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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大學さんの仕事。

2010-12-29 | 詩歌
新刊買いました。
関容子著「日本の鶯 堀口大學聞書き」(岩波現代文庫)。
解説は丸谷才一。
その解説のなかに、
「・・・最近、長谷川郁夫さんの『堀口大學 ―― 詩は一生の長い道」といふ好著が出た。わたしは一読して感銘を受け、これはぜひ書評に取り上げなければならぬと思つたのだが、何となく書きそびれ、時期を逸してしまつた。・・」(p409)
という箇所がありました。


ああ、そうだ。長谷川郁夫著「堀口大學」は2009年11月に出ておりました。
値段が6930円だったので、最初から購入対象外で気にしておりませんでした。ですが、今の古本値段はいくらくぐらいか。さっそくネット古本屋で検索すると、送料ともで4290円。うん。少し迷ってから買うことにしました。

ということで、堀口大學。
「日本の鶯」は、そっちのけで、
トランプのカードを並べるように、思いつく本を列挙。

 堀口大學著「月下の一群」(講談社文芸文庫)
 佐藤春夫著「退屈読本 上」(冨山房百科文庫)
 丸谷才一批評集第五巻「同時代の作家たち」(文芸春秋)
 堀口大學「水かがみ」(昭和出版)
 思潮社現代詩文庫のなかの
 「堀口大學詩集」「堀口大學訳詩集」。

 そういえば
 向井敏に「机下の一群」という本があるなあ。
 ここから、欲しいのは小沢書店「堀口大學全集」。
 とそこまではいかないなあ。

忘れられないのは、「新潮」2000年1月号。
そこに河盛好蔵氏が「20世紀の一冊」という1ページの文を載せておりました。
はじまりは
「堀口大學さんの訳詩集『月下の一群』に出合ったときの驚きは、97歳の今も忘れない。」
そして最後は
「文学の底を流れているのは詩である。これはごく当り前なことなのに、わが国の近・現代文学は、いつの頃からか詩と小説が分離してしまい、その傾向は今に続いている。私は大學さんのあの仕事にかえることが、今もっとも大切なのではないかと思っている。」

まあ、そういうわけで、古本値3990円。
ちょっと高いとは思いましたが、購入することにしました。
おっと、私の場合、買ったからって、読むとは限らないのですが(笑)。
とりあえず、買うことを決めたのでした。
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いずれにせよ。

2010-12-28 | 他生の縁
ネットで古本が購入できるようになって、
私に癖になってしまったことがあります。
本を読んでいながら、途中で推薦されていたり、
気になる本の紹介があると、読むのを中断して、
ネットで古本の検索をはじめるのでした。
(もちろん家にいる時なのですが)
それが毎回の習慣になってしまっております。
たとえば、最近では、
加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)に
白石太良著「共同風呂」というのがp13に
ちらりと出てくる。う~ん。風呂というのは
興味があります。途中で検索すると、
1冊みつかります。
うん。ここで注文しなきゃ。
もう、買えないかもしれない。
風呂には興味があるし、と注文することにします。
つぎに、p14に
きだみのる著「気違ひ周游紀行」がでてくる。
これは、買ってあったけれども、未読本なので、
新書のとこをさがしてみる。あった。
この機会に読めればうれしい。
p169には「わたしの愛読書のひとつ」とあり
海賀変哲著「落語の落」という本が何気なくある
うん。ネット検索で、これは東洋文庫に2巻本としてあるのを確認。
とりあえず、一冊目だけ買うことにして注文。
p216には山口翼の「日本語大シソーラス」(大修館書店)への言及、
さっそく、ネット検索すると、こりゃ高い8,000円以上する。
こういうのは買っても読まないことはわかっているので、
すぐに諦めることができる。

ということで、本を読んでいるのか、
検索しているのか。どっちなんだ。というような読み方。
来年はすこしは賢い読書になりますように。
すこしは改善してゆけますように。
まあ、「常識人の作法」を読んだのですから、
一箇所ぐらいは、すこし引用しておきましょう。
それは「『つきあい』のゆくえ」という文に、ありました。


「いずれにせよ、どれだけのひとと、どれだけ深い交際ができているかによって人間や地域、そして組織の力は決定される。」(p116)
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ああ、いい言葉だ。

2010-12-27 | 短文紹介
年賀葉書は40枚ほど宛名を書いてから、
そのまま、ほっぽり投げて、中断。
筆ペンをつかうのですが、気持ちがつづかず、
どんどん下手な字になっていく、
そういう時は、肉厚の筆ペン(太字用)にして、
書くと下手は下手なりに、
乱筆は乱筆なりに、気にならなくなります。
細字だと、どうも粗がめだつ。
その点、太字だとその粗が愛嬌たっぷりの感じになったりするのを発見。
これからは太字用の筆ペンにしよう。

さてっと、ほっぽり投げた年賀葉書には、
今年の新刊10冊を並べていました。
10冊は多い、そのうちの1冊を選ぶとしたら、
などと、ふっと思ったわけです。
そうすると、
「梅棹忠夫語る」が、俄然浮かび上がってくるのでした。
それで、私的2010年新刊ベスト1は
日経プレミアムシリーズの新書
「梅棹忠夫語る 聞き手小山修三」の一冊に決めました。

おそらく小山修三氏は、
梅棹氏の、こういう語りを、よくご存知なのでしょう。
新しく本にするに際して、その雰囲気がよく出るような
語りの引き出し方をなさっておられるように感じられます。

よむのは簡単なのですが、
簡単に読める本ほど、
私など、ほっぽり投げて、次の本へと興味が移っていくので
案外、簡単単純な本ほど、要注意。
ということで、今年の一冊に、この本をあげて、
机上に置いて、来年も読み直していきたいと思います。

そうそう。
この新書には、ところどころに
本からの引用があるのでした。
その引用のひとつに
加藤秀俊著「わが師わが友」からの引用があって、
それで、気になってネット検索したら
ちょうど一冊古本で手に入ったのでした。
( あれ? どちらが先立ったかなあ。まあいいか。)

たとえば、加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)に、
和辻哲郎への言及があったりすると、
これなんか、梅棹忠夫氏を囲んでの座談かなんかでさんざん登場した話題じゃなかったのかなあ。なんて、かってに思ったりするわけなんです。
それはそうと、小山修三氏が、話題を引き出してゆくのに、
感に堪えないように、「ああ、いい言葉だ。これが聞きたかったところです」とつぶやいている箇所があり、なんども引用したくなります。
ということで、その箇所。

それは「テレビは思想の媒体ではない」という小見出しがある箇所でした。


梅棹】 とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。
・・・切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
・・・・あれは思想の媒体ではないな。
小山】 無礼だとかいやだとか、おれの趣味に合わんというのでは理由にならないんだ。『放送は思想の媒体ではない』。ああ、いい言葉だ。これが聞きたかったところです。新聞社でも、電話インタビューは全部断っていましたね。
梅棹】 断った。これも責任が持てないから。
小山】 すると梅棹さんが書いていることは、全部責任を持って書いている。
梅棹】 あたりまえやろ。全部自分の言ったことを確認している。それができない媒体には責任が持てない。
小山】 ずいぶん厳しいなあ。
梅棹】 わたしは、別な言い方したら、芸能化するのをひじょうに嫌った。


ここがp158~159に出てくるのですが、この「芸能化」について、
p199では、別の角度から語られていくのでした。

小山】 ぼくは、梅棹さんより梅原猛さんのほうが宗教家としては向いていると思います。
梅棹】 梅原は哲学という芸能の一ジャンルを確立したんや。哲学者という芸能人の一種のスタイルをつくった。
小山】 最近、哲学ばやりですね。
梅棹】 そやね。それは芸能や。梅原がそうで、あれは完全に芸能人です。話がうまい。身振り手振りがおかしくて。ほんまにもう、聞かせるよ。迫力があってね。
・・・・哲学という芸能としてのジャンルを確立した。たいしたもんや。


ここから、ついでのように、私が思い浮かべたのは、加藤秀俊著「メディアの発生」でした。これについて、「常識人の作法」にある「雑学考」という文に、「メディアの発生」が図書館によって分類先がまちまちなことを指摘した箇所があるのでした。
そこもついでに引用。


「たとえば『メディアの発生』という書物は主要公共図書館、大学図書館では、ぜんぶが772.1という項目にはいっている。この番号は『演劇史』である。たしかにこの本のオビには『私説芸能史』という副題がついているから、これでいいのだろう。だが例外がいくつかあった。まず慶応義塾大学図書館。ここでの分類は361.5になっている。この住所の名前は『文化社会学』。著者としてはこの慶応からいただいた住所のほうがふさわしいのではないか、と思っている。公立図書館では埼玉県立図書館などがおなじく『文化社会学』として受け入れてくださっている。外国の図書館でもずいぶん購入されているようなのでしらべてみた。まずハーバード大学図書館。ここではDDCではなくキーワード検索になっていて『宗教生活』『舞台芸術』『日本の習俗』などから引けるようになっている。世界最大のあのアメリカ議会図書館ではK355となっていて、この項目名は『日本宗教社会学』。ベラーさんの『徳川時代の宗教』などの名著のあいだに入れていただいている。・・・・」(p178)



分類といえば。
う~ん。ここまでにします。

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年賀葉書文面。

2010-12-24 | 手紙
毎年年賀葉書は、前年発売された新刊案内をしております。
その文面を紹介。
どうも、年賀葉書を書く相手よりも、ブログを見てくれている方のほうが多そうです。
ということで、私の年賀葉書は以下のとおり。

  謹賀新年 2011年 新春に感銘本の紹介

○守屋淳編訳「渋沢栄一の『論語講義』」(平凡社新書)
 維新功労者をまじえて語る論語講義。それを簡潔的確に紹介した一冊。
○「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ新書)
 「知的生産の技術」の著者のスケールを座談で気軽に味わえる魅力。
○鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)
  連載7年間分の短文が詰まった一冊。一回が2ページほど。
○山内昌之著「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)
  新聞連載。現政治から幕末へと一人3頁で語る歴史人物の奥行き。
○竹内政明著「名文どろぼう」(文春新書)
  「編集手帳」の筆者による、思いもよらない名文の行列。
○丸谷才一著「あいさつは一仕事」(朝日新聞出版)
  ご自身の祝辞などを集めた挨拶本。これが待望の3冊目。
○宇野直人・江原正士著「漢詩を読む 2」(平凡社)
  NHK ラジオ第二放送での軽快な対話形式の漢詩その歴史。
○黒岩比佐子著「パンとペン」(講談社)
  売文社を活写。昨年氏のブログから目が離せませんでした。
○高橋鎭子著「暮しの手帖と私」(暮しの手帖社)
  戦後の雑誌出版にまつわるあざやかな人間模様。
○芸術新潮「いざ鎌倉」2010年11月号
  一冊に鎌倉が写し込まれて、まぶしい鮮度。
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1月号を買う。

2010-12-22 | Weblog
月刊誌の1月号を買う。

 正論1月号
 文芸春秋1月号
 WILL1月号
 ちなみにWILLはもう2月号が出ておりました。
 そして、
 新潮45 1月号

 もう月刊誌はこのくらいにしておこう。
 正論1月号も買ってよかった。ひさしぶりでしたが、
 なにか、いままでの雰囲気と違ってきました。
 WILLみたいな活字ならび。
 文芸春秋の1月号の特集もいいし、
 新潮45 1月号は
 曾野綾子の「私はなぜ『工作船ビデオ』を撮影、公開した海上保安官を表彰したか」とある。それは、数ページでも読みたいとおもいました。さて買ってみると、巻頭が徳岡孝夫。外山滋比古もエッセイを連載。それに「山本五十六」の特別企画。なんとDVDまでついてる。

ちなみに、
WILL 780円
正論 740円
文芸春秋 780円
新潮45 890円

3190円になるなあ。つい買ってしまった。
うん、1月号だから、つい手がでてしまったのだ。
これ以上は買わないぞ。

そういえば、文芸春秋の特別企画は「弔辞」。
加藤秀俊著「常識人の作法」をひらいていたら、
こんな言葉が拾えました。

「ある思考や感情をどうにかして言語化し、それを表現しようとして努力をするが、それには限界がある。たとえば親しいひとが死去した、といったばあい、その驚き、悲しみの感情を完全に言語にすることはできない。たしかにわれわれは数万におよぶ語彙をもち、またその語彙を組み立てて『文』にする能力を学習してはいるけれども、人間経験のすべてが言語化できる、とおもったら大間違いだ。」(p230)

ちなみに次のページにはこんな箇所が載っていました。

「ついでながら、英語の『ツイッター』には『さえずる』のほか『わななく』『ふるえる』そしてさらに『早口で神経質に、あるいはツマらないことを話す』という意味もあるようである。すくなくともわたしにはあんなもので自己表現の技術が向上するなどとはおもえない。」(p231)

うん。こういうご意見を聴きたいときには、今は本を買わなきゃなりません(笑)。

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こうした配慮。

2010-12-19 | 他生の縁
加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)を、私は楽しく読みました。
読みながら、さて、これをどうお薦めしたらよいかは、ちょっと解説がいるような気がしておりました。
そこで、思い浮かんだのが、阿部謹也著「『教養』とは何か」(講談社現代新書)の中の言葉なのでした。ということで、その引用から


「私がこの問題にはじめて気づいたのは中学校の校長との関係においてであった。その校長は卒業式の時にどんなに困難があっても自分が正しいと信じた道を進め、と説き、そのためには中学校の教師はいつでも協力すると語ったのである。
数年後に大学卒業を前にして大学院に通いながら働ける非常勤講師の口を探そうとしていた私はその校長を訪ねた。そのとき校長は私の教師の名をあげ、ああいう進歩的な教師の許にいたのでは非常勤講師の口など期待するほうが間違っているといったのである。そのときの校長の話し方は卒業式の時の話と全く異なっていた。彼は一人前の大人として私を遇し、『世間』の中での身の処し方を教えてくれたのである。『世間』の中で身を処して行くためには若いときの信念や期待などはかなぐり捨てて『世間』の常識に従わなければならない、ということを教えてくれたのである。
私は当時彼のこうした配慮に気づかなかった。私は校長に失望して中学校を去った。・・・・」(p99)

まあ、このあとが阿部謹也氏の本の本題となるのですが、それはそれとして、
加藤秀俊氏の著作を、すでにご存知の方には、説明を要しないのですが、加藤秀俊氏がどのような方かもしらずに、この「常識の作法」をはじめての1冊として読んだら、何か失望するのじゃないかなあ、といらぬ心配をしてしまう私なのでした。

まあ、この本は、気楽にご隠居のお話を聞いているような雰囲気があるのです。
別に、理路整然と説明をうけている気構えで読み始めると、その理路につまずくんじゃないかという、いらぬ心配をしてしまうのでした。

たとえば、また山本夏彦の選集が出版されるようでありますが、
山本夏彦の「愚図の大いそがし」にこんな言葉がありました。

「私たちは共通な人物と歌を失った。何よりその背後にある芝居を失った。言葉どころではないようだが、言葉から直していかなければこれは改めようがないのである。」

ここでいう「言葉」から直すということを始めたとします。
すると、つぎに「何よりその背後にある芝居を失った」ということに、はたと気づかされるのじゃないかと、私など思ってみるのでした。

ここはひとつ、ご隠居のところへと長屋の数人でお小言を頂戴にうかがったというお芝居を思い描いてみればよいような気がするのでした。つまり加藤秀俊ご隠居に、新米読者がご意見を頂戴しにうかがっているお芝居が、大切なキーポイントとなるような、そんな気がします。

いきなり、論理明快な筋運びを期待すると、常識と非常識とがぶつかって、読み進めなくなるような雰囲気があります。ここは、ひとつ、落語を最後まで聞いてみるつもりになって、読み進める事が肝要です。読後得るところが多いと思うのでした。つまり、反発する箇所もあるでしょうが、それが、あとあとに考え方の目印として残ってゆくような、踏み台としての役目を担っていると思えるのです。まあ、ご隠居は自然体で語られておりまして、それをとやかくいうのは若造の若造らしさになってくるのですが、あとあと知らないうちに身にしみるのがご隠居のお説教というものです。

ええ、そんなのは聞きたくもないというのですか。うん、そういう方は落語も聞かれないのでしょうねえ。もったいない。

おっと、ここでは、肝心な「常識人の作法」の内容へと踏み込めませんでした。またこんど。
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宛名書き。

2010-12-18 | 手紙
今年も、手紙を書かない一年でした。
そんなことが、思い浮かぶのも、ひとえに年賀はがき。
年賀はがきを、まだ書いてません(笑)。
せいぜいが50枚ほどの年賀はがきですが、ご両親の喪中の葉書が数枚とどいておりました。毛筆で宛名をかいてくださっている方もおられます。
話がそれますが、古本屋に注文して本が届くと、手書きで宛名をしたためている古本屋さんがわりにあります。
私の名前を、いろいろな方が書いて下さっていて、
つい、捨てるのが惜しい宛名書きもあったりして、
自分が字が下手なので、ぞんざいに書かれている筆致に、自分の字を重ねあわせて、思わず笑ってしまったり、下手は下手なりに丁寧にかかれている宛名書きには、捨てがたいものがあります。ということで、印刷の宛名以外は、何となくとってあります。まあ、いずれは捨てちゃうんですが、すぐには捨てがたい。ペンやサインペン、筆、筆ペン、ボールペンとさまざまですが、私の住所と名前を、さまざまな方に書いてもらっていると、さまざまな書体の自分にであっているような味わいがあり、それだけで、なにやら有難い気分になったりもします(笑)。まあ、こんなふうにボンヤリして、年賀はがきを書き始めるまえに、とりとめもないことを思うのでした。毎年こんな感じで、年賀はがきまで、たどり着くには、まだ数日かかりそうです。
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思考のお蔵入り。

2010-12-17 | 前書・後書。
私は、昨年の11月頃に外山滋比古著「思考の整理学」の感想を書いておりました。うん。それから、興味をもって、古本を買っておりました。その際、外山氏は新刊も出されているので、新刊が出ると、つい迷います。これが古本になるまで待とう。と思うわけです。たとえば、外山滋比古著「第四人称」(みすず書房)が2010年6月に新刊として出た際に、う~ん。これは買わずにおこうと思ったのでした。
つい最近、古本検索をして、その「第四人称」を何気なくも見つけました。新刊定価が1890円。古本が送料共で1010円。さっそく購入して、昨日手にしました。
まったく、外山氏の本を最近は読んでいないなあ、と思い出しながらの購入。ところで、外山氏の文を読んで、つねづね思うことは。気長に思考を寝かせておく効用を、ご自身が理解し追体験されている、その見事さにあるのではないか。
さてっと、読む前に(なんて、私はいつ読むのやら?)、まずはあとがきだけでも引用しておきましょう。こんな箇所がありました。

「・・しかし、それ以上考えることもなく、問題から離れ、いつとはなしに、忘れてしまっていた。それからでも、もう四十年になる。なにがきっかけであったか記憶にないが・・・第四人称と名づければよいと思いついた。さっそく私的な勉強会で披露してみたが、反応は冷ややかであったから、また頓挫したと感じて、お蔵入りとなったのである。
それがどういう風の吹きまわしか、どうしても第四人称論をまとめようと思い立った。といってもすぐすべり出したわけでなく、難航、休み休み書きつづけたエッセイがやっと本になる分量に達したのは一昨年である。しかし、すぐ出版に踏み切る勇気に欠けて、草稿はそのまま眠っていた。それがまた、気が変わって、発表しようと考えたのが本書である。・・・」

お蔵入りという言葉から、
何か、外山滋比古氏の本を読んでいると、古本も、新刊も垣根がないような錯覚を抱くのでした。ということで、新刊を探すように外山氏の古本の文庫を楽しんで注文していた今年一年。スラスラ読めるエッセイを楽しみに購入したのですが、その割に読んでない(笑)。
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グリーティング。

2010-12-15 | 手紙
毎年。クリスマスにあわせ、
グリーティングカードを送ってくださる方がいて、
今年も届きました。
それがきれいで、つい語りたくなります。

はがきの上4分の1ほどが星空。
星空の下は雪の原。
雪の原はゆっくりと波のようにうねり、
夜空を切り取っています。
白い波の原には、裸木が12~13本。
裸木には、それぞれ無数の枝が伸び、
一本一本の枝ぶりが、
丸、三角、それに牧場サイロの形。
白波には、無数の粉末のラメがまぶされていて、
きらきらと銀の輝きのように、室内灯に反射します。
グリーティングカードをもって、
ゆっくり左右に傾けると、ある角度で、全体が輝く。
パソコンに立てかけると、
そばを通るたびに、カードが輝いていたりします。

ということで、12月の後半は、
この華やぎのなか、ブログを書くことになります(笑)。
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愚直なまでに。

2010-12-13 | 短文紹介
週刊誌「サンデー毎日」の特集「本誌執筆陣 3冊で振り返る2010年」で、
梯久美子さんが、岩比佐子著「パンとペン」をまず最初にあげております。

その推薦の言葉が、しっくりと印象に残ります。
ということで、その短い言葉を引用しておきたいのでした。
最近の先が見えない出版界を書いたあとに、

「こんなときこそ、地道に取材を重ね、手間隙をかけた作品が光ります。『パンとペン』はその代表で、徹底した調査と誠実な執筆姿勢が埋もれていた歴史を掘り起こした労作。・・・・」

その短い文の最後は、こうでした。


「軽い本ばかりが売れる世の中ですが、
愚直なまでに一冊の本にエネルギーを注ぐ書き手に惹かれます。」

そういえば、梯久美子の著作は何冊か読んでおりました。
梯久美子著「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(新潮社・2005年)
ちなみに、2006年に栗林忠道著「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文芸春秋)が出ました。
昨年は、梯久美子著「昭和二十年夏、僕は兵士だった」(角川書店)
今年は、梯久美子著「昭和二十年夏、女たちの戦争」(角川書店)
そういえば、この3冊を印象深く読んでおりました。

うんそうかと

「愚直なまでに一冊の本にエネルギーを注ぐ」

この言葉を反芻してみるのでした。
そうなんだ。私は「パンとペン」に、
その愚直なまでのエネルギーを読んでいたんだ。
と、梯さんの短い言葉に、教えられるのでした。
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雑誌と弔辞。

2010-12-11 | Weblog
数年ぶりに雑誌「文芸春秋」を購入。
2011年1月号。特別企画は弔辞。
言葉には、嘘がつき物なのでしょうが、
それでも、弔辞を読めるのは幸せな気がします。
言葉の本来へと、立ち戻れる気分をかみしめられる。
そんな気がして読みます。

ここには、普段の会話では出くわさない、そんな言葉が並んでいて、
お別れなのに、祝祭的なはなやかさが加わり、
一回限りの、特別な言葉の凝縮感という肌触りがあります。

そういえば、昨日とりあげた、
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP研究所・1996年)は、
谷沢永一氏の司馬遼太郎への追悼文が、まとまって一冊となったものでした。本の最後には山野博史作製の「著者による司馬遼太郎追悼関連執筆・発言一覧」が掲載されており、一覧のその数は34。

ブログ「古書の森日記」に、黒岩比佐子著「パンとペン」の書評が、そのつどどこに載ったかしらせてくださっております。とりあえず、私にも簡単に読めそうな雑誌を買ったのでした。文芸春秋1月号では「文芸春秋BOOK倶楽部」に高島俊男氏が書評を書いておりました。そして「サンデー毎日」12月19日特大号には、本誌連載陣による「今年の3冊」でも、お二人の方が、短いコメントとともに取り上げているのでした。うん。週刊誌を買うのもお久しぶり。週刊誌には「本誌執筆陣・3冊で振り返る2010年」のあとに、「心に残る弔辞」というが3ページほどで紹介されておりました(直木詩帆・小川直樹)。へ~。「死者に語る――弔辞の社会学」(ちくま新書)というのがあるんだ。機会があれば買いましょう。


ということで、文芸春秋の特別企画・弔辞は、取っておいて、機会があればパラパラとめくってみます。それにしても、雑誌による弔辞という企画って、あるようでなかったような。ないようであったような。

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これ、あんたのだろう。

2010-12-10 | 短文紹介
昨日の続き。
昨日尻切れトンボでしたので、
つづきを書きます。


柳田泉の遺稿「村井弦斎『日の出島』について」、そこで気になった箇所。


「・・・・弦斎にいはせると、今の文壇の文学ほど青年男女にとって毒を流すものはない、殊に最近の自然主義文学(けだし小杉天外、小栗風葉などの文学をさす)に至っては、その最も甚しいものである。然しその間、自ら魔界を脱した文学者もあるにはあるので、さしむき坪内逍遥の老実、幸田露伴の男性的意気、尾崎紅葉の鍛錬などは、特出したものというべきであろう。・・・・・・
これを一読してもわかることは、彼がいかに当時の文壇文学に不満であったかということであるが、凡そ文学は(殊に弦斎の書いたような新聞文学ではなお更であるが)、読者が一半、作者が一半、両者合わせてそれが成り立つ。従って時代の文学からいえば、文学思想の一半は作者のもの、即はち文壇のものとなるが、他の一半は読者たる国民の頭の中にある。弦斎の文学論は、文壇には反対しているが、国民の頭の方は代表している感じである。今の文学史は大体において文壇史であり、従って弦斎の文学論などは一顧もされていないが、然しこれでは国民感情がいつまでも無視され、その反映がとりあげられない。西洋の文学史の例をみても、そうした文学史は先駆的のもので、文学史という文学史は、必ず国民感情を反映している筈である。日本の文学史も、追々国民文学史となるであろうが、そのときは、こうした弦斎の文学論というものも、当時の国民感情を語るものとして口をきくことになろう。」(「柳田泉の文学遺産」第二巻p281~282)


この箇所を読んだ時に、ああこれはと私が連想したのは、
司馬遼太郎が谷沢永一へと書き送った短文。

それは谷沢永一著「完本 読書人の壺中」(潮出版社)の
本の最後に「月報」と題して掲載されております。
「私事のみを」と題した司馬遼太郎の3ページほどの文でした。
そこに柳田泉の指摘する「読者が一半、作者が一半、両者合わせてそれが成り立つ」を、別の言葉で語っております。
そのはじまりは、こうでした。

「唐突のようだが、ギリシャ語で象徴ということは割符(わりふ)のことだという。まことに情けないことだが、作家は割符を書く。他の片方の割符は読者に想像してもらうしかないのである。どんなすぐれた作品でも、五十%以上書かれることはない。」


ここから、司馬遼太郎は谷沢永一へと言及してゆくのでした。
つぎを続けます。

「小説は、いわば作り手と読み手が割符を出しあったときにのみ成立するもので、しかも割符が一致することはまずなく、だから作家はつねに不安でいるのである。(ひろい世間だから、自分とおなじ周波数をもった人が二、三千人はいるだろう)と私などは思い、それを頼りに生きてきた。しかし割符の全き一致など、満員の地下鉄のなかで自分とそっくりの顔や姿の人間をさがすようなもので、本来、ありえないことにちかい。
私の場合、谷沢永一氏がそれを示してくれたということを言いたいために、このように平素は口にしないことを書いているのである。私は私事や私情を文章にしないように心掛けてきたが、谷沢永一という人にふれねばならぬ場合にかぎって、このように手前味噌を書く。」

こうして、あとの二ページにつなげてゆきます。
これを受け取った谷沢永一氏については後日談があります。
司馬遼太郎が亡くなった際に、谷沢永一は
あらゆる機会をつかって(と私には思えました)
追悼文を書いておりました。
それがあとで一冊の本、谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP研究所)になった時に、あとがきでこう書いておりました。

「司馬遼太郎さん逝去の直後、私ごときに果して追悼文を草する資格ありやと、まことに忸怩たる思いを押さえ押さえしながら、それでもなんとか筆を進めるにあたって、心の支えとなってくれた貴重な一箇条がある。それは司馬さんの『私事のみを』と題する一文の存在であった。・・・・」(p230)


そして、そのあとがきで、あらためて「私事のみを」を引用しておりました。
せっかくですから、最後に「私事のみを」から、この箇所を


「だから、いつもこの道の者は割符を持って沙漠を歩いているようなものである。私の場合、幸福だった。沙上でにわかに出くわした人が谷沢永一氏で、『これ、あんたのだろう』といって、割符の片方を示してくれた。割符は、巨細となく一致していた。こんな奇蹟に、何人の作家が遭うだろう。」
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本の注文。

2010-12-09 | 短文紹介
地方に住んでいてですね。年上の方と本の話になると決まって、
その昔、新刊を手にいれるまでの日数の話題になるのでした
(たしか阿部勤也氏の本で、北海道にいる頃の話に、その苦労が語られていたと思います)。
まあ、それはそれとして、最近はありがたい。
新刊でさえ、その日に取り寄せられたりする。
まして、古本が居ながらにして注文できる不思議。
以前は新刊でも、すぐになくなるので、読まなくても買っておくという
そんな切実感がありました。ところが、ありがたいことに、最近は
本を読んでいて、そこに引用されている本が読みたくなると、
ネット古本検索で、いとも簡単に見つけられ、次の日には手元に届いたりする。
むろん、無い事もありますが、それは簡単にあきらめる(笑)。
読書の守備範囲が格段にひろがり、ありがたいと思っております。

それで、ついつい、ネット古本屋で、安い本を気安く注文することになります。
ですが、高い本はダメですね。ハードルが高い。
たとえば、5,000円の新刊は、最初からあきらめる。
たとえば、そう、柳田泉著「柳田泉文学遺産」の第二巻が1冊5040円。
この巻には、幸田露伴に関する文章があり、読んでみたいと思っていました。
けれども、5,000円は高い、3,000円でも高いのに。う~ん。
と、あきらめて、ふてくされて、忘れておりました。
ところがです。黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)を読んだ時に
柳田泉の遺稿「村井弦斎『日の出島』について」が、まるで急所を押えるようにして引用されている。それでは、この遺稿は「柳田泉文学遺産」の何巻目に掲載されているのかと、検索してみると、なんと欲しかった第二巻に入っているではありませんか(笑)。
こうなると、鬼の首でも取った気分で、何はばかることなく注文。

そして、村井弦斎について書かれた遺稿の部分を読む。
でも、幸田露伴の箇所はちっとも読んでないのでした。
二巻を全部読んでから、何か書こうと思っていたのですが、
どうやら、興味がそれていきそうです。
ここはひとつ、柳田泉の遺稿についてだけでも備忘録を。



黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)は2004年に出版。
「柳田泉の文学遺産」第二巻は2009年に出版。
さて、第二巻には解題がついており、その「村井弦斎『日の出島』について」では、こんな指摘がありました。

「ノンフィクションライターで村井弦斎の研究家でもある黒岩比佐子は「『食道楽』の人 村井弦斎」でこの文章を紹介し、『村井弦斎という小説家を一番よく理解し、正当に評価しようと努めていたのは柳田泉その人だったのではないか』と述べている。」(川村伸秀・解題p394)

つぎには、柳田泉氏の遺稿を、指摘した黒岩比佐子さんの本からの引用。


「・・・柳田は最初に、文壇の評価と読者の人気のギャップについて述べている。当時、世評では紅露逍鴎の四家を明治文学の代表のように言ったが、それは『文壇中心の話』であり、出た本の売れ行きからいえば浪六と弦斎の二家が圧倒的で、四家は全部合わせても二家中の一家の何分の一という程度だったという。・・・その浪六も弦斎も、文壇文学の立場からは共に大衆文学的なものと排されることが多い。だが、読んでみれば、そこには社会描写も、読者をひきつける趣向も、作者の理想の吐露もある。文壇文学に欠けた部分を補うものがある。やはり両方併せて時代相を見るべきだろう、と柳田は述べている。というのも、およそ文学とは作者と読者の両者で成り立っているものであり、『日の出島』に見られる弦斎の文学論は、『文壇には反対しているが、国民の頭の方は代表している』という。さらに、『今の文学史は大体において文壇史であり、従って弦斎の文学論などは一顧もされていない』のが現状だが、『文学史という文学史は必ず国民感情を反映しているはず』で、日本の文学史もいずれは、国民文学史となる。その時は弦斎の文学論も『当時の国民感情を語るものとして口をきくことになろう』と柳田は指摘する。その国民文学史に日が当たるであろう『将来のために』、柳田泉はあえて『日の出島』を取り上げたのだった。ここには、貴重な示唆が含まれていると思う。」(p147~148)

黒岩比佐子さんが「貴重な示唆が含まれていると思う」という、
その文を、私は5,000円だして読んだわけです。
こりゃあ、すこし感想でも書いておきましょう。
ということで、
以下は、あとで書き足します。
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漢文訓読風の語調。

2010-12-08 | 短文紹介
一海知義著「史記」(平凡社ライブラリー)には、史記への案内と、ほかに一海氏による「小説 李陵」と、2010年夏の新しいあとがき。さて、この本が呼び水となって、私ははじめて中島敦著「李陵」を読むことが出来ました。そしてあらためてため息。

その「ため息」が、何だったのか、ちょっと気になりました。
ということで、
丸谷才一著「文章読本」をめくったわけです。
そこに「名文を読め」という箇所がある。
ちなみに、今年は竹内政明著「名文どろぼう」(文春新書)というのが出ておりました。
もどって、丸谷才一氏の文にこうある。

「この文体の基本に漢文があることは言ふまでもない。
徂徠がかういふ仮名まじり文を書くことができたのはまづ何よりも漢文のおかげである。とすればわれわれもまた、徂徠の万分の一程度であろうと漢籍を読まなければならぬ。いや、のぞかなければならぬ。『伊勢』『源氏』にはじまる和文系のもにつきあふことも大事だが、漢文系のものを読むのは現代日本人にとつてそれ以上に必要だろう。簡潔と明晰を学ぶにはそれが最上の手段だからである。・・・・・第一、日本語は漢字と漢文によつて育つたので、今さらこの要素を除き去るならば、われわれの言語は風化するしかない。」


「いや、のぞかなければならぬ」
というニュアンスが、遅まきながら気づかされた気分です(笑)。
ですが、万分の一程度は、きついなあ。と思うわけです。

ところで、丸谷才一著「文章読本」のつぎは、
向井敏著「文章読本」(文芸春秋社)をひらいてみました
(これは、それ、先頃ダンボール箱の本整理をしたばかりなので、
難なく取り出すことができます)。
そこにこんな箇所。


「たしかに、今日の文章のなかで漢文脈は影が薄い。・・・
けれども、漢語表現の簡潔と漢文訓読風の語調の快い響きは文章の質を判じる一つの規範としての力を今も決して失ってはいないし、およそ文章に関心のある人ならぜひともその語法を手に入れておくことが望ましい。・・・・・
幸いなことに、古文や漢詩文の昔にまでさかのぼらずとも、現代の口語体の文章のなかに漢文脈の語法を巧みに組み入れた、すばらしい手本がごく身近にある。中島敦の『李陵』がある、『弟子』がある、『わが西遊記』がある。そして司馬遼太郎の幾多の歴史長編がある。」(p151~152)

こうして、次に『李陵』の出だしを引用して、向井敏はこう書いておりました。

「・・・読むうちに居ずまいを正さずにはいられないような、こうした凛然たる気品は漢文脈以外の文体では求めがたい。さきにも触れたが、元来漢文脈は錯綜した状況を、簡潔に、かつ語調なめらかに集約して伝えるのに長じた語法である。・・・」


何か、この語法で、現代の政治状況を記述してくださる方を、自然ともとめたくなってきます。
まあ、とりあえず、一海知義氏の本から続けて、中島敦の『李陵』を読んで、そして、ため息。
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漢詩の酔い心地。

2010-12-06 | 詩歌
平凡社の宇野直人・江原正士著「漢詩を読む・2」を読みました。
漢詩というテキストの読み込みというよりも、時代の推移が漢詩にどのように現れているのかを、うんそうかと納得しながら読み進みました。
ただ単に、漢詩を探してページをめくってだけでも、いろいろとよい詩を探せるので、まずは手にとってぱらぱらとのぞいてみるのもよいかもしれません。
でも、読み通すと漢詩のながれにゾクゾクさせられるわけです。

さあ、どこからいきましょう。
宇野直人氏の「はじめに」で、
「唐詩の世界は言わば巨大な宝石箱で、蓋を開ければさまざまな珠玉の作品が現れ、まさに応接に暇がありません。この豊饒な世界を、江原正士氏との対話形式により、じっくりと周遊してゆきます」とあります。
順を追って読み進めば、その宝石が、ネックレスのようにつながっていることに気づかされるのでした。そんな思わぬ驚きの世界へ参入しているような気分。
とりあえずは、漢詩よりも漢詩人について、語られる箇所からみていきましょう。

江原】 中国の官僚詩人には、ひと言多い人がたくさんいますね。
宇野】 詩人と言えば、われわれには、『青白い文学青年』のイメージがありますが、中国の詩人は『世直しのために詩を書く』という意識を常に持っていました。ですから駱賓王のように終始、権力者に意見を言って怒りを買うのは、中国詩人の面目の典型かも知れません。最初の詩は牢獄の中で作ったもので、まさに則天武后に意見して嫌われ、投獄された時の作です。(p128)

また、こんな箇所も漢詩人のイメージをつかむのに助けとなります。

江原】 ・・・・中国の詩人は官職に就いている人が多い。すると詩人を職業としているわけではないんですよね?
宇野】 ええ。詩人という職業はなかったのですね。九九パーセントが官吏、つまりお役人でした。われわれにはピンと来ませんが、中国ではそれが普通でした。お役人といえば仕事の半分が接待のようなもので、宮廷に仕えていると折々に宴会などの行事があります。歌、踊り、酒の宴会を一層盛り上げるためのパフォーマンスとして、その場で詩を作り、壁に書いて筆跡のうまさを披露したり、控えている歌姫たちが楽器の伴奏で歌ったりしました。(p149)


これが、南北朝時代から唐の安禄山の乱。そして唐で亡くなった阿倍仲麻呂の頃までが、この本で取り扱われている時代の流れです。この辺で、ちょいと漢詩を引用。私にはどうして漢詩には酒の詩が多いのか納得しながら読みました。ということで酒に関する、この詩。

  酔中の作    張説(ちょうえつ)

 酔後 まさに楽しみを知り
 いよいよ いまだ酔はざる時に勝る
 容(かたち)を動かせば 皆これ舞(まひ)
 語を出だせば 総て詩と成る


江原】  なんだか気持ちよさそうに酔っていますね。
宇野】 酔い心地の妙諦をぴたりと言い当てている、よくぞ言ってくれた、という感じ(笑)

江原】 ライブが進んでいる中で、興が乗って書いたようなものですか。
宇野】 はい。前半二句、「酒に酔って初めて、酒に酔う楽しみがわかる」、これそのとおりですね(笑)。「まさに」は「それではじめて」といった感じです。「飲めば飲むほど、正気の時よりも結構な気分になる」。ああ楽しい、というわけです。
江原】 わかります(笑)。
宇野】 後半二句は対句で、酒の効用、功徳をうまく言い表しています。「酔い心地の中で体を動かせば、すべて踊りになる。またそういうときに言葉を発すれば、皆そのまま詩になる」。動いたり話したりしている主体、本人もそうですし、それを見聞きする人もそうだと言いたいのでしょうか。
江原】 皆を巻き込んでいますね。 (p184~185)


こうした二人の対話が漢詩理解を助けて、難なく漢詩の時代の流れに身をひたしている気分になれるのでした。あ~。酒の漢詩はかずかずあれど、これ以上深入りするのは、読んでいる私のほうの体にもよくない。つい漢詩人にでもなったつもりで、飲みたくなるじゃありませんか。
でも、この本の最後の方(p428)には、ちゃんと注意のための、こんな記述もあるのでした。ということで、引用ばかりになりましたが、最後は、この対話でおわりましょう。
それは有名な杜甫の「衛八処士に贈る」の話題になった箇所でした。


宇野】 ・・・・続いて「十杯飲んだけれど私は酔えない、君の情けが身にしみる」なんて言っていました。李白なら、そこで十杯と言わず二、三十杯飲んで大いに盛り上がりますよね。杜甫の場合、「酒を愛する」というのとはちょっと違うようです。
江原】 杜甫はお酒で体を悪くしていますよね?
宇野】 しじゅう飲んでいたことは飲んでいたんですね。一人酒で、詩を作る時の頭の潤滑油にしていたのかも知れません。・・中国の詩人にはそういう習慣がありまして、「詩酒」という言葉があるくらいです。詩を作るために酒を飲む、詩句が浮かばなければまた酒を飲む。二つは切っても切れません。
江原】 へえー。じゃあ杜甫はそのように生きたと・・・。
宇野】 そのようです。晩年には、「最近ドクターストップがかかって、好きな濁り酒も飲めない」と詩にも詠んでいますから、習慣的に飲んでいたことは確かでしょう。(p429)


ドクターストップとはどんな様子だったのでしょう。

江原】 晩年の杜甫は、身体に相当のダメージがありましたよね。
宇野】 ええ、・・・若い頃からの持病、肺病が悪くなっていましたし、中風の発作も出ていた、さらに耳や目も悪くなりかけていたうえに、糖尿病もあった・・・。(p440)


ここで、終らせるのは、この本に申し訳ないのですが、
まあ、飲み会が、とかく多くなる時期には、こういう終り方で(笑)。
おあとは、読んでのお楽しみ。

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