谷川俊太郎氏が亡くなり、検索していたら、
谷川俊太郎選の「永瀬清子詩集」(岩波文庫・2023年10月13日発行)がある。
ちょっと気になり、新刊で注文。昨夜6時頃届く。
私が思い浮かぶ、谷川俊太郎の詩集は、
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社・1975年)です。
はい。内容よりも、私は題名がいつまでも忘れられずにおりました。
そこにある、最初の詩は『 芝生 』。その詩の出だしはこうです。
芝生 谷川俊太郎
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
・・・・
( 注: あと四行あるけどカットしました )
この『 芝生 』というのが、気になりました。
さてっと、谷川俊太郎選『永瀬清子詩集』(岩波文庫)の
はしがきは、谷川俊太郎でした。そのはじまりを引用。
「 私の最初の詩集『 二十億光年の孤独 』が出てしばらくして、
珍しく父・徹三に永瀬清子を読むようにすすめられた。
『 荒地 』『 列島 』『 時間 』などに拠る詩人たちに比べると、
当時あまり話題にあがらない詩人だったが、
父の書庫に詩集『 諸国の天女 』があったので読んでみた。
・・・ここに他の現代詩の書き手にない何かがあった。・・・ 」
それでは、現代詩の書き手だった谷川俊太郎は
どのような少年だったのか?河合隼雄と谷川俊太郎の
対談に『 元禄の会話 』というのがありました。
その場面を引用。
谷川】 ・・・この間も、ぼくが小学校1年生のときに
父と一緒に写っている読売新聞のコピーを
持ってきてくれた人がいて、
家庭訪問みたいな記事なんだけれど、
もうギョッとしちゃった。
河合】 写真だけじゃなくて記事の内容ですか?
谷川】 そうなんです。母が教育論なんかしゃべっていて
おかしかったんだけど、ぼくがね、
母と記者が話しているときに客間に出ていって、
そこにあった瀬戸物に対して、
『 お母さま、これは元禄時代の焼き物でしょう 』
っていうの(笑)。
河合】 ええっ (笑)。
谷川】 そうすると母はね、
『 違うわよ。これは朝鮮の物よ 』っていうの。
と、ぼくはね、
『 朝鮮でも時代は元禄でしょう 』(笑)。
もうこれは慄然としましたね。
そういう下地があったから、母は・・
怒ったんだと思いますね。
河合】 その元禄の会話も載ってるんですか。
谷川】 載ってるんですよ (笑)。
・・・・・・・
( 河合隼雄対談集「あなたが子どもだったころ」光村図書 )
( 谷川さんと対談副題は「人間ばなれをした孤独を知る人」とありました)
もう少し引用したいけど、引用過多になるのでここまでにして。
父親の谷川徹三の対談などをひらくと、正法眼蔵を病室にもっていて
読んだりとか、宮澤賢治に関する文もあったりする。
どのような思いで、父は息子と対していたのか?
ということで、もう一度『はしがき』を引用しておわります。
「 私の最初の詩集『 二十億光年の孤独 』が出てしばらくして、
珍しく父・徹三に永瀬清子を読むようにすすめられた。・・・・ 」