和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雑誌編集家。

2011-07-31 | 短文紹介
草森紳一著「記憶のちぎれ雲」(本の雑誌社2940円)。
7月24日毎日新聞「今週の本棚」に、(門)の短評。
これが気になって新刊を購入。
装幀・各章扉は和田誠。

さてっと、(門)の書評では、
「圧巻は【中原淳一・葦原邦子】の章。」とあります。
その圧巻を読みました。よかった。
「記憶のちぎれ雲」には副題として「我が半自伝」とあります。
ほんのすこしなのに、草森氏御自身がスパイスとして
味わいに深みを与えておりました。読めてよかった。

そういえば、四国を思いました。
新書「生ききる。」に

梅原】 徳島っていうと富士正晴を思い出す。
瀬戸内】 富士さんは人と人を結ぶのがお上手で、富士さんって何者って言われたら位置的に難しいんですね。小説も書いてる、評論もしてる、絵も書も描く。編集者でもある。何でもできちゃう人だから。・・・(p108)

富士正晴が、徳島ならば、
中原淳一は、香川県生まれ。

淳一の息子洲一の質問が載っております。

「洲一は、なにをやっても卓越した父の万能ぶりに疑問を抱き、『結局、あなたは何という専門家であり、生涯の仕事とは何なのですか』ときいてみたことがあるらしい。
返ってきた答は、『雑誌編集家』であった。編集者ではなく、作家的なおそるべき編集家なのである。」(p196)

さて、草森紳一です。

「中原邸を辞すと、まっさきに考えたのは、ああ、俺は編集者に向いていないな、やめてしまいたい、という弱音だった。私は入社そうそう、一日目にしてやめたいと思い、三年の編集者生活の中でも、五回はそう思ったが、この事件の時も、その中の一回のうちに入る。」(p210)


(門)さんの書評がよかったんです。
あまりによいので、以下に前文引用。

「草森紳一(1938―2008)未刊行の人物論。若き日、1960年代に出会った真鍋博、古山高麗雄、田中小実昌、伊丹十三らの回想。圧巻は『中原淳一・葦原邦子』の章。十分な前置きもないまま、白い邸宅の間取りからはじまり、読む人にも書く本人にも、それからの展開がわからないという『展開』。中原淳一が階段から『吹矢』のように飛ばした、妻・邦子へのひとことへ進み、家族の深淵にたどりつく。とはいえこんな無謀、無計画なエッセイを読んだことのある人は少ないだろう。一見、筆の流れのままに進む。だがそこには、独自の意識と節理がはたらく。発見と感動の空気がきらめくのだ。その軽やかさ、自在さ、美しさ。日本のエッセイの世界をひろげる、珠玉の文集。」

私はこの書評で、本を買い。
『中原淳一・葦原邦子』の章を読んだというわけでした。
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寺田寅彦新刊文庫。

2011-07-30 | 前書・後書。
寺田寅彦の地震に関する文を読もうと思っていて、そのままになっておりました。さいわい、新刊文庫で寺田寅彦が3冊登場しております。

講談社学術文庫 「天災と国防」 解説・畑村洋太郎。
角川ソフィア文庫「天災と日本人」 解説・山折哲雄(編)
中公文庫「地震雑感/津浪と人間」 解説・千葉俊二 (千葉俊二/細川光洋 編)

それぞれ、どの文が選ばれているかの取捨への興味。
ちなみに、「日本人の自然観」は山折哲雄氏しか選んでおりませんでした。
共通して選ばれたのは「天災と国防」「津浪と人間」「流言蜚語」「災難雑考」「震災日記より」。中公文庫には「小宮豊隆宛書簡」が載せてあり興味深い。

山折哲雄氏の解説は、以前から語られていたことが、あらためて文庫として形になったような(これはこれで喜び)。畑村洋太郎氏の解説は、テキストを渡されて、その関連を講義していただいている感じをうけます(ありがたい)。文庫の結構は中公文庫かなあ。それぞれ楽しめそうです。これを機会に寺田寅彦を。と思って買いました(笑)。
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顰蹙(ひんしゅく)を買う。

2011-07-29 | 短文紹介
梅原猛氏は語ります。

「・・年齢を重ねると、思い切ったことを語ることができます。誰にも遠慮せずに、今の日本の置かれた真実を語ることが必要です。日本のために、人類のために。私はこの対談は一世一代の対談になると思う。だから人の顰蹙(ひんしゅく)を買うようなことでもはっきりと言います。」

ちなみに、はじまりは

「あの三月十一日以来、『東日本大震災』に対して、どうしても語っておきたいことがあって、話をするなら寂聴さん以外にないと思って、私から対談を申し入れたんです。・・」

こうして新書の「生ききる。」は、はじまっておりました。

第二章は、「仏教に今、何ができるのか、心を癒すということ」。

そのはじまりで梅原氏は

「私はやはり仏教が立ち上がるべきだと思います。
私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。・・・
大地から涌き出てくるという考えです。・・
今、被災者のことを考えると、彼らこそ『地涌』の菩薩そのものなんです。だから必ず、地から涌き上がる力を持っている。私はそう考えます。」(p52)

「行基や空也上人はね、天災や戦さで死んだ人たちの屍を供養した。この行基・空也のような活動を仏教はやってほしい。」(p53)

「また一遍その人自身も、病者を救ったりといろいろするけど、特に二祖の遊行(ゆぎょう)上人、真教(しんきょう)は一遍の教えを実行した人です。この人は敦賀の気比神社で土木工事をしている。水害で沼になっている参道に土を運んで来て埋め立てます。『遊行上人縁起絵巻』を見てたら、モッコ担いだり、土をならしたりと、土木工事そのもの。詞書を読むと、貴い人も俗人も、僧も遊女も手伝ったとある。さらに沼に住む亀が開発されると我々の住む所がなくなると、上人の夢枕に立って文句を言うと、『さらば人間にしよう』と言って亀を人間にしたといいます。・・・」(p60~61)


「行基や空也上人の精神というのは実に尊い。昔は道に行き倒れという人は多かったと思う。そういう行き倒れの人を葬り、弔う。鎮魂が仏教のもっとも大切な仕事です。行基の弟子の志阿弥(しあみ)という人物、この人は火葬を最初にした聖(ひじり)といいいます・・・」(p63)

瀬戸内さんは語っています。

「法然や親鸞の教えをまっとうに守っていたら、あんなにすごいお寺が建つはずないですよ。乞食僧であるべきですよ。一遍の一党はお金ないですよ。時宗は今もほとんどお寺ないでしょ。あっても小さなお寺。」(p75)


第三章は「『日本人』のアイデンティティとは何か」。
そこでの二人のやりとりをすこし切り取ってみます。


梅原】 ・・・今、天皇陛下が被災地をお回りになっています。鎮魂の役割を果たしている。象徴天皇というのは、『鎮魂する人』という意味かもしれません。
瀬戸内】 天皇陛下と美智子皇后が、必ず現地にいらっしゃいますね。すごいことだと思います。これまでも必ず災害があった所に駆けつけてこられた。お二人とも膝をついて、目線を被災者と同じにして、そしてやさしく声をかけたりしていらっしゃるでしょ。・・・・もうお歳で、天皇陛下はご病気でしょ。美智子皇后もこの頃お身体弱っていらっしゃいますよ。でも必ず駆けつけられるのね。
梅原】 日本人が代々やってきた怨霊の鎮魂という、そういうことを今の天皇陛下がおやりになっている。
瀬戸内】 象徴天皇はいかにあるべきかを、身をもって探っていらっしゃるし、示されているということです。・・・天皇と皇后のああいうお姿は、忘己利他とは何かというと、まさにあれです、と説明できる。あのお姿が忘己利他ですよ。けれど心配です。若い時はともかく、あのお歳じゃ大変ですよ。そして日帰りでしょ、飛行機で行って帰ってくる。翌日は起き上がれないでしょうね、きっと。
梅原】 天皇がいらっしゃると誰でもありがたいと思うんです。立ち直る元気が出てくる。不思議な力、私は日本の天皇制が、今、ここで生きていると思う。
瀬戸内】 庶民は『畏(おそろ)しき存在】が欲しいんです。
梅原】 やっぱり何かシンボルがいるんですよ。今度ほど、そういうものが必要な時はないんじゃないかな。 (p88~89)


う~ん。あとは端折っていきましょう。


「『源氏物語』は貴族の雅やかな生活を描いた素晴らしい文学、能は庶民の哀しさをとことん追及している。『源氏』と能、対極にあるこの二つの文学を知ることで、私は日本の文学が初めてわかると思う。」(p96)

こう梅原氏は語っておりました。そして

「日本が詩の国だということはとても素晴らしいことです。
中国も詩の国だけどちょっと違うんですね。日本の詩は抒情詩です。中国の漢詩は自分の思想を詠うんですよ。それも素晴らしいけど、日本のものはなんかこう、滅びゆく人生の真実を詠ったような、滅びゆくものへの哀しみという・・・。」(p103)


第四章は「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」
第五章は「震災後のめざすべき日本、よみがえりの思想」
で終っておりました。

まえがきは瀬戸内寂聴。
あとがきが梅原猛。

3月11日からのひかりが、日本の歴史を貫通してゆくような、
そして、さまざまな補助線がむすばれてゆくような、
そんな手ごたえ。
鮮やかな日本歴史への、むすびつきをいざない、
読書への道筋を、照らし出していただいた。
さあ、私は方丈記につづいて、能を読もう。
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産経書房。

2011-07-28 | 短文紹介
産経新聞7月23日(土曜日)の読書欄「産経書房」が面白かったなあ。
いつも、ここにある「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」を楽しみにしているのですが、この頃、その週刊誌もまた買わなくなりましたので、花田氏の文を読むだけで楽しんでおります。さてっと、7月23日のこの読書欄では
書評倶楽部で福原義春氏が梯久美子著「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」(角川書店)を紹介しており。その下の「話題の本」では見城徹・藤田晋著「憂鬱でなければ、仕事じゃない」(講談社)を海老沢類氏が書いておりました。そして産経書房(各出版社の出版部の方が、企画本を紹介しているコーナー)では、2冊紹介されておりまして、1冊目は瀬戸内寂聴・梅原猛著「生ききる。」(角川oneテーマ21)。

ここまでの3冊を買いまして、どれも印象に残るのでした。
ということで、あと1冊紹介されていた古賀茂明著「官僚の責任」(PHP新書)を、さっそく注文。これで、この日紹介された4冊を揃えることになりました。
私としては、4冊とも買うなんて、いままでにない買い物です。

あ、そうそう。そういえば、写真集も紹介されていたのでした。
それは買いません。でもせっかくですから、(存)さんの紹介記事。
蜷川実花写真集「桜」(河出書房新社・2415円)。
以下、(存)さんの全文。

「あとがきを何度も読み返した。
『今年の桜を撮りたかった。私が私であるために、自分で自分を支えるために。目の前の現実と向き合う準備、そしてほんの一瞬の気分的な逃避。映画や漫画のような非現実の世界が私達の日常に、その異常な日常に日々慣れていく自分。何かに取り憑かれたように撮影した』
 東日本大震災に向き合おうとする写真家の、痛々しいほどに率直な心境の吐露。再び最初からページを繰る。彼女の真骨頂といえるきらびやかなイメージの乱舞。美しさにも、ひとを支える力がある。アートは無力じゃない、と言いたくなった。」

ここまで、引用すると、花田紀凱氏の文もすこし引用。
週刊新潮の記事から

「 『新潮』の長瀧重信長崎大学名誉教授のコメントに尽きるのではないか。
【 「放射能の影響については膨大な論文があり、自分に都合のいいように論文を選ぶと、正反対のことも『科学的に正しい』と言えてしまいます」 】

・ ・・で、1ミリシーベルトはどうなのか。
【 「100ミリシーベルト以下では放射線の影響は科学的に認められない」 】 」


以上、産経の古新聞の整理をしていたら、あらためて気づいたのでした。
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「行ききる。」

2011-07-27 | 短文紹介
角川oneテーマ21「生ききる。」を読了。
新書で読む瀬戸内寂聴と梅原猛の対談。

最初のほうにこうありました。

梅原】 ・・私はね、仙台の生まれなんです。・・しかも私の母方の祖父は石巻の渡波(わたのは)で網元をしていた。ところがある時マグロ船が沈みまして、遺族に全部財産を投げ出して、一文無しになって仙台にやって来た。・・・(p23)

とりあえず、ぱらぱらと読んだのですが、
話題は東日本大震災を切り口に、ほとばしり出たような豊かさ。
1922年生まれの瀬戸内寂聴。
1925年生まれの梅原猛。
もてる知見を、おかまいなしに、汲み出しているようにも読めました。

瑣末な箇所を引用させてください。
寂聴は徳島生まれ。

梅原】 徳島っていうと富士正晴を思い出す。(p107)

瀬戸内】 ・・富士さんは人と人を結ぶのがお上手で、富士さんって何者って言われたら位置的に難しいんですね。小説も書いてる、評論もしてる、絵も書も描く。編集者でもある。何でもできちゃう人だから。多才ということを日本の文化人はばかにしますけどね。ただ一つのことをできるのが尊いという、変な価値観がありますね、この国は。・・・・違うのよ。多才ってことは才能の幅が広いってことなんです。一芸に秀でるというのは才能の幅が狭い、それしかできないということですよ。(p108)


あれこれと話題が変わって行くのを追っていくだけでもワクワク。
すこしの引用で、この対談の全体を紹介するのは、まず、あきらめて。
とりあえず最後まで見ました、という備忘録。
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鴻毛より軽し。

2011-07-26 | 短文紹介
諸橋轍次著「中国古典名言辞典」(講談社)をひらくと、


「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」

この解説は
「同じ命を差し出して死ぬことも、あるばあいには泰山よりも重いと考えてこれを惜しまねばならないし、あるばあいには鴻(おおとり)の羽毛よりも軽いと考えて、潔くこれを捨てなければならない。(司馬遷「任安(じんあん)に報ずる書」)」

あらためて、読み直したのは、
中島敦の「李陵」と、ことのついでに「弟子」。

そうそう、徳間書店「史記Ⅶ・思想の運命」(西野広祥+藤本幸三 訳)をひらくと、
こう訳しておりました。

「人間だれしも死ぬ運命にありますが、その死が泰山よりも重んじられたり、鴻毛よりも軽んじられたりするという差が出るのは、動機の違いにもとづいくのであります。」

う~ん。このあとにつづく言葉が肝心なのかもしれません。でも、ここまで。

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消防団の人が来て。

2011-07-25 | 短文紹介
梯久美子著「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」。
とりあえず、パラパラと読了。
また、あらためて読み直したい一冊。

さてっと、この本は
雑誌「本の旅人」平成22年9月~平成23年7月号の連載をまとめたもの。
途中に、今年の3月11日がはさまっているわけです。
どうしても、それが気になりながらの、妙に共通項を感じさせる一冊。
たとえば、児玉清さんへのインタビューに
戦争中のこんなエピソードが紹介されております。

「すぐ上の、二歳違いの姉は、焼夷弾が落ちた近所の商店街にバケツを持って駆けつけて、火を消そうとしたらしいです。
当時の日本人は、爆弾が落ちたら消すようにという教育を受けていたんですね。初期消火に努めて延焼を防ぐよう、訓練されていた。『最初一秒濡れむしろ、かけてかぶせて砂で消す』なんていう歌を僕も歌った覚えがあります。まず水で濡らしたむしろをかぶせ、そのあと砂をかけて消せというわけです。それを姉は律儀に守ろうとしたんですね。ところが、駆けつけた現場には誰もいなかった。消防団の人が来て『逃げろ』と言うので、バケツを抱えたまま、急いで逃げたそうです。・・・」(p50)

何でもない箇所ですが、「消防団の人が来て『逃げろ』と言うので」
などというのは、地震津波の被災地のことを、つい思い描いてしまうのでした。

最後は五木寛之さんでした。そこにこんな箇所。

「敗戦の翌日だったか、父親が教えていた師範学校の朝鮮人学生たちが家にやって来ました。腕に『人民保安隊』という腕章を巻き、腰には拳銃を下げていました。・・・終戦になったらこういう運動を展開するという計画がすでにあったんでしょう。父親は『君たちはそんなことをやっていたのか』と、びっくり仰天していました。彼らは『先生、なるべく早くピョンヤンを出られたほうがいいです』と助言してくれました。『おそらくソ連も入ってくるでしょう。日本に引き揚げられたほうが安全です』と。でも父親はピンと来ないんですね。『いやあ、どうすればいいのかなあ』というようなことを言っていました。というのも当時の唯一の公的な情報源で、日本人がもっとも信頼をおいていたメディアであるラジオが、繰り返し、『治安は維持される、市民は軽挙妄動せず現地にとどまれ』と告げていたからである。・・・・・当局はおそらく、市民の間にパニックが起こることをおそれたんでしょう。情報の格差というのは怖ろしいと、つくづく思います。情報というものの価値に対して、わたしたちは鈍感です。特有のいい加減さがある。・・・・
情報というものは、貪欲に集めようとすれば、かならずどこからか摑んでくることができるはずです。でも、お上の言うことを聞いていればいいという習慣が身についてしまっているから、それをしようとしない。ましてラジオで放送されたわけですから、まったく疑いをもたなかった。・・・・結局、日本人はいまも、そしてこれからも、同じなのかもしれないとも思います。お上の意に反して、自分の決断で行動するということがなかなかできない。・・・」(p282~285)


今度の地震津波や原発事故のことを、知らず知らずのうちに思い浮かべてしまいかねない箇所を引用してみました。
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梯さんの新刊。

2011-07-24 | 前書・後書。
あれ、いつのまにか新刊・梯久美子著「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」(角川書店)が出ておりました。
これは楽しみ。10名が登場しております。
最初は、角野栄子さん。
2010年8月に梯さんが訪問する場面からはじまっておりました。
「鎌倉の駅に降り立つと、空気の感触が違っていた。この日、東京の気温は35度。そこから一時間電車に乗っただけで、ひと息ごとに胸を圧迫してくるような、都会の濃密な熱気は消えていた。・・・」
ちょいと、2~3名をパラパラと読み始めたのですが、
楽しみは、とっておきましょう。
あとがきの始まりはというと、
「今年(平成23年)、未曾有の震災が日本を襲った。映像や写真で被災地の子供たちの姿を目にするたびに、かれらの目にいま映っているものが、どのようなかたちで、その心と体に刻まれていくのだろうかと考える。・・・・
戦争について書かれた記録のなかで、子供はつねに脇役である。保護されるべき弱者であり、歴史になんの影響も与えない存在。しかしかれらは、戦争という日常のなかにあって、『見る』という行為を全身で行っていた。今回の取材を通して、脇役だからこそ見えるものがあることに、あらためて気づかされた。・・・」

この夏。さらりと読めるけれど、さらりと読み進めるのが、もったいない一冊。
それにしても、毎年一冊梯さんの新刊が読める楽しみ。
来年?。うん、期待しすぎずに、待つことに。
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管見・諫言。

2011-07-23 | 古典
国会中継7月21日の録画を見ておりました。
参院予算院。質問は塚田一郎氏。
答弁は経済産業大臣・海江田万里。
そこで、万里氏は答えて、
夜寝れない時がある、司馬遷の史記を読む。というのでした。
そこで、
「死はあるいは泰山より重く、あるいは鴻毛(こうもう)より軽し」
という言葉をつかったことを指摘されて答えておりました。

つぎに質問にたった山谷えり子氏は、
菅首相の答弁を
「鴻毛より軽い」と最後に指摘しておりました。
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ダメ企業の国家運営。

2011-07-22 | 朝日新聞
朝日の古新聞をもらってきました。
その7月9日オピニオンに古賀茂明氏が語っているので、読んでみました。
耕論「海江田辞意が示すもの」というのが題です
では、古賀氏の語り。
「菅首相は気分としては、脱原発、自然エネルギー派なんですよ。でも気分を実現する能力もスタッフもない。だから、官僚に頼る。頭、つまり首相は脱原発で、体の経産省が原発推進ですから、バラバラで支離滅裂に見えるはずです。」

「民主党の議員はどうか。菅首相同様、気分だけは改革派という人が多い。テレビの前では威勢がよくても、この国難を前にして、誰も判断も決断もできない。そもそも誰が、どう決めるかという仕組みさえ見えない。民主党の政治主導は、震災前から失敗していました。まず政治主導の意味を取り違えて、官僚を排除しようとした。閣僚に政治主導の能力もなかった。それをサポートする有能で信頼できる、自前のスタッフもいない。結局、守旧派官僚に頼るしかない。今の菅首相の状況は、それを如実に表しています。」

語りの最後は、
「このままでは、日本は再生できない。求められているのは組織力。リーダーの決断を軸に組織全体で問題に当たる態勢です。今は、どこにもそんな力はない。気分や思いつきではなく、何が問題か、どう解決するか、そのために誰を使うか。早く考えて立て直さなければ、取り返しのつかないことになります。」

このオピニオンには三人のインタビューへの語りが掲載されていて、読み応えがありました。二人目は岸良裕司(経営コンサルタント)。ああ、こういう角度から読み解けばよいのだという見本のような切り口で語られております。
題して「ダメ企業にも劣る菅政権」
はじまりは丁寧に引用してみます。

「私のところに持ち込まれる相談は、破綻寸前、業績不振が恒常化している企業からのものが大半だ。・・・あるメーカーで、厳しい業績の中、リストラを巡って役員間で路線対立が起きた。当面の利益を確保するため工場を売却するべきだと考える株主重視派と、ものづくり現場を重視する派に割れた。結局、現場重視派が敗北し、閑職に追いやられた。上層部のゴタゴタは現場に波及し、社員の『やる気』は落ちる一方となった。・・」

「そんな視点で民主党と菅政権をながめると、驚くほどダメ企業に似ている。・・・加えて民主党政権は発足時から『官僚はダメだ』と官僚に敵対してきた。政府にとって官僚は企業の社員に当たる。どんなダメ企業の経営者でも、社員を敵視はしない。顧客に向き合う社員のやる気をそいでは、事業がうまくいかないのは自明だからだ。民主党政権のマネジメントはダメ企業に劣る。それでは政府本来の業務である行政サービスが行き届く道理はない。」

このあとにコンサルタントの指摘が語られます。

「政府は、優れた企業のマネジメントを見習ってほしい。
① 目標を定め、執行する現場(役所)と共有する
② 物事を早く進めるために、部門(省庁)間の調整を含めて全体最適で段取りをつける
③ 現場ができることは現場に任せ、問題があるときだけ助ける
といったものだ。日本の現場は優秀である。現場を活用すればめざましい成果を短期間に出すことも可能だ。」


三人目は飯尾潤(政策研究大学院大教授)。その指摘は、丁寧で網羅的、喧嘩両成敗的。ここでは、一箇所だけ引用。

「もちろん菅首相には大きな問題があります。
政治主導を唱えながら、指導力を発揮できる政治構造をつくろうという発想がない。参院選で負けた時も大震災の後も、危機に直面するたびに内にこもり、チームづくりの努力を放棄してきた。」


うん。うん。「組織力」「チームづくり」かと、頷くばかり。
朝日新聞はどなたに意見を聞くかで、新しさが異なる。
できるなら紙面に、このすっきりとした意見が反映されますよう。
昨日の国会中継で山谷えり子氏の質問に注目しました。
そこでとりあげられた、ある市民団体。
朝日のマネジメントも、民主党に劣らないよう頑張れ。
頑張れ日本。
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新聞・テレビ。

2011-07-21 | テレビ
最近の国会中継は、できるだけ、録画しておいて、あとで早送りで、見たい箇所を特定して見るようにしています(国会中継はいつでも取り出して見れるシステムになっているとありがたいのですが、現在はどうなのでしょう)。昨日雑誌「SAPIO」8月3日号を買いました。特集が「新聞・テレビのグロテスクな限界」。ちなみに連載の方々には、大前研一・黒田勝弘・佐藤優・古森義久という面々がおりました。震災以来、私はこの雑誌にまで目がいっておりませんでした。
さてっと、特集の最初は内田樹氏。文のはじまりにこうあります
「最近のマスコミについての私見を述べよというのが編集部からの依頼です・・・」
それでは、途中を引用。
「テレビ局が制作放送にかける電力も巨大な量ですし、各家庭の受像機も大量の電力を食っている。それほど節電が緊急だと思うなら、テレビ放送そのものを抑制すればいいというアイディアは誰も出さないのですか。『クーラーの設定温度を調整して、なんとか乗り切りましょう』とか被害者面(づら)して言うんじゃなくて、各局で話し合って放送しない時間を設定すればいいじゃないですか。電車を間引き運転したり、駅のエスカレーターを止めたりすれば、ダイレクトに市民生活に影響が出ます。そのせいで生活に支障が出る人はたくさんいる。でも昼間のテレビ放送なんかチャンネルが二つ三つ減ったからと言って、それで市民生活に深刻な支障が出て困る人なんかいないでしょう?電車やエスカレーターを止めるぐらいだったら、まずテレビを止めればいい。僕が子どもの頃はテレビ放送は朝と夕方以降だけでした。昼間はテストパターンが流れていた。それでいいじゃないですか。午後2時が消費電力のピークだというなら、午後2時前後に交替で放送を自粛すれば、ずいぶん節電になるんじゃないですか。・・・だいたい、国民が今、一番知りたがっている震災や原発についてのニュースは、どの局も官邸、東京電力、原子力安全・保安院といったソースからの情報をそのまま流しているし、その分析解説に局ごとの個性や特色があるわけでもない。みんな横並びじゃないですか。だったら民放とNHKを合わせて6局も7局も要らないじゃないですか。テレビの人たちは『テレビ局はこんな数要らない』ということをもうわかっていると思います。」

内田氏の最後の方に、
「1970年代以降、マスコミの知的劣化が始まり、止まらなくなった。・・・」
そして最後に
「自己点検できる、つまり自分の失敗を吟味して、そこから学習できることこそ知性の証です。中立・公正で、誤報や事実誤認は決してしていないと言い抜けるメディアは端的に反知性的なのです。日本のマスメディアの再生の道はもう一度『知性的』とはどういういことかを熟慮するところにしかないと僕は思います。」
内田樹氏のつぎには神足祐司氏。
神足氏の最後の箇所。

「原発事故後の新聞紙面を見ればいい。原子炉の図解があり、放射線表があり、あらゆる専門家のコメントがあり、それでいて、とっくの昔にメルトダウンしていた事実を伝えるのは後回し。あとは個々人が判断するしかないって?わかりにくい隠蔽競争をしておいて、判断などできるか?お分かりでしょう。ニュース記事や番組が何を伝えているのかわからなかったのはあなただけではない。書いたり、しゃべったりしている当のマスメディアが、悲しいほどにわかっていなかったのだ。」


森田実氏の文もありました。そこから

「官僚を排除した『政治主導』を掲げてきた菅内閣は、官僚を全く使いこなせていない。こうした問題を追及している大マスコミを私は知らない。
さらに言えば原発事故のすべての責任を東電に押し付けている菅政権の姿勢に疑問を呈する報道もほとんどない。」
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読みたいと思うもの。

2011-07-19 | 短文紹介
暑いと本など読みたくないなあ。
読むと、暑さを忘れさせてくれるのがあれば読むよなあ。
というので「方丈記」。短いのがいい。
ところどころつまみ読みしてもいい。
出だしは
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
参考書を読むと、つぎにある
「世中にある人と栖(しみか)と」というのが方丈記の肝心なキーワードということです。さてっと、
毎日新聞今週の本棚(7月10日)に荒川洋治の書評で、ボルヘス著「詩という仕事について」(岩波文庫)があったので、さっそく注文しておいたのでした。それをぱらぱらと読んでおります。するとこんな箇所がありました。

「・・・『時と河について』という単純な表題の小説もまた存在します。二つの単語を並べるだけで、隠喩になっているのです。時と河、これらは共に流れるものです。そしてさらに、ギリシャの高名な哲学者の文章があります。『いかなる人間も、同じ河に二度入ることはできない』・・・・マンリケによる、次のような詩もあります。
『われわれの生は河、死という海にいずれ注ぐ』 」(p41~42)


ところで、この「詩という仕事について」の最初のページにこうありました。

「実際には、皆さんにお教えするようなことは、私には何もありません。私はこれまで書物を読み、腑分けし、書き(もしくは書こうと試み)、楽しんでもきました。そしてこの最後の行為こそが、何よりも大切なものであることを悟りました。・・・」


あれ、こんな箇所もありました。

「時折りですが、我が家にある沢山の本を眺めていると、読み尽くすことができずに死を迎えるだろうという気がします。しかし、それでも私は、新しい本を買うという誘惑に勝てません。・・・」(p17)

第6章「詩人の信条」の始まりの方に、あの言葉がありました。

「事実、私は試論のすべてを、一篇の詩を物するための単なる道具と考えています。」

「私は自分を、本質的に読者であると考えています。皆さんもご存知のとおり、私は無謀にも物を書くようになりました。しかし、自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています。人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。」(p141~142)
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輿夫長。

2011-07-18 | 地域
16日が神輿の渡御で、神社からミタマをミコシへ移して、担いで
神社に帰り、ミタマを神社へ戻して終わりました。
17日は夜7時より、花納め。
神社の氏子総代4名。崇敬会長(区長)副崇敬会長(副区長)と
若い衆の青年(といっても60代まで幅はひろいのですが)が
青年館に一同に集まり今年の御輿の打ち上げ。
崇敬会長・氏子総代長・輿夫長と挨拶。
その輿夫長の挨拶に3月16日の
「天皇陛下のお言葉」への言及がありました。

年配の方々や三役、青年役員へのお礼からはじまり
神社の宮司の祝詞を聞きながらボンヤリト思ったことが
語られていました。
7年前の伊勢神宮への伊勢参りへ連想がつづき
外宮と内宮。内宮の御祭神が天照大神であること。
天照大神は、皇室の御祖先の神で、日本人の総氏神とも言われていること。
そして、皇室からの連想で、
3月16日の「天皇陛下のお言葉」を数行引用して
終わっておりました。
「被災した人々がけっして希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれうよう・・・」
そのあとに、氏子総代会計が乾杯の音頭。
あとは飲み会に、氏子総代の面々が日本酒を飲むので、
酒は、宮城県塩釜の地酒「浦霞」を用意。
若い衆にも、お猪口についでまわり。
7時から9時まで。
胴上げ、次期役員紹介、万歳三唱。
9時から、場所をかえての二次会。
年配の方々とは別々の会となり、
青年は、手伝いに来てくれた方々も交えての歓談。
そして、三次会に行って、これで
今年の御輿も無事に終わりました。バンザ~イ。

ということで、今日も、ぼんやりしておりました。
そうそう、女子サッカーを録画してから、
楽しんで観たのでした。
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元気な雑誌。

2011-07-17 | 短文紹介
新潮45の8月号が出ておりました。
さっそく購入。
特集が「原発に炙り出された『日本』」。
うん。よい特集の題名です。
この私のブログの3月11日は池部良について書いていたので、
新潮45の特別対談「池部良という戦後」内田樹VS関川夏央も
気になるなあ。
こういう地震津波・原発問題の最中に
雑誌が元気であるとよいですね。
ってなことを思いながら、
今日は夕方7時より
神輿の花納めと2次会のことが気になります。
神輿の会計が、どうやら風邪をこじらせたよう。
花納めは神社の長老たちが集まります。
日本酒だなあ。長老のみなさんは元気です。

まあ、それはれとして、
元気な雑誌はいいなあ。

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今日は神輿(みこし)。

2011-07-16 | 地域
午前8時から神輿の組み立て。午後神輿の渡御(とぎょ)。
朝6時に合図の花火打ち上げ。
神社に帰ってくるのは、今年はすこし短くして
午後8時。それから会計の確認。
明日は花納め。そこで会計報告。

何年前だったか。
神社の近くの年配の方々が、
若い衆も伊勢神宮に皆で御参りしてきたほうがよい、ということで、
地区全体の若い衆をつのって、バスの一泊旅行が実現。
ワイワイと騒ぎながら大井川を渡って、お伊勢参り。

参拝は、外宮・内宮を見学。
内宮の御祭神は天照大御神。
皇室の御祖先の神。
日本人の総氏神とも言われています。

皇室といえば、今年は
3月11日から5日後の3月16日にテレビで流れた
「天皇陛下のお言葉」が思い浮かびます。

あらためて読んでみました。
そこから、最後の箇所を引用させていただきます。

「・・・被災した人々がけっして希望を捨てることなく、
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、
また、国民の一人びとりが、被災した各地域の上に
これからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの各地域の
復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」

ちなみに、今年の神輿のお神酒は、
被災地宮城県の地酒「浦霞」で統一することに。
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