産経新聞を購読しています。
今日3月31日の一面には、天皇、皇后両陛下が被災者のいる東京武道館を訪問されたことが写真入で紹介されておりました(一面と二面に)。
3月17日の産経新聞一面には天皇陛下の写真がありました。
「天皇陛下は16日、東日本大震災の被災者や国民に向けたビデオメッセージを発表された。」として3面にそのメッセージ全文が掲載されておりました。
これについて、3月31日号週刊新潮のp136に、
「『朝日』は天皇陛下『お見舞い』全文をなぜ載せない?」という文。
「・・・・陛下のメッセージ全文を紙面に掲載しなかったところがある朝日新聞だ。・・かいつまんで掲載。記事の末尾に〈 アサヒ・コムに全文 〉と、インターネットでしか読めないという体裁なのである。・・・・各紙面を見比べて、こう嘆息を洩らす。『特に被災地の方が、全文をインターネットで見るなんて不可能に近い。陛下のおことばを熟読したい人も多いはずなのに、回し読みもできない。特別態勢で報道をしているのはわかりますが、陛下のおことばも震災報道のひとつなのでは』これが見識というものだろう。」
うん。気になる箇所でした。
さて、「WILL」五月号が先週でたのでした。昨日の夜に、その雑誌を手にしました。最後の編集部からの「編集長から」は「地震の第一報は北京で聞きました。」とはじまり、最後はこうでした「それにしても、陛下のお言葉をきちんと報じない朝日新聞や毎日新聞、テレビ各局には腹が立ちました。」
そのうちに、
福島原発の情報を、全文報道せずに、インタネットで読めますよ。
と、報道放棄する新聞があるかもしれませんね。
どうも、特定の報道機関が、陛下のお言葉を、きちんと報道しない。
どうにも、きちんと教えてくれない報道機関というのは、
けっして、お友達になりたくないものです。
この「WILL」五月号には水島総氏の文に(p112)、こうも指摘されております。
「もう一点挙げよう。メディアの反日姿勢は、3月16日の天皇陛下の『御言葉』報道にも表れていた。テレビメディアは午後三時頃、一斉に御言葉を放映した。しかしそれ以降、夜のプライムタイムに陛下の御言葉を全編放映したテレビ局はなかった。水曜日の日中は、ほとんどの国民がテレビを見ることができない時間だ。何か意図があるのかと勘繰らざるを得ない。戦後六十六年、未曾有の国家的『有事』に、初めて天皇陛下が御詔勅(御言葉)を発したのである。この重要さをメディアは知っていたはずだ。つまり、国民をわが子のように御心配をされ、励まされる天皇陛下の御存在を知らせたくないのである。国民の心の支えである皇室を報道したくないのである。・・・・
今回の各テレビ局の災害報道は、五百年に一度と言われる『大災害』の有事に対して、彼等がどんな姿勢であるかをくっきりと国民の前に示した。・・・
『有事』におけるテレビメディアのあり方を考えることは、有事における国民のあり方を考えることだ。・・・・」
ちなみに、詔勅(しょうちょく)を辞書でひくと、
「詔書と勅書。みことのり。」
では「みことのり」を辞書でひくと、
「天皇が正式にのべたことば。」
今日3月31日の一面には、天皇、皇后両陛下が被災者のいる東京武道館を訪問されたことが写真入で紹介されておりました(一面と二面に)。
3月17日の産経新聞一面には天皇陛下の写真がありました。
「天皇陛下は16日、東日本大震災の被災者や国民に向けたビデオメッセージを発表された。」として3面にそのメッセージ全文が掲載されておりました。
これについて、3月31日号週刊新潮のp136に、
「『朝日』は天皇陛下『お見舞い』全文をなぜ載せない?」という文。
「・・・・陛下のメッセージ全文を紙面に掲載しなかったところがある朝日新聞だ。・・かいつまんで掲載。記事の末尾に〈 アサヒ・コムに全文 〉と、インターネットでしか読めないという体裁なのである。・・・・各紙面を見比べて、こう嘆息を洩らす。『特に被災地の方が、全文をインターネットで見るなんて不可能に近い。陛下のおことばを熟読したい人も多いはずなのに、回し読みもできない。特別態勢で報道をしているのはわかりますが、陛下のおことばも震災報道のひとつなのでは』これが見識というものだろう。」
うん。気になる箇所でした。
さて、「WILL」五月号が先週でたのでした。昨日の夜に、その雑誌を手にしました。最後の編集部からの「編集長から」は「地震の第一報は北京で聞きました。」とはじまり、最後はこうでした「それにしても、陛下のお言葉をきちんと報じない朝日新聞や毎日新聞、テレビ各局には腹が立ちました。」
そのうちに、
福島原発の情報を、全文報道せずに、インタネットで読めますよ。
と、報道放棄する新聞があるかもしれませんね。
どうも、特定の報道機関が、陛下のお言葉を、きちんと報道しない。
どうにも、きちんと教えてくれない報道機関というのは、
けっして、お友達になりたくないものです。
この「WILL」五月号には水島総氏の文に(p112)、こうも指摘されております。
「もう一点挙げよう。メディアの反日姿勢は、3月16日の天皇陛下の『御言葉』報道にも表れていた。テレビメディアは午後三時頃、一斉に御言葉を放映した。しかしそれ以降、夜のプライムタイムに陛下の御言葉を全編放映したテレビ局はなかった。水曜日の日中は、ほとんどの国民がテレビを見ることができない時間だ。何か意図があるのかと勘繰らざるを得ない。戦後六十六年、未曾有の国家的『有事』に、初めて天皇陛下が御詔勅(御言葉)を発したのである。この重要さをメディアは知っていたはずだ。つまり、国民をわが子のように御心配をされ、励まされる天皇陛下の御存在を知らせたくないのである。国民の心の支えである皇室を報道したくないのである。・・・・
今回の各テレビ局の災害報道は、五百年に一度と言われる『大災害』の有事に対して、彼等がどんな姿勢であるかをくっきりと国民の前に示した。・・・
『有事』におけるテレビメディアのあり方を考えることは、有事における国民のあり方を考えることだ。・・・・」
ちなみに、詔勅(しょうちょく)を辞書でひくと、
「詔書と勅書。みことのり。」
では「みことのり」を辞書でひくと、
「天皇が正式にのべたことば。」