和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新刊の楽しみ。

2010-08-30 | 前書・後書。
文春新書の「完本 紳士と淑女 1980~2009」の最後は「紳士と淑女諸君へ」という5ページほどの文でした。そこに悪性リンパ腫(血液性ガン)という診断を受け闘病生活に入るのと前後して『諸君!』の休刊が決まったこと。そこでは第二クール、第三クールの治療を受けている日々に触れたおわりで
「なお、三十年にわたって、ご愛読いただいた『紳士と淑女』の筆者は、徳岡孝夫という者であった。」と雑誌の巻頭コラムの最終号の最後をしめくくっておりました。

読者である私は薄情なもので、そのままに忘れておりました。
すると、最新刊の書評が石井英夫氏によって書かれ。
さっそく、徳岡孝夫著「お礼まいり」(清流出版社 1890円)を取り寄せました。
また、徳岡孝夫氏の文が読める。
最後の方にこうありました。

「退院後も抗ガン剤の点滴を受けに通院して三カ月、主治医は『あなたの腫瘍は一つもなくなりました。この写真を持ち帰って、ご家族に見せてください』と、二枚のエックス線写真を渡した。私のガンは完全に治っていた。」(p281)

ちなみに、あとがきには、こうはじまっておりました。

「私は、この本の校正刷りを読んでいた。・・・視力の弱い私のため、編集者は全文を思い切り大きい活字にし、読み易くしてくれている。だが何時間も読んでいると、目が霞み神経が疲れる。私は赤鉛筆を放り出し、『今日はこれまで』と呟いて一日の仕事にピリオドを打った。2010年3月11日の午後11時過ぎだったと思う。・・・」

あとがきの最後のほうには、こうもあります。

「闘うタイプの人が見れば敗北主義だろう。だが私は『運命の率直な子』でありたいと念じ、今日まで頭を下げて運命を受け入れてきた。この本に収めた諸短篇は、そういう弱々しい個性の者が、長年の間に見聞したことの報告である。」


何者にも代え難い徳岡孝夫氏の報告が読める。
そのありがたさ。
ということで、あとはゆっくりと読みはじめます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夕べ。

2010-08-29 | 幸田文
本は読むよりも、どれを注文しようかとか、いつ本が届くだろうかとか、待っている時間の方が私は好きなような気がします(笑)。とりあえず、私は本を読まない。わけで、本が届くとそのままにして読まなかったりします。

いま楽しみに注文本を待っているのは、
半田喜久美著「寛永七年刊 和歌食物本草現代語訳 江戸時代に学ぶ食養生」(源草社・3150円)。届いてしまえば。なあんだという本なのか、うんうんと楽しめる本なのか、はっきりするのでしょうが、届くまでは、あれこれ定まらない本の内容を思い浮かべていたりします。
もう届いた古本がありました。村井弦斎著・村井米子編訳「台所重宝記」(新人物往来社)。せっかくですから、すこし引用。

 第十五 野菜問答

下女「奥様、野菜にはいろいろの効能がございますね」
奥君「アァ、野菜は人の体の一日もなくてならないものです。
   第一に、血を澄ませるし、通じをつけるし、
   滋養分になるし、
   それから野菜によってはお薬の代わりにもなります」
下女「どんなお薬の代わりになりますか」
奥君「野菜のうちで一番効能の多いのは大根でしょうね。
   大根おろしや大根の絞り汁は、たいそう消化剤になって、
   この頃は大根からジアスターゼという消化薬が取れるくらいです。
   餅は大根で消化されるからカラビ餅にして食べるし、
   ご飯のあとで沢庵を食べる消化がよくて
   通じもつきます」


こうして、大根のほかに、ホウレン草、アスパラガス、うど、トマト、ぜんまい、あずき、八重あずき、セロリー、玉葱・・・と会話体で紹介されております。


戦争中に捕虜に草の根っ子を食べさせたといって、捕虜虐待を語っていたのに、
最近は、ゴボウなどが胃腸などの消化をたすけると、外国でも認識されはじめている。
というのを、どこかで読んだ気がして、探したのですが見あたらない。
見あたらないのですが、セレンディピティというのですか、思わぬ文と出会いました。
それは、徳岡孝夫著「舌づくし」にある「夏の夕べの『太郎坊』」(p124~)
これが書かれたのは2000年とあります。徳岡氏はそこで幸田露伴の短編を紹介しておりました。そこから、

「・・・いまから百年ほど前の夏の夕方、男は仕事から帰るとまず着替え、尻端折りして裸足で庭に出、木に打ち水をした。暮れてゆく空に、蝙蝠がひらひら舞っていた。ここに出てくる『主人(あるじ)』は『丈夫づくりの薄禿(うすつぱげ)』と書いてあるから、体は頑丈だが年は四十か五十か、まあ当時なら初老の男である。・・昼の暑さもこの時間になると、少し凌ぎやすくなった・・・という情景で、幸田露伴の短篇『太郎坊』は始まる。・・・台所からはコトコトと音がする。『細君』が夕食の支度をしている。・・・『下女』は大きなお尻を振り立てながら、縁側の雑巾がけをしている。やがて打ち水が終わった。主人は足を洗って下駄をはく。ひとわたり生気の甦った庭を眺めてから下女を呼び、手拭とシャボンと湯銭を持って来させる。・・長湯はしない。彼はじきに茹で蛸になって帰ってくる。・・掃除の済んだ縁側には、花ござが敷いてある。腰かけて煙草に火をつけ、一服する。まだ一般の家庭には電気やガスが来ていなかった時代の話で、主な明かりは座敷の中に置いたランプから来る。それとは別に、縁側のほどよい位置に吊るした岐阜提灯が、やわらかい光を投げている。夏の夕方は、ゆっくり暮れてゆく。庭の桐の木やヒバの葉からは、さっき打った水が滴り落ちている。微風が庭を渡る。・・・お膳を持って出て、夫の前に置く。出雲焼の燗徳利と猪口が一つ、肴はありふれた鯵の塩焼・・・細君は酌をしながら言う。『さぞお疲労(くたびれ)でしたろう』明治時代の女房は夫に向かってこんな上品な挨拶をしたのかと、私は驚く。だが、まあ、それは時代時代の言葉遣いというものなんだろう。いまの女房は、こういうセリフで夫の労働をねぎらわない。せいぜい『やっぱり水を撒いたお庭はせいせいするわね』と言う程度だろう。べつに無愛想になったわけではない。『お疲れでしたろう』と言うのと同じことを言っているのだから、咎めるにあたらない。」

うん。私は幸田露伴の「太郎坊」を読むよりも、それを反芻してる徳岡氏の文に惹かれます。まあ、まだ幸田露伴までは、とどかないわけです。


そういえば、徳岡孝夫氏。
WILL10月号で石井英夫氏が徳岡孝夫氏の新刊「お礼まいり」(清流出版)を紹介しておりました。
さっそく注文。帯には
「悪性リンパ腫を克服、奇跡の完治を果たした著者の復帰第一作エッセイ集。・・・」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水先案内人。

2010-08-28 | 古典
黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)を読むと、読みたい本がわかってきます。ということで、

 黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」第1刷が2004年。
 岩波文庫の村井弦斎著「食道楽」が2005年。
 岩波文庫の村井弦斎著「酒道楽」が2006年。
「柳田泉の文学遺産 第2巻」(右文書院)が2009年。
この柳田泉氏の文については、p147に、柳田泉氏の遺稿である
「村井弦斎『日の出島』について」を取り上げており、そこで「文学史は大体において文壇史」ということと、村井弦斎との対比に焦点をあてて、鮮やかな柳田泉氏の文の紹介となっておりました。

村井弦斎著「近江聖人」については、
少年時代の愛読書として、様々な作家・著名人の証言をとりあげており、一度は読みたくなるのでした。それがp95~97.

そして、村井弦斎著「HANA」への言及が、p208~続きます。
また、日露戦争の最中に英語版で出版された「HANA]で印象的な箇所はというと、

「・・・彼は『HANA』の中でそうした人種の優劣にはいっさい触れていない。西洋と東洋の違いは文化や生活習慣の違いであり、感情の表し方の違いだと弦斎は示唆している。これが、西洋と日本の『食』の違いの話へと展開していくのが、『HANA』の面白さだろう。なるほど、「食べる」という好意自体は国や人種が違っても変わらない。人間はみな例外なく、生きるために「食べる」からだ。・・・洋食には西洋人の知恵があり、和食には日本人の知恵が生きている。牛肉を食べない期間が長かったからといって、日本人が西洋人に対して卑屈になることはない。また、当時の日本人は中国人を軽蔑して見る傾向があったが、弦斎は中国料理の優れた点もきちんと認めているのである。美味しいものを食べれば、それがどの国の料理であろうと、誰もが幸せを感じる。戦争の話と共に、食べ物や料理の話が登場するという点で、『HANA』はそれまでにないユニークな小説だと思われたのではないか。西洋人にとっては、それまで曖昧なイメージしかなかった日本人が、具体的な「食」というものを通じて、少し身近に感じられたかもしれない。」(P239)


つもって、はびこっているような日本の文壇史・文学史に、まるでトンネルを貫通させてバイパスでも開通したような、そんな爽快感の一冊、それが「『食道楽』の人 村井弦斎」なのでした。新しく始まる文学の系譜。そこへの水先案内人として、黒岩比佐子を得たよろこび。ということで、おくればせながら、この夏の読書の収穫でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是等を手本とし。

2010-08-27 | 他生の縁
黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)。
まず、印象に残ったのは、「通俗平易に」という言葉でした。

「弦斎は自分の部下だった福良竹亭や篠田鉱造には、新聞記者としての取材のやり方や文章の書き方について、基本から徹底的に叩き込んだらしい。」

ここで、福良氏の回想を引用しております。以下福良氏の言葉から

「故村井弦斎先生は報知新聞の編集長として僕に初めて新聞の取材の方法、書方等を教へられた恩師である。先生の言はれるには新聞記者は路傍の一石一草と雖も取って以て材料となる注意力と観察力を養はねばならぬ、それに少くも百回以上の続物を休みなしに書く程の根気がなくてはならぬと。」

「村井氏は常に、新聞記者と云ふものはどんな難しい事柄でも、之を最も通俗平易に書き直す文才がなければならぬ、それが出来ないと云うのは、己に力が無いからである、新井白石の書いた書物は、難しい物でも実に平易に書いてある、是等を手本として、常に難しいものを平易に書くやうにしなければならぬ、殊に新聞記事と云うものは、事実を主とするのであるから、なるべく技巧を避けて、どんな人にも読まれるようにしなければならぬ、それ故雑報記事には形容詞なぞは無益であると常に主張して居られた、其為め形容詞を沢山入れた記事を書くと殆ど全部抹殺された。私が今日多少通俗的に平易な文章を書くことが出来るのは、全く村井氏の指導感化に負ふところが多い。」(p365)

「是等を手本として」として、新井白石の名前が登場しておりました。
ちなみに、p25では白楽天の名前が登場しておりました。
そこも引用しておきます。


「弦斎はどんなに難しい内容であっても、きわめて平易でわかりやすい言葉で書いた。長女の村井米子によれば、『文学というものは、お経のように、どんな無智なお婆さんの心にもしみるもの、誰にもよく解るものでなければならない』と彼は口癖のように語っていたという。
矢野龍渓もほとんど同じことを言っている。すなわち文章には二通りあって、一つは、内容はたいしたことがないのにわざとわかりにくく書く。もう一つは、内容の良さを大事にして字句はごく平易にと心がけて書く。白楽天などは後者で、自分の詩文を近隣の老媼(ろうおう)にまで理解できるようにつくったという。龍渓は『私などは平易主義で、白楽天流儀です』とはっきり述べている。このように、弦斎は様々な点で龍渓を受け継いでいる。」

うん。新井白石と白楽天がお手本なのですね。
よく、わかりました。

ところで、黒岩比佐子さんは、
今度の新刊で、堺利彦を取り上げると聞きます。
私が思い浮かぶのは、堺利彦著「文章速達法」ぐらい。
どんな、本になるのか楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銭湯。

2010-08-26 | Weblog
昨日は、一泊で東京へ。
一泊した近所に銭湯。
その銭湯は、風呂が二つ。
43℃と20℃の風呂。
これを交互に入るのが楽しみ。
入ると疲れがとれます。
汗がしばらくひっこみます。
ということで、
銭湯のあとに、ビールを飲んで、
寝ました。夜中に暑くて目が覚めたりします。
ということで、今日は東京帰り。
ちなにみ、行き帰りともラクラクで高速バス。
う~ん。そういえば、銭湯は、
めっきり地方から消えております。
銭湯といえば、私は東京。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

評伝の醍醐味。

2010-08-24 | 他生の縁
黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)を、とりあえず、読了。

黒岩比佐子氏の丁寧な掘り下げに、文学史・文壇史の書きかえを迫る、ひたひたと寄せくる波を受け止めているような気がしてまいりました。まあ、村井弦斎を読んでいない癖して、何もいえないわけですけれど。

読了してから、あとがきの

「そのうちに、弦斎の偏屈でへそ曲がりで、一度こうと決めたら最後まで何事も徹底してやらずにはいられない性格というのは、どうやら私と似ているのではないか、と思えてきた。私もかなり頑固で、やりかけたことは途中で投げ出せないところがある。そう思ってからは、何が何でもこの評伝を書き上げなければならない、という気持ちで取り組んできた。」(p424)

この言葉が、すんなりうなずける、そんな評伝を読ませていただけて感謝。
黒岩氏による「余人を持って代え難い」、評伝の醍醐味を堪能させていただいた充実感。


ということで、具体的な箇所は、また明日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新書4冊並べ。

2010-08-23 | 他生の縁
新書はそんなに読んでいないので、
イザ、読み返そうとすると、すぐに揃います。
ということで、4冊を棚に並べてみました。

  北村薫著「自分だけの一冊」(新潮新書)
  竹内政明著「名文どろぼう」(文春新書)
  松岡正剛著「多読術」(ちくまプライマリー新書)
  柴田光滋著「編集者の仕事」(新潮新書)

松岡正剛に「知の編集工房」(朝日新聞社)という本があり、
そのはじまりは、こうでした。

「映画監督の黒澤明はつねづね『映画の本質は編集である』と言っている。国立民族学博物館の梅棹忠夫館長はずいぶん前から『編集という行為は現代の情報産業社会の夜明けを象徴する』と主張してきた。神戸製鋼のラグビーを七連覇に導いた平尾誠二は『ラグビーは編集だ』と表明した。いったい、ここにのべられている『編集』とは何なのか。・・」

また「あとがき」のはじまりというと、

「この本は『編集工学』という方法に関する入門書となることをめざしつつ、『編集は人間の活動にひそむ最も基本的な情報技術である』という広いテーマを展開した試みになっている。・・」

さてっと、柴田光滋氏の新書は、その編集者の体験談となっておりました。そこに「タイトルには毎回苦心惨憺」(p37)という箇所がありました。では引用。

「単行本にする原稿を読みながら編集者はまず何を考えるのか。・・・タイトルと判型をどうするかが頭のなかを駆け巡ります。なぜなら、この両者が本作りの方向性を決定するからで、いずれもが最初に固まれば、作業の一つひとつは大変でも、ブレは生じにくい。・・・小説のタイトルはそれを含めて作品であって、著者の聖域に近い。・・・しかし、文学者以外の著者の場合、通常、タイトルは編集者が考える、いや捻り出すものです。これが実にむずかしい。・・下手をすると考えるほどに負のスパイラルに陥りかねません。」

ここで、あらためて、4冊の新書の題名を見直したりします。

北村薫著「自分だけの一冊」は副題が「北村薫のアンソロジー教室」となっております。帯には「読むだけなんてもったいない編む愉しさもある」。そして「まえがき」には「【マイ・アンソロジー】を作るのは、難しいことではありません。そして、【アンソロジー】は、作った「自分」の「今」を語ります。」

うん。ブログの書き込みをしていると、まして、私は本の引用の書き込みに偏してしるわけなので、アンソロジーという言葉には惹きつけられるものがあります。
この北村薫氏の新書で興味深いのは、句集や歌集に言及している箇所でした。
実感がこもります。

「『古今』や『新古今』みたいな勅撰集だと配列に工夫する。つまり、歌集なんかだと、名作ばかり並べてもいけないんです。超傑作ばかりだと、読者が疲れてしまう。駄作ではないんだけれど、『これはいいな』程度のものが入っていないと傑作がきらめかない。・・句集や歌集を読み、自分の眼を通した時には見落としていたのに、その中から誰かが一句、あるいは一首を抜き出して見せてくれると、輝きにうたれることがあります。良いアンソロジーには、そういう力もある。」(p48)


「選句は創作だ――というのは、俳句の世界では普通にいわれることです。アンソロジーにも、そういうところがある。誰が水にもぐるかで、採って来る魚は変わる。そこが面白い。前にもいったと思いますが、アンソロジーは選者の個性を読むものです。」(p164)


引用といえば、竹内政明著「名文どろぼう」。その帯には著者の写真とともに、「名文を引用して、名文を書く技術」とあります。はじめにこうありました。「引用とは他人のフンドシで相撲を取るようなものだから、題名は『フンドシ博物館』でもよかったが、それではあんまりなので『名文どろぼう』とした。」

そこの「はじめに」での最後の言葉が

「書いていて楽しかった。日本語にまさる娯楽はないと思っている。」とありました。

今日も暑いですね。毎日汗ばかり。
それではと、
「書いていて楽しかった」というブログを書いていけますように。
新書4冊をならべて、そんなことを思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言祝ぐ。

2010-08-21 | 他生の縁
黒岩比佐子著「食育のススメ」を読んだところで、
注文してあった「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)が届きました。
うん。読み甲斐がありそうです。
こういうときは、ゆっくりと読みたいので、
さしあたり、読む前に、感想を書き込んでおく方が、気が楽です(笑)。
ということで、
あとがきの、この箇所を引用しておきたいと思います。

「最後に、本書の生みの親ともいえるのは岩波書店の星野紘一郎氏である。星野氏の助言がなければ、本書がこういう形で日の目を見ることはなかっただろう。星野氏と相談しながら、最初に書き上げた原稿を一章ずつ書き直していったのだが、再出発にあたり星野氏は『弦斎を言祝ぐ夏の暑さかな』とはなむけの発句を寄せられた。おかげで最後まで書き続けることができた。星野氏のときどきの意見はかけがえのない道しるべとなった。」

うん。こうして書き直された本を読める幸せ。
では、読みおえるのがもったいないような一冊を手にとって。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食育の着眼点。

2010-08-20 | 他生の縁
黒岩比佐子著「食育のススメ」(文春新書)を読む。
読了後に、その教訓箇所が印象に残るのでした。
ということで、その箇所を引用しておきます。

ちなみに、ここで登場している小説「食道楽」は、1903(明治36)年に新聞連載されたもので、時代背景はその頃として読むと、現代でも新鮮です。


「日本人は西洋人と違って少年の時から箸の使用法に熟練している。西洋人には真似の出来ない一種の技術を持っている。西洋料理を食べる時にもフークで物を挿すより箸で挟んだ方がよほど楽だ。しかるに日本人が西洋料理を食べる時にはわざわざ独得の技術を捨てて調法な箸を使わずに不便なフークを使うのはその意を得ない。(中略)僕は食法を日本化して以来は西洋料理に箸を用いさせる事にしたい。何ほど便利だか知れないぜ。(p144~145)」(p73~74)

「この夏の巻の最後の部分で、中川は玉江に次のように語っていますが、これもこの小説のなかで、非常に印象的なフレーズです。

  もし主人に食物上の趣味があって妻君は海老の皮を剥く、良人は肉挽器械で肉を砕くという風にともに手伝いともに料理して楽む有様でしたら夫婦間あの興味は尽きる事がありません。よく今の男子は家にいて女房の顔ばかり見ていても倦きるから遊びに出ると間違った事を言いますが日本人の過程には夫婦共同の仕事がないから退屈するのです。三度の食事をともに相談してともに拵えたら毎日相対(あいたい)していても決して倦きません。私は家庭料理の研究を夫婦和合の一妙薬に数えます。(p503)
                        
                        」(p143~144)

ちなみに、「夫婦和合の一妙薬」には、注釈が必要かもしれません(笑)。
こんな箇所がありました。

「弦斎は愛妻家でした。主張先などから多嘉子に出した手紙が四百三十三通も残っているほどです。結婚前ではなく、結婚後に自分の妻へこれほど手紙を書いた人は珍しいのではないでしょうか。弦斎は、夫婦が離れているときは、互いに手紙でその日の出来事を連絡しあうべきだと主張し、自ら実践していたのです。」(p28)



「その先で、中川がまたもや奇抜な説を唱えます。子供には何歳まで家庭教育の必要があるか、と大原が質問したのに対して、女子は嫁に行くまで、男子は四十歳までだろう、と答えたのでしす。四十歳と聞いて大原は驚きますが、中川は平然と、人の生涯には子供時代が二度あり、一つは家庭の子供であり、一つは社会の子供だというのでした。学校を卒業したときは、社会に対して産声を上げたばかりの赤ん坊にすぎず、はうことも立つこともできない。だから、そうした赤ん坊はきちんと教育しなければならない、というのが中川の理屈です。しかも、三十歳前後で不養生をして病気になったり、事業の上でも無理をして、生涯の大失敗を招く人が多いという事実を指摘して、『四十歳までは誰でも小児時代勉強時代と心得なければならん。四十歳を越してから初(はじめ)て社会の大人になれる』と中川は主張するのです。・・・・ここで弦斎が中川を通じて言おうとしたのは、学校を卒業しても社会人としては未熟であり、一人前の大人になるには、その後も学び続けなければならない、ということです。」(p247~248)

脚気論争についての言及は、本文と「おわりに」でも触れられております。
さらりとでしたが、板倉聖宣著「模倣の時代」を読んだ者にとっては、あらためて、考えさせられることを弦斎の行動を通じて浮かび上がらせておりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛タン。

2010-08-19 | 幸田文
暑いときは焼肉屋。
というので、久しぶりに、昨日の夕方、4人で出かけました。
さてっと、
黒岩比佐子著「食育のススメ」(文春新書)に、こんな箇所がありました。

「・・お登和は小山に『西洋料理は才覚次第で安くも高くもどうでも出来ます』と語り、魚が高い時期に牛肉の安い部位を使えば、はるかに安上がりだ、とも言っています。その安い部位としてブリスケを挙げていましたが、ここではお買い得な牛肉として牛タン、すなわち牛の舌についても語っています。
明治の日本人の多くは、牛の舌を食べるなんて気味が悪い、と思っていたことでしょう。けれども、牛の舌は上等のものでも一本六十銭くらいで買え、それが一本あれば二十人前のお弁当に間に合う、とお登和は舌を勧めています。ただし、これも料理するのは手間がかかり、四時間ほど水からゆでたあと、表面のザラザラした皮をむく、という下ごしらえが必要です。その手間さえ惜しまなければ、安い費用で美味しい料理をつくれるというわけです。」(p187~188)

ここにでてくる「お登和」「小山」というのは、
「明治のベストセラー作家であり、ジャーナリストだった村井弦斎(1863~1927)」が書いた代表作小説『食道楽』に登場する人物名です。『食道楽』は1903(明治36)年に新聞に連載され、単行本としても刊行されました。

ここでは、牛タン。
「幸田文対話」(岩波書店)に、幸田文と矢口純氏との対談が掲載されておりまして、そこにこんな箇所がありました。

【矢口】露伴先生が不思議なら、お母さまも不思議です。幾美子さんておっしゃるんですか。露伴先生が西洋料理を外で食べて帰られて、こんなのだったと言われると、殆んどそれに近いものを作ってしまう。これはいったい何でしょう。
【幸田】一所懸命なんですよ、やっぱり。母は特別な人じゃないから、一所懸命になっちゃったんでしょ。
【矢口】明治の終わりから大正の初めに、肉屋に例えばタンを注文する家なんて、そうザラにないと思うんですよ。
【幸田】そうですね。タンなんて聞くと、もうブルッちゃって(笑)。あの牛の舌のブチブチがついてるの見ると、嫌になっちゃいますものね(笑)
【矢口】お母さまは外で召し上がらずに作ってしまう。そして驚いたことに、こうした料理は、結局はかけものですねと言われる。つまりフランス料理はソースが決め手と喝破して、さすがの露伴先生もびっくりするわけです。見もしないものが出来ちゃうっていうのは、基本でしょうかしら。  


「食育のススメ」には弦斎の妻・多嘉子さんの写真がp28・p49と掲載されております。そういえば新潮日本文学アルバム「幸田文」には幸田文の母幾美の写真が掲載されております。その脇にはこんな言葉が添えられており「幾美は樋口一葉に似ていたとも、当時評判の芸者ポン太に似ていたとも言われるが、それは容貌のことであるよりもむしろ雰囲気のことらしい。地味で控え目だが聡明で、家事に秀で・・・」とありました。


え~と。ちなみに、昨日、焼肉屋で注文したとき、タン塩だけが品切れでした。残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の一日。

2010-08-18 | Weblog
何年ぶりかなあ。
海が近いのに、泳ぎにいっておりませんでした。
今日、4人で海へ。
2人で波に浮いておりました。
場所は、青木繁の記念モニュメントがある下の海岸。
遊泳禁止らしく、これ以上遠くへ行ってはいけませんという、ブイはなく、仕切りなしの海岸で、波もそんなになく、ゆったりと浮いたり、岩場へむかって泳いだり。

家から車で40分ぐらいの場所です。
おそらく、この場所で泳いだのだろうという詩があります。


    布良海岸     高田敏子

  この夏の一日
  房総半島の突端 布良の海に泳いだ
  それは人影のない岩鼻
  沐浴のようなひとり泳ぎであったが
  よせる波は
  私の体を滑らかに洗い ほてらせていった

  岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと
  私の夏は終っていた
  切り通しの道を帰りながら
  ふとふりむいた岩鼻のあたりには
  海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
  私がひそかにぬけてきた夏の日が
  その上にだけかがやいていた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和85年「産経抄」

2010-08-17 | 他生の縁
いままで、石井英夫氏がひとりで書かれていた産経抄を楽しみに読んでいた者にとって、そのあとのコラムは、数人で手分けして書いておられるとのこと、なんだか、読者にとっては読むリズムがかみ合わなくて、私など丁寧に読まずにおりました。
ところで、この二日間のコラム産経抄は楽しめました。

今日の産経抄(2010年8月17日)は、こうはじまります。

「倉本聰さん作の『帰国』を先週末、舞台とテレビドラマの両方で観た。戦後65年たった『昭和85年8月15日』の未明、東京駅に軍用列車が到着する。乗っていたのは、大東亜戦争の最中に南の海で玉砕した英霊たちだ。彼らの目的は、故国の平和を目に焼き付け、南の海に漂う数多(あまた)の魂に伝えることだった。早速靖国神社に向かった英霊たちは、仰天する。参拝する閣僚を、大勢のマスコミが追いかけていた。『国の為に死んだオレたちを、どうして国の要人が夜中にこそこそ詣(まい)らなきゃならないンだ』。脚本が書かれたのは昨年の夏だった。全閣僚が参拝しない政権が生れるとは、倉本さんも予想しなかったようだ。・・・」

これが前半でした。
『帰国』というのは、舞台でも上演されていたのですね。
とりあえず、テレビドラマ『帰国』を録画してあったので、あらためて後半を見てみました。テレビドラマでは、東京駅に軍用列車が到着する場面からはじまっておりました。
思い浮かんだのは、井上靖の詩『友』でした。

    友 
  
  どうしてこんな解りきったことが
  いままで思いつかなかったろう。
  敗戦の祖国へ
  君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
  ―――海峡の底を歩いて帰る以外。


産経抄の最後の箇所も引用しておきたいと思います。

「政府のばらまき政策にもかかわらず、景気回復の実感はない。心理学者の岸田秀さんによれば、『日本の経済繁栄の理由は、砲火を浴びて死んだ兵隊たちに対して日本国民が感じた罪悪感』だった(『「哀しみ」という感情』)。それを忘れた日本が沈滞するのは当然かもしれない。英霊たちを絶望させたまま南の海に帰らせた報いを、いまわれわれは受けている。」


とりあえず。岸田秀著「『哀しみ』という感情」を古本屋へと注文。
あとは、山折哲雄著「涙と日本人」・「悲しみの精神史」。
そして齋藤孝・山折哲雄対談「『哀しみ』を語りつぐ日本人」を開いてみたいと思いました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏と秋の台所。

2010-08-15 | 幸田文
Tsubuteさんのブログ「読書で日暮し」。
その2010年8月14日は『村井弦斎の「料理の心得」』と題して、
終りに料理の歌を引用しておりました。
それが、私に興味深かったのです。
なお、その日のブログには、Hisacoさんのコメントもありまして、
なるほど、なるほど、と読まさせていただきました。

それを読んでから、私が思い浮かべたのは幸田文でした。
以下はそれについて。

青木玉編「幸田文台所帖」(平凡社)に「鮭の子」という文があります。
そこに、「口づきのいい言葉」という箇所がありました。途中から引用。

「   はららごは羅ゴ羅(らごら)に似たる名なるかな
    あれはしゃけの子これは釈迦の子

たしかこんな歌だったとおぼえていますが、なんによらず口調よくしておぼえると覚え易い、といって若い時父親が教えてくれたのです。うお身、鳥かわなどというのです。魚は身から焼き、鳥をやくのは皮からするのがいい、というわけですが、口づきのいい言葉で教えると、一度で忘れなくなるというのです。むかしから伝わる生活の智恵です。はららごの歌は父の歌だったとおもいますが、つまり父親からしてが鮭の子を愛していたのです。そして、はららごと呼べというのです。ですから私はかなりいつまでも、はららごとは鮭の子のことを上品にいうのだ、とおもっていました。字引をひくと、魚類の産出まえの卵塊をさしていうとありますから、鮭にかぎることはないかもしれません・・・」(p189~190)

 今の時期に、ふさわしいようなのが「幸田文台所帖」の「夏の台所」でした。そこに、こんな箇所があります。

「・・・それから夏は人の舌が飽きっぽくなってくることも、台所人をあえて『つとめ』させることになっている。炎天の庭へ七輪を持ち出して粉炭をおこす。粉炭といっても、炭を切るときに出るあらい欠け炭である。霜ふりの薄切り肉を好みに五分か十分、醤油にひたしておいて、その粉炭の火勢のたった上で一気に焼いて、まっ黄色なからしを添える。炎天下で焼いている人はもちろん汗だくだし、縁側へ出した食卓でたべている人も汗である。しかし、これだと暑さにうんざりした人もきっと一度はたべる。だが二度三度目からは飽きる。そういうふうに台所人の努力など、にべもなく平気で飽きられてしまうのが夏である。」(p135)

ここに肉に「まっ黄色なからしを添える」とあります。
ブログ「読書で日暮し」で引用されていた、
弦斎の「料理心得の歌」にこんなのがありました。

  合ひ物は大豆に昆布
        芋にバタ
        肉にはからし
        魚には酢



さて、「幸田文台所帖」では、夏から秋へとつながっています。
「活気」という文でした。そのはじまり。

「涼風がたつと、バテ気味だった食欲が盛りかえしてきます。それにこたえるために、主婦は食事ごしらえに心を配ります。秋は食べる人も、こしらえる人も、なにかおいしいものをと思う季節です。・・・・・
料理の材料にしゅんがあるように、味にも最もうまいという時間があります。焼きざましがまずいのは、時間が外れているからです。ですから、ささやかな食卓でもせめて精一杯おいしく食べようというには、許せる範囲の行儀わるさなら目をつぶって、食べ時を逃がさないほうが、私は好きです。これからの季節もの、さんまや鯖の塩焼など、一番おいしい食べかたは七輪のそばで、ちょんつくばいにしゃがんで、焼きたてをすぐ食べることです。・・・・」(p146~147)
 

 弦斎の「料理心得の歌」から、もうひとつ。

   弱き火に焼かば魚の味抜けむ
     強き遠火に限るとぞ知れ

これが、幸田文さんの対談では、いかにも歯切れがよくて伝わってくるのでした。どこにあったかというと、「幸田文対話」(岩波書店)。

「今は、もう炭がなくなったでしょ。あたし、鯖が出て来る時期になると、しみじみ子供の時が懐かしくなるんです。父がね、鯖って下魚(げうお)だけれど、旬には塩焼きにして、柚子の絞りしるをかけると旨いと言うんですね。焼く時には、庭とかお勝手の外へ、七輪を出すでしょ。あれ、トロトロした火で焼いていると旨くないんですよね。炭がうんとおこったところでやんなくちゃいけない。それで、パーッと粗塩をふって焼く。そして、ジブジブジブジブッてまだ脂がはじけているうちを、大いそぎで父のお膳にもっていく。庭に柑橘がいろいろあるでしょ。それを二つに切って添えて行く。そうすると父は書物を読んでいても、さっとやめて食べてくれた。鯖の塩焼きは焼きあげたそのいっときの熱いうちが勝負なんです。
まだ若くて子供みたいなもんでしたけど、一生懸命に鯖を焼いて、駆け出して父のところへ持っていくと、父がすぐ食べてくれた。・・・・あれはやっぱり、台所する者のひとつの喜びだったんでしょうね。焼いている間じゅう神経集中して、わあって飛んで持ってって、片方が食べてくれる。それが、季節というものであり、旨さというものじゃないでしょうかね。それを今はサービスしたなんて言うんですってね。」(p346~347)


まずは、Tsubuteさんのブログ「読書で日暮し」。
そして、コメントされたhisakoさん。
それに、つられて、引用させていただきました。
ここで、未読の黒岩比佐子著「『食道楽』の人村井弦斎」を注文。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無言館。

2010-08-15 | 他生の縁
昨日TBSの午後9時から、『帰国 愛する妻よ恋人よ妹よ!!君達は幸せだったか――現代によみがえった英霊達が見たものとは・・・』という終戦ドラマをソファに横になって見ておりました。
 棟田博の小説をもとに、倉本聡が書き下ろしたスペシャルドラマ。倉本聡脚本・鴨下信一演出。靖国神社を写し出し。無言館を写し。どちらも私はいったことがなかったので、ちょっとでも見れたので、それがよかった、と思っております。

出演は、ビートたけし・小栗旬・向井理・堀北真希・長渕剛・八千草薫・石坂浩二・アラタ・塚本高史・生瀬勝久。

さて、無言館の館内の様子を、ドラマでちらりと見れたところで、
今日、8月15日の毎日新聞の歌壇・俳壇に金子兜太による『無言館』と題した5句が掲載されておりました。以下引用。

  無言館泥濘にジャングルに死せり

  裸身の妻の局部まで画き戦死せり

  無言館幽暗の床に枯松毬(かれまつかさ)

  館の外山蟻黒揚羽無言

  山百合群落はげしく匂いわが軽薄


ちなみに、毎日歌壇の大峯あきら選。その最初の一句は

 夏座敷一直線に風通る   可児市 金子嘉幸


今日8月15日は、木々ゆらす風あり。

毎日歌壇の河野裕子選。その3首目

 一年に十づつ年をとるごとく煤びゆく仏に線香をあぐ  宗像市 巻桔梗


新聞のそのページには「おことわり」とあり、
歌壇選者の河野裕子氏が12日に亡くなったことを知らせておりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷う読者に。

2010-08-14 | 他生の縁
山村修著「『狐』が選んだ入門書」(ちくま新書)は、机上の本棚に並べてありました。
え~と。その机にすわることがめっきりないので、そのまま忘れておりました(笑)。
ひさしぶりにとりだして、パラパラ。
そうそう、紹介されている入門書で、ネット古本屋で購入できなかった本が、そういえば、以前に2冊あったのでした。さっそくネットで調べてみると、安く売られている。さっそく昨夜注文。それも同じ古本屋でした。

それはそれとして、パラパラとひらくと、こんな箇所。
それは藤井貞和著「古典の読み方」を紹介している箇所でした。

「・・・高校や中学のときに目にしてすこしでも記憶にのこっている名前の作品、とくに感銘を受けたおぼえのある作品をあらためて読むのがいちばんよいと書いています。教科書なら教科書で部分的に読んだ作品を、あらためて、はじめの一行から最後の一行まで全部、読んでみることを奨めると書いています。
それでもなお迷う読者のことを思ってでしょうか、さらにつづけて、つぎにように力強く言い切っています。
『私は何といっても『徒然草』を第一に推す。何だ、『徒然草』か、と軽視してはいけない。二十歳台での『徒然草』の読者、三十歳台での『徒然草』の読者、四十歳台での『徒然草』の読者と、読者の受け止め方が刻々と変わってゆくのだ』
『これは読者の年齢が高いほど読みが深い、ということを必ずしも意味しない。ここがだいじなことだが、いずれの年齢の場合にしても、以前に読んだときより、今回のほうが読みが深くなる、ということだ。こうして古典文学は、二度読む、あるいは二度以上読むこと大切だ、という重要な指針が導きだされる』」

 さて、ここまでは、ここまでとして、このあとの山村修氏の言葉が印象に残ります。

『私はここに、ともかく手当たりしだいに濫読せよとすすめる評論家たち(たくさんいます)の無責任さとは画然とちがう、読者に対する誠実さを感じます。藤井貞和のいうように、手にふれるものを何でも自由に読もうというは『放恣(ほうし)』であって『自由』ではなく、『秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけ』なのです。
また、もし『徒然草』を一度読んだら、いつか再び取りだす日まで書棚にしまっておこうというのも有益なサジェスチョンです。いったんは、しめくくりをつけてやること。書物は生き物であり、生き物は眠りを必要とする。愛読書はいつまでも起していないで眠らせてやり、浮気のようにほかの書物へと関心を移してみるのがよい。なぜなら『ほんとうの愛読書なら、いつかあなたの心のなかで、眠りから目ざめるときがきっと来ることだろう』し、『そのときの新鮮さは格別の味わいがある』と著者は記します。古典文学再読のよろこびを語って、これは至妙(しみょう)の一節であるといえるでしょう。」(~p60)


さて、この新書に、新聞書評の切り抜きを挟み込んでありました。
そのひとつ2006年8月6日読売新聞は【鵜】さんでした。そのはじまりを、ここにもう一度引用してみましょう。

「たかが200㌻ちょっとの新書と侮ってはいけない。これを読んだあなたは、膨大な読書時間と書籍代の出費を覚悟した方がいい。・・・」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする