史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

桜川

2014年11月15日 | 茨城県
(真壁伝承館)


真壁伝承館

 桜川市の真壁地区は伝統的建造物がよく保存された街並みが見どころとなっている。古い建物を生かした町作りは日本中のあちこちで見られるが、これほど江戸末期から昭和初期に至る様々な建造物が残る町は、私の知る限り真壁が唯一ではないだろうか。
 真壁の中心にあって、観光の拠点となるのが真壁伝承館である。まずここに立ち寄って情報を仕入れることをお勧めしたい。かつて、この場所には真壁陣屋が置かれていた(桜川市真壁町真壁1)。

(伝統的建造物群保存地区)


猪瀬家薬医門

 伝承館で仕入れたパンフレットによれば、現在真壁には四十七の伝統的建造物が保存されているらしい。
 猪瀬家は、堂々たる薬医門(江戸末期から明治初期建造)を備えた住宅である。猪瀬家は、真壁氏と同盟関係のあった佐竹源氏の家臣で、明治期から昭和初期にかけて二代にわたって戸長や町長・県議などを務めた家柄である。


関根家

 関根家は明野地区(現・筑西市)出身で、この地に移り住んだ。店舗を兼ねた住居で下駄屋を営んでいた。一時期煙草も販売していたという。

(常永寺)


常永寺


勤王志士 贈従四位 櫻任蔵之墓


贈従四位 清浄院勇譽真金居士(櫻任蔵の墓)

 常永寺に、真壁出身の草莽の志士、櫻任蔵の墓がある(桜川市真壁町古城47)。
 櫻任蔵は、文化九年(1812)の生まれ。父は小松崎玄達という医者であった。早くから水戸に出て藤田東湖の門に入り、のちに宮本茶村について学んだ。藩主斉昭の雪冤運動に奔走され、処罰された。のち斉昭より禄を受けることになり、以来諸藩の有志と交わるようになった。特に薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の吉田松陰らと往来し、安政五年には鳥取に潜行して、挙兵を勧説した。その後、大阪に潜伏して時機を待ったが、安政六年(1859)病没。四十八。墓は小松崎家墓域にあり、左側面に櫻任蔵の戒名、背面には櫻任蔵の名前を見ることができる。

コメント
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