史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

新庄 Ⅱ

2012年07月01日 | 山形県
(観音寺)


観音寺

 観音寺は、慶應四年(1868)七月、庄内藩が新庄藩を攻撃したときに宿陣した寺の一つである。

(善龍寺)


善龍寺

 善龍寺には、五名の官軍戦死者の墓がある。うち四名が長州藩、一名は佐賀藩出身者である。いずれも清川村や長者ヶ原、金山での戦闘で戦死。


官軍五名の墓

(桂嶽寺)


桂嶽寺

 桂嶽寺は、慶應四年(1868)七月、庄内藩が新庄藩を攻撃したときに宿陣した寺の一つ。

(瑞雲院)


瑞雲院


御霊屋

 瑞雲院には、旧藩主戸沢家の菩提寺で、歴代藩主の墓所がある。六棟の霊廟は、御霊屋とよばれ、いずれも総欅造りで、土台石の上に柱を建てて、柱間に厚い板をはめ込んで壁状にし、床は石畳、屋根は茅葺となっている。(1798)に建てられた六棟目には、八代政親、九代正胤、十代正実ほか三基が収められている、なお、ニ代正誠のみは、桂嶽寺に葬られている。


正龍院殿實翁禅相大居士塔(戸沢正実墓)

 新庄藩最後の藩主、十一代戸沢正実の墓である。戸沢正実は、天保三年(1832)に前藩主戸沢正令の長男に生まれ、天保十四(1843)、新庄藩主となった。戊辰戦争では慶應四年(1868)、七月に奥羽越列藩同盟を脱退し、戦局を新政府軍有利に導いた。その功で戦後一万五千石の加増を受け、新庄藩知事に任じられた。明治十七年(1884)子爵。明治二十九年(1896)、年六十五で没した。

(英照寺)


英照寺


官修墓地

 英照寺には、官修墓地があり、遅澤嘉七と佐々木力平の二人が葬られている。

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