(及位)
戊辰古戦場跡碑
真室川町の及位地区でも、激戦が交わされた。及位地区の道路脇には、「戊辰の古戦場跡」というやや傾いた標柱が建てられている。
慶應四年(1868)七月十一日、新政府軍は秋田藩領から三方(院内・雄勝峠・有屋峠)に分かれて攻め込んできた。当時はトンネルなどなく、雄勝峠ルートを採用した新政府軍本隊は攻めあぐんだが、新庄藩の離反もあり仙台藩軍は潰滅することになった。
戊辰古戦場跡碑
真室川町の及位地区でも、激戦が交わされた。及位地区の道路脇には、「戊辰の古戦場跡」というやや傾いた標柱が建てられている。
慶應四年(1868)七月十一日、新政府軍は秋田藩領から三方(院内・雄勝峠・有屋峠)に分かれて攻め込んできた。当時はトンネルなどなく、雄勝峠ルートを採用した新政府軍本隊は攻めあぐんだが、新庄藩の離反もあり仙台藩軍は潰滅することになった。
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