和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

メディアバイアスに振り回されるなかれ。

2015-06-30 | 新刊購入控え
雑誌「WILL」8月号。
巻頭随筆のなかの
西村幸祐氏の文から引用。

「安保法案への拒否反応が大きいのに、
なんと、集団的自衛権は支持を得ている。
誰でも疑問に思うこの奇妙な現象・・・
つまり、多くの国民は昨年の総選挙で
安倍政権を承認したように、論理的には
集団的自衛権の必要性を理解したものの、
安保法案審議の報道があまりに
国会法案審議のレベルと合わせたように
低レベルで、扇情的で、偏向しているために、
メディアバイアスの結果、このような結果に
なったと理解できる。
ここで丹念に議論を積み重ね、かつ
メディアバイアスと別回路の情報発信が
受け手の間で増えれば、この数値にも
変化が表れるはずである。」(p29)

はい(笑)。
「メディアバイアスと別回路の情報発信」
というのが、正鵠を射た
雑誌「WILL」のキャッチフレーズ。
とかく、
メディアバイアスに振り回されている
紳士淑女諸君へと、さりげなくも、
「WILL」8月号が発売になっております。
情報受信の際のメディアノイズを消去して、
ひとり静かに、考えるには、うってつけの
WILL8月号です。はい。
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文章のイロハ。

2015-06-29 | 手紙
どこで、
見たのか。読んだのか。

開高健が文章が書けなくなって、
井伏鱒二氏へ、どうしたらよいかと、
尋ねる場面がありました。
井伏氏。その言葉を受け止めて、
いろはを、書いていればいいのです。
というような返事をされていた。
うる覚えで、
その場面をテレビで見たのか、
文章で読んだのか、思い出せない。
ですから、言葉も正確ではなく、
思い込みかもしれません(笑)。

話題をかえて、
イロハといえば、
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)に

「文章のイロハを学びたいという方は、
いろいろなチャンスを利用して、精々、
手紙を書いた方がよいと思います。
電話で用が足りる場合でも、
手紙を書くべきでしょう。

面倒だ、というのですか。
いや、本当に面倒なもので、
私にしても、毎月の原稿が
一通り済んでから、まるまる一日を使って、
何通かの手紙を書くことにしています。
原稿料とは関係ありませんが、
実際、手紙を書くのは一仕事です。
しかし、それも面倒だ、というようでは、
文章の修業など出来たものではありません。」
(p68)


はあ。
「まるまる一日を使って」
手紙を書いたことなど、
ここ何年もない私です(笑)。

そういえば、カント。

「カントは四時間とれなければ
 ものを書かなかった。」

という引用をしているのが
渡部昇一氏の2頁の文でした。題して
「受動的知的生活と能動的知的生活」。
そこから引用。


「ところが、いざ能動的知的生活に
入ろうとするならば、最低四時間以上
とれない場合は、何もはじめないほうがいい。
カントは四時間とれなければものを書かなかった。

私の場合なら、夜の十一時ごろから
翌朝の五時、六時までの五、六時間あれば、
ペラの原稿用紙四十枚ぐらいは書きあげるが、
もし日中の二時間くらいしか時間がないとすれば、
同じ枚数を書くのに一週間か十日かかっても
できないかもしれない。
溶鉱炉の火は消すなである。
いったん消してしまうと、再び必要な温度に
達するまでに時間がかかるのと同じように、
頭脳が熱くなって生の情報や知識が溶けて
くるまでには、必らず一定の時間がかかる
ものなのだ。四時間から五時間で材料が
溶けると、ようやくその人のものとなって
出てくるのである。・・・・
ようやく油がのりかかってきた二時間目に
時間がきて筆をおくと、翌日も同じことの
くり返し。能動的知的生活に入るには最低
四時間は外部からのインターラプションなし
に没頭できる状況をつくり出すことが大切である。」
(p104~105「わたしの知的生産の技術」講談社)


うん。
文章のイロハと、
最低四時間以上。

わかりました。
私の文が引用ばかりなのは、
溶鉱炉で溶け出す以前の段階なんだ。
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被災後一ヶ月読書。

2015-06-28 | 地震
小泉信三全集の16巻には
「国を思う心」のほかに、
「思うこと憶い出すこと」も載っていて
関東大震災の被災の様子は、
「思うこと憶い出すこと」より引用。
今回が被災の引用の最後です。

「幾日かして馴染の大工が来て、
庭に杭を打ち込み、電信柱ほどの
大丸太をそれにあてがって、
傾いた軒の支柱にしてくれたので、
一面の壁土を掃き出し、
畳や柱に雑巾がけをして、
一同屋根の下へ帰って行った。
その屋根の下で、私たちは更に一月あまり
・・・・
この一月の間に、私は一冊大部の本を読んだ。
それはピグウの『厚生経済学』という
九百数十頁の英書であるが、平生は大きくて
なかなか手がつけられなかった。
震災で交通が絶え、一時的の島流しに遭ったような
こんな時に限ると思い、私はそれに取り着いた。
読み了って、東京へ出てから、それに基づいて
『社会政策の経済原理』という論文を書いたが、
震災後の鎌倉の幾日は、人は来ず、
郵便は来ず、静かな日々であった。
人が来ないとともに、二週間ばかりは、
夜、電燈が来なかった。
私はこの本の多くの部分を蝋燭の火で読んだ。
快い記憶なので、私は今までに
一二度その事を書いたことがある。」(p239)
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言葉遣いの理由。

2015-06-28 | 書評欄拝見
本を、
買うかどうか。
読むかどうか。
気になる新刊
書評が載れば、
まず、読む(笑)。

読売新聞今日(日曜日)
の読書欄をひらくと、
柳田国男著「国語と教育」を
前田英樹氏が書評しておりました。
そのはじまりは

「柳田国男が創り出した民俗学は、
際立って独特な彼の文体、用語法、
語り口と決して切り離すことができない。
したがって、彼の学問を理解することは、
そうした言葉遣いの理由を知ることと
まったく同じになる。この本を読めば、
近代日本語で書くこと、語ることに
賭けた柳田の生涯の覚悟が、どれほど
深いものであったかがわかるだろう。
本書は、13編の講演録、談話、論考で
成っていて、発表時期は・・・
太平洋戦争のさなかから戦後の安定期
に入る頃までにわたっている。
すべて全集未収録の文章で、
このような形の再刊はありがたい。」


雑誌WILL8月号の
「石井英夫の今月この一冊」では
「渡部昇一 青春の読書」でした。
はじまりは

「厚さ五センチ、六百十数ページの
浩瀚な大著である。・・
驚くべき記憶力と記録力に圧倒されて、
評者などは最後まで巻を措くことが
できなかった。・・
小学校時代、少年講談『三好清海入道』を
読んでいて担任教師に殴られ、『退学しろ』
と叱られた。同じく、『宮本武蔵』『一休和尚』
という二冊の〈活字の舟〉で大海原に乗り出した
という。
当時、阿部次郎の『三太郎の日記』が必読書と
言われたが、のちの人生に役立ったのは
ユーモア作家・佐々木邦の『珍太郎日記』のほう
だったというのが面白い。
福原麟太郎と市河三喜に私淑し、書物偏愛では
ライバルであった谷沢永一との深い交流も
興味深く綴られている。・・・」

ちなみに、次のページ
「堤堯の今月この一冊」では、
『帳簿の世界史』が取り上げられております。

産経新聞読書欄では
花房壮(社会部)氏が書評している
伊藤隆著「歴史と私」(中公新書)
その書評の最後は

「80歳を超えたいまなお歴史家として
使命感に燃え奔走しているが、
史料が減りつつある現状には苦言も呈する。
『戦後日本は、あれだけ頑張って
高度成長を成し遂げ、今もその遺産で
世界三番目のGDPを誇っています。
それなのに、どうやってこの国を作ったか
という記録が、少ししか残っていない。
係わった人はすごく多いはずなのに、
非常に残念です』
戦後70年の今年、著者の発するメッセージは
ひときわ重い。」


毎日新聞の今週の本棚では
川本三郎氏の書評で宮田毬栄著
『忘れられた詩人の伝記 父・大木惇夫の軌跡』。
書評のはじまりは
「よくぞ書き上げた。」とあります。
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震災と蝉の声。

2015-06-27 | 地震
小泉信三著「思うこと憶い出すこと」から
前回のブログで、鎌倉の大震災を引用しました。
そのつづき。

「・・・・・
庭の楓の木の下に蹲まっている妻の傍らに来て、
一緒にわが家を見る。家は揺れるというよりは、
波に漂うともいいたいように動いている。
この年二つになった女児は、ようやく歩けるように
なって、下駄を買うと、使に行く女中について、
外に出ていた。これだけは駄目か、と思っている
ところへ、平気な顔をして帰って来た。
これで家中顔が揃った。
すると、半鐘が鳴り出した。
電車通りの方向に幾条かの煙が見える。
風は八幡宮の方へ吹きつけていたが、
よしこちらが風下であっても、
何の手の下しようもなかったのである。
また、働こうという気にもならなかった。
この間にも、大地は殆んど絶間なく揺れた。
震動がやむと、合間合間に、山で蝉が鳴く。
ただこの蝉の声だけが、遠い昔の世と今とを
繋ぐもののように感じられた。
やがて夜になった。楓の木の下に、
戸板で屋根を葺き、蚊帳を釣って、
家中の者が入って寝た。
耳を地につけていると、
海の方から地鳴りがして来る。
それが近づくと、地は浮き上り気味に揺れる。
それが幾度となく繰り返されている中に、
天が明るくなって来た。この明け方に、
二三町離れた、小町園という旅館が焼けた。
風のない、星の多い空に、火の粉がまっ直ぐに
昇って行く。昨日は強風の中に火が起っても、
何とも感じなかったのに、今はこの、
延焼の恐れのない火事が恐ろしく、
いいつけて、井戸から水を汲ませたりした。

打ちひしがれた人々は、
意外に早く息を吹き返した。
次ぎの日には、もう仮りの住居を造る
金槌の音が、町の方々で聞え出した。
私の家でも、始めは余震の合間に、
女中が恐る恐る家の中へ入って、
必要品を取り出して来ては、
戸外の生活をつづけていたのであったが、
幾日かして馴染の大工が来て、
庭に杭を打ち込み、電信柱ほどの大丸太を
それにあてがって、傾いた軒の支柱にして
くれたので、一面の壁土を掃き出し、
畳や柱に雑巾がけをして、
一同屋根の下へ帰って行った。・・・」
(全集16・p238)

もう少し、引用したい箇所があります。
次のブログで(笑)。
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鎌倉の大震災。

2015-06-27 | 地震
新潮45・7月号の平山周吉氏の文中に、
小泉信三氏が登場されており、
いろいろ引用本がありました。その中から、
手に入りやすく、気になった、
小泉信三著「国を思う心」と
小泉信三著「ジョオジ五世伝と帝室論」の
二冊を古本で注文。


「国を思う心」の方は、
小泉信三全集16を注文することに、
この16巻には
「国を思う心」「思うこと憶い出すこと」
「私の履歴書」などが入っておりました。


熊谷書店(宮城県仙台市青葉区)
「小泉信三全集 16」
450円+送料350円=800円
函入り。

さっそく、全集16巻を
無造作にひらくと、あれ、
関東大震災の際の記述が出てくる。
ということで、そこを引用。

「鎌倉の家には、多くの執筆の記憶が残っている。
・・・鎌倉では・・寺の太鼓の音をきいた。
私の家の庭の前方に『日朝様』と呼ばれる日蓮宗の
寺の大屋根が聳えていた。日暮れに、その勤めの
大太鼓が鳴り出す。・・

この家で大正十二年の大震災に遭った。
この時のことを私は記録しているので、
詳しく書ける。その朝、妻は少し不快で二階の
一間に横たわり、私は隣りの部屋で机に向っていた。
・・震動が起った。我々はすぐ、ただ事でないと感じた。

地震嫌いの妻を、左腕に抱えて、階段を滑るようにして
降りた。両側の壁が落ちかかって来る。辛うじて
降り切って、僅か八畳の一間を横ぎって、
庭へ飛び出そうとするのに、足を取られて、進めない。
箪笥が両側から倒れかかる。妻はあきらめたか、
そこに蹲まろうとする。それを掴んで持ち上げて、
縁側まで引きずって来た。
『大丈夫、大丈夫』とどなると、
『子供、子供』と叫んで立ち止る。
私は妻を抱えて、庭へ放り出したが、
その時は覚えがない。
ただ一瞬、庭先の地面に、
妻が膝と手を突いた姿を見た。
すぐ引き返して、子供等のいた筈の
女中部屋へ飛び込んだ。子供はいず、
灰色の壁と、針仕事の引き散らしてあったのとが、
ハッキリ目に映った。次の瞬間、
跣足で井戸端へ飛び出していた。
すぐそばの玉蜀黍の畠に、六つになる子供は、
一番年上の女中に抱かれ泣き叫んでいた。
同時に、便所の臭いが鼻を衝いた。
地震で、汚物が流れ出したのである。・・
隣りの空地に新築中であった半成の家屋も、
庭の正面に見えた、関という、土地の旧家の
大きな屋根も、跡形もなくなって、
濛々と土烟りが昇っている。」
(p236~237)

あと半分くらいを、引用したいので、
この次のブログに続く(笑)。



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道中は、軽自動車。

2015-06-26 | 地域
火曜日のお昼から、
木曜日の夜まで、
房総から山形県の酒田まで
軽自動車の旅。

出発する際は、
すぐ近くの踏切の一時停止を怠ったと
パトカーに呼び止められる。
9000円の罰金。うん。私は押し黙る(笑)。
そこからはじまる自動車の旅となりました。
すっかりパソコンとは無縁で、
カーナビとのやりとりとなりました。
とんだ落とし穴があったり。
分岐に分岐が重なる際に、
間違った方角へと出てしまったり。
用事があって出かけたのですが、
自動車での往復を選択、
片道一日がかりの道中となりました。

行きの高速では、
トラック火災があり、渋滞にまきこまれ。
帰りの高速では、
数台まえのトラックの荷台から
搬送あとの、袋ゴミが高速道に
散乱したりと、
まずは、無事帰れてひと安心。

また、このブログを更新してゆきますので、
よろしくお願いします。
コメント (2)
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選挙演説と、中国人の涙。

2015-06-23 | 短文紹介
新潮45・7月号。
そこに、中国の漫画家・辣椒さんと
阿古智子さんの対談があります。

辣椒】 共産党にとってみれば、
人民が無知の方が統治しやすいのです。
中国の学生とネット上でやりとりしても、
あまりに何も知らないので、何だか
こっちが恥かしい気持ちになってしまいます。
・・・彼らは異なる意見を頑として認めようと
しません。中国では、共産党だけでなく、
庶民の間でも互いに他人の意見を認めず、
暴力的になっています。

阿古】 いま中国の採っている『愚民化政策』は
非常に危ういと思います。いざという時、
国民に知識や思考力がないと、大きな悲劇を招く
恐れがある。もっとも日本のような民主主義でも、
有権者の多くが人気取りの政治家に騙されてしまったり
など、同じような危険はあるかもしれませんが。

辣椒】昨年、日本で初めて選挙の演説を見て、
『ああ、これが本当の選挙なのだ』と涙が出てきました。
でも、一緒にいた日本人には私の興奮している理由が
よくわからなかったようです。日本に来て、多くの
日本人は政治に関心がないことがよくわかりました。
・・・・


辣椒(らーじゃお)さんの
新連載の漫画と、この対談は、
鮮明さと正確さでもって、中国を
知らせてくれる力があります。
なにより、日本人の方が、ボカす
(ボカす=ことばをあいまいにして
内容をはっきりと言わない。
『肝心なところを・・・』)。
阿古智子さんの言葉にも、正直に
あらわれておりました。

阿古】 でも日本の中国研究者の間では、
中国政府が気に入らないことを書くと、
入国を拒否されたりするのではと
懸念が広がっています。
私も悩みながら書いています。

うん。悩みながら書いているのを
知って読むのと、字面をそのままに信じるのでは、
けっして、小さな違いではないということ。

この対談、まだ引用したりない(笑)。
まあ、興味ある方は
6月18日に雑誌が発売されて、
書店の店頭にあり、今ならすぐ手にとれる。

うん。日本の選挙を知るには
まず、中国。
急がば回れ。中国経由で、
はやる気持ちをおさえて、
中国人の涙を知るという醍醐味。

日本の知識人は、肝心なところを
ボカす心配があるので要注意。
という、ところでしょうか。

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遠く三田の山に。

2015-06-22 | 前書・後書。
新潮45・7月号の平山周吉。
その「小泉信三の『帝王学』と戦後70年」で
小泉信三の本を読みたくなる。

我が家の未読文庫を覗くと、
ありました(笑)。

講談社学術文庫の
小泉信三著「平生の心がけ」
文庫解説は阿川弘之。


うん。解説の最初と最後とを
引用することに。


最初は、こうはじまります。

「今から三十年以上前、小泉信三先生の
『文芸春秋』に発表される随想を、私は
その都度楽しんで読んだ。立派な文章であり、
胸のすくような小気味よい文章であった。
戦後ジャーナリズムの滔々たる左寄りの風潮に
共鳴出来ず、そのため文壇内外の仲間うちで
私はある種の疎外感を味わわされていたから、
余計そう感じたのかも知れない。
面識も無く、講義講話を直接聞いたことも無いけれど、
遠く三田の山にツヨーイ味方がいてくれる感じで
頼もしかった。
それからしかし、長い年月が経った。日本は
左翼の経済学者や社会学者の予測をことごとく
裏切って、当時想像も出来なかったような
豊かな国になり、人々の暮しに大変化が起り、
私自身は老いて、いつか、昭和二十年代の
小泉先生よりも年上になった。・・・」


解説は10頁ありました。その最後


「ある種の考え方が時流を支配している時、
これと相反する少数意見を公表するには、
世論の袋叩きに会うくらいの覚悟と勇気が
要るのだが、その前提として、まず、
自分の悟性の指し示すところにしたがい、
自分の考えを堅持する勇気が要る。
多くの知識人が、戦時中と裏返しのかたちで、
戦後の時流に押し流され、思考の腰がぐらついた中、
小泉信三先生はそうならなかった数少ない明察果断
の人であった。『解説』の結論を言うとすれば、
これこそ『平生の心がけ』の最大のものだろう
というのが私の意見である。」

とりあえず、ビール。
じゃなかった。とりあえず、
小泉信三の古本を二冊注文(笑)。
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青く澄んだ大空に。

2015-06-21 | 短文紹介
平山周吉著「戦争画リターンズ」で
藤田嗣治作の「ハルハ河畔之戦闘」を
取り上げた箇所があります。

戦後。ノモンハン会の会員のために、
その絵のカラー写真を無償配布することに
なります。そこの箇所に

「この写真版は、レイアウトも原画と違い、
上部の空の部分をカットし、実物よりも横長
になっているという・・・」(p201)

この絵の作成にかんする、
藤田嗣治の文のなかには、

「今描毫中のノモンハン作戦にしても、
この広莫たる、東京から熊本迄も続くと言う
大草原の感じを第一に現わさねばならぬ、
青く澄んだ大空に満蒙独特の白雲まで
すべてが遠距離の感覚を出現せねばならぬ、
一ヶ月余りの野営に不自由を忍んだ将兵の
表情から色あせた軍服の気分は勿論の事
かき現わさねばならぬ。・・」(p191)

クローズアップされる現代では
まずは、カットされるのが空。

さて、「新潮45」7月号に載る
平山周吉氏の文は、こうはじまります。

「『戦後七十年』の夏がやってきた。
日本に平和な時代が七十年続いてきたのは、
考えてみれば、奇跡というしかない。
なにものかに感謝せずにはおれない僥倖である。
・・・・4月9日、ペリリュー島慰霊の映像を
テレビ中継で見てる時だった。
西太平洋戦没者の碑に供花、拝礼された後、
両陛下は静かに海の方へと歩まれた。
紺青の海の向こうに、深々と一礼する。
その先には、もう一つの玉砕の島
アンガウルの穏やかな島影が、くっきりと見えた。」
(p20)

「パラオに詳しい倉田さんにとって驚き
だったのは、お天気が続いたことだった。
『パラオは年間四千ミリも雨が降る赤道
直下なのに、前後一週間はきれいに晴れて。
…』」(p21)

産経と読売と2紙をとっているので、
私は覚えているのですが、
4月10日の新聞一面には、どちらも
「アンガウル島に向かって拝礼される天皇、
皇后両陛下」写真が掲載されておりました。

産経の方が紙面の扱いが大きかったために
写真は大きく縦長長方形で、写真下から、
両陛下が黙礼されている後姿。
その前に海。海の向こうにアンガウル島。
そして、それらを包み込むような空。

読売新聞は、一面の左側に横長の写真。
紙面の都合か、アンガウル島の上の空は
島の輪郭を残して、みごとに空は
カットされておりました。

その日、新聞紙上で、
空のある写真と、空のない写真とを
見くらべておりました。
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溶鉱炉の時間。

2015-06-20 | 短文紹介
平山周吉著「戦争画リターンズ」は
藤田嗣治の戦争画がテーマとなっております。

そこには、画を描く藤田嗣治への記述が
出てきます。

「斎戒沐浴した画伯は毎日十三時間ぶっ通しで
暑気こもるアトリエ内で精進の筆をすすめたと
いう苦心の力作・・・」(p35)

これは、昭和18年8月31日の朝日新聞からの記述。
図版は「アッツ島玉砕」が掲載されています。


「藤田はいつも漫然とはしていない。
ハッチの中で一人縫い針に糸を通して袋物
みたいなものを縫っているか、同船した
兵隊達の顔を描いてやったり、
日の丸の旗に何かを描いてやっていた。

器用な手を動かさずにはいられない、
といった藤田の姿を鶴田(吾郎)は
筆に留めている。」(p215)

これは南方派遣画家としての様子。

藤田の文として紹介されている箇所には

「近頃はすっかり陸海空軍の戦闘画に没頭して
私は昼夜の境もなく戦闘画の新門に全力の真剣さと
無味を感じて一年生からの入門をしている。
『理屈ぬきで、やっぱり沢山描かなければ、』
『何んでも描きこなせる様にならねば、』
『何んでも知ってなければ、』ならぬと言う事に
結局は落着して、今迄と異った研究と修養に
寸暇も無い忙しさである。
一枚の戦闘画を描くとしても、大変な用意が必要だ。
現地も見たい、実戦談も聞きたい、調査しなければ
ならぬ、材料を蒐集せねばならぬ、
写生をしなければならぬ、
権威ある識者の指導批判を受けねばならぬ、
ただ画家一人の力では何にも出来ぬ、
酷評を甘んじて訂正を何度も繰り返さねばならぬ、
・・・・・・・
一枚より更に一枚に自信と経験が織り込まれて
行くためには余計にかかねばならぬ、
何でも知って居て自由にかけなくてはならぬ、
写生の正確、描写表現の確実は勿論の事ながら、
・・・画中の人となって画いて居らねばならぬ。
・・今描毫中のノモンハン作戦にしても、
この広莫たる、東京から熊本迄も続くと言う
大草原の感じを第一に現わさねばならぬ、
青く澄んだ大空に満蒙独特の白雲まで
すべてが遠距離の感覚を出現せねばならぬ、
一ヶ月余りの野営に不自由を忍んだ将兵の
表情から色あせた軍服の気分は勿論の事
かき現さねばならぬ。
何日になったら始めよう、
出来るだろうと言う事よりも、
一日も早く作画にとりかかり
印象の消えぬ内にかかねばならぬと言う
私の初念通り私は何日も他の作家よりも
早くかき出して早く終了して居る。
何う考えてもこう言う画は常々の研究を
おこたらず、直ちにやるべきものだと
自信して居る。・・」(p190~191)



藤田氏のコレクター平野政吉の文には

「先生は毎日十二時間は、必ず絵筆を執られた。
何かの邪魔が入って、日課が壊された日は、
睡眠時間を四時間程に節約されても、
とにかく十二時間勉強は実行されていた。
あの逞しい意志と努力があってこそ、
天才も始めて大きく幅広くなれるのであろう。」
(p235)


平山周吉著「戦争画リターンズ」の前半は
この絵画がテーマとして動いてゆきます。


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梅雨空。月刊3冊。

2015-06-19 | 好き嫌い
先月は、月刊雑誌「新潮45」「WILL」「正論」と
3冊つづけて楽しめました。
今月は、この3冊への期待感がふくらんで
このまま、梅雨を、やり過ごす(笑)。
ちなみに、正論は毎月1日発売ですが、
わたしは、新潮45→WILL→正論の順になる(笑)。


梅雨の一番手、18日発売の「新潮45」。
ひらくと、
平山周吉の文が18頁。
副題に「小泉信三の『帝王学』と戦後70年」とある。
平山周吉著「戦争画リターンズ」を読んだばかりで、
私は、ワクワクしながら読みました。

そういえば、
草森紳一氏は、慶応大学出身。
平山周吉氏も、慶応大学出身。
この18頁の中に登場する
小泉信三・福沢諭吉を書く手腕は、
資料の厚みで、細部がキラリ(笑)。



さてっと、今月号の「新潮45」は、
漫画の新連載が目をひきます。

「中国亡命漫画家」辣椒(らーじゃお)。
無駄をはぶいた余白の緊張感。
その漫画は8頁。
前のページでは、その漫画家との対談も
掲載されており、注目の新連載スタート。

あれ。竹村公太郎氏も新連載です。
「ニッポン地形歴史学」。その一回目は
「日本文明はなぜ奈良盆地で誕生したのか」。
6頁で写真が3枚。

書評欄では
佐久間文子(文芸ジャーナリスト)が
目黒考二著「昭和残影 父のこと」(KADOKAWA)
を取り上げておりました。


つぎの「WILL」が届くまでの間、
「新潮45」の未読箇所を、パラパラひらき、
シトシト・ジトジトを、やり過ごす爽快感。
梅雨空に、三冊を読みつぐ贅沢感。

うん。ビールの回数は減らそう(笑)。
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なんでも「自衛隊のリスク」鑑定。

2015-06-18 | 道しるべ
産経新聞6月17日の連載
「湯浅博の世界読解」が意義深い。
国会の審議を冷静に鑑定しておられる。
ところで、
テレビ「なんでも鑑定団」で、
本物よりも興味深く感じられるのは、
贋物を本物と信じて疑わない面々が
そのつど登場し、あるいは、
贋物と本物と判断に迷う方々が登場し、
鑑定を依頼しているのでした。
本物には、感動をもってし、
贋物には、贋物たるポイントを指摘する
鑑定士は、歯切れがいい(笑)。

国会審議を見ていると、
真偽のポイントの指摘はままならず、
とっさの真偽を、実証するのは難しい。
どなたかに真偽の鑑定を依頼したくなります。
この湯浅氏の連載で、その依頼した
鑑定結果を、示されたような気がします(笑)。

ということで、前後を端折って引用。

「・・安保法制を転換させる国会審議は、
初めから妙な風向きであった。
民主党の岡田克也代表がいきなり
安保関連法案によって『自衛隊のリスク』が
増えるか否かを安倍晋三首相に認めさせようと
した。中国の台頭によって『国民のリスク』を
どう減らすかを議論すべきなのに、
『自衛隊のリスク』にすり替えた。
これでは本末転倒である。
彼らが一般人より自衛隊員を心配しているとは
思えないから、『リスク増』を印象づけたのだろう。」


「むしろ今は、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を狙う
中国の出方から、米国のオバマ政権の方に
『巻き込まれたくない症候群』が頭をもたげる。
米国の相対的な衰退と中国の軍事的な台頭が
引き金である。・・・
日本外交はいまや、中国の膨張主義を食い止める
国家戦略を抜きには考えられなくなった。
東シナ海と南シナ海の大半を領海と主張し、
国際法を無視して『力による現状変更』を
強行しているからである。
5月末発表の中国国防白書は・・・・
多くの虚偽に満ちていることに気づくだろう。
『中国は覇権や拡張を求めない』といいながら
岩礁に軍事基地をつくり、
『宇宙の武装化と軍備競争に反対』といいながら
衛星破壊実験でゴミをまき散らす。
『核軍拡競争には入らない』といいながら
核保有国の中で唯一中国だけが核軍拡を
行なっているのが実態である。
にもかかわらず、国会審議では
『憲法違反の戦争法案』が焦点となり、
政府が防戦に追われる始末だ。・・・
この『戦争法案』に反対する集会が
東京都内で開催されると、
中国外務省の陸慷報道官は15日、
参加者を賛美した。そのうえで報道官は、
参加者が日本政府の安保政策動向に
『高い警戒を維持し、平和憲法の
固守を要求しているのは理解できる』と、
・・・」


本物以外は、すべて贋作の世界というのが
骨董の通り相場らしいのですが、すり替えて、
贋作を売るのは、いつの世にもおり、
贋作を買うのは、いつの世にもいる。

ということで、

「『国民のリスク』をどう減らすかを議論すべきなのに、
『自衛隊のリスク』にすり替えた。これでは本末転倒である。
彼らが一般人より自衛隊員を心配しているとは思えない・・」

う~ん。議論のポイントは、
このあたりでしょうか。
贋作にお墨付きを授けるマスコミには
毎度、事欠かないわけですが、
多数決のご時世こそ、
せめて、マスコミのオウム返しと
なるような怠慢はしないことに。
ここで、情報の選択が出来るかが個性。
その個性を出せるかが、まさに今。

時代は、鑑定士を求め。
少数で、決め手になる鑑定士の
言葉を、読みたい。
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そこに長い間気付けなかった。

2015-06-16 | 本棚並べ
草森紳一で、
私がパラパラと読んだのは二冊だけ。

それではと
草森紳一著「随筆 本が崩れる」(文春新書)
草森紳一著「記憶のちぎれ雲」(本の雑誌社)
をもってくる。


文春新書をひらくと
こんな箇所。

「資料調べは、
それ自体が、書くこと以上に楽しい。
が、しばしば役に立つかどうかも
わからぬ資料の入手のため、
たえず破産寸前に追いこまれる。」
(p34)

「お孫さんの副島種経氏にお逢いした時、
伝記をやると、破産しますよと心配そうに
仰言られた。」(p37)

部屋に積まれた本を撮ったり、
草森氏本人の貴重な写真があったりで、
それだけでも、新書を楽しめるのですが、
部屋についてなら、これかな

「本なら、十年かかっても読み切れぬほど、
脱衣室に険しい山を作っている。」(p49)

「ここ十年、家の中では蟹の横這いである。
蟹ではないわけであるから、どうしたって
そんな歩きかたには無理がある。また
本一冊とりだすのにも、不自然な姿勢を
とらざるをえない。腰痛は、この無理な
姿勢から来ていると睨んでいた。
『資料もの』の仕事が多かったので、
その楽しさの落し前をとられただけの話で、
なにも『本たち』が悪いわけでありえない。」
(p72)


「記憶のちぎれ雲」は
副題が「我が半自伝」。
装幀・各章扉は和田誠。
表紙の絵は、
青空をバックに
右手でタバコを口にする草森氏。
空にはちぎれ雲。

跋は山口隆(サンボマスター)
そこからも引用。

「草森さんの新しさは、
例えば化学薬品の開発のような
何かと何かを掛け合わせて生み出す
発明のようなものではない。

それは、もともと時代や人間個人の
本性として在り続けていて、だけど
僕らがそこに長い間気付けなかったり、
上手く言いたくても言えなかった部分、
正にそいつを時間軸と空間軸を自由に
使いこなして僕らに新しい
価値観として発見させてくれる。
そういう新しさなのだ。」(p443)


うん。
平山周吉著「戦争画リターンズ」の
読後感は、山口隆さんの、この跋の
言葉と、まさに、見事に重なります。
なんてことを、
草森紳一氏の本を読んでもいない
私は思うのでした(笑)。
ということで、これを機縁に
草森紳一氏の本に、
すんなりと触手が伸びますように。
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えいや、とフンギリをつけて。

2015-06-15 | 本棚並べ
平山周吉著「戦争画リターンズ」(芸術新聞社)。
副題は「藤田嗣治とアッツ島の花々」。
うん。読了する(笑)。

読了後に読む「あとがき」は
また、ちがった味わいがありますね。
たとえば、こんな箇所。

「連載では、草森紳一流の奔放な雑文スタイルを
意識して真似てみたが、似ても似つかぬものになった。
・・・取り柄といえば、草森流にあやかって、
『アッツ島玉砕』に少しでも関わりそうなもの、
何でもかんでも手当り次第に積み上げたことだった。
美術書でもなく、歴史書でもなく、でも、
そのどちらでもあるという、鵺(ぬえ)のような本になった。
分類しようもないし、それでいい、というしかない。」

「連載は月二回の更新というペースだった。
時々さぼりながらで、遅々として進まなかったが、
その間の道草は楽しかった。・・・・
昨秋、相澤さんから来春に本を出しましょうと迫られ、
えいや、とフンギリをつけて、第27回の三島由紀夫から
最後の第48回までは、今年の一月に一気に集中して書く
ハメになった。よく短期間で書けたと思う。
綱渡りだった(したがって第33回以降は書下しである)。」


ここにあるように、
前半は地ならしのような感じですが、
後半になって絵画が3Dになってゆくような
不思議な細部の重量感をもって
(それは、戦争画とか、歴史観とかの
全体を覆う圧迫感とはまるで異なって)
読者の私は、惹き込まれてゆきました。

うん。それが何であったのか。
それを知るべく、しばらくは、
机脇に置いておくことに(笑)。

さてっと、
あとがきの最後を引用。

「今年は日仏合作の映画『FOUJITA』(フジタ)が
公開されると、つい最近知った。小栗康平脚本・監督、
フジタをオダギリジョーが、君代夫人を中谷美紀が
演じるという。藤田の戦争画時代も描かれ、海外でも
藤田の戦争画が知られるきっかけになることだろう。
  平成27年2月23日    平山周吉  」
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