(嬉野温泉)
シーボルトの湯
シーボルトはオランダ商館長の江戸参府に随行した際、嬉野温泉で、通常藩主のみが使用する温泉場(現・古湯温泉)で寛いだ。シーボルトが訪れた頃、古湯温泉は鍋島藩の温泉場であり、隣接する東屋は鍋島藩の「湯の番所」であった。シーボルトはここで温泉玉子を食したと記録が残る。また、現在この地域の特産品である嬉野茶も、シーボルトが当地に伝えたといわれる。
(俵坂)
俵坂
俵坂まで来れば、長崎県まであと少しである。江戸時代、ここは佐賀藩と大村藩の藩境であった。この地に番所が置かれ、平時は侍一人、足軽九人が常駐していたという。現在、関所跡に建つ石碑は、当時の門柱の石材を使用している。
この関所のことを吉田松陰も日記に記しているし、坂本龍馬もこの道を往復したことであろう。ここから見る風景は、江戸時代とさほど変わっていないのではないか。
俵坂関所遺跡
俵坂をあとにして大村空港を目指す。今回の長崎・佐賀の旅(五泊六日)は以上で終了である。寝坊した一日を除いて、連日日之出前に起きて、日没まで走り回った。この間、ほとんどまともな食事も取らず、ひたすら史跡を追った。無精髭を伸ばして、朝から汗だくになって撮影した画像は約千三百枚に及んだ。嫁さんからは連休中ずっと家を空けていたことに呆れられ大いに顰蹙を買ったが、個人的には夢のような時間であった。これで長崎・佐賀の史跡を全て回れたというわけではない。また機会を作って、両県の史跡を歩いてみたい。
シーボルトの湯
シーボルトはオランダ商館長の江戸参府に随行した際、嬉野温泉で、通常藩主のみが使用する温泉場(現・古湯温泉)で寛いだ。シーボルトが訪れた頃、古湯温泉は鍋島藩の温泉場であり、隣接する東屋は鍋島藩の「湯の番所」であった。シーボルトはここで温泉玉子を食したと記録が残る。また、現在この地域の特産品である嬉野茶も、シーボルトが当地に伝えたといわれる。
(俵坂)
俵坂
俵坂まで来れば、長崎県まであと少しである。江戸時代、ここは佐賀藩と大村藩の藩境であった。この地に番所が置かれ、平時は侍一人、足軽九人が常駐していたという。現在、関所跡に建つ石碑は、当時の門柱の石材を使用している。
この関所のことを吉田松陰も日記に記しているし、坂本龍馬もこの道を往復したことであろう。ここから見る風景は、江戸時代とさほど変わっていないのではないか。
俵坂関所遺跡
俵坂をあとにして大村空港を目指す。今回の長崎・佐賀の旅(五泊六日)は以上で終了である。寝坊した一日を除いて、連日日之出前に起きて、日没まで走り回った。この間、ほとんどまともな食事も取らず、ひたすら史跡を追った。無精髭を伸ばして、朝から汗だくになって撮影した画像は約千三百枚に及んだ。嫁さんからは連休中ずっと家を空けていたことに呆れられ大いに顰蹙を買ったが、個人的には夢のような時間であった。これで長崎・佐賀の史跡を全て回れたというわけではない。また機会を作って、両県の史跡を歩いてみたい。
コメント有り難うございます。
九州は、やはり距離がありますので、なかなか簡単に行けるところではありません。佐賀については、まだ行きたい史跡がありますが、しばらく行けそうもありません。次は福岡が目標です。ああ、時間が欲しい…
佐賀、長崎の史跡巡り大変お疲れ様でした。
私も九州は長崎、熊本、鹿児島(資料有難うございました)は
史跡巡りをしましたが薩長土肥というだけあって
佐賀は優先度が下がり、未だ訪れた事がありません。
最近は江藤新平に興味があり、訪れたいと思っております。
それにしても、訪れる場所が非常にマニアックで勉強になります。
今後もご自愛ください。
ブログ楽しみにしております。