和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いまもかぎりなく尾をひいて。

2016-11-27 | 本棚並べ
本棚から須賀敦子著「遠い朝の本たち」(筑摩書房)を
とりだしてくる。
まぶしい感じがして、
こりゃ汚せないぞと、丁寧に読んだ記憶があるけれど、
しっかり、カバーが手垢で汚れてる(笑)。

さてっと、この本に
「ひらひらと七月の蝶」と題した文があり読み直す。
はじまりは

「高台の家の窓からは、冬の夕方、
赤やうすむらさきに染まった空のむこうに、
逆光のなかの富士山が小さくみえる日があった。
家に近い、もう暮れかけた光林寺の境内には、
ささらを逆さにしたような欅のこずえがしらじらと光っている。
もうすこし顔をうつむけると、ほとんど真下に、
勾配を上手に使った隣家の庭があって、
着物姿の小柄な老人が、
手を腰にあてたかっこうで空を見上げている。」

こうして、1938年に父の転勤で
麻布本村町に住んだ時の様子が語られて
隣家の「気むずかしそうな」老人を
語った小文なのでした。

その老人が原石鼎(はらせきてい)という
俳人であるのを知るのでした。
正確には、知らずに過ごしていたのでした。

こうあります。

「もし、俳人あるいは歌人を、
詩人という言葉から隔離する習慣が日本になくて、
この詩形ないし作品をより普遍的、本質的な
批評言語の対象とする習慣がもっとはやく
この国に確立されていたら、
石鼎の名は、ずっと早く、
私の視界にはいっていたはずだと思う。
発句を連詩の手法から切り離してしまった
子規や彼の弟子たちは、
孤児化したこの詩形が、
やがて『職業』詩人たちの手に落ち、
子規自身が見下した江戸末期の俳諧師と
おなじように、詩と権威を結びつけることに
なるのを想像しただろうか。・・・」

須賀さんの、この小文の最後を引用。

「だが、現在の私がなによりも口惜しく思うのは、
隣が詩人の家だったというのに、
あまりにも幼くて、それについて
ひとつの深い想いも持たず、
心を潜ませることもなかったことだ。
いまもかぎりなく尾をひいて、
そのころの自分が、はずかしい。

 夕月に七月の蝶のぼりけり

新聞にあったその句は、
昭和25年、石鼎の死の前年の作で、
私が渋谷の寄宿舎にいたころだから、
時間的には合致しないが、それを読んで、
いつも空を仰いでいた小柄な老人の
孤独な姿が記憶に戻った。
二階の窓からそれを見ている少女だった
自分の姿が老人のそれに重なり、
ひらひらと夕月の空にのぼっていきそうだった。」





注文してあった古本がとどく。
大岡信著「詩歌ことはじめ」(講談社学術文庫)。
はじめの方にこうありました。

「私はかねがね、詩歌の作者たちが
歌人、詩人、俳人というふうに分かれていることに
あき足らない思いをしてきました。
つまり専門俳人とか、専門歌人というふうに
いまではなっていて、
ひとりで詩人でもあれば、歌人でもあり、
俳人でもあるというような人がかりに現代にいると、
この人はむしろ素人扱いされる。
そういう現状に対して不満を抱いております。
私自身は現代詩しか書けませんけれど、しかし、
やろうと思ったら短歌でも俳句でも、
とにかくそのときに応じて書きたければ
書けばいいじゃないかという考えを持っている人間です。
明治時代にはそういう人はたくさんいたのです。
・・・」(p32~33)
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俳人の書画。

2016-11-22 | 本棚並べ
ネット古書店にあった
集英社「俳人の書画美術」全12巻揃。
う~ん。結局買うことに(笑)。

12巻揃で、5500円。
送料1500円。
合計7000円(税込)でした。
一冊が583円ほどになります。
全て函入り。
さっそく、蕪村の函に写された
「牛若・弁慶自画賛 蕪村」を
函ごとパソコン脇に立てかけてます。
牛若と弁慶の二人が淡彩で描かれ、
右上には
「雪月花つゐに三世のちぎりかな」。

本の後ろには、作品解説。
岡田利兵衛氏が書いております。
この絵の解説を
せっかくなので全文引用。

「京の五条の橋上の事件直後の牛若丸と
それに随伴する弁慶との二人を面白く
おかしく描き、上に四行に割って

 雪月花つゐに三世のちぎりかな
    紫狐庵写

と加賛する。彼が別号『紫狐庵』を
伊丹の門人東瓦に譲ったのは安永七年と
推定されるから、この俳画の成立は
安永五、六年であろう。すなわち
俳画の最も盛り上った時期の作であるから、
筆意は奔放自在、諧謔の美を極めている。
弁慶の顔、七つ道具、薙刀の先に紐で
牛若の下駄を釣るし、右手で小田原提灯を
さげているあたり最もユーモラスに、
そして、牛若丸の襟と弁慶の胴の紋の
ピンクはすこぶる印象的である。
先年アメリカ、カナダの大学で
このスライドによって講話したときに、
彼地の学生たちは大よろこびであった。
画で俳諧する蕪村俳画中の最優秀作である。」


一冊583円なのがうれしい。
書画美術堪能しての秋の暮。
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輝いている。

2016-11-20 | 道しるべ
「新潮45」12月号。
曽野綾子氏の連載「人間関係愚痴話」は
「朴槿恵・韓国大統領の表情は・・・」
と始まっておりました。

その同ページの下に
「朴槿恵氏は、今年六十四歳だという。
まさに働きざかりである。
女性でも男性でも、六十代、七十代は、
輝いている年だ。多くの体験があるから、
ものの見方も人間の理解度も深くなっていて、
組織はその才能を十分に使える年である。」

うん。この箇所、本文には、直接関係なさそうな
箇所なのですが、それにしても、
1931年生れで、現代85歳の曽野綾子氏には、
六十代、七十代というのは、
「輝いている年」だと知っている、
そして、そう見ている、
というのが伝わってくるのでした。


「新潮45」に新聞歌壇を
とりあげた文がありました。
浅羽通明氏で「嗚呼、新聞歌壇の人生」。
毎日歌壇・日経歌壇・朝日歌壇
とならんでおり、
読売歌壇しか読んでいない私には
それなりに、新鮮でした(笑)。
でも、読売歌壇だけ
読んでいればいいや、と思える内容。
ちなみに、最後の方に、
一箇所だけ、読売歌壇からの引用が
ありました。その読売歌壇投稿短歌を
せっかくだから、孫引き。

 Eメールの相手つぎつぎ召されゆく
    あの世そろそろ圏内となれ
   東大和 板坂寿一(2016年10月31日)




復本一郎著「俳人名言集」(朝日新聞社・のち文庫になる)
を昨日どうやら、読みおわる(笑)。
読んでみたい本が、さりげなく取り上げられて
キョロキョロ読書の私には目に毒。
俵万智さんも登場しておりました。
こんな登場の仕方です。

「俵万智などという、今まではもっぱら
俳句の領分であった『俗語』を、
自由自在に駆使する歌人も登場したことでもあるし、
『俳句とは何か』を再検討しつつ作句(俳句を作る)
することは、必要なことであろう。」(p140)


はい。この復本一郎氏の本を読んで、
ネットで、この人の古本を数冊注文する。

連句のイロハを学ぶと、
物の見方がかわります。
うん。私は六十代にして、
連句を読めるのだ(笑)。

たとえば、
新聞の見出しというのは、あれは俳句。
短いし、何よりも、
新聞は見出ししか見ない(笑)。
そうすると、
俳句鑑賞というのは、
新聞の「見出し鑑賞」みたいになる。
それではと、
雑誌の対談・座談・鼎談が、連句なのだな。
そう、思ってみる楽しみ。

これからは、
俳諧を楽しんでいる方の、本を読める楽しみ。


「杉風(さんぷう)へもうし候。・・・・
死後まで忘れがたくぞんじ候。・・・
いよいよ俳諧御つとめて、
老後の御楽しみになさるべく候。」

これを復本一郎氏は説明して

「芭蕉の遺言状三通の中の一つに見える言葉である。
・・杉風は、芭蕉の終始かわらぬ庇護者、
その杉風への感謝の言葉、永訣の言葉は、我々の胸を打つ。
・・・俳諧を、老後の楽しみとするのは、芭蕉の持論。・・」
(p123)
コメント (2)
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小野君、辞めよってん。

2016-11-17 | 古典
ネットの古本で
復本一郎著「俳人名言集」(朝日新聞社)を
買ったのですが、これが楽しい。
ちょうど、連句のイロハを読み齧ったからなのか、
興味が尽きない感じです(笑)。

読んだところでは、
こんな箇所はどうでしょう。


多年俳諧すきたる人よりは、
外の芸に達シたる人、
はやくはいかいに入る。(芭蕉)

この言葉の記録者である許六(きょろく)には、
芭蕉のこの言葉の主旨が、よくわかったではなかろうか。
許六は画に秀でていた。
芭蕉は、有名な『柴門(さいもん)の辞』なる文章の中で、
『画はとつて予が師とし、
風雅(俳諧)はをしへて予が弟子となす』と述べている。
許六が芭蕉の弟子となったのは元禄五年(1692年)であり、
芭蕉晩年の弟子であるが、どんどん頭角を現して、後年、
芭蕉十哲の一人に数えられるまでになった。
許六が画に秀でていたことと無縁ではあるまい。
芭蕉の発する片言隻語は、それを理解する門人によって
書き留められていったのであろう。
それにしても、現代の俳人でも、やたらに俳歴(句歴)の
長いことだけを誇る傾向があるが、
右の言葉を何と聞かれるであろうか。(p69)

各ページが、このように名言を最初に、
それについての人物点描と俳諧解明との短文です。
おもしろいなあ。

おもしろいといえば、
岩波新書「歌仙の愉しみ」。
これは大岡信・岡野弘彦・丸谷才一。
この3名が歌仙を披露しております。
そのはじまりに丸谷才一氏の文があります。
その文の最後を引用。

・・・・ちよつと停滞気味かなと案じてゐた局面が、
誰かの一句のせいで急に活気づく意外性。
そして揚句(あげく)を宗匠が認めてめでたく巻き
終へたときの達成感。どれもこれも、
実地に参加した者でなければ味はへない喜びです。
そして一ぺん実地にやつてみれば、
これは当り前の話ですが、
芭蕉七部集や『此のほとり一夜四歌仙』が
今までとは段違ひにおもしろく読める。
古典の味がぐつと深まる。
さういふ快楽がまだまだ知られてゐないのは、
われわれの文明にとつてかなり残念なことと慨嘆したい。
俳句もいいけれど、わたしに言はせれば、
歌仙のおもしろさはまた独得のものである。
一度ぜひお試しあれ。先程、茶会に似てゐるなんて
言ひましたけれど、違ふのは千金を投じなくていいこと。
器に金をかけることもないし、禅坊主の墨跡だの
古今集切だのを飾る必要もない。じつに安あがりな遊びです。
この玩亭の説に信宗匠も乙三も大賛成であることは、
言ふまでもないでせう。


世の中、賛成ばかりじゃないので
ちがうのも引用しなきゃいけないですね(笑)。
ということで司馬遼太郎氏の「俳句的情景」。
これは藤澤恒夫句集のまえがきに書かれた
司馬さんの文でした。そのはじまりは

「俳句のことなど、私にはそらおそろしい。
が、亡き藤澤先生と俳句のことを書け、
と典子夫人からいわれ、いまくびをひねっている。
以下は、昭和三十年ごろの記憶である。・・・

句会もなさっていたようで、
当初小野十三郎氏が加わっておられた。やがて
『小野君、辞めよってん』
といわれたのが、なんともおかしかった。
町内で子供たちが遊んでいて、
一人、勉強のために帰ってしまったみたいな言い方だった。
このとききいた話では、
小野さんの言いぶんは、そんな句会でも、
句会にゆくために平素俳句のことばかり考えんならん、
あたまが俳句だらけになって
詩の邪魔になってかなわんのや、
ということだったらしい。」

うん。司馬さんの文は、
このあとが、まことに肝心なのでありますが、
ここまでで、ぶつ切りにしておきます(笑)。

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なかなか味がある。

2016-11-17 | 詩歌
前回のブログで、
俳諧と諺との関連が興味深かったのでした。
それなら、
現代詩と諺とは、どうつながるのだろうなあ。

それはそうと、
福音館書店に
「おーい ぽぽんた」と2冊セットの本が
ありました。本棚に並んでおります(笑)。
「声で読む日本の詩歌166」。
編集委員が茨木のり子・大岡信・川崎洋・岸田衿子・谷川俊太郎
その目次をひらくと
詩・俳句・短歌と順不同に並んでいます。
函入りで、2冊がセットになっており、
いままで1冊目しか興味がなかったのですが、
付録のような2冊目は
「おーい ぽぽんた 俳句・短歌鑑賞 大岡信」と
あったのでした。
うん。この付録の一冊が、
今頃になって興味が持てます。
入門書としての大岡信氏への興味は

講談社少年少女古典文学館 「万葉集ほか」が大岡信
講談社「大岡信 百人百句」
岩波書店「日本の古典詩歌」全5巻+別巻1も大岡信
世界文化社のエッセイも読みやすそう(笑)。
ああそうか「折々のうた」というのが
大岡信氏にはあったなあ。

現代詩としての大岡信氏は
読んでいないのでわかりませんが
俳句・短歌鑑賞の大岡信氏への興味はあります。

それはそうと、
現代詩人で俳句との関連がありそうなのは
どなただろうと思いながら、
田中冬二全集をひらいてみる。
その第三巻には、ご自身の俳句が掲載されておりました。
興味をもったのは随筆「妻科の家」の
目次のなかに「いろはがるた」と題する文が
あるのを見つけたのでした。
ということで、そこからの引用。

「近ごろ私は、毎夜眠りにつきながら、
昔の『いろはがるた』の一つ一つを思い浮かべて
みることにしている。今時『いろはがるた』なんて
陳腐だと莫迦にするかも知れないが、
今日『いろはがるた』の全部を諳んじている人が、
果して何人居るだろう。『いろはがるた』には、
ユーモアがあり、サタイアがあり、
アイロニイがあり、モラルがあり、
なかなか味がある。決して陳腐などとは言えない。
当今の若き世代の人々によき示唆を有している。
そしてまた中年老年の人でも、
いろいろ思いあたり反省し、
或は忸怩たるものを感じるだろう。」(p295)


うん。俳句をものにする方には
いろはがるたへの言及した一文を
他の方にも探せるのかもしれないなあ。
もっとも、私はここまでにしておきます(笑)。
大岡信氏には「いろは」への言及が
あるのかどうか?
あれば、読んでみたいけれど。
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いひきるべし。

2016-11-13 | 道しるべ
外山滋比古著「俳句的」(みすず書房)。
その本の中を、ころがされている気分です(笑)。

さてっと、短文の随筆のつながりのような
この外山氏独特の本から、どれかひとつの文を
選ぶとしたら、今の私は、これをえらびます。

「切れ」と題する文。
そのなかに、こうある。

「すでに中世初期の『八雲御抄』に
『発句者必いひきるべし』と見えている。
なるべく、連想の豊かな言葉のあとを切るのである。
・・・」(p125)

そうそう、
「切れ」の文のはじまりは、
こうでした。

「徒然草のある解説を見たら、冒頭に『徒然草には
矛盾が多いということはよく聞くのであるが・・』
とあって、びっくりした。第6段では
子供はない方がいいと言ったかと思うと、
第142段では子供のない人には
もののあわれがわからないという話に賛同したりしている。
これを『矛盾というなら確かに矛盾である』と続いている。
その先を読む気をなくしてしまった。

『渡る世間に鬼はなし』も真なら、
『人を見たら泥棒と思え』というのも、
残念ながらやはり真である。
一見いかにも矛盾であるが、
一方を立てて他を棄てるようなことがあれば、
残った方の正当性も怪しくなってしまう。
両方そろってはじめてそれぞれが生きる。
幸いなことに、諺の解説をして、
その矛盾をあげつらう人はすくない。
諺の理解は胸で行われるが、
作品の理解は頭でなされる。
頭の理解では、
論理とか矛盾とかが気になりやすい。」(p121)


うん。ここに諺が登場しておりました。
そういえば、
鈴木棠三著「今昔いろはカルタ」(錦正社)に
俳諧とのつながりを教えてくれている箇所が
ありました。そこが門外漢の私には、
たいへん、ありがたかった。

その箇所はここ。

「『論語読みの論語知らず』は、近世初期
またはそれ以前から行われていたものと思われる。
正保二年(1645。家光の代)に初版が出たと見られる
『毛吹草(けふきぐさ)』は、本来は俳諧の作法書であるが、
俳諧の用語の一部として、世話すなわちことわざ類を重視して、
特にこれを一か処にあつめてある。近世初期のことわざの
集録としては逸することのできない好資料である。」(p129)

諺と俳諧とが、
門外漢には、とんと結びつかないでおりました。
ありがたい(笑)。


それはそうと、
「俳句的」の本は、「切れ」の一文を読めればよし。
と、言い切る方が、余情が生れる。
ということで、おあとがよろしいようで(笑)。


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豆腐を切って水に放つような。

2016-11-06 | 詩歌
外山滋比古著「俳句的」(みすず書房)を
あちこち、めくり読み(笑)。

うん。おもしろかった。

そういえば、と
丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社)を
とりだしてくる。その対談にこんな箇所


丸谷】 ・・・詩人たちの会というのは長いのよねえ。

井上】 普段、短く書いているからでしょう(笑)。

丸谷】 高見順賞のパーティなんて長い。
それから、受賞者の挨拶というので、だれそれに感謝します。
だれそれに感謝しますっていうのを、はじめから終りまで
しゃべる人がいるでしょう。二十人も三十人もに対して
感謝する。それで終りなのね。

井上】 ハハハハハ。

丸谷】 感謝される対象と感謝する人との共同体だけの
問題ですよね。

丸谷】 ・・・だから、ああいうの困るんだなあ。


外山滋比古著「俳句的」には

「かねてから、俳人の書く散文が一般に
どうしてあんなに味気なくなるのか、
不思議に思っていた私は・・・」(p57)

という箇所があったのでした。
それで、「挨拶はたいへんだ」の詩人たちの会
へと連想がひろがりました(笑)。

ちなみに、外山さんの
この言葉は「エディターシップ」という題する文
にありました。その文のはじまりは

「車谷弘『わが俳句交遊記』をおいしい菓子を
すこしずつ味わうようにして読み上げた。
久しぶりに心ゆく読書をしたという感じである。」

「かねてから、俳人の書く散文が一般にどうして
あんなに味気なくなるのか、不思議に思っていた私は、
車谷さんの滋味深い文章にとりわけの感銘を受けた。」

「『わが俳句交遊記』を深いものにしているのは、
著者の心のあたたかさだと思う。その目くばりによって、
思いがけない人と人、人ともの、ものとものとが結びつけ
られる。その独創が読むものにしばしば息を呑ませる。
車谷さんは長年、編集者であったが、ここで編集者は
詩人であることを身をもって示しているように思われる。」

はい、このあとが面白いのですが、それはそうと、
さっそく、古本をネット注文することに(笑)。


ちなみに、俳句と本という取り合わせで、
最近印象に残っている句がありました。



 宿狭く炭によごれし著聞集 成美

「家が狭いので、炭の粉が本にかかつた、
といふので、其本は古今著聞集である。
炭によごれるといふ事に何となく
著聞集が調和するのである。
謡本は春雨の枕にふさはしく、
朗詠集は七夕頃の机にふさはしい。
源氏物語のある所は上品な家らしく、
徒然草のある所は洒落な庵らしい。
さういふ風に自ら書籍に特殊の趣がある。
書名を句に詠込むといふことは
一種面白いことである。・・・」
(沼波瓊音著「俳句講話」p214)

はい。新聞の新刊書評欄を読まなくなりました。
毎日新聞の今週の本棚を購読するのをやめました。
本を読んでいると、そのなかに本が
さりげなく紹介されていて、
それをすくいあげては、ネット古本へと
注文する楽しみで、私は十分(笑)。


それはそうと、
「俳句的」という本では、
「放つ」と題した文が印象的。

その文の最後の頁のはじまりは

「座談会のおもしろさは論理を散らすおもしろさである。
散らしながら全体としてどこかつながっていないこともない。
豆腐の論理であり、俳諧の美学である。それが一般読者に
人気があるのは、多くの日本人に俳諧の心がある証左である。」

そして、その頁のおわりは、こうでした。

「言語表現においても、がっちり組み立てるのではなく、
豆腐のような言葉を切って水に放つようなところに
おもしろさを見出した。俳諧から座談会記事まで、
日本の言語文化は放つ美学、逆エディターシップの
おもしろさを追求してきた軌跡であると
言ってもよいのではあるまいか。」(p102)


はい。「豆腐のような言葉を切って水に放つような」。
豆腐の論理・俳諧の美学。
このテーマに遊ぶ楽しさ(笑)。



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昨日の我に飽くとは。

2016-11-05 | 詩歌
沼波瓊音「俳句講座」を読んでみる。
明治39年と凡例にある。

個々の俳句がならび、
それを丁寧に説明してゆく講座です。
その説明箇所を読まずに、
取り上げられている俳句を
パラパラと見てゆく(笑)。

講座の最後に、引用がありました。
気になったので孫引き。

 上手に成る道筋ここにあり。
 師によらず、
 弟子によらず、
 流れによらず、
 器によらず、
 畢竟句数多く吐出したるものの、
 昨日の我に飽ける人こそ上手にはなれ。

これを引用したあとに、沼波瓊音は

「これは実に達言である。
あらゆる事にあてはめ得る金言である。
『昨日の我に飽く』とは
勇猛なる不断の向上を意味して居る。
実に壮語である。」(p230)


はあ。俳句では「飽く」を
このように使用するのか(笑)。
一事が万事、飽きっぽい私に
一縷の光明が射す。
そんな「飽く」解釈。

でもって
どうするかというと、
岩波文庫「虚子五句集」上下を、
本棚からとりだす。
「虚子五句集」上は
「五百句」からはじまっております。
その「序」には

「『ホトトギス』五百号の記念に出版するのであって、
従って五百句に限った。・・・
範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から
昭和十年まで・・・」

そういえば、

  遠山に日の当りたる枯野かな

この句は「明治33年11月25日 虚子庵例会。」とあります。
p20にあり、p22には
  
 秋風や眼中のもの皆俳句

この句は「明治36年」とありました。

そして、明治39年に沼波瓊音の「俳句講話」が
出ており、そこに引用されたのが

 「ひっきょう句数多く吐出したるものの、
  昨日の我に飽ける人こそ上手にはなれ。」

だったのでした。

ちなみに、「虚子五句集」下に載っている
文庫解説は、大岡信。

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遠山に日の当りたる

2016-11-02 | 道しるべ
司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙
「もうひとつの『風塵抄』」(中央公論新社)を
読んだ時に、印象に残っていた箇所。

そこに、風塵抄44「日本的感性」を
めぐる手紙のやりとりがありました。
最後に司馬さんがこう書いております。

「よく読みこんでくださってありがとう。・・・
ホンダのオートバイや小型車が、性能以上に
デザインで世界文化に貢献していると思うのです。
小説・詩といった文学の分野は、言語の問題があります
から、基本的には、その国々の国内的なものです。
ただ、俳句の『形式』が、世界の詩型に貢献しています。
・・・料理、服装デザインもいいですね。
ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。
これは、『欠ける』という短所を長所にしてしまったほうが
いいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、
装飾的、平面的、非人間的ながら、
これこそ絵画だという美学的創見が必要なのです。
そういう評論家がいないというのが問題ですが。」(p64)


うん。東山魁夷ですか。
30年以上前なのですが、山種美術館かどこかで、
土手に日が射しているだけの日本画を見たことがあります。
そこだけクローズアップされた絵だったのですが、印象深かった。
それは東山魁夷とは、別の方の日本画でした。

さてっと、
この頃俳句への興味が持続しています(笑)。

高浜虚子の俳句に

  遠山に日の当りたる枯野かな

というのがありました。
それについて大岡信氏は、こう書いておりました。

「・・・たぶん、
虚子はこの句を何気なく作ったのでしょう。
でも、あっと思ったにちがいありません。
これはおもしろい句だなと思ったでしょう。
なんでもないものがおもしろいというのは、
いつまでもいつまでも同じおもしろさが残るからです。
そういう逆説的なおもしろさということが
俳句にはとくにあるのです。」


「俳句にはとくにあるのです」
というのが、日本画にもあって、
東山魁夷の外国の風景にも、それはあてはまりそうです。

そうおもいながら、大岡信氏の言葉を反芻したくなります。

「なんでもないものがおもしろいというのは、
いつまでもいつまでも同じおもしろさが残る・・」

ということで、俳句と美学的創見。
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