河合隼雄+谷川俊太郎「魂にメスはいらない ユング心理学講義」
(朝日出版社・1979年)には、付録の「注釈集」がありました
( 注:古本では、この付録が欠けてる場合もあります )。
この注釈集を読みたくなり、ひらく。
付録は、26ページの小さな冊子です。ここで、
河合隼雄が谷川俊太郎の詩を読み解いてます。
付録の最後に、河合さんが書いております。
「よもや自分が詩の解釈をやることになろうとは思ってもみませんでした。
別に熱心な詩の読者といういわけではなし、
読んでもよくわからないといった程度でしかないのですが、
それでも谷川さんの作品は以前から好きでした。・・・・
編集部からユング派用語解説を兼ねた谷川さんの詩の解釈を
ぜひと言われ、谷川さんご自身からもやってみてほしいとの
お申し出がありましたので、
とうとう身のほど知らずのことをやってしまいました。・・・
読者の皆さんにとって何かの参考になればありがたいと思います。 」
谷川俊太郎の詩を引用してから、河合隼雄さんの解釈を載せています。
詩集「定義」から、詩「疑似解剖学的な自画像」を引用したあとの、
河合さんの解釈には、こんな箇所がありました。
「・・それにしても、自画像の冒頭から『 苺を食べた 』と言えるのは、
ずいぶん幸福な幼児期を持った人でしょう。このことは、
谷川さんの感受性の豊かさの源泉でもあるようです。・・ 」(p7)
p16には、別の詩に関して河合さんが感傷性へ言及した箇所がありました。
最後には、そこから引用しておきます。
「 ・・谷川さんという人には、日本人には珍しく
感傷性が少ない感じを受けます。
日本の詩というのは一般的には非常に感傷的で、
詩人自身も子供のうちから抑圧され溜まりすぎるほど
溜まったものを、成長してから一つのフォルムに入れて
表現するというタイプの人が多いように思うのですが、
谷川さんの場合、抑えつけられることの少なかった人
ではないかという気がします。
この意味で、自己肯定感が谷川さんには
強いのではないかと思うわけです。・・・ 」
手元には
芸術新潮3月号「追悼谷川俊太郎」(2025年)
谷川俊太郎詩集「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(青土社)
ユリイカ「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」(1973年11月臨時増刊)
LECTURE BOOKS「魂にメスはいらない」(朝日出版・1979年)
谷川徹三著「人間であること」(現代日本のエッセイ・昭和47年毎日新聞)
さあ、今日明日には、待っていた曽野綾子さんの古本が届きます。