津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)を
途中からひらき、最後まで読んでしまう。
あとがきの一行目は、
「 齢をとれば人間はかならずおとろえる。 」
あとがきの7行目は、
「 ――なんじゃ、これは? 」
俳優・斎藤晴彦さんを語った文の最後は、
「 『 せっかく生きてるんだから、ときどき会って話しましょうよ 』
ところが、こんどはこちらが入院したこともあって、
とうとういちども会えないままに斎藤さんは死んだ。
したがって、これが私の最後にきいたかれのことばということになる。
人はひとりで死ぬのではない。
おなじ時代をいっしょに生きた友だちとともに、
ひとかたまりになって、順々に、サッサと消えてゆくのだ。
現に私たちはそうだし、みなさんもかならずそうなる。
友だちは大切にしなければ。 」(p229)
ああ、この本は読書がテーマでした。
そこからも引用しておかなければね。
「 私は幸田文の随筆にえがかれた露伴像が好きで・・ 」(p235)
とあります。それに関連した箇所がp153に拾えました。
幸田文対談集にふれた箇所です。
「 山本健吉との対談で、文さんが、父は日ごろ
『 一つのことに時間をとって、まごまごしていては損だ 』
とよく口にしていました。と語っている。
それが『父』こと幸田露伴の読書法、もしくは勉強法だった・・
『・・・一つのところばかりに専念するのでなく、
八方にひろがって、ぐっと押し出す。・・・・
知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。
・・八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、
その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという。 』
本を読んでいて、これこそ、まさしく私はこういう文章が読みたかった
のだと、感じることがよくある。このときがそうだった。そうか、
露伴先生の読書は八方にひろがってパッと凍るのか。すごいね。
もちろん露伴もだが、むかし父親が語ったことを、
かくもキリリとひきしまったコトバで思いだせてしまう娘もすごいや 」
( p153~154 )
はい。この本自体が、八方にひろがっていって、パッとつながっている。
そんな惹かれるものがありました。最後まで読めてよかった。