和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

辞書には誤植や誤字はないはずだ。

2018-01-31 | 道しるべ
正論3月号が届く。そこに載っている
鼎談の一人が小川榮太郎氏でした。

さっそく、小川氏の言葉を引用。


「日本では他の自由主義国家と比べて
深刻な固有の問題があります。

日本人のマスコミ信頼度が
世界的にも比較を絶して高いということです。
マスメディアに対する信頼度調査結果をみると、
米国では22%、イギリスでは14%、
独仏でも30~40%程度なのに対し、
日本では実に73%もの人が
マスメディアを信頼しています。
7割の人が信頼しているメディアが
ウソばかり垂れ流しているとしたら、
日本の政治はもはやマスコミに簒奪されている、
という他ないのではないか。・・・」(p128)

こうもあります。

「とりわけ冷戦崩壊の後、
世界的にマスコミが過激なリベラルとなって、
自由社会において保守政権を叩くようになりました。
その結果、自由社会において『自分の国をしっかり守ろう』
とする姿勢がマスコミに叩かれて弱体化する一方、
リベラル(本来の意味は自由主義)を名乗っている人たちが、
全体主義国家・中国を結果的に強化させる世論をつくっている。
という奇妙な構造が、この30年続いています。」


もどって、
「日本人のマスコミ信頼度・・実に73%」。
うん。それならば、
日本人の辞書への信頼度は?
「広辞苑」を思うと複雑な気持ちになります。


「広辞苑」についてでは、渡部昇一・谷沢永一対談の
「広辞苑の嘘」(光文社・2001年初版)があります。

その「結びにかえて」は、渡部昇一氏。
題して「辞書の権威によった悪辣な所行」。

その箇所は、こうなっております。

「人は自分の引く辞書を信頼する。
辞書には誤植や誤記はないはずだ、
という先入観が一般にある、と言ってよいであろう。
そこにつけ入るとは、
何たる悪辣(あくらつ)な所行であろうか。」(p281)


さてっと、
読売新聞は1月分だけ、購読することにしました。
1月31日で、今年私は最後の読売新聞となります。
名残惜しく、読売新聞をひらくと、
そこに第22回読売出版広告賞が掲載されている。
その金賞は、何かと思えば、

金賞「岩波書店『広辞苑 第七版』」。


はい。
日本人はマスコミを信頼し。
自分の引く辞書を信頼する。
さらに日本人は金賞に弱い。



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画期的な「広辞苑」の問題。

2018-01-30 | 産経新聞
2018年1月12日は、「新しい広辞苑」の発売日でした。

当日、読売新聞の「広辞苑」広告に
「ことばは、自由だ。」とあって、
黒に白抜きで大きく、「やばい。」とある。
う~ん。目立つ広告でした。

う~ん。前後して私が思ったのは、
「やばい。」じゃなく「うざい。」。
そう、変更したくなるような雑誌掲載文を、
最近つづけて、私は読みました。

その前に
広辞苑に関しては、以前に2冊出ております。

2001年に渡部昇一・谷沢永一著「広辞苑の嘘」(光文社)
2013年に水野靖夫著「『広辞苑』の罠」(祥伝社新書)
後者の副題は「歪められた近現代史」とあります。

前著の「序にかえて」の中で、谷沢氏は
「火の用心、広辞苑用心」(p15)とあります。


前著の「結びにかえて」で渡部氏は
「・・今、改めて歴史認識や思想が
問題になる項目を拾い当たってみると、
なるほど見逃すことのできない偏向がある。
とくに注目するべきことは、版が新しいものほど
嘘が多くなっていることだった。
普通は辞書は版を重ねるほどよくなるはずだが、
『広辞苑』はその反対なのである。」(p280)


では、今年の新聞から
産経新聞では、1月13日と1月17日に記事が載り、
1月26日の産経新聞に、月刊Hanada3月号の全面広告を
出した際は、その裏ページの産経総合欄に
「広辞苑 相次ぐミス指摘」の記事。
「『台湾省』20年前から記載」とあります。


つぎは、今年発売されたばかりの雑誌。
月刊3月号のHanadaとWīLLの雑誌記事に
どちらも「広辞苑」関連の文が掲載。
以下に紹介しておきます。

WILLでは、
石平さんが
「広辞苑『台湾は中国の一部』は大ウソ」(p182~)
と題して、その文の最後は、

「今一度、日本、および日本人は
台湾という地の重要性を再認識すべきです。
我々は『広辞苑』を『虚辞苑』と呼ぼう
ではありませんか。」(p190)

もう一人、柚原正敬さんの
「『広辞苑』が何と言おうと、台湾は台湾です!」
(p192~)と題しております。

はじまりの方をすこし引用。

「2008年に『広辞苑』の第六刷が出た時点で、
友の会の会員が、『広辞苑』の電子辞書の
『日中共同声明』項にある、おかしな記述を見つけました。
そこでは、『日本は台湾が中華人民共和国に
帰属することを承認し』という内容が書かれていました。
そこで、前出の会員が出版元の岩波書店に抗議すると、
岩波書店は日中共同声明の文言との相違を認め
『刷を改める機会があり次第、訂正いたします』と
返答してきました。しかし、いつ訂正してくれるのかな、
と待っていたのですが、それ以来返事がない。
こうして待っているうちに、十年たち・・・」(p192)

この文の最後も引用しておきます。

「今回の騒動をきっかけに、
台湾をめぐる表記の複雑さが周知され、
日本国内の台湾に関する誤表記が、
少しでも減ることを願っています。」(p197)


雑誌Hanadaの方は、近現代史研究家・水野靖夫氏
題は「台湾の抗議も当然『広辞苑』は偏向、有害辞典」。

はじまりに、

「私は、2013年に『広辞苑の罠』を上梓し、
『広辞苑』に記述のおかしさを指摘していましたが、
大きな話題として取り上げられることはありませんでした。
今回、『広辞苑』の問題が表面化したのは
画期的なことだと思います。
問題となったのは『日中共同声明』の記述(第六版)です。」
(p302)

「広辞苑の問題が表面化したのは画期的なことだと思います」
というのが、実感がこもっておりますね(笑)。

さて、水野氏の文を多めに引用して
おわります。

「・・・世間は『広辞苑』に権威があると思っている。
しかし、実態はそうでもありません。
『広辞苑』が辞典のなかでいちばん売れていると
思っている人も多いかもしれませんが、
実は辞典のトップのシェアを誇っているのは『新明解国語辞典』。
広辞苑の二倍近く売れています。
かくいう私も『新明解』のファンです。

『広辞苑』の記述は非常に不明瞭な点が多いのですが、
『新明解』はわかりやすい。
たとえば、『鎮座』という言葉を引いてみましょう。

『広辞苑』ではこうあります。
〈 神霊がその地に鎮(しず)まりいること 〉
『鎮まる』とはどういうことかと思って
『広辞苑』を引くと、
〈 (神霊などが)鎮座する 〉となっています。
鎮座=鎮まりいる。鎮まる=鎮座。
これはトートロジー(同義語反復)であって、
言葉の解説ではありません。

『新明解』ではどう書いてあるか。
〈神霊がその場所を自分の土地として、長くとどまること 〉
『広辞苑』よりも言葉のニュアンスがはっきりわかります。

言葉のニュアンスを知りたいと思ったら、
『広辞苑』は不親切なのです。」(p308)


このあとに続く言葉は、
蛇足なので読まなくても結構ですが、
私は笑ってしまいました。

「『広辞苑』第七版の販促パンフの表紙には、
こんなキャッチコピーが書いてあります。
 『ことばは、自由だ』
思わず、苦笑してしまいました。
朝日新聞が2006年に展開した
『ジャーナリスト宣言』のキャッチコピー
『私たちは信じている、言葉のチカラを』
と重なって見えたのです。
このキャッチコピーを目にした時、
こう思いました。
『言葉の力を散々悪用してきた朝日がよく言うよ』

安保法制で、朝日をはじめとする
左翼マスコミは『戦争法案』『徴兵制復活』などと
レッテルを貼って反対しました。
正しくは『戦争抑止法案』なわけですが、
これは言葉の悪用以外の何ものでもありません。
朝日のキャッチコピーと同じ違和感を、
『広辞苑』にも感じたわけです。」

このあとに、教育現場への説明がありました。
もう少し引用をつづけさせてください。

「朝日新聞が慰安婦報道を訂正した2014年、
下村博文議員や義家弘介議員が衆院文部科学委員会で、
『慰安婦は強制連行した』と誤った記述のある、
『広辞苑』をはじめとする辞典を問題視しています。
下村氏はこう言いました。

『表現の自由は尊重されるべきだが、
〈誤った説明を〉教育現場に持ち込むことは問題だ』

おっしゃるとおりで、『広辞苑』のような
≪有害図書≫は学校に置くべきではないと思います。」
(p308~309)


最後までお読みいただきありがとうございます。

キャッチコピーが出そろいました。

やばい。広辞苑。

火の用心、『広辞苑』用心。
版を重ねて悪くなる『広辞苑』。
『広辞苑』を『虚辞苑』と呼ぼう。
『広辞苑』が何と言おうと台湾は台湾です。
『広辞苑』は偏向、有害辞典。
『慰安婦は強制連行した』と誤った記述のある『広辞苑』。
『広辞苑』のような『有害図書』

画期的な『広辞苑』問題の表面化で、
これ以後は、
『広辞苑』引用するだけの先生を、
安易には、信頼してはなりません。






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典型的な朝日の作文力。

2018-01-28 | 朝日新聞
昨日、クロネコDM便でHanada3月号届く。

さてっと、
この頃、冬眠よろしく、
はやく布団に入ります。
私は、湯たんぽ派。
寝床の足元の湯たんぽに触れると、
あらためて、足の冷たさに気づきます。
布団に入ると、すぐに寝るので、
新刊は禁物、新書などの軽い本で、
以前読んで線を引いてあるものを
もって寝床へ。
その線引きの箇所をパラパラと
めくっているうちに、
すぐに眠ります。

早く寝れば、朝4~5時頃に目が覚める。
その頃、家には、もう新聞が届いてる。

昨夜の寝床の本は
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)。
こんな箇所がありました。

「まず、私は朝ほとんど新聞を読まない。マックス・ウェーバーは、
朝のうちに絶対に新聞を読まなかったそうだが、
・・・新聞に関するかぎりは、その真似をしている。
よもやまのできごとに人一倍好奇心を持っているつもりだが、
早朝に新聞を手にすることは絶対にしないことにしている。
夜の睡眠から解放されたときが疲労がいちばん回復している
状態だから、読む時間があったら本をとり上げる。
それ用の本を前の晩から用意しておいて読書すれば、
一月に何冊かは読めるようである。
前の日になにか事件があって、
どんなに新聞を早くあけてみたいときでも、
その前にかならず本を五分なり十分読む習慣をつけると、
そのうち新聞を読むのがバカらしくなってくるものである。」
(p52)

何となくわかっていたような気がするのですが、
ついつい、早朝に起きると、ポストから新聞をもってきて、
ついつい、新聞をひらいてしまっておりました。
これこれ、もったいないことをしておりました。
早朝の読書のはじまりに新聞というのは禁物。
そのように私は、呪文をかけることにします。


ここから、あらためて、昨日届いた雑誌の話。

「2017年12月25日、私(小川榮太郎)と
飛鳥新社は拙著『徹底検証「森友・加計事件」
朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』が
名誉毀損に当たるとして、朝日新聞から
五千万円の民事訴訟を提訴された。」(p30)

Hanada3月号。
小川榮太郎氏の文を、あらためてひらく。

「ここで本音を言わせてもらおう。
実は私には、今回の朝日訴訟の件で
書くことなど、本当はもうないのである。」

「不戦敗に逃げた相手のことを
何度も書くのは、正直、面倒くさいのである。」
(p32)

ちなみに、月刊Hanadaの発行所は、小川氏と共に
「朝日新聞から五千万円の民事訴訟を提訴された」
当の、飛鳥新社。発売日には、
産経新聞に、雑誌hanadaの全面広告が出ました。

もどって、小川榮太郎氏は
こう指摘します。

「これは、法廷で朝日の設定した論点を
争うべき主題ではなく、日本社会の『天下の公論』
という広い裁きの庭において、国民環視のなかで
黒白をつけるべき朝日による社会事件なのである。」
(p36)

「朝日の作文」という箇所があります。

「細部の『事実』を都合よく組み合わせながら、
明らかに『嘘』と言える全体像を作り出す
典型的な朝日の作文である。
罪の意識なしにこんなことのできる神経が、
私にはどうしても理解できない。」(p33)

「ところで、朝日新聞は、
①最初の申入書で『賠償請求』の恫喝をした挙句、
②それへの私の回答に再反論せず、
③私からの公開討論や紙上検証の提案を黙殺し、
④私の回答を紙面から隠し、
⑤私が根拠のない中傷本を書いたと紙面で決めつけ、
⑥極めて薄弱な適示事実をもとに、
飛鳥新社と私相手に五千万円の訴訟を起こした。
書きながらめまいがする。」(p35)

「訴状の詳細を挙げてゆくのは煩わしいが、
バカバカしさを知っていただくために、
あえていくつかを検討する。」(p37)

はい。「バカバカしさ」を、順序だって読みたい方は、
今なら、Hanada3月号を書店で手にすることができる。

有本香さんも同誌に
「典型的なスラップ訴訟だ」と題して書いておられます。
そちらからも、この箇所を引用。

「もう一つ、最も大事な指摘をしよう。
・・・朝日新聞が、実は企業の『広報』の役割について
重大な勘違いをしているのではないか、という疑問を
私は禁じ得ないのだ。
小川さんへの『名誉毀損』の申し入れ、訴状の送付、
百田さんのツイートへの敵対的返信が
『広報』担当から為されていることは、
一般企業の常識からすると違和感がある。
とくに訴訟対応などは普通、総務・法務が担当することが多い。
つまり、多くの企業で『ケンカ』は広報の仕事ではない。」
(p75)

有田さんも、別の視点から「朝日の作文力」を
丁寧に読みこんで腑分けしておられ、
最近はちっとも朝日新聞を購読しない私にとって実に有難い。


それから、ぜひ読んでいただきたいのは、
巻頭随筆の一人・門田隆将の文(p24~25)。
ここは、本屋で立ち読みしても
読んで味わってほしい2頁です。

以上、雑誌Hanadaを買っていただく、
そのための前口上。

え~。寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。
買ってらっしゃい。Hanadaの3月号。

産経新聞では、発売日に全面広告を出したばかり。
朝日新聞は、果たしてこの広告を載せたかどうか。
なんせ。五千万円がかかっている大一番。
小川榮太郎氏に「広い裁きの庭において」とあります。
四角四面の雑誌Hanadaの紙面。この雑誌の土俵が、
なんと、「広き裁きの庭」であると、読んだ方だけが
理解する。

え~。寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。
買ってらっしゃい。hanadaの3月号。


なお、健康にはくれぐれも留意されて、
朝日関連の雑誌記事を、朝に読むのは、
なるべく、避けることをお勧めします。


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新聞の切抜きは。

2018-01-26 | 産経新聞
月刊雑誌のWiLLとHanada。両方を
私は定期購読していて、直送されてきます。

今日の新聞に、この雑誌の発売広告掲載され、
産経新聞は、Hanadaが全面広告、本日発売。
うん。読みたいじゃありませんか。

けれど、読めない。
Hanadaは、まだ届かない(笑)。
WiLLの3月号は今日届く。

ちなみに、前回はHanadaが先に届き。
発売広告が過ぎてから、WiLL届く。

定期購読では、こんなことがあります。
以前は発売日より早めに届いてました。

さてっと、手元に届いた
WiLL3月号を開く。

髙山正之と長谷川熙の対談の題は
「加計報道 朝日はなぜ虚に吠えたのか」。

う~ん。引用したい箇所はあるのですが、
今回は、「新聞切抜き」を語る箇所を引用することに。

長谷川】 私は産経と朝日をとっていますが、
この二紙を比較して読んでみると、たとえば今、
日本に対する歴史認識上の侮蔑が海外で加えられていても、
こういった国際現象は朝日ではまったくわかりません。
ところが、産経を読むと、サンフランシスコで反日の
何があったか、と詳しく出ている。
朝日の読者のほうは目隠しされてしまっているんです。
必要があって新聞の切抜きをよくしますが、
産経に関しては切るところが多くて困っているんです。
それだけ取っておきたい記事が目立つ。
国際的な関係は特にそうです。
・・・・・(p115)

うん。新聞切抜きには産経新聞。
これ、元朝日新聞記者・長谷川熙さんの指摘です。
もう、朝日新聞は、見なくてもいいや。
今年、新聞切抜きは産経新聞。
私は、これでいきます。
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画用紙(四ツ切)。

2018-01-26 | 産経新聞
うん。
今年は新聞切り抜きに、
何年ぶりかで挑戦することに。

3日坊主は、私の常識(笑)。
切り抜きを、どうするか?
さっそく思い浮かんだのは、
四ツ切(38.1×54㎝)の画用紙を
半分に折り、その間にはさんでおく。
どうしても気になる切り抜きは、
画用紙にテープで貼れば完了。

いままで、小さい切り抜きは、
A4ノートに貼っていたのですが、
大きい切り抜きの扱いに迷ってました。
大きい切り抜きは、そのままか、
折ってノートにを貼っておりました。
それで、何とかごまかしていたのですが、
これだと、決して見直すことがない(笑)。
すぐに見直せる方法はないだろうか?

ということで、
今年は四ツ切画用紙を使うことに。
うん。画用紙だと、りっぱで、
何か資料を保管している感じになる。
これ、大事(笑)。

たいてい、思い出しても、さて、
どこにあったか、忘れていることばかりのなので、
今年はりっぱな資料集となあれ。

ということで、何とか、
3日坊主から、4日坊主へ。
画用紙に助けてもらってのチャレンジ。
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産経新聞「明治の50冊」。

2018-01-25 | 産経新聞
産経新聞1月21日の一面コラム「産経抄」は、
向田邦子さんのエッセーを紹介してました。
はじまりは、

「新聞は3つに大別できるという。
配達されて、まだ読んでいないもの。
ざっと目を通しただけで、
すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。
『これはまさにシンブンである』と、
作家の向田邦子さんが昔日のエッセー
『新聞紙』に書いている。
向田説は続く。
日付が変われば、新聞は『新聞紙(シンブンシ)』になり、
一週間もたてば『シンブンガミになってしまう』と手厳しい。」

コラムの終わりの方には、

「向田さんは多いときで11紙を購読していた。
『新聞神(がみ)』と呼ぶべき人だろう。・・・」


さてっと、1月も20日を過ぎると、
シンブンガミも積もってきます。

ざっと目を通しただけのシンブンガミが、
そこにあるので、年の初めの月は、
シンブンガミに敬意をあらわして、めくり直す。
といってもパラパラとひらくのみ(笑)。

そういえば、産経新聞の連載がある。
「明治の50冊」と題して、毎週月曜日の連載。
1月8日が第一回「西国立志編」
1月15日が第二回「学問のすすめ」
1月22日が第三回「文明論之概略」

さてっと、「明治の50冊」は
ひきつづき、どんな本が並ぶのか愉しみです。
愉しみなんですが、週一回で50回だとすると、
どうしても、一年はかかる。
月曜日の産経新聞は、忘れないようにします。
一年間だと、見忘れることもあるだろうなあ(笑)。

せめても、はじまりの見出しを引用しておきます。

「あけましておめでとうございます。
明治150年という区切りの年、
これから50回にわたり、欧米列強による
植民地化の危機を知恵と努力と勇気で乗り越えた
明治人が残してくれた作品を毎週一冊ずつ紹介してゆきます。
取り上げるのはいまなお私たちに多くの『気づき』を与え、
鼓舞してくれるであろう作品です。
読者のみなさんにとってこの連載が明治の古典に触れる
きっかとなるよう、単なる内容紹介にとどまらず、
作品が書かれた時代のエピソードや現代のこぼれ話など
をまじえた読み物にしたいと考えています。」

うん。1月は欲張って、
「明治の本をひらく一年でありますように」
と願いをこめる。
たとえ、雑読であろうと、断片読みであろうと、
明治の本をひらく一年でありますように。
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63年という時間が。

2018-01-25 | 道しるべ
今年1月は、殊勝にも新聞のコラム欄を切り取って、
ノートに貼っております(笑)。

1月18日の「編集手帳」と「産経抄」。
どちらも、芥川賞をいとめた若竹千佐子さん。

共通の話題は、年齢でした。
編集手帳では、
「63歳といえば『高齢者』わずか手前である。」
産経抄の最後はといえば、
「『テーマをつかむのに、私には
63年という時間が必要だった。
小説の神様は待っていてくれた』。
若竹さんが受賞について語っている。
何と幸せな作家だろう。」

うん。私は、小説は3ページも読まずに
放り投げるタイプなので(笑)。
買うことはないのですが、
年齢には、興味があります。

そういえば、
井上麻矢著「夜中の電話」(集英社インターナショナル)
が古本で安かったので購入。
この本の副題は
「父・井上ひさし 最後の言葉」。

パラパラと本をめくると、

「『何をするべきか』三十代の君にわかるわけがない。
自分も六十歳を過ぎてやっとなぜ物書きになったか
わかったのだから。」(p56)

とありました。

こうならべていると、
論語の中の言葉、「耳に順う」というのが、
思い浮かんできます。

この機会に、読みかじりで、
すっかり忘れている論語を、
本棚から取り出す愉しみを、
味わいたいと思います(笑)。
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「広辞苑」の、おやじギャグ。

2018-01-20 | 一日一言
2018年1月12日読売新聞2面下の広告が
「新しい広辞苑 本日発売」とありました。
古新聞を整理していて見つけました。

言葉の広告です。
せっかくですから、
広辞苑の広告の言葉を引用。

「新しい広辞苑」
その下に大きく
「やばい。」とひらがな。
やばいの下に小さく、
「① 不都合である。危険である。
 ② のめり込みそうである。」
と辞書の解釈も載せております。

あと、広告には
「ことばは、自由だ。」
と右下に言葉を載せております。

うん。辞書的には

「広辞苑」は危険である。
「広辞苑」は不都合である。
「広辞苑」はのめり込みそうである。

と、この広告からは、ひろく解釈できる。
つまり、広辞苑を危険で不都合であると思っている人にも、
広辞苑にのめり込みそうなやばさを感じている人も、
どちらからも文句はでない、自由な広告。
という含みを込めたものでしょうか?

ところで、購入された方、あるいは、
本屋で手に取った方でもけっこうなのですが、

広辞苑には「おやじギャグ」という言葉は、
載っておりましたか?

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朝日、ご都合主義の「自由」宣言。

2018-01-19 | 朝日新聞
朝日新聞が
小川栄太郎氏らに対し
計五千万円の損害賠償請求訴訟をおこしたのは、

小川栄太郎著
「徹底検証『森友・加計事件』
 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」
(飛鳥新社)

この本に対してなのでした。

産経新聞2017年12月30日に
小川栄太郎氏へのインタビュー記事が掲載されてました。

「係争中だと、書籍の広告掲載が
報道各社の基準に引っかかる。
広告を世の中から隠すことも
計算に入れていると考えられても仕方ない。

つまり、大言論機関が
個人を恫喝しつつ、
実際には裁判に逃げたのです。
言論を封殺するために
非常に露骨な手を打ってきた。」

「五千万円の賠償は、
飛鳥新社や私個人にとっては
茶番では済まない大きな額です。」

この小川氏へのインタビュー記事の脇に
阿比留瑠比氏のコラムも掲載されておりました。
そのコラムのはじまりは

「『言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを』
朝日新聞はかつて
『ジャーナリスト宣言』と称する
宣伝キャンペーンを展開し、
新聞、テレビ、ラジオなどで
こう強調していた。
それが今では、信じているのは
『言葉のチカラ』、つまり言論ではなく、
司法となってしまったようだ。」

コラムの中頃も引用。

「しかも小川氏は5日付の回答に
『一個人を恫喝するのではなく、
言論には言論で勝負していただきたい』と記し、
正面から論戦を挑んでいた。
朝日は紙面でいくらでも反論できるにもかかわらず、
その挑戦を無視した。
そして、圧倒的な資金力を背景に
戦いの場を司法に移すというのだから、
なりふり構わぬ姿に唖然とする。
徳島文理大の八幡和郎教授は27日、
インターネット上の言論
プラットフォーム〈アゴラ〉にこう書いた。
【名誉を回復したいということが目的でなく、
(中略)個人や弱小出版社などが、
朝日新聞を始めとするマスメディア集団を
批判すること自体をやめさせようとすることが
狙いとしか合理的には理解できない】
同感である。
大手メディアによるこんな振る舞いが
常態化すれば、日本の自由な言論空間は
閉ざされていくことだろう。
軽視していい問題ではない。・・・」


前置きが、長くなりました。
じつは、今年になって
2018年1月18日の阿比留氏の文が掲載され、
そこから引用したかったのです。

「その後、小川氏らに送られてきた
訴状に次のように記されていることを知り、
目を疑った。

『原告(朝日)は上記両問題(森友・加計問題)について
安倍晋三首相が関与したとは報じていない』

朝日があれほど力を入れて報じ、
紙面を占拠してきた森友・加計問題に関する
記事やコラム、社説は何だったのか。
一連の報道を通じ、安倍内閣は
一時支持率が大きく下落し苦境に陥ったが、
それにどんな意味があったのか。」

「その一方で、
朝日は小川氏の著書に対しては
『言論の自由の限度を超えています』
(千葉光宏・執行役員広報担当)と決めつけ、
言論に言論で立ち向かうことを避けて
いきなり提訴した。
自分たちは言論の自由を謳歌し、
あの手この手で他社を攻撃するが、
批判は許さない・・・・」

そして
「朝日は言論の自由について
どう位置づけてきたのか。
社説をいくつか紹介したい。」
として、列挙しております。
そこから、すこし引用。

「慰安婦報道をめぐり、
元朝日記者が嫌がらせを受けたときには
こう記した。

『意見を述べ合い、批判し合う自由こそが
社会を強く、豊かにする。
戦後約70年をかけて日本が築きあげてきた、
多様な言論や価値観が交錯する社会を守りたい』
(平成26年10月2日付)」

「また、間違った記述が多数あった新書・・・
に、いったん販売差し止めの仮処分決定が下された
件ではこう主張していた。

『著者や出版社に損害を与え、
萎縮を招くだけではない。
人々はその本に書かれている内容を
知ることができなくなり、
それをもとに考えを深めたり
議論したりする機会を失ってしまう。
民主的な社会を築いていくうえで、
極めて大切な表現の自由を損なう・・・』
(平成29年1月12日付)

自分たちに都合のいい言葉は
美辞麗句を駆使して守るが、
都合の悪い言論は裁判でただちに封じる。
そんな姿勢・・・」


朝日新聞の『美辞麗句』の歪曲の迷路を解き明し、
朝日新聞の呪縛から購読者を解放できるかどうか。
「相棒」杉下右京も、触れたがらないこのタブー。
ひきつづき注目してゆくテーマがここにはあります。
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はじまり「ひふみん語録」。

2018-01-18 | 一日一言
「ひふみん語録」の
はじまりを引用しなきゃ。

「まず紹介したいのは妻の言葉です。
1960年に結婚して以来、妻は共に
魂を燃やして人生を歩んでくれました。
ある時、その妻からこう言われたのです。

『あなたは棋士なのだから、
どんな時でもいい将棋を
指さないといけません』

この言葉を聞いたのは、
日本が高度経済成長期の真っ只中だった頃です。
ただ、いくら世間が好景気に沸こうと、
将棋の世界が恩恵を受けることはありませんでした。
そこで、タイトル戦を主催する新聞社の幹部と
話をしたのですが、

『将棋界には大きな変化がないので
契約金を上げる理由もない』

と言われてしまった。・・・
当時はそういう反応でした。
その時、もし妻に
『いくら頑張っても将棋界は
先がないんじゃないですか』
と言われたら困ってしまったと思いますが、
そうではなくて、
状況が良かれ悪しかれ、
たとえどんな時でも
いい将棋を指しなさい
と背中を押されたわけです。

『そうか!妻の言う通りだ!』

と感じた私は将棋に精進する
ことを決意しました。
思えば、『名人』という
大きな目標を初めて意識したのも
この時でした。
妻の言葉にはいまも深く
感謝しています。」
(「新潮45」2月号p83)

ちなみに、
加藤一二三氏には、近著
「天才棋士加藤一二三 挑み続ける人生」
があるそうです。
う~ん。私は雑誌で満足(笑)。

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ひふみん語録。

2018-01-18 | 一日一言
新潮45の2月号が発売。
本屋さんが届けてくれる。
雑誌の見出しに
櫻井よしこ「『朝日』『NHK』の偏向報道を糺す」
という題がありました。
朝日新聞の広告欄にこの文字は載るのだろうか?
以前は、それが気になって朝日新聞を開いたことがある。
そんな確認をすることもしなくなり、だいぶたちます。

将棋の加藤一二三さんが
「私を発奮させた10の言葉」という文を寄せております。
短く小文字で著者紹介文がありましたので、全文引用。

「1940年福岡見生まれ。54歳に当時、史上最年少の
中学生プロ棋士となる。70年に洗礼を受けキリスト教徒に。
通算1324勝は歴代3位。近著に
『天才棋士加藤一二三 挑み続ける人生』。」


升田幸三先生を語っている箇所が印象深い。

「名言といえば、
升田幸三先生を抜きに語れません。
升田語録は本当に名言のオンパレードです。
私が小学6年生の頃、大阪の将棋会館で
板坂四郎八段(当時)と飛車香落ちのハンデをもらって
指したことがあります。それを傍らで観ていたのが、
将棋界のホープとして、その名を轟かせていた升田先生です。
先生は対局後にこう仰いました。
『この子、凡ならず』
・・・・・
私がプロ棋士となってからも升田先生は
私の将棋を見守ってくれました。
スランプに陥った際、
私は升田邸を訪ねましたが、
その時の言葉は
終生忘れられません。

『加藤君、
君はいま活躍していない。
だが、それがいいんだ。
なまじ中途半端に活躍するのはよくない。
ワシは君を〈潜龍〉だと確信している。
ひと度、龍が大空に舞い上がれば、
もはや誰も勝てないだろう。
その日が来ることをワシは信じている』

そう言って、
すぐに筆と色紙を持ってくると、
『潜龍』と書き込んで下さった。
いま思い返しても、
凄い発想ですよね・・・・。
そこそこ活躍している棋士に対して、
『もっと頑張ってトップを目指せ』
と励ますのなら分かります。
でも、先生は
『活躍していないところがいい』
と仰った。
そこそこの活躍で満足するんじゃない、
将来の大活躍を期待しているんだ、と。
独特な感性を持つ先生ならではの
名言だと思います。」


5頁の文ですが、
その最後の箇所も引用しておきます。

「私が仕事を引き受ける時には、
『楽しい、面白い、深い』
の3つを大事にしています。
私自身が興味を惹かれ、
新たな発見があり、
しかも、人々に感動を与えられる仕事という意味です。
これなどは、
加藤一二三語録のひとつに
数えてもよろしいかと思いますよ!」


はい。
今年のわたしは
『楽しい、面白い、深い』ブログをめざして、
テレビで、ひふみんを見かけたら、
この語録を思い出すことにします。


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おみやげ。

2018-01-16 | 地域
昨日は、京都の阿闍梨餅を、
おみやげでもらって食べる。
初めてなので、噛み心地を楽しめ、おいしかった。
モチモチ感のあるアンコ入り薄饅頭といった感じ。

注:阿闍梨餅本舗:京菓子司 満月
本店は、京都市左京区今出川通り鞠小路上ル



昨年暮れ、
山形から酒が送られてきていて、
それを昨夜夕食で、開ける。
ひさびさに、四人揃ったのでした。

山形県・楯の川酒造の、生しぼり日本酒と、
リキュール酒・鳥海山麓ヨーグルト。
にごり酒のような色の、ヨーグルトリキュール酒は
見た目のイメージとのギャップが楽しめて、
しかも、飲みやすく好評。

近所の魚屋さんで、刺身盛り合わせを
とりよせ。それに鯨の竜田揚げ。
おみやげのシューマイもならべての夕食。

ふだん、一人住まいでも元気な義父は、
話し相手がいなくってと語ります。
刺身盛り合わせも、ヨーグルト酒も
楽しんでもらえたのでした。

うん。期せずしてのあらためての、
新年会といった感じとなりました。


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アイデアの蒸発。

2018-01-15 | 一日一言
鎌田浩毅著「知的生産な生き方」(東洋経済新聞社)に
こんな言葉を拾えました。

「仕事の上で参照したい、
また引用したいときに
すぐに出てくるようでなければ、
本としての機能は果たせません。
必要になってから書店や図書館に
走ったのでは遅いのです。

自分が思いついたアイデアは、
そのときに固定しなければ
蒸発してゆきます。
貴重なアイデアにしっかりと
した基盤を与えるため、
書籍で確認を取る必要が
しばしば生まれます。
アイデアが発展してゆく際にも、
名著は必要不可欠なものとなるのです。

こうした知的作業を、
間髪を容れずにやってしまわないと、
せっかくひらめいたアイデアも
活用されずに終わってしまいます。
知的生産を効率的に行うためには、
本が手元にあることは
最大の準備となるのです。」
(p33)


「アイデアは、そのときに
固定しなければ蒸発してゆきます。」
とあるのでした。

はい。
ブログへの書き込みも、
そのとき記しておかないと、
すぐに忘れることばかり。
この「アイデアの蒸発」説は身に沁みます。
そして、
「アイデアが発展してゆく」という醍醐味
を読める愉しみ。
うん。昨年、鎌田浩毅著
「ラクして成果が上がる理系的仕事術」(PHP新書)を
私は、そんな愉しみでもって読んでいたのでした。
それがもう、
その新書の内容を、忘れかけております(笑)。
せめて、このPHP新書を
そばに置いときます。

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「はあ?」と思わず声を上げてしまった。

2018-01-14 | 朝日新聞
今年の1月は、新聞を二紙とっております。

さっそく、1月14日。
二紙に補助線がひけそうです。

読売新聞の読書欄で
橋本五郎さんの書評本は
平川祐弘著「戦後の精神史」(河出書房新社)
その書評の最後を引用。

「〈歴史を解釈するときに、
まずある大前提となる原理をたてて、
そこから下へ下へと具体的現象の説明に
及ぶ行き方は、あやまりである。
『上からの演繹』は、
かならずまちがった結論へと導く。
事実につきあたるとそれを歪めてしまう〉

読み終わって痛感するのは
竹山の指摘は決して過去のことではない、
『上からの演繹』は今も一部ジャーナリズムの
世界で蔓延しているではないかということである。」


その「一部ジャーナリズムの世界で蔓延している」
というのは、産経新聞を開くと具体的に展開されています。

1月14日の産経コラム「新聞に喝!」は
門田隆将さん。

「昨夏、読売がこの点について興味深い記事を掲載した。
早稲田大学現代政治経済研究所との共同調査で、
若者が、リベラルとは『自民党や日本維新の会』であり、
保守とは『公明党や共産党』であるという認識を持っている
ことをリポートしたのだ(8月11日付)。」

うん。ここ大事な箇所なので、すこし長く引用。

「安倍政権がアベノミクスや『地球儀を俯瞰する外交』を展開し、
日本維新の会が大阪都構想に挑戦するなど変革を目指しているのに対して、
旧来の体質のままの公明党や共産党が『保守勢力である』という
斬新な考えを持つ若者たちについて初めて言及したのだ。
国内外のさまざまな現実に対応していこうという人々と、
イデオロギーに固執して現実を見ようとしない理想論、
すなわち観念に縛られた人々との意識の差について
考えさせられる記事だった。
2カ月後の総選挙では、この分析を裏づける結果が出た。
各種世論調査で、29歳以下の若者の半分近くが
『比例投票先』として自民党に投票していた
ことが明らかになったのだ。
全世代の中で若年層が安倍政権の支持基盤になっている
ことが浮き彫りになった。だが、
現実を分析できない新聞は、これを
『若者の保守化』と論じた。

観念論の代表は朝日である。

元日の社説で朝日は、
『来るべき民主主義 より長い時間軸の政治を』
と題して、安倍政権は迷走しており
『与えられた豊富な時間を大切に使い、
政策を着実に積み上げてきただろうか』と非難を展開した。
だが、その根拠は
『国政選挙を実に頻繁に行ったことにある』
という珍妙なものだった。
なんと、民主党の野田政権による解散総選挙も入れて
この5年間に5回も『選挙を行った』と批判した。
実際には安倍政権は5年間に2回解散総選挙を打ったが、
これはこれまでの通常の衆院選の間隔と変わらない。
社説は、この強引な印象操作ののちに、
『若い人の声をもっと国会に届けるため、
世代別の代表を送り込める選挙制度を
取り入れてみては、という意見もある』と、
意味不明の主張を行っている。

『はあ?』と思わず声を上げてしまった。

就職や結婚、家族の構築・・・といった
将来の人生のために最も『現実』を見据えている若者と、
主義主張にこだわるだけの新聞との乖離は、
広がるばかりだ。・・・・」


両新聞で浮き彫りになる朝日新聞。
新聞を二紙すり合わせる、その贅沢な味わい。



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整理し、要約し、単純化。

2018-01-14 | 道しるべ
「歴史よもやま話」日本篇上(文藝春秋・昭和41年)
ここで、文藝春秋の池島信平氏は
鎌倉仏教の話し合いの中で、

「わたくしは先祖代々曹洞宗なので道元です。
正法眼蔵は分からないが、二世の懐ジョウの
『正法眼蔵随聞記』は愛読書です。」(p139)

「これが道元となりますと、・・・
これは大へん毛色が変っていると思うのですが、
『正法眼蔵』などという本は、われわれが読んでも
とても歯がたちませんが、いかがでしょうか。」(p130)

どちらも、文藝春秋社長・池島信平氏の発言でした。

うん。現在の私も、そうだろうなあと、当然のように、
「正法眼蔵」は歯がたたないものと思っておりました。
それが違うらしいと思えたのは、
鎌田浩毅著「知的生産な生き方」(東洋経済新報社)の
この箇所。

「漢文で書かれている正法眼蔵を、
今は優れた現代語訳で読むことができます。
お勧めしたいのは増谷文雄訳の全八巻
(講談社学術文庫)です。」(p142)

はい。このお勧めは、ありがたかった。

ちなみに、鎌田浩毅著
「ラクして成果が上がる理系的仕事術」(PHP新書)にも
増谷文雄氏の名前が登場しておりました。
その引用箇所を、あらためてここに一部を引用。

「『コピーペースト法』は、日本文化の根底にもある。
仏教学者の増谷文雄は日本の仏教に関してこう述べる。

 文化はまた、つねに、複雑化したものを、
整理し、要約し、しだいに単純化する傾向をとる。(中略)
もし、受けとったものが、すべてそのままに置かれたのでは、
わたしどもは、うずたかい文化の乱雑な集積のなかに埋もれ
てしまうであろう。だが、わたしどもは、それらを
整理し、要約し、単純化して、それをわがものとした。(中略)
わたしども日本人は、文化の創造という面では、世界にたいして、
まったく寄与するところがないにひとしい。
だが、雑多の文化を受けとって、これを整理し、要約し、
単純化するという面においては、いつのまにか、
民族の性格的なものをもっているようである。
それもまた、文化にたいする重要な寄与であることを
自覚したいと思うのである。
  (増谷文雄『日本人の仏教』角川選書、214~215ページ)

ここで『整理し、要約し』といっていることこそ、
まさにコピーペーストである。
アウトプットを効率よく生み出すための起動装置としては、
『コピーペースト法』が最適なのである。」(p171~172)


はい。
昨年は、鎌田浩毅氏の本を読み返していて、
今年は、増谷文雄氏の本へチャレンジの年。

はい。こうして、自分に弾みをつけます(笑)。

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