和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

十年もかかって。

2013-11-30 | 本棚並べ
ジョージ・アキタ。ブランドン・パーマー共著。塩谷紘訳
「『日本の朝鮮統治』を検証する 1910‐1945」(草思社)については、
「Will」1月号に、ジョージ・アキタ氏へのインタビューが掲載されておりました。

「人は物事を一般化・単純化したがりますから、『日本は酷いことをした』とただその一言でまとめてしまう。しかし、『どういう意味で過酷だったのか』『具体的に何人がどんな方法で痛めつけられたのか』を調べなければならない。
また、『世界一過酷』というなら『欧米の植民地支配と比べて本当に過酷極まりない統治だったのか』まで検証しなければなりません。それには時間がかかりますから、普通の人はやりたがらない。この本も出版までに十年もかかってしまった。」(p143~144)

インタビュアーは、こう言っておりました。

「訳者あとがきに、アキタ先生が『日本の人々が自分たちの素晴らしい歴史と伝統に対する誇りを失ってほしくないと願って執筆した』と書かれていて胸が熱くなりましたが、本来は日本人がやらなければならないことです。」(p147)

うん。手元に置こうと、この新刊を買いました。

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ポイント。

2013-11-29 | Weblog
hontoは、月末に新刊注文するとお得なセールがあり、
一万円以上買うと、合計で2000ポイントという特典。
う~ん。気になる本があるときに注文します。
ということで、今回の新刊注文は以下の如くなりました。


谷川健一著「露草の青 歌の小径」
(冨山房インターナショナル)3600円+税

「『日本の朝鮮統治』を検証する1910‐1945」塩谷紘訳
(草思社)2600円+税

鈴木敏夫著「風に吹かれて」
(中央公論新社)1800円+税

鷲田清一著「おとなの背中」
(角川学芸出版)1600円+税

以上合計10,080円
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対談集。

2013-11-28 | 本棚並べ
鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書)に
石田英一郎の名前が登場していたので、
それならと、古本を注文。


「石田英一郎対談集」(筑摩叢書)
江原書店(新宿区西早稲田)
700円+送料290円=990円

ひらくと、対談相手は
竹山道雄・桑原武夫・堀米庸三・今西錦司・梅棹忠夫・泉靖一など。


新刊の
保阪正康・半藤一利対談
「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(東洋経済新報社)を
パラリとひらくと、こんな箇所がある。


半藤】 例えば、侍従長の鈴木貫太郎とか憲法学の大御所の美濃部達吉とか、いわゆる良識ある人たちは五・一五事件の犯人を軽い刑で済ませることに、ものすごく反対したんですね。でも、そんなのはごく一部の声に過ぎなかった。むしろ、そうした声は義挙として認める国民的支持の雰囲気に呑み込まれてしまった。なぜ、澎湃とそんな支持が起ったのか、国民は許そうとしたのか、考えなければならないと思いますよ。

保阪】 ・・・・以前、僕は事件について詳しく調べたことがあるんだけど、例えば、当時の新聞記者なんかおかしくなっている。法廷記者なんだけど、『この記事は涙なしには書けない』なんて、堂々と書いているんですよ。完全に記者としての冷静さを欠いているんです。
半藤】 自分の涙で記事がにじんで書けない。なんて言うんだよね。そんなバカな話があるはずないでしょう。ひどいもんです。 (p79)


そうなのか、このことで、
五・一五事件後に、鈴木貫太郎氏は軍部に注目され、
二・二六事件では、鈴木貫太郎氏が狙われることになり、
奥さんの機転で奇蹟的に一命をとりとめた鈴木貫太郎が、
こんどは、終戦の際の首相をつとめる。
というめぐりあわせになるのですね。
ザックリとした、流れに気づかされます。
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マルバカ。

2013-11-25 | Weblog
今日、郵便受に、雑誌「WILL」が届いている。
まだ、11月なのに「一月号」。
うん、それはそうと中身は、

「マルバカ(まるでバカ)」(p274)
「寝んねばぁば」(p124)
「大正解。」(p21)

面白い言葉が拾えます。
うん。「マルバカ」という言葉は、蒟蒻問答に登場。
1月号ということで、はやくも来年の流行語大賞を
ねらいましょう(笑)。
問答といえば、そういえば、新刊に、
鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書)
があるそうで、気になるなあ。
どんな目次なんだろう(笑)。
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磯田道史の新書2冊。

2013-11-24 | 地震
磯田道史氏の新書2冊。
「歴史の愉しみ方」(中公新書)
「歴史の読み解き方」(朝日新書)

その両方に、地震や津浪について触れた文が掲載されています。
そこから少し引用。

「あの日、地震に揺られながら『ああ、これで世の中は変わる』と思い、同時に『歴史学はこれまで地震や津波の研究をあまりしてこなかったから、自分がやらなくてはいけない』と思いました。地震津波の古文書を探すのは私が一番の適任ですから。
実は私の父が農芸化学の専門家で、土壌肥料を研究しておりました。それで家には地質図がたくさんあり、私はそれを持って、地学の探査をするのが、子供のころの趣味でした。そんなわけで20代前半ぐらいから地震や津波の古文書を集めていました。
これを研究することで、人命がかかった問題に答えることができるとわかっていたのに、着手が遅かった、という無念の思いがあります。」(「歴史の読み解き方」p172~173)

「・・今、政府が対策を練っているのが南海トラフ巨大地震です。これが来ると、最大の予測で32万人の方が亡くなる恐れがあります。東海筋に歴史津波の研究をする大学の日本史教員が何人いるかと考えたら、ゼロなんです。これはまずいと思っていたら、ちょうど浜松の大学で教員の公募が出ましたので『行きます』と家族にいい、誰も反対しませんでしたので、浜松に移り住みました。」(p173)


「歴史の愉しみ方」は昨年の2012年10月に出ておりました。
そこからも、少し引用。

「震災以来、水戸でも余震が激しく、一日40回以上揺れた日はまるで舟の中にいるようだった。私のいる茨城大学の図書館も被災した。書庫の床は積雪ならぬ積書25センチになり立ち入り禁止となった。・・・」(p129)

「次に大津波のきそうなところで、しばらく歴史津波の古文書をさがそうと思って、2012年4月から静岡文化芸術大学にうつり、歴史上の津波の講義をはじめた・・・
歴史事例から津波の怖さを学生にさんざん講義したら『東海地震の怖さは小学生の頃からずっといわれてきたが、先生ほど具体的な話をする人はいなかった』と・・・」(p135~136)
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考えばえがする。

2013-11-23 | 地域
岩波少年文庫の寺田寅彦エッセイ集
池内了編「科学と科学者のはなし」。
そこに「津波と人間」という文がはいっております。
そこから引用。

「災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすいところに立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行なわれるたびにあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山かげの竹やぶの中に埋もれないとも限らない。・・・
昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。それは実際いくらか考えばえがする世の中であったからかもしれない。・・・
困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
地震や津波は新思想の流行には委細かまわず、
がんこに、保守的に執念深くやって来るのである。
紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも
まったく同じように行なわれるのである。
科学の法則とは畢竟『自然の記憶の覚え書き』である。
自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
それだからこそ・・・
二十世紀という空虚な名をたのんで、
安政の昔の経験を馬鹿にした東京は、
大正十二年の地震で焼き払われたのである。
・・・残る唯一の方法は
人間がもう少し過去の記録を忘れないように
努力するよりほかはないであろう。・・・・」(p184~185)
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餅の好きさうな賢治君。

2013-11-21 | 短文紹介
堀尾青史著「年譜 宮澤賢治伝」(中公文庫)をひらく。
以前に買ってあったもの、そのままになっておりました(笑)。
大正の農学校という興味から、ひらいております。

年譜と補述とからなり、補述の部分が興味をひきます。
そこから、すこし引用(p130~)。

大正7年(1918)は、賢治が盛岡高等農林学校卒業した年。

「1918(大正7)年3月、高農本科を卒業し、研究科に残った賢治のもっとも重要なしごとは、稗貫(ひえぬき)郡の土性調査であった。
当時稗貫郡郡長であった葛博(くずひろし)――盛岡の人。稗貫、気仙沼郡長、盛岡市議をつとめる――が農業の振興、農村の富裕の基礎になる土地の性質をしらべねば何の品種を選び、何が適しているかはわからない。この土性調査の大辞典をつくって農民が自分の耕地条件をよく知り、適種適肥、自力自成、安心して農業を営めるようにしようというのが土性調査のねらいである。
この調査を依頼されたのが土壌学の権威である関豊太郎博士、先生のすいせんによって助教授神野幾馬、それに賢治。そして林業の調査を林科助教授である小泉多三郎がうけもつことになった。
稗貫郡は面積689・22平方キロ、東は早池峰山、西はなめとこ山、北は石鳥谷、南は花巻を中心とする山あり平野ありで、これを片っぱしからしらべあげるのであるから容易ではない。しかし賢治は、誠心誠意この仕事にうちこんだ。
葛博は、
――雨が降っても火が降っても嫌な顔を見せず盛り顔で
鼻筋の通った少しそつ歯で餅の好きさうな賢治君、
頭髪のやや薄く赤味ある髪の賢治君、
そして詰襟の黒服にへたな巻脚絆の賢治君、
いついかなる時でもにこにこしてゐる賢治君は
どこか競争試験でも受けるやうな熱心さ――
とその印象をしるしている。」

「郡長葛博は記す。
――賢治君に困った事はかく山野を跋渉して難儀して土性の調査に従事しながら旅費も弁当料も絶対に受取らず、暇で覚えた事で郡の為に働くことは当然だといふて不相変丸飯持参で働いてくれるのには余り気の毒で困り抜き候 勿論手当などは受取らずに終り申候――
この土性調査が稗貫郡、ひいては岩手県に非常に役立ったことは疑えない。今日もこれ以上の調査はできないのである。同時に賢治自身にも非常に役立ったことも争えない。後年肥料設計に奔走したとき、どこの土地はどうと、掌を指すようであったのもこの調査があったればこそである。また、否応なしに農民と接触がおこなわれたことも、町育ち、学校だけの賢治にはよい勉強であったにちがいない。休んだり泊ったり世話になったところに、法華経の印刷物をおいていったというのにも、信仰の厚さと布教者たろうとした一面があらわれている。」(p134~135)


うん。この本、補述が面白い。
私には、賢治の詩よりも面白い。
というか、詩の背景が、浮き彫りになってゆくような面白さ。
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淡白さ。

2013-11-20 | 地震
武村雅之氏の言葉に、

「関東大震災に限らず、近年の阪神・淡路大震災でも新潟県中越震災でも、被災した際の日本人の冷静さには、世界中の人が驚きを示す。それがまた日本人の災害からの復興の早さを支えていると思う。が一方で大地震が起こる前の地震に対する淡白さも古来一通りではない。」

これは、武村雅之著「手記で読む関東大震災」(古今書房・2005年11月発行)のまえがきにある言葉。

う~ん。「淡白さ」とマスコミ報道の関係や如何に。
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本が届く。

2013-11-19 | Weblog
今日
「郷中教育の研究」届く。

悠山社書店(東京都青梅市今寺)
2000円+送料290円=2290円

昨日は
小泉保著「縄文語の発見」(青土社)
玄華堂(世田谷区豪徳寺)
1500円+送料200円=1700円

フィンランド叙事詩 小泉保訳「カレワラ」(岩波文庫)
ブックセンターいとう 上野幌店(札幌市厚別区)
上下巻で1000円+340円=1340円

小泉保著「ジョークとレトリックの語用論」(大修館書店)
高原書店(東京都町田市森野)
1000円+送料300円=1300円

以上は、「縄文語」という題にひかれて、
そのついでに、小泉保氏の著作を数冊。

宮沢賢治全集4(ちくま文庫)
BOOKSじのん(沖縄県)
420円+160円=580円


以下は、最近の新刊購入分。

永井義男著「剣術修行の旅日記」(朝日選書)
山折哲雄著「危機と日本人」(日本経済新聞社)
吉村昭著「星への旅」(新潮文庫)
そして
磯田道史著「歴史の読み解き方」(朝日新書)
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一段落を劃し。

2013-11-18 | 地域
復刻版の「安房震災誌」を読んで、私はよかったと思っております。
地元の関東大震災を記録したもので、これが私には面白かった。
その面白さを、ちょっと他人にもつたえてみたい。
そう、このブログを読んでくださる方にも伝わるように。
ということを、思うわけです(笑)。

この復刻版を買おうとした際に、ネット古本屋でちょいと他より安かったのが天牛堺書店でした。ちなみに、復刻版の方が、装丁がしっかりして、辞書のように無雑作にひける。大正15年の初版は、ページの喉がパカッと割れていたりして、本の背の裏側が丸見えで、気をつかう。ようするに読みづらかった。

おっと、話題がそれちゃう。
司馬遼太郎著「『昭和』という国家」(NHK出版)に
「配所の月をながめる」という箇所があります。
第十二章「自己解剖の勇気」に、それが出てきます。
そこに、「・・・私は昭和29年に大阪の道頓堀の天牛という古本屋さんから買いました。上の棚のほうに『日露戦争史』がありまして、あれを買おうと思って行ったら、もう、紙屑のような値段でした。考えられない値段でした。しかもお店の人が、『こんな本が欲しいんですか』と言うのです。・・・」

うん。ここに天牛という古本屋さんが登場する。
楽しいじゃありませんか。自分で古本を売っているのに、
いざ買おうとすると、え~、司馬さん
『こんな本が欲しいんですか』という、古書店主(笑)。

それから、『配所の月をながめておるのです』という箇所へとつながってゆくのですが、そこは、今回はぶいて、その次を引用してみます。

「アメリカは第二次大戦が終わると、第二次大戦の戦史を書いてくれと、歴史学者に依頼をしています。資料を提供した。つまり第三者の専門家に任せた。これは自己を解剖してくれというのと同じであります。私のお腹は痛くも何もないのですが、どうか解剖してくださいと言う。勇気が要ることですね。
本当に日本人はいいところがあるのですが、自己を解剖することについては、実に臆病でした。第二次大戦が終わって、敗戦になって、しかも日本の戦史は依然として防衛庁が編纂しています。第三者、つまり歴史家たちにはゆだねていない。怖いわけですね。・・・・」


さてっと、ここで「安房震災誌の初めに」を書いている大橋高四郎(大正15年当時は前安房郡長となっていた)の言葉をもってきます。

「・・・が、本書の編纂は、専ら震災直後の有りのままの状況を記するのが主眼で、資料もまた其処に一段落を劃したのである。そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、挙げてこれを白鳥健氏に嘱して、その完成をはかることにしたのであった。今、編纂成りて当時を追憶すれば、身はなほ大地震動の中にあるの感なきを得ない。聊か本書編纂の大要を記して、これを序辞に代える。」

うん。さらりとした勇気を、
資料を通して、読みとくたのしみが、
「安房震災誌」にあるんだなあ(笑)。
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郷中教育。

2013-11-17 | 短文紹介
「現代社会には、・・・大人が、自分が良いと思った価値を、格式ばらずに次世代に伝える努力をする。その情熱が我々には足りないかもしれません。このままでは、この国は想定外の事態に対処できなくなるのではないでしょうか。子供に『もし、こうなら』と想定して考えさせる判断力練磨の教育が、現代においてはもっとも重要です。」(p170)

磯田道史著「歴史の読み解き方」(朝日新書)を
パラパラめくっていたら、こんな箇所があったのでした。

その少し前に、
「郷中教育の研究書に松本彦三郎『郷中教育の研究』(昭和18年)があります」(p162)とあるので、読むのも途中で、
さっそくネット古書店の検索。ありました。注文。
さてっと、月曜日に届くかなあ(笑)。

検索ついでに、
小泉保の著作を3冊。古本で注文。
「縄文語の発見」
「フィンランド叙事詩」岩波文庫上下巻
「ジョークとレトリックの語用論」

これも注文することに(笑)。
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大正11年。

2013-11-16 | 地域
大正11年2月15日郡立安房農業水産学校の創設が認可。
大正11年春。
郡役所の玄関の前の大きな辛夷がいっぱいに花をつけていた。
貴島憲は、安房郡長・大橋高四郎に電報で呼び出され、
はじめて、北條の郡役所を訪れ、その辛夷を目にする。
そこで、今度新たに文部省で制定された五ヶ年制実業学校について聞かされる。
と同時に、語る大橋郡長の「清新溌剌たる精神に感服」させられる。
この貴島憲氏については、
農学校の職員名簿によると、就任は大正11年3月8日。
出身学校は法科大學。
受持学科が「法、経、國漢地、歴」とある。
年齢が分からない。
「生れてはじめて先生に・・これからなろうといふばかりの私」
とあるけれども、また
「由来私は十数年来房州には極縁が深く43ヶ町村で足を入れた事のないのは一つもないという男で」ともある。これをどう考えればよいのか
(現在では知る人も少なく、どうも、出身は九州らしい)。
さて、大橋郡長と山下脇人先生(初代農学校の校長)と、敷地を見にゆくことになる。
貴島氏の感想はというと、
「この辺も両三回は通っているはずだが、南三原という土地にはどうも記憶がなかった。行って見て砂丘の上の農学校には驚いた。が何も模範農場を作るわけではないから、この粗剛雄健な自然は却って教育上宜しかろうと考えた。」

大正11年4月11日南三原村松田の仮校舎で授業を開始する。

大正11年4月26日房総南部に、やや大きい地震がある。
震源地は浦賀水道、規模はM6・9とされている。
君塚文雄氏(大正1年生まれ)の文には
「筆者も小学生の遠足の途次、那古町藤ノ木通りでこの地震に遭遇し、驚いて逃げまどった記憶が生々しい。当時の北条町では煉瓦造りの煙突が折れ、県下全体で全壊家屋8戸、破損771戸の被害があったといわれる。」(p174・「房総災害史」)

大正11年8月1日。最近調査の「北條館山市街図」が売られる。
売捌所北條町・松田屋書店、宮澤書店。となっております。

ちなみに、安房郡長・大橋高四郎氏は
「私が安房に赴任したのは、大正9年12月のことで、まだ郡制時代のことであった。大正12年9月の関東大震災は、それから丁度4年目のことである。」
と、「安房震災誌の初めに」で書き始めております。

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鏡ヶ浦地溝帯。

2013-11-15 | 安房
昨日の砂丘との関連になります。

「安房震災誌」に
「安房郡震災被害状況図」という手書きの地図があります。
ですが、その地図は、はぶいて解説だけを引用します。
その解説がp90~91に

「震度の大小は、本編の初めに掲ぐる被害地図によって明かなる如く、館山湾に沿った図に縦横線を以って示した八町村が、最も激震で、その震動の勢いは、内湾から、一直線に外洋に向って東走している。そしてこの八町村に隣接した町村がこれに次ぐのである。即ち図の横線の町村がそれである。図の縦線の町村は、概して丘陵の地で、震度は他に比してやや軽微であった。・・・・ことにその中でも、館山、北条、那古、船形の四町は市街地の為めであろう、死傷率が多い。」

この記述の箇所については、
「房総災害史」(千葉県郷土史研究連絡協議会編・昭和59年発行)の
君塚文雄氏の文では、こんなふうに触れられております。

「大正12年(1923)の関東大地震は房州に非常な災害をもたらした。中でも、北は船形山、那古山の線を東西に結ぶ山脚と、南は西岬から千倉へかけての山々を結ぶ山脚との間にある鏡ヶ浦(館山)地溝帯と呼ばれる地域の災害は激甚で、上治寅次郎氏によると、安房郡役所の調査に係る全住家に対する全壊、半壊住家の百分比は、旧国府村94%、旧稲都村81%、旧九重村93%、旧館野村96%、旧健田村95%、旧那古町98%、旧船形町93%、旧北条町96%、旧館山町99%にも達していた。」(p175)

この90%以上の旧町村が、
最初に引用した文の、
当時の八町村にあたります。

ちなみに、「安房震災誌」の中の、「人の被害」に、
西岬村の記述が、興味深い短文としてあります。

「本村の被害は西岬村山脈の南と北とで大なる差異がある。
 即ち鏡浦に面したる方面には被害が最も多い。」(p92)
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砂丘列。

2013-11-14 | 地震
君塚文雄氏の地図につけたコメントのなかに、
「砂丘列」という言葉があります。

地図は「北条館山市街図」。
大正11年8月発行のもの。
そこに、コメントつけてあります。

「・・大地震前の館山市の中心部を知る上では貴重なものである。
右側が北条町で、海岸寄りの第一の砂丘列には、早大・旧一高・東京高師などの夏季寮があり、路線を越えた第二の砂丘列が、一番繁華な三軒町・六軒町の通りで、現在の国道127号線である。その東の第三の砂丘上の集落が古くからの役所町で、旧藩時代の陣屋跡に郡役所・町役場・警察署などがあり、現在も官庁街となっている。・・・」

農学校の創立五十周年記念誌を読んでいると、
この砂丘という言葉が、学校の創立時によく登場するのです。
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武隈親方。

2013-11-14 | テレビ
昨日は、
NHKの相撲放送を見ておりました。
今回停年をむかえる
黒姫山こと、武隈親方が
最初からアナウンサーと北の富士親方(?)と
ならんで、解説席におり。
本場所の間に、回想の名場面をところどころに
入れながら。
現在の武隈親方の解説をまじえながら・・・。
それが、本場所の解説と
回想の話がまじりあって、
見る甲斐がありました。

ああ、武隈親方はこんな人だったのだと
最後に知る事ができて、ありがたい企画でした。
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