強のためには一番下の横架材の上まで石束を伸ばす必要があったと思う。石束は柱補強というより、柱固定のためかもしれない。
下の写真は左右は③交叉ブレース型だが、前後は実に珍しい形だ。この脚を⑩複合型に分類して済ませるわけにはいかない。
以下に地域ごとに最も多かった脚の型を挙げる。顕著な違いがあることが確認できた。
北信地域
⑩複合型(⑦+③)が4割超
東信地域
⑦アーチ材柱材たばね型が約6割
中信地域
⑨トラス型が3割5分 (3本脚) ⑥アーチ材中留め型が3割近く ⑨と⑥の型で6割超
南信地域
⑨トラス型が約5割 ③交叉ブレース型が約3割 ⑨と③の型で約8割
・中信地域で3割近くを占める⑥アーチ材中留め型は他地域ではほとんど見られない。
・東信地域で最も多くて約6割を占める⑦アーチ材柱材たばね型は北信地域では⑦は2割近くあるが、中信地域では極々僅か、南信では見られない。
・中信、南信で多く見られる⑨トラス型は北信、東信では極めて少ない。
取り急ぎ、結果報告まで。
*****
地域ごとにタイプの異なる脚部が偏在している理由を実証的に明らかにすることは極めて困難、できないのではないか。だが、その理由をあれこれ考えてみることは楽しいだろう。性急にその答えを出そうとしないで、熟考したい。
見張り台についても地域性があると思われるので調べてみたい。
火の見櫓のディープな世界に出口なし。
※ 今回の脚の型の分布状況の調査に、松本市在住の堀川雅敏さんが長野県内の火の見櫓巡りで撮影された写真を使わせていただいた。堀川さんは2004年2月から2005年4月にかけて長野県内を隈なく廻って1,870基の火の見櫓を見つけられた。車の走行距離は2万キロ弱にもなったとのこと。市町村別に全形写真だけ整理されたデータをいただいている。検索効率が良く、作業の所要時間が少なくて済むこととサンプル数が多いことから調査に使わせていただいた次第。
以前堀川さんと火の見櫓談義をする機会があったが(*1)、もう一度その機会があるよう願っている。その際、直接お礼を申し上げたい。
*1 松本市内の古書店主・渡辺 宏さんによる企画による。火の見櫓談義は「松本の本 第2号」2020年版に収録されている(過去ログ)。
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■ 前稿に書いたように火の見櫓の脚の型(タイプ)の分布状況が地域によって違う、ということに以前から気がついていた。単なる印象に留めるのではなく、実際に調べてみようと思い立ち、どんな観点から脚を分類すればよいのか数日前からあれこれ考えていた。昨日(23日)は朝カフェで読書しないで、いつもカバンに入れて持ち歩いている雑記帳にメモしながら考えた(※閲覧されている方へ メモの文字は読めないと思います。左端のスケッチ図をご覧願います)。脚の型の分類には火の見柱(1本柱)、火の見梯子(2本柱)を含めない。まとめることができた。以下はその報告。
火の見櫓の脚部は構造上重要な部位で、大概柱材を二次部材(補強部材)によって補強している(ごく少数だが、補強せず柱材だけの場合もある)。従って、脚の型はどのような二次部材によって、どのように補強しているのか、「使用部材」と「補強方法」に注目して分類するのが妥当だろう。
柱材を補強する二次部材は直線状のものと曲線状のものの2種類。補強材として脚部に用いる曲線状の部材はアーチ状のものにほぼ限定されるだろうから(なんでも例外はあるもの)、それぞれ「直線材」と「アーチ材」と呼ぶことにする。
補強方法、即ち補強材の使い方はいろいろある。どのように分類すればよいだろう・・・。脚部の柱上端(付け根)から下端(柱脚)まで全体的に補強材を設置しているのか、部分的に設置しているのか、ということに注目する。更に柱材と補強部材をつないで構造的に一体化するために設置されている短材も考慮する。このように考えて、下表のようにまとめた。
①補強無し
②片掛ブレースと③交叉ブレース:脚の補強ではなく、櫓一般部と同様に脚と横架材から成る垂直構面の補強。②③の型を脚無し、と扱ってきている。この2つの型の場合、櫓内に出入りすることが困難であることから、外付け梯子を設置して対応している。
④直線材中留め:直線材を柱の中間で留めている。
⑤直線材下留め:直線材を柱の下端で留めている。基礎コンクリートから立ち上げた柱脚固定のための部材(束?)に接合してある場合には判断に注意を要す。
⑥アーチ材中留め:アーチ材を柱の中間で留めている。
⑦アーチ材柱材たばね:アーチ材を柱の中間から下は柱に沿わせて柱下端まで一緒に伸ばしている、そうアーチ材と柱を束ねるように。⑥との違いに注意を要す。
⑧アーチ材下留め:アーチ材を柱下端で留めている。⑨との違いは脚部にトラスを組んでいるかどうか。短材2本以下か3本以上かを目安に判断する。短材が2本であっても、脚の大きさや、短材の設置され方などを勘案してトラスと判断することもある。
⑨トラス:柱材と補強部材を短材で繋ぎ、一体化している。短材を3本以上使っている場合はトラス(三角形)を構成していなくても、「トラスもどき」として同型として扱う。
⑩複合型:①から⑨までの複合型 櫓の正面だけ出入り可能な補強方法(②③以外)を採用し、他の面は③としているもの(③以外の場合もあり得る)。
⑪その他:①から⑩に分類できない稀な事例。
このような型によって長野県内4地域(北信、東信、中信、南信)の火の見櫓の脚を分類してみたところ、地域により分布状況に顕著な違いが見られた。次稿で結果報告をしたい。
■ 火の見櫓の型は柱(脚)の本数と屋根、見張り台の平面形によって分類するのが有効だ。火の見櫓好きな人は大概この考え方で分類している。私はこの分類法で、例えば柱(脚)が4本、屋根の平面形が八角形、見張り台の平面形が円形なら「4柱8〇型」というように表記している。しばらく前までは「4脚8〇型」としていたが、最近このように改めた。柱が1本の場合は火の見柱、2本の場合は火の見梯子と呼び、柱が3本、4本の櫓型とは区別する。長野県の火の見櫓の型の分布状況を調べたところ、地域によって型の偏在が顕著であることが分かった(過去ログ)。
脚の型にも地域性があることに以前から気が付いていた。昨日(22日)から調べ始めた。やはり地域によって型の分布に大きな差があることが分かった。
320
上田市真田町
東信地域は櫓の型は4柱4〇型(写真左)が最も多く7割近くを占めている。脚の型は右のような型が多い。アーチ状の副材を柱材に沿わせて脚下端まで伸ばしている。上田市の場合この型が8割を超えている(33/40 1本柱、2本柱は除外 櫓型のみ計上)。東信全域がこの傾向だろう。北信地域はまだ調べていないが、東信地域と同様の傾向がみられると思われる。
茅野市宮川
南信地域は櫓の型は4柱44型(写真左)が最も多く7割近くを占めている。東信とは見張り台の形が違う。脚の型は右のような型が多い。柱材と副材、短材でトラス脚を構成して脚下端まで伸ばしている。茅野市の場合この型が6割近くを占めている(52/87 1本柱、2本柱は除外 櫓型のみ計上)。いままで観察してきた印象から南信全域がこの傾向だと思われる。
安曇野市堀金
松本市今井
中信地域の櫓の型は3柱66型(写真下左)が最も多く4割近くを占めている。脚の型についてはまだ集計していないが、アーチ状の副材を脚の上部に入れ、下は柱単材という型と、柱材と副柱と短材でトラスを組むか、柱材と副材のみという型が多いと思われる。
火の見櫓の型には地域性があり、長野県内4地域で分布に大きな違いがあることが分かったが、脚の型も地域によって違いがあることが分かった。脚の型の分類は櫓の型の分類のように明快にはできないが、それぞれ名前を付けて分類したい。火の見櫓観察の基本はタイポロジー、型の分類だから。長野県内の火の見櫓の脚の型の分布傾向をまとめたい。火の見櫓はおもしろい。
撮影日時2022.08.23 05:02AM
早朝、東の空を見て念ずる。
今日も何かいいことがありますように・・・。
撮影日時2022.08.21 夕方6時頃
いつもリビングの窓から見る東の空。一昨日(21日)の夕方、虹が出ていた。
「橋姫 宇治に暮らす八の宮と二人の姉妹」
■ 全五十四帖から成る源氏物語。最後の「宇治十帖」を読み始めた。
**その頃、世間から忘れられている古い親王(みこ)がいた。**(77頁)と始まる「橋姫」。この帖には新たに八の宮が登場する。この宮は光君の異母弟。紫式部はこの長大な小説をこれからどう展開させ、どう終わらせるか熟考して、その構想、そしてプロットをはっきりさせることができたのだと思う。で、とっくに登場していてもおかしくない、光君の弟(異母弟)をここで登場させる。この帖の最後で紫式部は薫の出生の秘密を明かす。
八の宮は北の方(妻)と仲睦まじく暮らしていた。北の方は二人目の娘を出産した後、亡くなってしまう。周囲の人は再婚を勧めるけれど、宮は聞き入れない。二人の娘は成長して、**大君は聡明で思慮深く、重々しく見える。中の君はおっとりと可憐で、はにかんでいる様子がじつにかわいらしく、それぞれにすばらしい。**(80頁)姉妹はこのように評されている。
不幸にも住んでいた邸が火事に遭い、八の宮は娘二人とともに、宇治の山荘に移り住む。
**見し人も宿も煙(けぶり)になりにしをなにとて我が身消え残りけむ**(83頁) 愛する妻を亡くし、生きている甲斐もないと嘆き悲しんでいる。
八の宮は**さみしい日々を暮らしながら尊い修行を積み、経典を勉強しているので**(83頁)、宇治山に住む阿闍梨(あじゃり 高僧)が敬意をもって邸に足を運び、仏道の深い意味を説いて聞かせている。この阿闍梨は冷泉院にも深く仕えていて、ある時、八の宮のことを話した。
ここで復習。冷泉院は故桐壺帝の十番目の皇子で光君の弟だが、実は光君の息子。源氏物語は登場人物がそれぞれ血縁関係にあるなど、深く関係していることが多いので、時々人物系図で関係を確認しながら読み進む。登場人物の関係が頭に入らない・・・、「源氏物語」はもっと若い時に読んでおくべきだった。
薫は冷泉陰の近くに控えていて、この話(って、阿闍梨の話)を耳にして、**身は俗にいながら心は聖の境地になるとはどんな心構えなのだろう**(84頁)と八の宮に関心を持ち、宇治に通い始める。この先の展開はある程度予測がつく。薫が宇治の姉妹と出会い、匂宮もまた、二人と出会って・・・。
本文を読んでいて気がついたが、この帖(この後の帖もそうかもしれない)は登場人物の振る舞いや心の動きが詳細に綴られている。物語のラストに向けて、紫式部は再び気力を充実させたのだろう。凄い人だと改めて思った。
薫は八の宮から仏道に関する講話を聴くが、その本質を説く宮を尊敬する。晩秋。薫が宇治に出かけた時、八の宮は阿闍梨の住む山寺に籠っていて不在だった。娘たちが琵琶と琴を奏でていた。二人を垣間見た薫は恋心を抱く。
薫は御簾の奥にいる大君に向かい長々と話をする。だが、ストレートに口説こうなどとはしない。ここで大君は答えに窮し、老女房に対応をまかせてしまう。この女房こそ、薫の出生の真相を知る人だった・・・。二人のやり取りの最中に次の描写が入る。**宮のこもっている山寺の鐘の音がかすかに聞こえ、霧がじつに深く一面に立ちこめている。**(96頁) この風情! この何気ない描写、実に好い。
薫は**あさぼらけ家路も見えず尋ね来し槇の尾山は霧こめてけり(ほんのりと夜が明けていきますが、帰るべき家路も見えないくらい、はるばるやってきた槇の尾山は霧が立ちこめています)**(96頁)と、大君に詠む。大君は**雲のゐる峰のかけ路を秋霧のいとど隔つるころにもあるかな(雲のかかっている峰の険しい路を、さらにまた秋霧までが、父君とのあいだをいっそう隔てているこの頃です)**(97頁)と詠む。
更に**橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる**と書く。この歌を読んだ大君は**さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖を朽(くた)し果つらむ(棹をさしかえては行き来する宇治の渡し守は、朝夕の棹の雫が袖を朽ちさせてしまうでしょう ― 私の袖も涙に朽ち果てることでしょう**と返す。この歌を詠んだ時、ふたりはまだ二十歳を過ぎたばかり。「単語ツイート」の現代と、この文化の違いは一体何だろう・・・。
薫は匂宮に宇治の八の宮と姉妹のことを話す。で、匂宮は薫が深く心惹かれている様子に、ちょっとやそっとの方々ではないのだろうと、二人に会ってみたくなる・・・。思った通りの展開。
その後、再び山荘を訪れた薫は老いた女房、弁から、自分が柏木の子であることを知らされる。弁はずっと保管していた手紙を薫に渡す。それは顔も知らない父親が母・女三の宮へ宛てた恋文だった・・・。
1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋
■ 映画「男はつらいよ」シリーズ全50作品で特に印象に残っているのは次の5作品。
第10作「寅次郎夢枕」八千草薫
第28作「寅次郎紙風船」音無美紀子
第29作「寅次郎あじさいの恋」いしだあゆみ
第32作「口笛を吹く寅次郎」竹下景子
第45作「寅次郎の青春」風吹ジュン
これらの作品はマドンナが寅さんに好意を抱いているということが上手く表現されていると思う。
19日に第10作「 寅次郎夢枕」をDVDで、20日に第45作「寅次郎の青春」BSテレ東で観た。どちらも上掲リストにある作品だ。
「寅次郎夢枕」では、寅さんがマドンナのお千代(八千草薫)さんと亀戸天神でデートして、プロポーズ。で、お千代さんがOKする。こんな設定は、他にはない。
この作品は寅さんと舎弟の登が木造の橋を渡っていくところで「終」となる。このシーンは山梨県の北杜市須玉町を流れる塩川に架かる橋で撮影されたことがネット情報で分かっている。映画を観ていても櫓センサーはONになっていて(*1)、橋の向こうの木々の間に火の見櫓が立っていることに気が付いていた。グーグルマップとストリートビューでこの火の見櫓を確認できたので近々出かけたいと思っている。
*****
「寅次郎の青春」のマドンナは宮崎の港町・油津で理容店を営む蝶子(風吹ジュン)さん。寅さんは蝶子さんと理容店の近くの喫茶店で偶然出会うが、お千代さんとはとらやで何十年ぶりかで再会する。マドンナとの出会いは旅先の方が好い。
この「寅次郎の青春」では、寅さんと蝶子さんが港で一緒に歌うシーンが秀逸だ。
♪あなたと二人で来た丘は と蝶子さんが歌い出すと、寅さんも ♪港が見える丘 と重ねて歌う。♪色あせた桜一つ 淋しく咲いていた
二人は顔を見合わせてニッコリ。寅さんとマドンナのツーショットではこのシーンが私のベスト1。
*1 テレビで今流行りの旅番組などを見ている時もセンサーはONになっている。
■ 「新型コロナ感染者全数把握見直し」 昨日(20日)、各紙このことを報じていた。上掲したのは信濃毎日新聞20日付朝刊2面の見出し。全数把握の目的は何か、その目的は全数把握しないと達成できないのか、という疑問が私には前からあった。
昨日の朝日新聞の記事は全数把握には2つの機能があるとして、**感染状況の全体像や地域差を明らかにして対策につなげる**ことと、患者の入院の必要性や隔離方法を判断する**ことを挙げていた。他紙も同じ内容で、読売新聞も感染状況の把握と重症化リスクの高い患者の健康管理、必要な医療提供と書いていた。
統計学に関する知識は全くないが、感染状況の全体像を把握するのに全数把握は必要なく、実施が検討されている定点把握でできるはずだ。国政選挙でも開票が終了する前に、即ち全数把握する前に、出口調査など一定数を適当にサンプリングして得られた結果により(基本的に定点把握と同じことだと思う)、速報しているのだから。
患者の重症化を防ぐという目的が感染者を全数把握していないと達成できないのかどうかは、私にははっきり分からない。だが、全数把握から定点把握に変えて、医師が感染確認者の諸情報を保健所に報告するという事務的業務の負担を軽減し、その分患者の治療や病状の経過把握に割いてもらった方が、重症化を防ぐことになるのでは、と思う。
素人が生意気にも新聞記事を読んでの感想を書いてしまった。
信濃毎日新聞は同じ2面に「3回接種で発症リスク半減」という見出しの記事も掲載していた。
ワクチン接種後に生じる体調不良(倦怠感、頭痛、胸痛など)は接種回収が増えるとより重くなるというようなことも聞くことがある。このようなワクチン後遺症のことなどについても、報じて欲しいものだ。
まあ、いろんな情報を得て、それらを総合的に検討・判断することが大事。分かってはいるけれど、それは難しい・・・。
「竹河 女房の漏らす、玉鬘の苦難」
■ 鬚黒一族のその後。鬚黒と玉鬘の間には三人の男子(左近中将、右中弁、藤侍従)と二人の女子(大君、中の君)がいる。「竹河」は鬚黒亡き後、玉鬘が二人の娘の結婚問題に苦慮する話。
ここで復習。玉鬘って? 玉鬘は光君が愛した夕顔(光君と密会中に六条御息所の怨霊に取りつかれて亡くなった)の娘で、父親は光君の義兄(正妻・葵の上の兄)であり、いとこでもある頭中将。光君と頭中将は竹馬の友であり、恋のライバルでもあった。玉鬘の両親は共に光君と密接な関係にあった。
この帖のストーリーは追わない。印象的なのは玉鬘(尚侍(かん)の君)が**「(前略)この侍従の君は不思議なほど亡き大納言(柏木)のご様子によく似ていらして、琴の音などは、あの方が弾いているとしか思えません」**(44頁)と語るところ。侍従とは薫のこと。薫は光君と女三の宮との間に生まれたことになっているけれど、実の父親は柏木。柏木は玉鬘の兄。だから薫は玉鬘の甥っ子ということになる。玉鬘は薫の出生の秘密に気が付いていたのではないか、と思わせる。
*****
「匂宮」と「紅梅」、それからこの「竹河」の三帖は紫式部ではなく、別の人が書いたのではないかとも言われているそうだ。この三帖別人作者説の根拠のひとつとして、あまり出来栄えが良くないことが挙げられることもあるようだ。
紫式部は何年も光君を主人公に、物語を書き続けてきた。その光君の最期を書くに忍びなく、「雲隠」という帖名(巻名)だけ挙げて、本文を書かないという実に巧妙な方法を採った(他説もあるが、私はこのように感じている)。
夫を亡くした紫式部にとってこの長大な物語を書くことは心の支え、生きることそのものだったと思う。その物語の主役である光君を亡くしてしまったことによる喪失感があったと思うし、マラソンに喩えれば「雲隠」でゴールしたという気持ちもあったのではないかとも思う。
更にこの物語を書き進めるのに、気力が相当必要だったと思うし、どのように展開させていこうか、迷ったのではないかとも思う。「竹河」では、冒頭これは源氏一族とは異なる鬚黒一族に仕えていた女房たちが語る物語だと断って、書き始めている。この三帖では物語が前に進んでいかない。紫式部も人の子、迷うこともあっただろう・・・。
1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋
1377 岡谷市加茂町 小井川区民会館のすぐ近く 4柱44型 観察日2022.08.18
■ しばらく前に長野県内の火の見櫓を地域ごとにタイプ分けしてみたが、かなり偏在していることが分かった。南信地域では7割近くが4柱44型だ。この火の見櫓も同タイプ。なお、今まで4脚44型としていたが、脚の有無をタイプ分けの観点とはしないこととし、4柱44型に改めた。火の見柱は1柱型、火の見梯子は2柱型というように、柱の本数によってすっきりタイプ分けできる。
かなり背の高い火の見櫓で踊り場が2か所ある。梯子桟の数と桟のピッチ(間隔)の寸法により、見張り台の高さはおよそ18mだと分かった。総高は20mを超える。上の踊り場から上方に櫓が開いている(逓増している)ように見えるのは錯覚だろうか。踊り場より見張り台の方が大きく、さらに屋根の方が大きいこともそのように見える理由なのかもしれない。
なだらかな勾配の方形(ほうぎょう、平面は4角形)の屋根には蕨手も避雷針の飾りもついていない。スピーカーに隠されてはっきり見えないが半鐘を吊り下げてある。見張り台は隅切りをした4角形(これを幾何学的に8角形と捉える人もいる)で、櫓部分と同様に手すり子の間にリング付きの交叉丸鋼を入れている。見張り台は櫓からそれ程はね出してはいないが、方杖を設置している。見張り台直下の垂直構面は山形鋼を交叉させて設置し、がっちり固めている。赤色回転灯は火災発生時に作動させるのだろうか。
この写真でも見張り台から上で柱が開いているように見える。錯覚ではなく、実際に開いているのかもしれない。
下の踊り場の様子。手すりのデザインは上の踊り場、見張り台と同じ。
踊り場床面の先を支える方杖 半鐘が櫓の外側ではなく、内側に設置されているのは珍しいかもしれない。半鐘の後ろに梯子が写っている。桟は丸鋼2本、支柱の平鋼に穴をあけて留めるという丁寧な仕事がしてある。
理想的なトラス脚。脚間寸法はおよそ4m、脚の主材・等辺山形鋼の寸法は9(10?)×100×100。
岡谷はなぜか車で走りにくい。未見のエリアにはまだ火の見櫓がありそうだ。
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■ 『視覚化する味覚』久野 愛(岩波新書2021年)。書店でこの本のタイトルを見て、「味覚と視覚は五感。その味覚が視覚化するって、どういうこと?」と思った。
**食べ物の色がどのように作り出されてきたのかを探るにあたって、本書では色を二つの側面から考える。一つは着色料や農産物の生産過程の調整など、実際の食べ物の色を作り出す技術や方法といった物理的な側面。もう一つは、人がある食べ物の色をどのようにして「当たり前」だと思うようになったのかという、認識的側面である。**(まえがきⅴ)という、著者が本書で論ずるテーマを読んで、なるほどこのようなことなのかと思った。内容からしてタイトルの「味覚」が相応しいのかどうか・・・、インパクトのあるタイトルとして考えられたのかもしれない。
食品の色ということで「果物の発色」のことが浮かんだ。果実の中でも特にリンゴは味だけでなく見た目、特に色が重視される。色付きが良くないと味は良くても商品価値は下がり、出荷できないこともある。料理の盛り付けでも見た目、色どりが大事だ(味が大事なことはもちろんだが)。
わたしには食べ物の色が作り出されたものだという認識がほとんどなかったから、カバー折り返しの本書紹介文に書かれた**色の多くは経済・政治・社会の複雑な絡み合いの中で歴史的に構築されたものである。**という件(くだり)に、「え、そうなのか、知らなかった」と本書に興味を覚えた。
本書で著者は食品の色について、かなり広範な領域にまで対象を広げて論じている。食品の色を論ずる前提として、色の客観的な捉え方など、色そのものついても解説している。
バナナやオレンジがより「おいしそうな色」に、より「自然な色」に見えるように生産者によって作り出され、消費者には「正しい色」として受け入れられるようになった経緯。バターの代替品として、フェイクバターとして作り出されたマーガリン。バターとマーガリンとで、どっちが本物のバターの色なのかというような食品の色をめぐる認識論。これらはなかなか興味深い。
着色料を巡る産業界の諸相についても第3章「産業と政府が作り出す色 ― 食品着色ビジネスの誕生」で紹介している。
第8章「大衆消費社会と揺らぐ自然観」で著者は食品の自然な色に対する考え方の変化についても論じている。真っ赤なリンゴは自然な色なのか、精製した小麦でつくる真っ白いパンが健康的なのか、茶色いパンの方が自然で本物ではないのか・・・。
最終第9章「ヴァーチャルな視覚」では、前章で論じた食品の見た目に対する考え方の変化を受けて、でも依然としてネットスーパーなどでは黄色いバナナ、赤いトマト、オレンジ色のオレンジの写真が並んでいると指摘し、その理由については**食べ物の「あるべき」色・「自然な」色は、長い歴史の中で作り出されてきた。そうした色を人々が内面化し、ある程度共通認識を持っているからこそ、ネットスーパーの写真は成り立つのだ。(後略)**(186頁)としている。
本書を読んで、食品の色に限らず、様々なものについて自分の認識(常識)が他人の認識と同じなのか確認することも必要なのかもしれないと思った。自分の常識が他人の非常識ということが結構あるように思うので。
本書の目次は次の通り
まえがき
第一部 近代視覚文化の誕生
第一章 感覚の帝国
第二章 色と科学とモダニティ
第三章 産業と政府が作り出す色――食品着色ビジネスの誕生
第二部 食品の色が作られる「場」
第四章 農場の工場化
第五章 フェイク・フード
第六章 近代消費主義が彩る食卓
第七章 視覚装置としてのスーパーマーケット
第三部 視覚優位の崩壊?
第八章 大量消費社会と揺らぐ自然観
第九章 ヴァーチャルな視覚
あとがき――感覚論的転回
注
信濃毎日新聞8月17日付朝刊21面より
■ 新聞に毎日一覧表で都道府県の新型コロナウイルス感染確認者数が示される。上掲したのは信濃毎日新聞の表だが他紙も同様だと思う。表のタイトルが「国内の新型コロナウイルス感染者」となっているが、数字は感染者数ではなく、感染確認者数。この表で太文字で示されている数字(長野県は136558となっている)は累計数でカッコ内の数字が新規感染確認者数。むしろこちらの数字を太字で示して欲しい。累計数という大きい数字を示したいのだろう。そこに事態の深刻さを示す、必要以上に不安を感じさせるなどという意図があるのかどうか、分からないが・・・。
極端な例で考えれば分かりやすいが、実際に新たに感染した人が5,000人だとしても、検査によって(最近みなし陽性者も含めるようになったと思うが)感染が確認された人数が2,000人だとすると、この表には2,000という数字が記載される。だから、この表の細かな数字にそれ程意味はないと僕は前々から思っている。感染確認者が増加傾向にあるのか、あるいは既にピークを過ぎて減少傾向にあるのかが分かればそれでよいのではないか。
示して欲しいのは感染確認者のワクチン接種率。感染が確認された人のうち、どのくらいの人がワクチンを接種していたのかという値。ワクチンを接種していたのに感染した人が多いとなれば、それは不都合な数字かもしれないが、事実としてきちんと伝えて欲しい。ワクチン接種によって重症化を防げるというのであれば、それを示す値。感染確認者数を連日報じる必要があるのかどうか、むしろ知りたいのはこのような数字だ。コロナを正しく恐れるために有益な情報を伝えて欲しい。
メディアが毎日報じているのは、情報としては最も低次の感染確認者数だけで、感染者の状況を分析することで得られる(分析して得られるというほど、高次の情報でもないと思うが)前述のような数字が示されることはほとんどない。
既にワクチン接種を4回している身として気になり、知りたのはこのようなことなのだが・・・。
「紅梅 真木柱の女君のその後」
■ 柏木(衛門督)の弟・按察大納言(あぜちのだいなごん、紅梅大納言)は妻を亡くして鬚黒の娘・真木柱と再婚している。大納言には先妻との間に二人の娘(大君と中の君)がいる。真木柱も再婚で、亡き蛍兵部卿宮との間に生まれた娘・宮の御方がいる。そう、二人とも子連れ再婚。三人の娘たちは年も近く、大の仲良し。
大納言と真木柱の間にも息子・大夫の君(若宮)が生まれている。登場人物は皆血縁関係がある。帖のはじめに載っている登場人物系図で関係を確認しながら読んだ(*1)。
大納言は大君を東宮に入内させる。そして大君の妹・中の君を匂兵部卿宮(匂宮)と縁づかせたいと思っている。で、大納言はみごとに色づいた梅の花を息子の若宮に持たせて匂宮のところに向かわせたりもする。だが、匂宮にはその気がない。真木柱の連れ子の宮の御方(東の君)に心惹かれているので。
この辺りの事情は次の様に書かれている。**大納言の意向は、宮の御方ではなく、実の娘である中の君を自分に、と思っているようだが・・・、と宮は考え合わせてみるが、自分の心は異なる人 ― 宮の御方に傾いているので、大納言からの手紙にはっきりした返事もしかねている。**(29頁)一方、宮の御方は匂宮の意向を受け入れる気にはなれない。将来は出家しようと固く決めているので。
匂宮が恋多き人であるということを知るに至り、中の宮の母親(北の方)は娘と匂宮の結婚をあきらめ、大納言もあきらめる。
すれ違いの恋は今も大昔も変わらずか。これで終わりではなく、政治的な思惑も読み解かないと・・・。
*1 柏木と按察大納言、この兄弟の母親はあの朧月夜の姉。
1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋
撮影日時2022.08.15 05:02AM
「男はつらいよ 寅次郎物語」。 満男君が寅さんを柴又駅まで送っていく。駅前で、満男君が寅さんに問う。「人間は何のために生きてんのかな?」
寅さん、「何だお前、難しいこと聞くなあ、ええ?」と、しばらく考える。で、「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか」と答える。
昭和20年8月15日、敗戦の日。人は満男君と同じように「何のために生きるのか・・・」と自問しただろう。それぞれ違う答え。でもそこに生きる意義を見出し、生き抜いて来たに違いない。