(五城目神明社)
五城目神明社は、元徳年間(1330頃)、修験日桂山泉蔵院の創始と伝えられるが、確かなところは不明である。文化六年(1809)の棟札が残っているという本殿は、多くの彫刻が施されていて、一見の価値がある。
五城目神明社
贈正五位白土右門之碑
神明社の社務所側に白土右門の顕彰碑がある。
白土右門は、文化十二年(1815)の生まれ。諱は清直。雅号は恵堂。右門は通称である。藩校明徳館の助教、教授を歴任し、のち郡奉行、勘定奉行、評定奉行等の要職に就いた。慶應四年(1868)四月十四日、庄内征討を議した藩重臣会議の折、勤王を説いて、以来一貫して勤王の立場にたった。四月十七日、評定奉行当時、勘定奉行志賀為吉とともに、奥羽鎮撫副総督澤為量に藩議の錦旗受領と庄内問罪までの進行猶予願の両面作戦の使者として派遣され、天童で謁し秋田藩の立場を説明した。維新後は、秋田藩権大参事に任じられたが、廃藩により辞任した。
(常演寺)
常演寺に白土右門の墓がある。白土右門は、明治十四年(1881)、五月、年六十七で没した。
常演寺
贈正五位
故秋田藩権大参事白土清直君之墓
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