和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ハザードマップを信じるな。

2011-06-30 | 地域
6月29日の産経新聞文化欄に
「これからを生きる君たちへ」(新潮ムック・500円)の紹介記事がありました。
「現在4万部を超え・・」とあります。
斉藤孝明治大教授の分析もありました。
そこに「今回、先生方の言葉の中に目立つのが『自分で判断できる人間になれ』というメッセージです。知識も大切ですが、非常時において生死を分けたのは『判断力』だった。報道によれば、岩手県釜石市立の小中学校では震災前から独特の防災教育をしていたそうです。3つの要点①想定にとらわれるな②状況下で最善の判断をする③率先避難者たれ――を徹底していたおかげで、校内にいた児童生徒全員が無事だった。今回の大震災が教育に与える最大の影響は、『判断力をどう身につけさせるか』という課題を浮き彫りにしたことではないか、と僕は感じています。」

産経新聞のオピニオン「話の肖像画」に
片田敏孝氏へのインタビュー記事が3回にわたって連載されておりました。
6月28日・29日・30日。
そこに、たとえばこんな言葉がありました。

片田】 自然現象は人間の意思など無視して迫ってきます。子供たちには『ハザードマップを信じるな』とあえて逆説的なことをいって『地震、即避難】を徹底していました。ある小学校では、全員が避難を完了してから大津波警報を聞いています。犠牲者は逃げなかったか、逃げ遅れたから亡くなった。これは厳然たる事実。被害想定が避難の足かせになったとしたら、ハザードマップや予想波高の広報はやめるべきです。どのような情報であれ、人は都合のいいように解釈してしまう傾向があります。情報はなくても命は助かるということを釜石の子供たちは示してくれた。(6月28日)
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人気取り。

2011-06-29 | 短文紹介
「猪瀬直樹の仕事力」(潮出版社)に

「僕は昭和20年8月15日に線を引かないほうがいいと思うんです。近代は全部一緒の時代だと思って見たほうがわかりやすい。8月15日で線を引くとわからなくなってくるんですね。」(p157)

それじゃ、東日本大震災の2011年の3・11の場合は、どうなのか?
と思ったりするのでした。この「仕事力」の本には、
2008年6月号に掲載された「民主党の政策は『人気取り』でしかない」という文がありました。そこから引用。

「・・・民主党はガソリン代を25円下げろと言っているだけで、ガソリン暫定税率が失効した場合の年間2・6兆円の税収減について何ら方策を示していない。・・・民主党の政策を見ていると、ただのポピュリズム(大衆迎合主義)としか思えない。・・・民主党はどうなってしまったのだろう。具体的な対案を何も決められず、てんでんばらばらに好き勝手な放言を繰り返すばかりである。・・・いずれにしても、改革とはたいへん地道な作業であり、理想にすぐ到達できるような簡単なものではない。・・・人気取りの極論に走るのではなく、冷静で責任ある議論をすべきであろう。」(p81~82)


うん。前から変わらない民主党を語っておりました。
つぎは、
猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」(中公文庫)を読む番。

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共に喜びたい。

2011-06-28 | 前書・後書。
佐々淳之・渡部昇一対談「国家の実力」(到知出版社)が今日届く。
その渡部氏による「あとがき」の最後を紹介。

「・・・大地震が起こったとき、菅首相は在日外国人から金をもらっているということで、議会の追及を受けている最中だった。地震がなければ今後は首相辞任に追い込まれていたに違いない。政権に固執する菅首相にとっては大地震は天が与えた祝福と受け取られたのではないか。大地震のすぐ後でその外国人に金は返したと平然としている。地震、津波、原発の報道のため、首相の不法な金銭問題はマスコミの対象でなくなってしまった。そういう内閣にも野党は大災害のときには協力せざるを得ない。国家の大災害を、自分個人の祝福と受け取れる立場にある人が、大災害に速やかに効果的対策を取るのは難しいであろう――と潜在意識の研究家は言うであろう。このような国難のときに、平時より安全保障の必要を説き、それを実践してこられた佐々氏の話を聞く機会を与えられたことを、この本の読者と共に喜びたいと思う。

   平成23年6月2日 菅内閣不信任案が否決された日に   渡部昇一  」
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鬼の目に涙だよ。

2011-06-27 | 他生の縁
東日本大震災で、あらためて、読んだ津波の本2冊。

 吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)
 山下文男著「津波てんでんこ」(新日本出版社)

というのが、私の気になった2冊。
2冊目の山下文男氏は1924年岩手県三陸海岸生まれ。
「津波てんでんこ」での著者紹介には
「現在、大船渡市綾里地区在住」となっておりました。
新聞・雑誌の記事では、入院中の山下氏も津波に遭遇したとあったのです。
新刊の佐野眞一著「津波と原発」(講談社)にその山下氏との会話がでてくる。佐野眞一氏が山下文男氏と直接会って、聞き書きしております。

さて、佐野眞一著「津波と原発」は
第一部「日本人と大津波」が~p66。
第二部「原発街道を往く」が~p236。
と、後半の第二部に多くのページをさいておりますが、
第一部の人脈を通じての報告が、なかなかのものです。

ここに、山下文男氏が登場する箇所を引用してみます。

「山下はベッドに横たわったまま『やあ佐野さん、まさかこんなところであなたに会うなんて、思いもしなかったよ』と言った。」(p53)
これを以下引用しておきます。

――高田病院にも行ったんですが、メチャクチャでしたね。あんな状態の中でよく助かりましたね。
『僕はあの病院の四階に入院していたんです』
――えっ、津波は四階まできたんですか。
『津波が病院の窓から見えたとき、僕は津波災害を研究してきた者として、この津波を最後まで見届けようと決意したんです。・・・僕はインド洋津波(スマトラ沖地震津波)のビデオの解説をしていますが、あれとそっくり同じ光景でした。大木やいろいろなものが流されて、人が追いつかれて、人が巻き込まれるのは見ています』
――それを四階の病室から見ていたんですね。
『そう、それを最後まで見届けようと思った。と同時に、四階までは上がってこないだろうと思った。陸前高田は明治29年の大津波でも被害が少なかった。昭和大津波では二人しか死んでいない。だから、逃げなくてもいいという思い込みがあった。津波を甘く考えていたんだ、僕自身が』
――わが国津波研究の第一人者がね。
『・・・窓から津波を見ていた。ところが、四階建ての建物に津波がぶつかるドドーンという音がした。ドドーン、ドドーンという音が二発して、三発目に四階の窓から波しぶきがあがった。その水が窓をぶち破って、病室に入ってきた。そして津波を最後まで見届けようと思っていた僕もさらわれた。そのとき手に握っていたカギも流された。僕は津波がさらってなびいてきた病室のカーテンを必死でたぐり寄せ、それを腕にグルグル巻きにした』
――でも水はどんどん入ってくる。
『そう、水嵩は二メートルくらいあった。僕は顔だけ水面から出した。腕にカーテンを巻きつけたまま、十分以上そうしていた』
――もう死んでも放さないと。
『そうそう。そのうち今度は引き波になった。引き波というのはすさまじいもんだ。押し寄せる波の何倍も力がある』
・・・・・山下はずぶ濡れになった衣服を全部脱がされ、フルチンで屋上の真っ暗な部屋に雑魚寝させられた。自衛隊のヘリコプターが救援にきたのは、翌日の午後だった。
ヘリコプターは屋上ではなく、病院の裏の広場に降りた。ヘリから吊したバスケットに病人を数人ずつ乗せていたのでは時間がかかるし、年寄りには危険だと判断したためである。
『36人乗りの大型ヘリだった。中にはちゃんと医務室みたいなものまであった。僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。病院でフルチンにされたから、よけいにやさしさが身にしみた。僕は泣いちゃったな。鬼の目に涙だよ』
山下はそう言うと、自分がくるまった自衛隊配給の茶色い毛布を、大事そうに抱きしめた。山下はその毛布を移送された花巻の病院でも、ホテルでも子どものように握りしめて放さなかった。・・・・(~p57)
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雑誌の活力。

2011-06-26 | 短文紹介
中央公論7月号購入。
畑村洋太郎、ドナルド・キーン、小松正之、佐藤優、猪瀬直樹、井上ひさし。
こういう顔ぶれなら、どなたも触手が動くのじゃないでしょうか?
朝日の古新聞で雑誌広告を目にしてから、注文しました。
そういえば、という連想。
畑村洋太郎氏は「『失敗学』から見た原発事故」という6ページほどの文。畑村氏といえば、講談社学術文庫に寺田寅彦著「天災と国防」が、つい最近発売されました。じつはこれも新聞の雑誌広告で見たのですが、文庫解説が畑村洋太郎氏となっております。それじゃ買ってみようということにしました。
うん。買ってよかった。じつに、解説だけで38ページある。
寺田寅彦をテキストにした、文庫による、ちょっとした講習をうけている感が楽しめます。

ドナルド・キーン氏。中央公論では3ページほどなのですが、題は「日本国籍取得決断の記」なんてある。どなたも、読みたくなるじゃありませんか。
そのなかに、今年の1月に東京で入院していたこと。
「私はコロンビア大学の授業を三回、欠席したことを忘れるわけにはいかなかった。一刻も早くニューヨークに戻らねば、という責務を感じていた」とあります。
こんな箇所にも、キーン氏の先生・角田柳作先生のことを思い浮かべてしまいます。
そういえば、荻野富士夫著「太平洋の架橋者 角田柳作」(芙蓉書房出版)というのが出ていたなあ(未読ですけれど)。
もどって、コロンビア大学の授業についても触れておられました。
「今季の私のクラスでは能楽の謡曲を読む授業が予定され、11人の学生が登録していた。中国経済の台頭によって、海外の大学では日本に対する関心がすっかり衰えたと日本の人々が言う時もあるが、11人という数は昨年の二倍にあたるし、学生の質も極めて高く、日本に対する関心が薄れていないのは歴然としていた。取り上げる謡曲は『船弁慶』『班女』『熊野(ゆや)』『野宮』『松風』である。この五つの謡曲の中で比較的、簡単なのは『船弁慶』だが、残りの四作は荘厳たる詩句の数々であり、それらを理解し、翻訳するのは学生にとって極めて難しい課題であるが、それでも脱落する者はいなかった。学生たちは授業に際して、長時間の学習を積んだに違いない。講義をしていて実感するのは、自分が愛する文学を教える喜びだ。私自身が抱く日本文学に対する心からの愛情を、この若者たちに伝道する、そんな思いが沸き上がるのだ。まるで、宣教師が自分の信念こそを真理と信じたように。これが最後の授業かと思うと、惜別の念に苦しめられるのは分かっていた。」

うん。願わくば、この3ページほどの文を読まれんことを。

謡曲といえば、
山村修著「禁煙の愉しみ」(朝日文庫)の最後に山村陸美さんが書いているなかに、

「・・夫は月曜日から金曜日、九時から五時まで、時には残業をし、また隔週で土曜日も職場で精一杯働き、週一本の書評を書き、時々月刊誌に連載を持ち、精魂こめて文章を書きました。また、その間に能を見、後にお謡を習い、そのまた後にはオペラにまで足をのばし・・・」(p229~230)

たしか、最近読んだなかでは、「奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀」(小学館)のなかにも、ちらりと生徒を能見学へつれてゆく箇所があったと思ったけれど・・・。

せめて謡曲を読みたいと思って、いまだちゃんと読んでいない私がおります。って、結局最後は、自分の不勉強(笑)。
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私は躊躇した。

2011-06-24 | 短文紹介
新潮ムック「これからを生きる君たちへ」(500円)の副題は「校長先生たちからの心揺さぶるメッセージ」でした。この雑誌の最初に登場する先生が渡辺憲司氏でした。
それを覚えていたせいで、今度の新刊渡部憲司著「時に海を見よ」(双葉社)を購入。
新潮ムックに掲載された文が、最初に出てきます。あらためて読むと、こうありました。


「・・・・今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。・・・」(2011年3月15日)

この本の最後の文で、渡部憲司とは、どんな人なのかが語られておりました。
「国語の教師であった・・・・古典文法の代わりに、平家物語の一節を無理やり暗唱させ、中学一年生には変体仮名を教えた。徒然草の授業では『つれづれ』の二十通りの解釈を黒板に書き、それを筆写させた。・・・」(p144)

「昨2010年3月、私は大学を定年退職した。40年に及ぶ教員生活であった(これで終わるつもりであったが、その後、さらに今、校長として教員生活を送ることになった)。」(p142)


 「校長便り」からも、ひろってみます。


「私は66歳である。40年間、『先生』と呼ばれてきた。」(p19)


「言葉は弱い。だが、我々は、それのみでしか相手に物事を伝えることができない。言葉を信じよ。言葉は、はかり知れない力を持っている。」(p35)

「言葉は、『聴く』姿勢から生まれる。自らが言葉を発する前に、まず相手の話をよく聴く。hearではなくlistenである。聴くことは非常に難しい。しかし、言葉は、聴くという行為を大前提にして生まれてくることも覚えておいて欲しい。」(p37)

「芭蕉の孤独感の根底にあるのは、『聴く』ことによる自己への凝視である。」(p33)

引用もあります。

「そう、私たちには、新しいことばが必要なのです。生の記憶を語りなおすことば。人と人を結びなおすことば。他の誰かや過去からの借り物ではない、今日から明日へと、この混沌としたはじまりの荒野を歩いていくためのことば・・・。」(p42)
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「潮」7月号。

2011-06-23 | 短文紹介
何げなく買ったのですが、読めてよかった。
読みやすく、わかりやすい。
特別企画「『危機』のリーダーシップ」
寺島実郎、猪瀬直樹、佐藤優、草野厚。
特集「『被災地』のいま」
吉岡忍、粟野仁雄、中林一樹、高橋幸春。
おまけとして、
第14回桑原武夫学芸賞発表
受章は、後藤正治著「清冽 詩人茨木のり子の肖像」。
選考委員は梅原猛・杉本秀太郎・鶴見俊輔・山田慶児で
各選評が、短文ですが読めます。
さっそく、ネット古本屋で、この「清冽」を注文。

佐藤優氏の文に
「筆者はキリスト教徒なので創価学会に対して阿(おもね)る必要はない。創価学会員とは別の信仰を持つ一人の宗教人として、筆者は中間団体である創価学会が民主主義の砦であると確信している。・・・」(p82)

うん、そんなこと考えたこともなかったので、論としても面白い指摘。

草野厚氏の文は、まず震災発生直後のパフォーマンスの指摘から、

「・・地震発生の翌朝、自衛隊ヘリで被災地及び福島原発を視察した際に、定員20名の限られたヘリに、首相が広報担当にと懇請し官邸入りした内閣審議官(官邸ブログ担当、元TBS記者)を同道する必要などなかった。動画撮影のためだったようだが(4月26日、衆院予算委員会で自民党小野寺五典議員と首相とのやりとり)、被災状況の撮影なら自衛隊機で十分であり、必要だったのはヘリで視察する『指導力を発揮する菅首相』の姿だったのだ。」(p88~89)
ということから、順次ならべられる指摘も、うんうんと一々頷いて読めました。ここでは、答弁を引用しながら菅首相の姿を浮びあがらせております。ちょいと予算委員会の答弁を聞きたい、調べたいと思う方には、ありがたい限り。
最後は、「公式の発言を中心に辿る限りでも、日本の指導者としての菅首相は評価のしようがないほど問題だらけだ。政治の空白を短期的に招いたとしても、首相や政権の枠組みを変える方が中長期的な国益に適う。・・・早期の辞任を実現させねばならない。」(p93)

まだ、読んでない箇所もあるのですが、
620円で、わかりやすい展望がひらけます。
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権力と信頼。

2011-06-21 | 短文紹介
猪瀬直樹著「言葉の力」(中公新書ラクレ)を読み、この興味から、
月刊雑誌「潮」7月号を購入。ここに六ページほどの猪瀬氏の文があるのでした。
そういえば、潮出版社から猪瀬直樹氏の本が出たらしい。
さて、雑誌での猪瀬氏の文を追ってみます。

「昨年秋、僕は小泉純一郎・元総理に会った。小泉元総理は次にように語っていた。『野党の人は、権力をもてば何でもできると勘違いしてしまう。権力半分、信頼半分だ』。菅総理をはじめとする民主党の面々は、上から命令すれば何でもできると勘違いしているのではないだろうか。・・・プロジェクトチームを作って官僚と議論したり、安全保障会議で自衛隊の幹部とじっくり話し合う。議論を重ねて納得してもらったうえで命令を出さなければ、組織は動かない。」(p76)


この「信頼半分」の欠如。
信頼がなくとも、総理が続けられる現実。
安全保障会議については、文の先にでてきます。
はじまりは、こうでした。


「3月11日、東日本大震災が起きた。震災後の菅直人総理と民主党政権の対応を見ていると、あまりのリーダーシップの欠如に愕然とする。・・・政府が安全保障会議を開き、きちんとした議論を経て決定しているわけではない。文民統制が機能していない。というか知らない。・・・総理が幹部と話し合い、自衛隊の実情を確認する。いざというときには、安全保障会議を開いて自衛隊に指示を出す。こうした手続きを踏まえるのは文民統制の基本なのに、菅総理は文民統制の入り口にも立てていない。・・まず真っ先に自衛隊の幹部を呼び、安全保障会議を開くべきだった。そうした手続きを無視した結果、菅政権がやることはことごとく後手後手に回っている。」(p74~75)

福島第一原発の事故処理に対する記述も引用してゆきたいのですが、
ここでは、とばして、

「震災直後からの電力不足対策でも、民主党政権は右往左往した。・・・政権がリーダーシップを発揮して電力のピークカットを行わなければならない。石原知事が震災直後から『政令を出せ』と言っていたのに、民主党政権は全く意味がわかっていなかった。
蓮ホウ・節電啓発等担当大臣は、電力の使用制限を実施するための政令・省令が存在することをまったく知らなかった。・・・特定業種規制について、具体的に記されている。政令・省令に基づいて規制を実施するためには、経済産業大臣が政令を運用する告示に日付を入れるだけでいい。こうした法的手続きについて、『節電啓発等担当大臣』がまったく知らなかったというのだ・・・」(p76)

ちなみに、この文章の最後は

「多くの日本人が、震災をきっかけに『国家』を意識し始めた。日本人が『新しい公共性』を培い、優れた政治リーダーを生み出すことが『国難』の克服の道である。」


潮出版社から出たという猪瀬直樹氏の本を、つづいて読みたくなりました。
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台湾歌壇。

2011-06-20 | 詩歌
読売新聞6月20日に
台湾歌壇の記事が掲載されております(p4・国際)。
さっそくネット検索すると、そこには違う歌ですが、
東日本大震災にかかわる歌が読めました。
ここには、新聞からの孫引き。

たとえば、その記事の最後は

「   大正生まれ昭和育ちの我ならば
        日本大災難にこころのしずむ
 と日本語世代ならではの歌も寄せられた。・・担当者は『頑張れという気持ちがこもったものばかり。心の支えになれば』と話している。」


もう少し引用された歌を並べましょう。

 天災に負けずくじけずわが愛友よ涙も見せず鬼神をば泣かす

 原子炉の修理に赴く男の子らの『後を頼む』に涙止まらず

 福島の身を顧みず原発に去りし技師には妻もあるらん

 未曾有なる大震災に見舞はれど秩序乱れぬ大和の民ぞ


「涙も見せず鬼神をば泣かす」とあります。
ああ、こうして「鬼神」という言葉を使われている。ハッとします。

あらためて、古今集の仮名序をひらいてみるのでした。

「和歌(やまとうた)は、人の心を種として、万(よろづ)の言(こと)の葉とぞなれりける。・・・・・生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地(あまつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男(をとこ)女のなかをもやはらげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をもなぐさむるは、歌なり。・・・」


古今集はいつも、仮名序ばかりで、つぎに進まない私ではありますが。
ときに読む仮名序はいいですね。ちなみに、ネット検索で「台湾歌壇」をひらくと、最初の二首が載っておりました。


万葉の 流れこの地に 留めむと
     命の限り 短歌詠み行かむ

日本語の すでに滅びし 国に住み
     短歌詠み継げる 人や幾人
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世界の情報孤児。

2011-06-19 | 短文紹介
産経新聞6月19日。
読書欄にある、「時評 論壇7月号」論説委員・石井聡氏の文
が印象深いのでした。
Voiceの西岡武夫(参院議長)
Willの安倍晋三
文芸春秋の中曽根康弘

3人の政治家が指摘する菅首相。
ということで、雑誌に手が行きました。
それぞれ、読み応えがあります。
たとえば、西岡氏の対談の最後は、

西岡】 使命感をもっていると思えませんね。
篠原】 さびしい話じゃないですか、それだけでは。
西岡】 だからいったのです。辞めるべきだと。

最初の方には、こうあります。

西岡】 政権を担当する覚悟がない。そして能力もない。
じつは3月24日に、あまりにみかねて首相に電話をしたのです。・・・議長が首相官邸に行くのはあまりないことですが、そんなことをいっている段ではないのでセットしました。『何時にするか、あとからご連絡します』と菅首相がいわれたので待っていたら、一時間半ほどして首相ご自身から電話がかかってきた。そしてキャンセルしてきたのです。三権の長の申し出をドタキャンするということもそうですが、そればかりではなく、私は阪神淡路大震災や雲仙普賢岳の噴火などをはじめ、さまざまな現場での対応経験も積んできているわけです。その声すら、虚心坦懐にお聞きになれないというのですから、よほど『自分がいちばん知っている』と思っておいでなのでしょう。(p56)

西岡】 ・・・・たとえば、いまの復興構想会議も、それ自体がそもそも間違いです。あそこで論議することは、総理が考えていなければいけないことなのですから。これも政治的な責任逃れと、時間稼ぎにすぎません。・・・(p58)

この「復興構想会議」について
安部晋三は、こう指摘しております。

「本来、復興会議は実務の話をすべき場なのですが、実際には実務担当者がほとんどいない。実務を知っている人や官僚を徹底的に排除しています。その結果、『これからどうしう制度を活用し、どういう法案が必要になるか』といった実務的なまとめが全くできず、あたかも『家を建てるのに注文側の人間ばかりが集まって「理想の家」について相談している』という状況です。5月15日に開かれた第五回復興会議で、御厨貴氏が『小さな漁協は東北の風物詩』と発言しました。これは『本当に現地のことを知っているのか』と思わずにはいられないほど、実際に生活している方の視点とずれている。『風物詩』というのは情緒的な旅人の目線で、本来必要な産業的視点を欠いています。・・・」(p33)

中曽根康弘は、こう指摘しております。

「民主党政権の持つリベラルな市民運動的な性格が災いしている。官僚不信、自衛隊不信、大企業不信が一部に存在し、初動における菅政権の対応は非常に素人的で、国民を心配させ続けた。その後の震災復興策の策定の段階でも、潜在的に党の中はバラバラで、首相の統制力は効かず、国難に党が一体となって対処しようという気概が見られない。まずは首相の気迫と指導力が見えない。」(p123)


ところで、Voice7月号の上杉隆氏の2ページの文が印象深い。
そこではWHO(世界保健機関)とIAEA(国際原子力機関)と国際環境保護NGOグリーンピースの三つの視点から明快な指摘をしております。

たとえば「過去にIAEAの『査察』を断ったのは、北朝鮮、リビア、イランくらいだ。原子力の扱いに関して、日本はそうした国々と同列で扱われてもおかしくない振る舞いを・・・」

それについては、さきに
「IAEAに対する姿勢だ、IAEAの調査に対しても日本政府は、一貫して拒否する姿勢をとってきた。三月、原発周辺の立ち入りを許可しなかったのを皮切りに、福島県飯館村の放射線環境基準値のレベルが上がり、IAEAから避難要請が出されても、なお日本政府はそれを事実上、放置してきた。それが五月半ばに突如、受け入れを表明する。そのあまりに唐突すぎるタイミングに、六月からウィーンで開かれるIAEAの閣僚級会議をにらんでの動きではないかと欧州諸国からみられている。」(p35)

上杉氏の文の最後は

「日本はどこに向かうのか。
記者クラブ制度に守られているがゆえ、三つの国際機関に歯向かった現実さえ国民は知らないだろう。もはや日本は、世界の情報孤児になりつつあるのだ。」
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しばらくは。

2011-06-18 | 詩歌
朝日の古新聞をもらってきました。
その5月30日・6月6日の歌壇。
6月6日永田和宏選の最初の一首

『しばらくはぼんやりしてればいい』と言ふ
          友の言葉がありがたかった
      仙台市 武藤敏子

選評】 一首目、ガンバレの大合唱の中、ぼんやりしておいでという心遣いが嬉しい。頑張るべきは支援する側にこそあろう。

同じ「仙台市 武藤敏子」さんの一首が
佐佐木幸綱選(5月30日)の一首目にあるのでした。

はるばるとカップ麺来たるハングルもタイ語も読めぬが湯を入れて待つ

選評】 第一首、はじめて手にする韓国製、タイ製のカップ麺。救援物質にたよる被災地の食生活の空気が読める。

ちなみに、「仙台市 村岡美知子」さんの歌が、お二人の選者から選ばれていました。
永田和宏選(5月30日)の第一首目に

何丁目の何番地などわからない瓦礫の街の潮風沁みる

選評】一首目、道路、建物があってこそ番地が意味を持つ。ため息のような悔しさが。

馬場あき子選(5月30日)の第一首目にも、村岡さんの歌

ガレキには捜索済の紙目立ち浜風に揺れる花束のあり

選評】 第一首の「捜索済」の札は的確な方法であろうが、情景は悲しく心に沁みる。



ところで、長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)を読んでいたら、

窪田空穂の一首を引用し、つぎにご自分の一首をあげておられる。
そんな箇所がありました。
その窪田空穂(うつぼ)氏の一首

死ねる子を箱にをさめて親の名をねんごろに書きて路に捨ててあり

そのあとに長谷川櫂の一首

大震災廃墟の東京をさまよひて歌を残しぬ窪田の空穂


さてっと「窪田空穂全集第二巻 歌集Ⅱ」に、震災の歌が読めます。私が今日の最初に引用した一首『しばらくはぼんやりしてればいい・・・・』を読んで、すぐに思い浮かべたのが、空穂でした。
窪田空穂の「甥きたる」(p53)三首のなかの一首。


十夜(とよ)十日考へてのみゐたる甥
      ばらつく建てむといひ出せりけり

何か、ぼんやりしていた甥が、ある日「言い出す」場面なのでしょうか。
 ちなみに、空穂のその前の二首をならべれば


この家に落ちつきてゐればわが家も
      ある心地すると甥のつぶやく

平気にも舞ふ蝶かなとさびしげに
      庭見る甥のつぶやきにけり
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トンデモ危機管理。

2011-06-17 | 地域
歴史通7月号。
近所の本屋へ注文しておいたのが届く。
そこの佐々淳行・志方俊之対談「オンボロ内閣のトンデモ危機管理」を、さっそく読む。
 志方氏はというと、
「私は平成11年(1999)11月から、東京都参与として、首都の危機管理に携ってきました。危機管理は、災害が起こった時点で、半分は勝負がついている、と思っています。備えあれば、それですでに50点は取れる。あとは、とっさの判断が的確にできれば事なきを得て、これで百点がとれます。・・・」(p201)という方です。

まずは、佐々氏の話から
「見えてこない」という箇所。


「阪神淡路大震災が村山富市内閣で起きた時、自衛隊への出動要請が遅れて危惧されましたが、当時は、震災三日後に小里貞利氏を震災担当大臣に任命し、小里大臣が統括して指揮命令系統は明確化・一元化されました。
しかし、今回、震災・原発事故関連の組織は、緊急災害対策本部や福島原発事故対策統合本部(いずれも本部長は菅首相)など約20の組織を立ち上げていますが、それらの、法的根拠も指示命令系統も、どうなっているのかさっぱりわからない。一体、誰が、どこで、何を、どう決めているのか、まったく見えてこない。これが被災者はもとより、国民全体を不安に陥れていると思います。」

つぎは「なぜやらないのか」という箇所。

「危機における法整備に携ってきた経験からいえば、まず適用すべき法律があるわけです。その筆頭が、警察法第71条、72条の『緊急事態の布告』です。これで細分化された警察官24万人や本部機動隊・管区機動隊5500人を内閣総理大臣の指揮で動かせるようになります。消防も、いちいち各地区自治体に断らずに動員できる。なぜ、やらないのか。さらに、小泉内閣のころ、民主党も賛成して成立した国民保護法によって、避難誘導、緊急輸送、緊急治療、救援は速やかに行えるんです。この適用を真っ先にすべきだったのに、しなかった。まあ、今まで・・・声高に『政治主導』などと叫んできたので、いまさら官僚に『教えてくれ』とは言えなかったのかもしれません・・・」

聞くは一時の恥、聞かぬは民主党の一生の恥。

ここから、「災害対策基本法105条」へと話題がうつります。
この対談は、これまでが前段階で、これ以降も読み甲斐あり。


たとえば、さりげない危機管理。

「・・これでは、消防車や救急車などの緊急車両は動けません。一般車両は路肩に寄せて、車では逃げない。車に乗っていたらキーを付けたまま逃げる。さらにブレーカーを落として避難する。そうしないと停電復旧後に電化製品から火が出る危険もあります。これらは、日頃から周知徹底が必要です。」(p203)などという箇所があたりします。
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安全と自由と水のコスト。

2011-06-16 | 短文紹介
山本七平著「日本人とユダヤ人」(角川oneテーマ21新書)。
その第一章は「安全と自由と水のコスト 隠れ切支丹と隠れユダヤ人」というのでした。

そこから、すこし引用します。

「『生命の安全が何よりも第一である』といえば、『あたりまえだ、そんなことはユダヤ人から聞かなくたって、よくわかっている』と日本人は言うであろう。だが、駐日イスラエル大使館がまだ公使館であったころ、日本人に親しまれたある書記官がつくづくと言った。『日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる』と。この言葉は面白い。」(p20)

「また戦後は、自衛隊は税金泥棒であり、『警察は敵』である。税金が防衛費に使われ、戦闘機が一機何億円とか新聞に出ると、まるで『おひや』一杯で一万円請求されたような非難が新聞の投書に出る。・・・」(p21)

「日本人にとって安全なのはあたりまえであった。もちろん、あらゆる人間には危険はある。次の瞬間、天から隕石がふって来てあの世に行くかも知れない。しかしこれを恐れて頑丈な構築物から出ない人があれば、それは確かに被害妄想狂であろう。長い間、日本人にとって、危険とはそういうものであった。『地震・雷・火事・おやじ』これは私たちユダヤ人にとって、実に興味深い言葉である。この中には、戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。・・・・」(p22)


「自衛隊が災害救助に出動すると、急にその評価が高まり、新聞の扱い方まで暖かくなる。いわば、天災に対処するものなら意義はあるが、他の面では、全く無意義かつ有害とされるのである。ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう。自己の安全に、収入の大部分をさかねばならなかた民と、安全と水は無料で手に入ると信じ切れる状態におかれた民と、・・・・だが、余りに恵まれるということは、日本人がよく言うように『過ぎたるは及ばざるが如し』で、時にはかえって不幸を招く。深窓に育った令嬢や、過保護の青少年は、何かちょっとしたことに出会うと、すぐに思いつめてしまう。・・・」(p32~33)


「安全と自由と水のコスト」と現在の状況と。
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このパターン。

2011-06-15 | 短文紹介
5月22日朝刊の一面写真。
中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領と菅首相が並んでミニトマトを食べているショット。菅首相が笑っているのですが、どうしても、その笑いに、私は違和感がぬぐえないのでした。

まあ、そんなことが気になっておりました。
そんななか加藤恭子著「言葉でたたかう技術」(文芸春秋)をパラパラとめくっていたのです。するとこんな箇所。

加藤】 いろいろと話し合ってまいりましたが、バーガーさんの貴重な御指摘の一つは、真珠湾に対して燃え上がったアメリカ人の怒りについて、あれが不意討だったからでは必ずしもなくて、日本が野村大使などを送って表面的にはにこやかに交渉していたからだと分析なさったことです。これは、日米関係の大切な点をついています。今でもこのパターンは基本的には続いており、そこからもパーセプション・ギャップが生まれてくるのではありませんか?日本人は心の中で絶望したり、『けしからん』と腹を立てれば立てるほど、その怒りを表現することを恥じて、にこやかになってしまう。(笑)
アメリカ人から見れば、これは重大なルール違反かもしれないけれど、日本人の多くはこう行動します。・・・・(p211)


この交渉スタイル。
たとえば、国民が津波の被害にいるのに、放射能の被害が続いているのに、首相が笑っている。という基本的パターン。


夫婦の会話もでてきます。

「日本人はすぐに譲る。そしてお金を出す。だから、何度でも繰返される。それが嫌なのだ。『お前は日本人には丁寧なのに、アメリカ人にはすぐけんか腰になるぞ。気をつけたほうがいい』などと、主人はあくまでも日本人なのだが、この【使い分け】は、私がわざとしているわけではなく、それぞれの【文化】が要求し、私はその要求に応えているだけなのだ。生粋(きっすい)日本人の主人のほうは、トラブルが起きると、『ちょっと、お前が行ってこい。お前のほうが適任だから』とすぐに逃げてしまう。」(p142)

これなど、私は【逃げ菅】という言葉が思い浮かんだりします。
首相というのは、日本人の主人と同義語かもしれないなあ。
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たくさんの教訓。

2011-06-14 | 短文紹介
佐藤優著「3・11クライシス!」(マガジンハウス)は、大震災の早い頃から、雑誌などに掲載された文を早い時期に、そのままに、まとめ一冊。もう3ヶ月が過ぎて、その時の様子が、うっすらと忘れられそうになる頃です。あらためて、読むのにふさわしいと思いました。

「日本の官僚やエリート会社員の能力は高い。東京電力の原子力専門家も世界の最高水準を誇っている。ただし、日本のエリートは完璧主義で訓練されているため、責任追及を過度に恐れる傾向がある。日本のエリートはひよわだと批判することは簡単だ。筆者を含む大多数の日本人がこのようなひよわさをもっているという現実から出発しなくてはならない。専門家が後で責任を追及されると考えると萎縮してしまい、判断を間違えたり、リスクがある措置をとらなくなることがある。マスメディアに求められるのは、専門家が萎縮せずに専門知識と職業的良心に基づいて、所与の条件下、リスクを伴っても最善の措置をとれるようにする可能性を閉ざさないことだ。危機管理の要諦は、最悪の事態を回避するためにリスクを恐れないことである。東日本大震災からわれわれが学びとる教訓がたくさんある。」(p81~82)

「危機的状況において、国家意思は政治指導者によって体現される。・・・
確かに菅首相を見ていると、危機管理への対応ができず、ときどき感情的になり、実に情けなく、ふがいない。しかし、ここで一歩引いて冷静に考えてみよう。太平洋戦争後のぬるま湯の中で暮らし、雄々しさを失ってしまった21世紀に生きるわれわれ一人ひとりが、菅直人氏に通底するふがいなさ、情けなさを持っている。・・・・筆者は日本人の雄々しさ(ををしさ)を信じる。いまこそ、われわれは雄々しさを取り戻さなくてはならない。そのためには、他人のあら探しや揚げ足とりをするのではなく、どうすれば日本の国家体制を強化することができるかについて、真剣に考えなくてはならない。」(p203~204)
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