おかしなもので、本を読まなければ読まないで、
以前に読んだ本の箇所が思い浮かんだりします。
新潮文庫の、新田次郎著「小説に書けなかった自伝」の最後に
藤原正彦「父 新田次郎と私」という文が掲載されております。
そこから引用。
「父の文体と私のものとは当初から似ていた。
『若き数学者のアメリカ』の原稿はすべて父に
読んで批評してもらったが、最初の一章を読んだ後、
父が『俺の文章と似ているよ、不思議だなあ』と
言ったのを覚えている。
・・・・・・
似るに至った理由は、私がしばしば、父のできたての
随筆原稿の批評を求められていたからだろう。
私の子供の頃はその役を母に頼んでいた。ところが母は
ことごとく『下手クソ』とか『全然つまらない』と酷評する。
三人の子育てが忙しい頃、母は十年間ほど休筆していたから、
せっせと書いては文名を高めて行く父に嫉妬を感じていたのだろう。
母の、ほとんど悪意のこもった痛烈な批評に腹を立てた父が、
『もうお前なんかに二度と読んでもらうもんか』と
怒鳴って席を立ったのを覚えている。
『お前はなかなか読める』などとおだてられ、
大学生の時分から父のものは大分読んだ。
批評するには精読しないとならない。時には読み直す。一人の文章を
何年にもわたって数多く精読していれば、自然に文体が似てくる。
これは私の文章の批評役を20年以上もしている女房が、
私と似た文章を書くようになったことからも確かと思う。
門前の小僧である。」(p277~278)
もうひとつ、引用したかった箇所があり(笑)、
この機会に、引用しておくことに。
新田次郎の、本文からまずは引用。
藤原正彦の、文をそのあとに引用。
「当時はそれほど苦心するようなこともなく筋立てができ、
筆の方も現在に比較するとスムーズに運んだ。若かったからであろう。
このころは役所から帰って来て、食事をして、7時にニュースを聞いて、
いざ二階への階段を登るとき、≪戦いだ、戦いだ≫とよく云ったものだ。
自分の気持を仕事に向けるために、自分自身にはげましの
言葉を掛けていたのだが、中学生の娘がこの言葉の調子を覚えこんで、
私が階段に足を掛けると、戦いだ、戦いだと私の口真似をするので、
それ以後は、黙って登ることにした。7時から11時までは
原稿用紙に向かったままで階下に降りて来ることはなかった。
・・・・」(p75~76)
はい。この場面を、藤原正彦氏も書いておりました。
「・・・夕食の後は、くつろいで家族と団欒、
ビールを飲みながらテレビ、というのが普通なのだろうが、
父のそんな姿はほとんど記憶にない。そのような欲求をすべて断ち、
夏には半袖シャツにステテコ姿で、それ以外の季節には丹前姿で、
毎日、二階の書斎へ続く13階段を上っていった。
役所仕事の疲労がたまっていたり風邪で体調の悪い時などは、
階段をよろよろと一歩一歩上りながら、『戦いだ、戦いだ』と
うめくように言った。こんな時、家族の皆が一瞬水を打ったように
静まり、間もなくそれぞれがそれぞれの持場に散るのだった。」
(p283~284)
はい。本もひらかず、ボケっとしていると、そこに、
プクプクと印象の断片が浮んでくることがあります。