(面野井)
高谷篤三郎碑
面野井に水戸天狗党の高谷篤三郎の墓がある。目印は、日本一と賞されるしだれ桜である。付近を歩いてみたが、なかなか見つからない。この時発見したのだが、この近所の住人の九割は高谷姓であった。
畑仕事をしていた老人に道を聞いてようやくこの場所が分かった。しだれ桜のふもとには、高谷家の墓所がある(つくば市面野井125向い)。
高谷篤三郎は、農民源右衛門の五男。天狗党挙兵に参加し、終始藤田小四郎らと行を共にした。慶応元年(1865)二月十五日、敦賀で斬。二十五歳(二十一歳とも)。高谷家祖先を合葬する墓の傍らにある墓標には、何故だか慶応三年(1866)三月十六日没となっている。法名は「思道院忠阿篤信居士」。
高谷氏祖先瑩

高谷篤三郎碑
面野井に水戸天狗党の高谷篤三郎の墓がある。目印は、日本一と賞されるしだれ桜である。付近を歩いてみたが、なかなか見つからない。この時発見したのだが、この近所の住人の九割は高谷姓であった。
畑仕事をしていた老人に道を聞いてようやくこの場所が分かった。しだれ桜のふもとには、高谷家の墓所がある(つくば市面野井125向い)。
高谷篤三郎は、農民源右衛門の五男。天狗党挙兵に参加し、終始藤田小四郎らと行を共にした。慶応元年(1865)二月十五日、敦賀で斬。二十五歳(二十一歳とも)。高谷家祖先を合葬する墓の傍らにある墓標には、何故だか慶応三年(1866)三月十六日没となっている。法名は「思道院忠阿篤信居士」。

高谷氏祖先瑩