野原一夫著「編集者三十年」(サンケイ出版・昭和58年)が古本200円。
はい。買ってパラパラめくると柳田国男氏が登場する場面がありました。
場面は、終戦の年、雑誌『展望』を創刊するところでした。
「臼井(吉見)が唐木順三といっしょに柳田国男を訪ねたのは
10月12日である。・・・・
柳田国男は、これからさき、自分が世の中の
お役に立ちそうな仕事は三つほどあると言った。
一つは国民固有の信仰。
これが、どんなふうに歪められているか、
それを証拠をあげて明らかにしたい。
もう一つは、人の心を和らげる文学。
それについても考えてみたい。
第三には、国語の普通教育。国語を、今後の
青少年にどう教えるのがいいかということだ。
よく口のきける少しの人と、
うまく物が言えない多くの人が、
いりまじるようなことになれば、どうなるか。
みんなが黙りこくっていた時代よりも、
不公平がひどくなるかもわからない。
自由には均等が伴わなくてはならない。
あの戦時下の挙国一致をもって、ことごとく
言論抑圧の結果と考えるのは事実に反している。
利害に動かされやすい社会人だけでなく、
純情で死をも辞さなかった若者たちまで、
口をそろえて一種の言葉だけをとなえつづけていたのは、
強いられたのでも、欺かれたのでもない。これ以外の
考え方、言い方を修練する機会を与えれなかったからだ。
こういう状態が、これからも続くならば、
どんな不幸な挙国一致が、
これからも現れてこないものでもない。
その柳田国男の言葉は臼井に深い感銘を与えた。
まさにこれは重大事で・・・・
現に新聞やラジオでとりかわされている言葉には、
『よく口のきける少しの人』の、ハンコで押したような
一種の、これまでのそれの裏返しみたいな、
どぎつくわかりいい考え方、言い方が出て来て、
あちこちで、その口真似がはじまっていた。
その国語教育の問題を、随想のかたちで我々の雑誌に
連載していただきたいと臼井はたのんだ。
柳田国男は快諾した。」(p86~87)
柳田国男をいつか読もうと思ったのは、あれは、
いつだったのか。それがいまだに読まないまま。
こうなりゃ、読まなくてもいいパラパラめくる。
題名だけでも、目次だけでも、めくりましょう。
はい。そうしましょう。