和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

まあだだよ。

2012-01-31 | 本棚並べ
そうそう、本は読まないし。
ですから、読みすすめない。
けれども、本はありがたく。
身近には、置いときたい。
そういう、ぜいたく。

さてっと、堀田善衛著「方丈記私記」の第二章に

「私は拙著『若き日の詩人たちの肖像』のなかで・・・次のように列挙したことがあった。それをもう一度使わせて頂いて・・・」という箇所があったのでした。

う~ん。この『若き日の詩人たちの肖像』は
文庫になって、たしか購入していたはずなのでした。
ちなみに、読んではいないので、中身まではわからず。
とにかく、それを本が詰った段ボール箱に探すのですが、
見つからない。こういう場合、焦燥感は禁物。
という心得を唱えながら、段ボール箱をひろげるのでした。
うん。きっと、これが幸せなんでしょうね。なんてね(笑)。
肝心の文庫は、みつからずに、
そんなにない段ボール箱なので、他の本が出てきたりします。
ということで、今回は、その整理報告。

 長澤規矩也編著「図書学辞典」(長澤規矩也先生喜寿記念会刊・汲古書院発売)
 茨木のり子詩集「食卓に珈琲の匂い流れ」(花神社)
 ユリイカ臨時増刊「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」
 
そして、原勝郎の3冊。
  「日本中世史」(平凡社東洋文庫)
  「東山時代に於ける一縉紳の生活」(筑摩叢書)
  「南海一見」(中公文庫)

この「日本中世史」が「方丈記私記」でも触れられていたので、
これが出てきてよかった。もちろん未読。
「東山時代・・」しか読んでおりませんでした。

うん。「若き日の詩人たちの肖像」は、隠れたまま。
そういえば、黒沢明監督作品「まあだだよ」では
戦争で焼け出された主人公が、ふところに
方丈記を入れていたなあ。などと思いうかべることの
たのしい贅沢。
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鴨長明年譜。

2012-01-30 | 古典
堀田善衛著「方丈記私記」に
「たとえば史料綜覧のような、毎日毎日のことを記した年表を見ていると・・・」という箇所が第四章にありました。その「史料綜覧」というのが、ところどころに出てきます。
うん。どんなことが出てくるのか、気になります。

それはそうと、方丈記を読むときに、脇に年表を置いておきたいというのは、堀田氏の本を読んで、つとに思うのでした。史料綜覧を脇に置くことはできないのですが、まあ、私にはこれがよいかなあ。というのがありました。
新潮日本古典集成「方丈記 発心集」三木紀人校注。
その最後に付録として「長明年譜」があったのでした。

その年譜をながめているだけで、
歴史が浮かびあがるかのようです。
その「鴨長明の年譜」から、すこし引用。

鴨長明・五歳(1159年)
    平治の乱おこる。
  六歳(1160年)
    源頼朝、伊豆に流される。
 

  十四歳(1168年)
    平清盛出家
  十五歳(1169年)
    後白河上皇撰「梁塵秘抄口伝集」成る。
  十九歳(1173年)
    明恵・親鸞生まれる。

  二十一歳(1174年)
    法然、専修念仏に帰す。
  二十三歳(1177年)
    京都大火
  二十六歳(1180年)
    辻風おこり、被害甚大
    宇治川の戦い
    福原遷都
    源頼朝挙兵
    木曽義仲挙兵
  二十七歳(1181年)
    平清盛没(六十四歳)
    この年から翌年にかえて大飢餓。

  三十歳(1184年)
    木曽義仲敗死(三十一歳)
    一の谷の戦い
  三十一歳(1185年)
    平家、壇ノ浦に破れ滅亡。3月24日。
    京都とその周辺に大地震。7月9日。
    8・9月にも間歇的にその余震が続き、
    人々の不安を招く。平家の怨霊に
    よるものとの説もあった。
    東大寺大仏開眼供養。8月28日。
  三十二歳(1186年)
    東大寺大仏殿再建の勧進のために、
    西行、伊勢を発して東国に下向。
    西行、鎌倉で頼朝と会談。8月15日。
    秋、大原談義あり、法然の声価高まる。
  三十八歳(1192年)
    後白河法皇崩御(六十六歳)
    源頼朝、征夷大将軍となる。7月12日。
    源実朝誕生。8月9日。

  四十四歳(1198年)
    法然、『選択本願念仏集』を著す。
  四十七歳(1201年)
    親鸞、法然の門下となる。

  五十三歳(1207年)
    法然・親鸞らを配流(はいる)。2月18日。
  五十七歳(1211年)
    長明、鎌倉に赴き、源実朝に数次にわたり対面。
  五十八歳(1212年)
    法然没す。1月25日。
    『方丈記』成る。3月下旬。

  六十二歳(1216年)
    長明没す。

    
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本棚へ2冊。

2012-01-29 | 本棚並べ
谷沢永一・山野博史著「知的生活の流儀」(PHP)
に紹介されていた本で、いまだ持っていなかった2冊。
それを注文して、両方とどく。

三宅雪嶺著「世の中」正・続。
ちなみに単行本の著者名は本名の三宅雄二郎となっております。
以前、古本で買おうとして、名前を間違えたせいか。
見つかりませんでした。
それでそのままに、忘れておりました。
この機会に注文したわけです。

古本屋は金沢の加能屋書店。
ちゃんと便箋の手書きコピーも同封されておりました。

 「世の中」正・続の2冊 4500円+送料600円=5100円

本の表紙とかシミとか、古びた感があります。値段で購入。
2冊重ねると、厚み10センチ。


この機会に、もう一冊注文。

「辻静雄著作集」(新潮社)
著作集というからは、何冊かあるのかなあと、勘違いしておりました。
一冊です。

神田の小宮山書店に注文。

 「辻静雄著作集」6000円+送料500円=6500円
ネット検索では、「知的生活の流儀」にあるところの
著作集附録への言及がなかったので、直接メールで古本屋へと確認。
ちゃんとあるとのことで、正式注文。
先払いなので、時間がかかりました。

函入り。函の厚みは6センチ。
それなりに帯つき。題字・装画は佐野繁次郎。

ということで、2冊。
これも、谷沢永一・山野博史著「知的生活の流儀」を
とりだしてきて、思い出したように注文したのでした。
まずは、神棚じゃなくて、本棚へ。お飾り(笑)。

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何かを隠そうとするよそおい。

2012-01-27 | 古典
堀田善衛著「方丈記私記」を読んで、知らされるのは、その時代背景なのでした。ということで、三木紀人著「鴨長明」(講談社学術文庫)をパラパラひらいていると、その時代を丁寧に追っており、楽しめます。
その「学術文庫」版まえがきに、こうありました。

「例えば『方丈記』を読みとき、これによって長明の生を想像するのには用心が必要である。・・・長明に深くかかわったことがたしかめられる何人かが、彼の作品の中には影もかたちもない。総じて長明自身が示す人生は、少々単純化ないし美化されすぎて実情とずれている。それやこれやを思うとき、彼は何かを書くことによって別の何かを隠そうとしているのではないか、そして、何かを隠そうとするよそおいの中で何かをあらわそうとしているのではないか、などと思われてくるのである。いわゆる隠者文学の中には、その類が少なくないと思われるが、長明はその傾向が強い方ではなかろうか。」

うん。三木紀人の学術文庫を読み始めると、
がぜん面白くなってきました。ということで、
中途で、この人の他の本も読みたくなり。

古書ワルツさんへ注文。

 三木紀人著「方丈記 発心集」(新潮日本古典集成)
 これが300円で函入り。
 送料が300円とのことなので、
 もう一冊追加。同じ古書ワルツさんにあった
 三木紀人他編「宇治拾遺物語」(桜楓社)
 これも300円で函入り。
 二冊を注文することに。
 本代300円+300円+送料300円=900円なり。

うん。先ほど、それが届きました。
まだ、学術文庫の方を読み終わってはいません。

 
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又始まるぞ冬籠。

2012-01-25 | 他生の縁
竹内政明の中公新書ラクレ「編集手帳」第21巻が、まだ出ないかなあ。と新刊検索してたら、竹内政明著「名言手帳」(大和書房)というのが、出ている。まあ、いいかと購入。

さて、これが私には思いがけない魅力の一冊。
新聞一面コラムが、短いコラムに時事問題をからめる苦労があるとするなら、この「名言手帳」は、そんな苦労から開放されて、のびのびとした短文が息づいており、楽しめるのでした。まずページ右側に著者が選ぶ名言。左ページに竹内氏の文。という構成で108回。
ちょっと、第四章の「愛」についての文が、私にはものたりなかったのですが、これはテレビでごちゃごちゃと語られすぎの悪い影響に感染した一読者の高望みなのかもしれません。

ここでは、一箇所だけ引用。それは37回目にありました。
竹内さんの文のはじまりは、こうです。

「中年にさしかかって結婚を決意した武骨な男(室田日出男)が、心配顔で仕事仲間に訊いた。『結婚してからだいたい何日目に女房の前でオナラをしていいもンか?』。往年の人気テレビドラマ『前略おふくろ様』(倉本聰・脚本)のひとこまである。・・・」

ここに、オナラとあるのでした。余談になりますが、
オナラといえば、小林一茶に

   屁くらべが又始まるぞ冬籠

という句があるなあ。
ということで、オナラつながりで、
ここらで、連想の風呂敷をひろげてみます。

「名言手帳」とおなじような名言名句の一冊で、
私に思い浮かぶのが谷沢永一著「百言百話」(中公新書)。
その「百言百話」のはじまりは、
こんな名句からなのでした。

「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食ったって俺のケツから屁が出るか  (映画「男はつらいよ」) 」

谷沢永一氏は、この引用したあとに、
おもむろに、こう書き始めておりました。

「人間はどんなに親しくても、所詮は他人である事情を、これほど見事に言い当てた警句は他になかろう。そのくせ、フーテンの寅さんが、甘ったれをたしなめる時、嬉しくもこの名句を記録してくれた和田誠が、『お楽しみはこれからだPART2』で注記しているように、とにかく『可笑しなセリフ』になっているところが、いかにも映画という手法を生かし得ていて心憎い。世界名句集にも必ず採録すべきである。・・・」



オナラといえば、金子兜太対談
「今、日本人に知ってもらいたいこと」(KKベストセラーズ)
がおもいうかびます。金子兜太氏では
2003年日経新聞1月5日のエッセイが忘れらないのでした。
題は「正月の山国」(これ、本に収録されてるのかどうか?)。
開業医の父親のところに、俳句好きの仲間が集まる。
そこを引用してみます。

「この人たちも正月にはかならず姿を見せていた。」
「男たちは山仕事や畑仕事で鍛えられた強酒の人が多く、飲むほどに気が荒くなった。そんなとき、年配の人が、座を和ますようにはじめるのが、雑俳の冠付(かんむりつけ)の一種ともいえる遊びだったのである。その人は尻取りといっていた・・・」
「年賀の酔いとは別に、いささか尾籠ながら『屁くらべ』と称する遊びごとがはじまることもしばしばだった。放屁の高さや長さ、持続を競うものだ・・・あの頃の正月は、こんなぐあいに、騒々しく、猥雑に、しかしいつもどこかが温(ぬ)くとく過ぎていった。忘れることはできない。」

   安岡章太郎著「放屁抄」からもすこし

「かねがね私は家で父がたびたび放屁するのをきいており、父によれば屁は健康のしるしだというのであった。そして屁にはナギナタ屁とかハシゴ屁とか、いろいろ芸術的な要素を持つものもあって、そういう放屁の名人の輝かしい業績は、いまも記録されているというのである。・・・勿論、なかには堪らないほど臭いおならもあるけれども。・・・」





もういいでしょう。竹内政明氏の文へともどります。
こちらは、オナラの話題が、すりかわって昇華(?)されていくようなのです。それでは、竹内政明氏の文は、そのあと、どう続いていたか?

「ドラマでは仲間たちから『バカだねえ』と茶飲み話のサカナにされるのだが、本物のオナラはともかくも、精神もしくは感情から発するオナラのほうは笑いごとで終わらない。女性の場合ならば、口やかましさ、過度のやきもち、『仕事と私と、どちらが大事なの?』といった紋切り型の詰問に代表される独占欲などが、典型的なオナラだろう。・・・男性は男性で、都合の悪い会話を『ウルサイ』の一語で打ち切る習性をはじめとして、みずから鼻をつまみたくなるようなオナラを朝となく夜となく放っている。」

さて、
竹内さんは最後を、こうしめくくっておりました。

「ありがたい法話を聞かせてくれる高僧も、オナラひとつしただけで威厳が台無しになってしまう。ことわざに言う【百日の説法、屁ひとつ】だが、百年の恋も感情のオナラひとつで冷めてしまうことを思えば、結婚とはたしかに残酷なものかも知れない。
自分の放つオナラであれ、相手の放つオナラであれ、においに慣れて鼻はいずれバカになる。知恵のない解決法ながら、救いといえば救いである。」


ちなみに、これは第四章「愛に生きられる喜びを」から拾った文(p97)。うん。私は、この1ページで、一日楽しめたのでした。まったく、おならはえらい(笑)。



  
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山野博史さんの本。

2012-01-24 | 本棚並べ
山野さんの本があったはずなので、
探すと、段ボール箱にしまってありました。

 谷沢永一・山野博史著「知的生活の流儀」(PHP)
を、まずとりだす。15冊の本をたのしく紹介しておりますが、
私はこの本を読んだだけで、最初に紹介されている
木村喜吉著「斎藤秀三郎伝」を読んでいなかった、
とあらためて気づくのでした。
つまみ食い読書の、いい加減さ(笑)。

ということもあって、とりあえず、山野博史氏の著作で
もちあわせているのを並べてみるわけです。
ああ、そうそう、ネット新刊本屋・BK1で
(私がちょくちょくBK1を使っているからで、他意はありません)
名前検索すると、対談に加わっている本も
ひっかかってくるので、たすかります。
そして、翻訳本もありました。
ということで、

  山野博史著「本は異なもの味なもの」(潮出版社)
  山野博史著「人恋しくて本好きに」(五月書房)
  山野博史著「発掘 司馬遼太郎」(文藝春秋)
  鼎談「三酔人書国悠遊」(潮出版社)
  谷沢永一対談集「人たらし」(バンガード社)
  谷沢永一対談集「人生を励ます100冊」(潮出版社)
  薄田泣菫著「泣菫随筆」(冨山房百科文庫)
  ロナルド・A・モース「近代化への挑戦 柳田国男の遺産」
   (日本放送出版協会)
  
以上がでてきました。
これで、ひとまとめにして本棚へ置くことにします。
本を読まないと、こうして、トランプのカードを並べる、
そんなような楽しみをして読書のかわりとしております。
あとは

文学界2012年2月号
開高健著「われらの獲物は、一滴の光り」(KKロングセラーズ)
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書)

散らばらないように、これも一緒の棚へ。

今回、これを機会に、
「知的生活の流儀」で紹介されていて
いまだ持っていない本を、
エイヤア、と古本屋へ注文することに。

  三宅雪嶺著「世の中」正・続
 「辻静雄著作集」

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幻と付き合って来た。

2012-01-23 | 短文紹介
今日は、月曜日。
10時頃、郵便配達さんがポストに入らないのでと
手渡してゆく。いつもは12時頃の配達なのに、
今日は早いなあ。

さてっと、ゆうメールで四包み。
うん。古本屋へ買い物に行く楽しみを知らない私は(笑)。
どうするかというと、冊子小包をあける楽しみを味わうのでした。
古書店「株式会社まつおか書房」からは、
厚地の封筒(うすい段ボールくらいな)に、きちんと。
堀田善衛著「定家明月記私抄」「定家明月記私抄続篇」
の2冊で1000円+送料250円(送料全国一律とあります)で1250円。
新潮社の単行本です。7刷と続篇は初版。どちらも函入りで
読んだ形跡なしの新品同様。
読むのはいつか、わかりませんが、とりあえず
後記から、引用してみましょう。

「歌人藤原定家の日記『明月記』は、いわば幻の書である。・・・
誰もがその名を知りながら、小数の専門家を除いては、誰もが読み通したことがないという、それは異様な幻の書であった。戦時中からの四十数年間、私はぼつぼつとこの幻と付き合って来た。ここに、定家十九歳から四十八歳までの記の私抄を世におくる。執筆はすべてバルセローナにおいてなされた。 1986年新春 逗子披露山荘にて 堀田善衛 」


つぎの小包に、いきましょう(笑)。
ネット古書「ブックス碧海」木村晋一。
こちらは、はじめての古書店です。
あれ、名刺も納品書のあいだに挟まっています。
注文したのは
世界文化社の「グラフィク版日本の古典8 徒然草方丈記」
古本が600円+送料450円-値引き50円=1000円なり。
写真と解説です。そのままに朗読されれば、
まるでテレビの教養番組を見ているよう。
方丈記の方を堀田善衛氏が書いているので注文しました。
ちなみに、徒然草の方は島尾敏雄。
ここも、最初だけちらりと引用してみましょう。
方丈記の序を数行引用したあとに、堀田氏はこう書いております。

「『平家物語』の冒頭とともに有名になってしまったこの書き出しは、実は水のことでも泡のことでもなくて、人の住む住居の話なのである。世の人の無常は『川の流れ』や『よどみに浮かぶ水の泡』に託されているのではなくて、それをうけた人の家、住居に託されているものであった。つまり、『方丈記』という文章は、一面、住居についてのエッセイなのである。・・・・大火、大風、遷都、地震などの天災、また政治的変乱などの人災になるものが、人間の住むなる住居というものとの関連で語られていることは、じっと考えていると不思議な気がして来るほどである。」

このグラフィック版は、函入り縦28.5センチ、横23センチ、厚み2センチ。碧海さんは、それを新聞紙に包んでから、大封筒に入れて送ってきました。その新聞紙は東京新聞2011年10月23日(日曜日)。ひらいてみると、読書欄の頁がある。うん。ついつい見てしまいます。その「楽読楽書」欄に、金原瑞人・翻訳家が書いておりまして、そのはじまりは
「魚住直子の動物短編集『クマのあたりまえ』(ポプラ社)が素晴らしい。なによりタイトルがいい。・・・」。うん。この本を他の方も薦めておられたので興味がわきます。

あとの小包は、
古本屋さんは、『思考の地平社』で
三一書房『人と思想 柳田国男』後藤総一郎編。
定価500円+送料340円=840円なり。
ここに、数ページ堀田善衛の文があったために、購入。
書かれている方々が、ちょっと気になったのでした。

あと一冊は、新書です。
400円で送料300円の700円。
こちらのネット古書店は、新書でこの送料がネック、
次回からは、送料も考慮しなければ(笑)。
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日本的な勁(つよ)さ。

2012-01-22 | 短文紹介
新潮文庫・堀田善衛著「方丈記私記」の解説は山本健吉でした。

堀田氏とのつきあいを語っているのですが、
後半にこんな言葉がありました。

「それはとにかく氏は、現実を徹底的に生きた者が刻みこんだ記録の勁(つよ)さを、方丈記の中に見ているのだ。そのような勁さを、氏は自分の書くものにも期待し、従って現代を徹底的に生きることを念願してもいるのだ。・・・」(p227)

ここに「勁(つよ)さ」とあり、
そういえば、「勁さ」つながりで、思い浮かぶのが、
元旦の新潮社の新聞広告でした。
(ということで、再度登場。何度書いてみてもよいでしょう)
そこには、ドナルド・キーン氏の本を読む写真が載っており、
大きくこうありました。
「日本人よ、勇気をもちましょう」

せっかく思い浮かんだのですから、
すこし引用を重ねておきます。

「・・長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、『日本的なもの』に対する自信のなさです。違うのです。『日本的』だからいいのです。・・・
こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、『日本的な勁(つよ)さ』というものを、心にしみて知っているからです。・・・・・
私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。
震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再会する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。」

うん。朝日新聞元旦文化欄のドナルド・キーン氏「叙情詩となって蘇る」という文を、ここにもってきて並べます。

「・・しかし、私は東北が復興すると信じて疑わない。日本は古来より壊滅的な被害を何度も受けてきたが、その度に蘇ったではないか。希望を持ち続けよう。諦め、無関心こそが敵であろう。
ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。・・・」


うん。方丈記と勁(つよ)さ。

うん。方丈記の勁さを読む。
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読みかえさせた。

2012-01-21 | 短文紹介
堀田善衛著「方丈記私記」の第四章のはじまりは、こうでした。

「3月10日の東京大空襲から、同月24日の上海への出発までの短い期間を、私はほとんど集中的に方丈記を読んですごしたものであった。・・短いものでしかない。だから私はほとんどこれを暗誦出来るほどに、読みかえし読みかえししたわけであった。
しかし、方丈記の何が私をしてそんなに何度も読みかえさせたものであったか。
それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に遭ってみて、ここに、方丈記に記述されてある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方としては凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれたからでもあった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした新たなる日本についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった。政治的、社会的転変についての示唆とは、つまりは一つの歴史感覚、歴史観ということでもある。」


ところで、
「方丈記私記」を単行本で読んだのですが、
文庫では新潮文庫とちくま文庫で出ておりました。

新潮文庫は、解説が山本健吉。
こちらは、「古書 風流夢苑」に注文。
400円+送料160円(クロネコメール便)で560円なり。

ちくま文庫の方は、BK1に注文。
最後に対談が掲載されております。
「國文學」1980年9月号に掲載されたところので、
堀田善衛と五木寛之の対談。うん。おもしろかった。
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正味32頁。

2012-01-20 | 古典
岩波文庫「方丈記」の、本文は正味32ページ。
うん。しばらく毎日読むことにいたします(笑)。

そういえば、と、本棚から、
田辺聖子著「古典の文箱(ふばこ)」(世界文化社)を取り出す。ありました。3頁ほど方丈記に触れております。

そのはじまりを引用。

「このごろの少年少女に、すぐれた古典の名文の一節を暗記させないのはなぜでしょうか。私には受験勉強などより、ずっと大事なことに思えるのですが。
昔の学生たちは『方丈記』や『平家物語』の冒頭の一章など、まる暗記させられたものでした。リズム感のある名文なので、若者はすぐおぼえてしまいます。みずみずしい若いあたまに刻みつけられた記憶は、一生消えません。そのうち二十代、三十代、四十代と生きるにつれて、その文章の意味を、年ごとに深く汲みとるようになります。わけも分からず暗記していたものがたえず新しい意味をもって生き返り、その生涯の血肉となります。古典というものはそういうものです。」

うん。固まりはじめた、このあたまにも、刻みつけられる。
と、信じて。ここは、暗記は無理でも、
32ページを繰り返し読むことにいたします。

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方丈記を読むぞ。

2012-01-19 | 地震
うん。今年は、まず方丈記を読むぞ。
と、掛け声を自分にかける。
移り気をおこしても、きちんと戻れるように、
願いながらの「読むぞ」の掛け声。


貴重な参考文献は、堀田善衛著「方丈記私記」。
ちなみに、私は堀田善衛といえば、
岩波新書「インドで考えたこと」しか読んだことがありません。
本棚を見たら、「時代の風音」(upu)というのがあります。
これ、司馬遼太郎・堀田善衛・宮崎駿での鼎談。
うん。堀田氏の発言は飛ばして読んでおりました。
あらためて、これも再読しよう。

それはそれとして、
ワイド版岩波文庫「新訂 方丈記 市古貞次校注」から
あらためて、読み直しましょう。
ということで、現代語訳はと、身近にさがすと

  新日本古典文学大系「方丈記・徒然草」(岩波書店)
  新潮古典文学アルバム12「方丈記・徒然草」
  新明解古典シリーズ8「大鏡 方丈記」(監修桑原博史・三省堂)
  山崎正和著「徒然草・方丈記」(学研M文庫)
  少年少女古典文学館「徒然草・方丈記」(講談社)方丈記は三木卓。
  
これが私の守備範囲。
というか、本棚とダンボール箱を探した収穫。
そして、
梅原猛・瀬戸内寂聴著「生ききる。」(角川oneテーマ21)。

あと新刊では

 玄侑宗久著「無常という力 方丈記に学ぶ心の在り方」(新潮社)
 玄侑宗久・釈徹宗対談「自然(じねん)に生きる」(東京書籍)
 山折哲雄著「絆 いま、生きるあなたへ」(ポプラ社)
 山折哲雄・赤坂憲雄著「反欲望の時代へ 大震災の惨禍を超えて」(東海教育研究所)


というのを、ちらっと横目でみながら、
ワイド版岩波文庫を読み直します。

きっかけは、この言葉でしょうか。
それは、
ドナルド・キーン氏の文(朝日新聞元旦の文化欄)にありました。

「・・ここまで考えて私は、
自分の専門である日本文学の中に一体どれほど
災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。
すると長い歴史の中で、
『方丈記』しかないと思えるほど、
とても少ないのだ。
これは実に不思議な発見だった。
なぜ、天災や人災を記した作品がないか、
ということにもはっきりとした説明は見当らなかった。
過去の日本では『源氏物語』のような
典雅な内容ならともかく、
悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に
相応(ふさわ)しくないと
考えられたのかも知れない。」

うん。ドナルド・キーン氏の文の最後も引用。

「多くの人にとって、
昨年は辛(つら)い記憶の残る1年となった。
今年こそは素晴らしい記憶にあふれる
年となることを祈っている。」
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書きたかったわけですよ。

2012-01-18 | 他生の縁
月刊雑誌「文學界」2月号。そこに
特集「若き日の開高健」が掲載されておりました。
これについては、
Tsubuteさんのブログ「読書で日暮らし」(1月15日)に
丁寧な紹介がされていて、ありがたいなあ。

さっそく、その「文學界」2月号を手にします。
私の興味は、
開高健から、向井敏と谷沢永一への手紙掲載箇所。
それにともなうところの、魅力は山野博史さんの
「伴走、二十年。 谷沢永一先生との約束を果すまで」
という文でした。

葉書の写真も掲載されております。
うん。私は、その1頁を見て満足。
なにか、これだけで満腹。
あとは、本棚へしまっておきます(笑)。
その葉書の写真掲載は、というと
開高が向井宛に出した昭和25年9月8日の
葉書の表裏が写されております。
そのペン字で細かく書かれた文の最後はというと、
「所で、えんぴつに入らんか。今のままでは全く苦しいんだ。金木から聞いて谷沢が君に会いたがってゐる。えんぴつ入社(!?)の件と谷沢とのインタヴューの件、返事をくれ。待ってゐる。」というのでした。

私が思い浮かぶのは、
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書)のこの箇所でした。

「司馬さんは、僕に解説を指名したり、山野(博史)さんを大事にして、『菜の花の沖』全六巻の特別製本、それを山野、谷沢の二人に全部署名して贈ってくれました。僕らとすれば、後事を託されたという気持ちでおります。新潮社から出ている『司馬遼太郎が考えたこと』という、親版全十二巻、あれの60パーセントは山野博史が自腹を切って発掘した成果です。ほんとうに草の根を分けるようにして。要するに、司馬さんは書きたかったわけですよ、まだ無名の頃から。山野さんはあらゆることを考えまして、司馬さんは産経の京都支局に配属されていました。そうすると、向かいにお花の未生流の建物があって、そこが山野さんの特色ですが、ひょっとしたら、それと関係があったかもしれないというので、そこへ飛び込んでいって、おたくのお花の師匠が雑誌を出していますが、その雑誌に司馬さんが書いていませんかと。無名時代に書いているわけです。それを発掘した。もっと傑作なのは、司馬さんのお宅は近鉄奈良線の八戸(やえ)ノ里という駅から歩いて数分のところにありますが、司馬さんは『街道をゆく』などで全国を回りますが、全部タクシーを利用しているわけです。八戸ノ里の駅前にタクシー会社があって、そこへ出かけていって、おたくの宣伝文かパンフレットに司馬遼太郎さんが書いていませんかと聞くと、書いているんですね。・・・・」(p188~189)


え~と、ついつい違う引用をしてしまいました。
その山野博史さんが「文学界」2月号に書いている。
というだけで、あとはもういいでしょう(笑)。

さてっと、
今回は読まずに本棚へならべることにいたします。

「文学界」2012年2月号。
「新潮」1991年12月号(「回想 開高健」が掲載)。
「回想 開高健」(新潮社)
「開高健 青春の闇」(文芸春秋版)
鼎談「書斎のポ・ト・フ」(潮出版)
対談「読書巷談 縦横無尽」(日本経済新聞社)
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP)
向井敏著「司馬遼太郎の歳月」(文芸春秋)


月刊雑誌などは、いざ、探そうとすると見つからないものですが、こうしてまとめておけば間違いなし。ちょっと、山野博史さんの本が探せなかったのでした。また、あとで出てきたら。
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去年今年。

2012-01-16 | 詩歌
今年も16日。ということで、
新年の古新聞の整理。
といっても、そのまま見るだけ。

1月3日朝日新聞文化欄の「新春詠」。
昨年「震災歌集」を出した長谷川櫂氏の俳句をさがす。

 龍の目の動くがごとく去年今年

 花の春とくとくと鳴れ浦霞

 ほのぼのと目鼻はなれて福笑

真ん中の句の「浦霞」には
「浦霞は塩釜の酒」と前書があります。
私事、昨年は「浦霞」をよく飲みました。


読売新聞の文化欄には岡野弘彦氏の短歌あり。
うん。読めてよかった、と私は思います。

天城峯(あまぎね)にくれなゐの陽(ひ)はしづみゆき
     事多かりし歳くれむとす

八十(やそ)にあまる八つの齢(よわい)をかさねたり。
   大海原に生(あ)るる日を浴ぶ


岡野弘彦氏は今年88歳。
大正13(1924)年7月7日生れ。
そういえば、昨年、天皇陛下78歳におなりになられました。
1月1日の新聞に、両陛下のお歌8首が掲載されておりました。
「新年に当たり、宮内庁は天皇、皇后両陛下が平成23年に詠まれたお歌のうち、計8首を発表した。」と書かれたあとに
天皇陛下のお歌。
 
  東日本大震災の津波の映像を見て

黒き水うねり広がり進み行く仙台平野をいたみつつ見る


そうなんだ、同じテレビの映像を、われわれは見ていたのだった。
平成23年3月16日に、そのテレビから「天皇陛下のお言葉」が写されていました。
あらためて、産経新聞社の「闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録」をひらき、そこにある「お言葉」を読み直してみます。

1月1日の陛下のお歌を、つづけます。

  東日本大震災の被災者を見舞ひて

大いなるまがのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる

  東日本大震災後相馬市を訪れて

津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき


「天皇陛下のお言葉」にも、「雄々しさ」という言葉がありました。3月16日の「お言葉」から、その箇所をあらためて引用してみます。「お言葉」の中頃でした。

「そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。」

今日も寒い日が続きますが、仮設住宅を詠んだ歌が最後にありました。

  仮設住宅の人々を思ひて

被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人


1月13日新聞には恒例の「歌会始の儀」の歌が掲載されておりました。
はじめにある天皇陛下のお歌

津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
   
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時代の抜け殻。

2012-01-14 | 短文紹介
白川浩司著「オンリー・イエスタディ 『諸君!』追憶」(小学館)を、読みました。読みやすい。ご本人は「あとがき」にこうしるしております。

「読み返してみると、我ながら『いい気なもんだね』という気がするし、最後に『ナーンチャッテ』と付け加えたくなるような気分もある。」


うん。わかりやすい語り口なのです。
そこを本文から拾うとすると、こういう箇所になるのでしょうか。

「雑誌の世界でも、『世界』が左翼系論壇を代表するとすれば『諸君!』は保守系の代表、『中央公論』はその中間に近い、というのが大方の見方だった。が、私にいわせれば『諸君!』と他の二誌との最大の違いは、そうしたイデオロギーではない。二誌には高踏的すぎてアタマに入りにくい文章がしばしば登場したのに対し、『文藝春秋』はもちろん『諸君!』も、あくまでやさしく噛み砕いて提供した点にある。・・・読者のほうを見るか、書き手の仲間意識を尊重するか、の差だった。」(p114~115)


そういえば、この本のあとがきには、
「冒頭にも記したことだが、あらためて思うのは、『諸君!』が休刊にならなければ、こういうものは永遠に書かなかっただろう、ということである。」とあり
そして、「・・・・この文章は何かの『抜け殻』のよう」というのです。
この『抜け殻』という言葉が、文脈とは別にして、私に印象深いのでした。
たとえば、ここに、セミの抜け殻がおちていると思って下さい。
中身は空洞。もぬけのカラなのに、その姿、輪郭は鮮やかに残されている。そんな、たわいもないことを、この本の読後感とダブらせながら思うのでした。


というからには、抜け殻のシワのひとつでも引用してみましょう。
三島由紀夫事件を語りながら、「今でいえば、・・無党派層のような若者」と輪郭をしっかりとつけている箇所です。

「以下はあくまで仮説だが、結果的にこの事件は、全国を覆った新左翼運動に冷水を浴びせることになったように見えた。あらゆる風潮、流行現象の例にもれず、全共闘あるいは当時の左翼運動には一種ファッションの部分があったが、三島さんの問いかけは、迷いながらも運動に引き込まれていった層、今でいえば『支持政党なし』の無党派層のような若者を確実に撃ったのだ。どこまで本気で左翼運動に走るのか、命を賭してまでやる気があるのか、という問いを、突きつけたのである。」

うん。さりげなくも、引用したい箇所はかずかずありますが、ガマン(笑)。それは読んだ方の得といたしましょう。
本の体裁は、第一章から第四章までつづくのですが、
第三章と第四章との間に、「間奏曲」として「諸君!」の名物コラム
「紳士と淑女」と「笑わぬでもなし」をとりあげておりました。
うん。私といえば、まず、そこから読み始めたのでした(笑)。
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ひとの手。

2012-01-13 | 短文紹介
「花森安治のデザイン」(暮しの手帖社)の表紙絵。その絵の隙間に、小さく「『暮しの手帖』創刊から30年間の手仕事」とある。この本の「おわりに」で大橋鎭子さんは、書いておりました。


「花森さんは、つねづね二つのことを言っておられました。
一つは、『暮しと結びついた美しさがほんとうの美しさ』だということ。表紙やカット、写真撮影も、特別なものでなく、いつも身近なものを題材に使われました。実用的な生活用品すべてに美を見出されていたのです。
もう一つは、人の手からつくられるものの美しさです。『手仕事』から培われる美意識を大切にしておられました。最後の号の原稿が『人間の手について』であるのも、なにか花森さんの遺言のような気がいたします。
そんな思いから生まれた、花森安治のデザインの仕事を通して、その美しさと、根底に流れる『暮し』と結びついた美しさを改めて感じ取っていただけましたら幸いです。」

ちなみに、『人間の手について』は
雑誌「暮しの手帖」1978年第2世紀52号に掲載されておりました。
また、
KAWADE夢ムック「花森安治」
保存版Ⅲ「暮しの手帖 花森安治」
でも、手軽に読むことができました。

ちなみに、「花森安治のデザイン」の「おわりに」で大橋さんは
こうも書いておりました。

「花森さんの机には、いつも物差しと三角定規、配色表、たくさんの筆記具が用途によって整えられていました。一ダースものえんぴつを毎日きれいに削るのは、妹の芳子の仕事でした。」

そして、そのすぐつぎに、こうあったのでした。

「表紙は、その号の編集があらかた終わった頃に、『今日は、表紙を描くぞ』と宣言して、小さな部屋に入って描かれるのでした。表紙は、その雑誌の顔、商品ですからその点も考え合わせて、ずいぶん苦しまれたと思います。途中で見ることは絶対禁止。みんなで息を呑むように待っていますと・・・・」


ついつい関連で、買えそうな古本を注文すると、
当たりはずれがあるのは仕方ないですね。
朝日選書23「朝日新聞社編 わが思索わが風土」も
つい買った一冊。ここに「一本のペン」と題して花森安治の16ページの文が掲載されておりまして、これは、読んでよかった。機会があれば、再読します。

最後に、「人間の手について」から引用。

「ぼくの知っている家庭では、幼稚園ぐらいから、こどもに、ナイフを持たせています。鉛筆を削らせたり、台所でじゃがいもや、にんじんを切らせたりしています。・・・道具をつかうのは、人間の手です。あるいは、人間の目や、耳や、鼻といった感覚です。こういった感覚は、訓練すればするほど、鋭くなっていきます。」

うん。「道具をつかうのは、人間の手です」。
私の今年の方位目標(こんな目標が、わたしには合っていそうです)といたします。

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