史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

笠間 Ⅴ

2014年11月08日 | 茨城県
(真浄寺)


真浄寺


藤江家之墓 (藤江右膳の墓)

 藤江右膳は、笠間藩士。目付・軍監。慶応四年(1868)四月十六日、下野小山で戦死。四十三歳。傍らの墓誌によれば、藤江家の遠祖は享保十六年(1731)に日向延岡で自刃したという。
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水戸 元吉田 Ⅱ

2014年11月08日 | 茨城県
(車塚)


車丹波守憤恨の地碑

 水戸市元吉田の住宅街の中に、ぽっかりと細長い空間があって、その入り口に「車丹波守憤恨の地」と記された石碑が建てられている。奥に車丹波の墓がある(元吉田2416)。
 ここを訪ねるまで、「遺恨の地」だと思っていたのだが、正確には「憤恨の地」である。車丹波斯忠は、戦国時代佐竹氏の家臣である。関ヶ原の戦後処分で佐竹氏が水戸五十四万石から秋田十八万石に転封されることに反発し、徹底抗戦を主張して水戸城奪還を企てたため、捕えられ磔刑に処された。


吉田松陰來拝之地

 水戸を訪れた吉田松陰は、車丹波の話を聞いて深く感動し、車塚に参拝している。
 車塚は雑草がぼうぼうと伸びて手入れされた様子がない。「吉田松陰來拝の地」と書かれた木製の立札も、根元が折れて壁に立てかけられている有様である。


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水戸 酒門共有墓地 Ⅳ

2014年11月08日 | 茨城県
(酒門共有墓地 つづき)
 酒門共同墓地を歩くのは、三~四回目になる。今回は、これまで見つけられなかった野村達次郎や蔭山五郎兵衛、横山信好らの墓を訪ねるため、墓地を隅からすみまで歩いてみることにした。結果的に概ね目当てにしていた墓に出会うことはできたが、梅村速水(初代高山県知事。梅村騒動と呼ばれる騒乱を引き起こした)の墓だけはどうしても見出すことはできなかった。


野邨先生墓標(野村辰次郎墓)

 門人によって建てられた野村辰次郎の墓標である。題字は東久世通禧。諱名は廣と称し、辰次郎は幼名。戊辰戦争では市川三左衛門討伐に参加し、箱館まで転戦した。明治二十二年(1889)没。享年四十六。


蔭山五郎兵衛墓

 蔭山五郎兵衛広顕は、江戸で国事に奔走。投獄されて、明治四年(1871)釈放された。


横山信好君之墓

 横山家の墓地に、一族の墓が並べられている。その中に横山信好(遊撃隊士)の墓がある。

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