和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

言論(意見)を売る職業。

2023-12-25 | 朝日新聞
扇谷正造著「夜郎自大 現代新聞批判」(TBSブリタニカ・1982)。
この本を持ち出したので、この機会にパラリとひらいた箇所を引用。

「『知る権利』ということが、戦後しばしば、
  ジャーナリストの間から高唱されている。

  いったい、だれの権利なのか?いうまでもなく、
  それは読者の、あるいは国民の権利であって、

  ジャーナリストは、単にそれを委任されているに過ぎない。
  ここのところが、どうも若い記者諸君にはよくのみこめていないようである。

  ・・・・・・・
  朝日の初代論説主幹は池辺三山といい・・・
  その主幹就任の弁に≪言職(げんしょく)≫
  ということばがでてくる。くだいていうと、それは

 『 自分たちの職業は、いわば言論(意見)を売る職業である。
   それは八百屋さんが野菜を売り、魚屋さんが魚を売るのと
   何等かわりはない。自分たちの書いたものが、

   八百屋さんの野菜、魚屋さんの魚のように、
   読者の生活の資として、何がしかの糧となれば、
   自分の喜び、これに過ぎるものはない 』

  と記している。言辞きわめて謙虚である。
  しかも、ズシリ、重たい。   」(p33~34)

このあとに、扇谷さんは、さらに嚙み砕いて語っています。

「 ・・三山のいわんとしていることは
 『 ミのあるニュース 』『 ミのある言論の提供 』
  ということなのであろう。

  そのニュースを読んで、読者は疑問なり、好奇心が満たされた、
  あるいは、その言説を読んでハッと目をひらかれたという思い
  を抱かせよ、ということをいっているのである。

  野菜を食べた、ああおいしかった。魚をたべた、ああ満足した。
  市民は、この場合、その一つ一つを自分の体験として実感する
  ことができる。しかし、ニュースは、通常、市民には一方的に
  与えられるだけで、はたして、それがどこまで事実か、あるいは
  その考え方が妥当であるかどうかはたしかめることができない。

  ・・・・それを伝える新聞記者も、実は、
  官庁なり警察なりからのまた聞きを記しているにすぎない。 」(p34)


歳末で読めなくてもいいや。と数冊の扇谷正造の古本を注文することに。
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20年以上前のはなし。

2020-12-30 | 朝日新聞
雑誌WILL2021年2月号。
そこの櫻井よしこさん。

櫻井】隔世の感を禁じ得ません。
私は20年以上前、講演で『慰安婦は強制連行ではない』と
発言して糾弾されました。

今ほど慰安婦のウソに気づいている人たちが少なかったので、
当時はすさまじいバッシングの嵐に晒された。
仕事場には大量の抗議の手紙が届き、
紙がなくなるまでFAXが送りつけられ、
抗議の電話は鳴りやみませんでした。
なかでも目立っていたのが、北海道発の抗議です。
主として北海道教職員組合から、ほぼ同じ文言の
抗議が届いたのを覚えています。(p43)

阿比留瑠比(産経新聞論説委員)と櫻井さんの対談は、
題して『晴らされた濡れ衣』。

阿比留】 2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦報道について
検証記事を載せ、9月には本社で記者会見を開き、当時の
木村伊量(ただかず)社長らが吉田証言をめぐる一連の
慰安婦報道の誤りについて謝罪した。ただ、植村氏の
記事に関しては『事実のねじ曲げなどはない』と強弁していました。


対談のはじまりには、編集部からとして、植村隆記者が
「『慰安婦記事を捏造した』等の指摘で名誉を傷つけられたとした、
として櫻井氏と小社(WILL)および・・・総額1650万円の損害賠償
と謝罪記事の掲載を求める訴訟を提起した。」
その訴訟の経緯を短くまとめておりました。

「2018年11月、札幌地裁は櫻井氏の記事は
『植村氏が意図的に虚偽の事実を報道したとの印象を与えるから
原告(植村氏)の社会的評価を低下させるものであるが、
当該記述には、真実性・真実相当性が認められ』るとして、
植村氏の請求を棄却。

植村氏は地裁の判決を不服として控訴したが、
2020年に札幌高裁は一審判決を支持し、
『その摘示された事実又は意見ないし論評の前提と
されている事実が真実であると証明されているか、
真実と信じることについて相当な理由があると認められ』る
として、植村氏の控訴を棄却した。

そして2020年11月、最高裁は
植村氏の上告を退ける決定を下した。

これにより、請求を棄却した、一、二審判決が確定。
5年以上にわたる法廷闘争は、
櫻井氏の勝訴、植村氏の敗訴に終わった。」(p30~31)

うん。この箇所も引用しておきます。

櫻井】 ・・・・
朝日新聞は2014年、福島第一原発事故に関する
『吉田調書』についても『所長命令に違反、所員の9割が撤退』
などと事実に基づかない大記事を書いた。

記事の間違いを指摘する産経新聞や門田隆将さんに対して、
『謝罪や訂正をしなければ法的措置を視野に入れる』といった
主旨の抗議書を次々に送りつけました。

結局、朝日は誤報を認めて・・・・(p36)

さて、今年2020年の最高裁の棄却判決のあとに

櫻井】 最高裁判決を報じる産経の記事を、
安倍前首相がフェイスブックでシェアして、
『植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね』
とコメントしました。
すると植村氏側は、安倍前首相に投稿を削除するよう抗議の文書を送り、
『誠意ある対応をお執り頂けない場合には法的措置を執らせて頂く』
と迫った。(p36~37)


はい。WILL2月号には、櫻井よしこさんの
20年来の重みが集約されて語られております。





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人生の体験だった。

2020-04-15 | 朝日新聞
「竹山道雄著作集」の最終第8巻・古都遍歴。
その月報に、竹山道雄ご自身による「あとがきにかえて」
が書かれておりました。今回初めて読みました。
そこから引用。

「・・・・私の働きざかりの年頃はたまたま世界の大変動期だった。
私にとっては戦中戦後は人生の体験だった。

そのさまざまな現象を考えてゆくと、
いつもある異様な謎にゆきあたった。
それは世界に対する人間の対世界認識の仕方ということである。
この人間の認識について、今はだいたい次のように考える。
ーー人間の認識は欲求によって左右される。
かくあってほしいということがかくあると信じられ、
自分にとって具合のわるいことはあたかも存在しないかのごとくである。
・・・・・・」

こうして、月報にして3頁の文のしめくくりはというと

「・・・・思うに、われわれはこの変転きわまりない
現代世界に生きている以上、大切なことは、
自分はいかなる状況の中にあるかを明らめ、
その中で人間として正しく生きるべくいかに決断するか、
ということである。自分はどちらにつくかという態度を、
狂信にはよらずにきめることである。・・・・」

読んでいて、私に思い浮かんだのは
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)の
「『声』欄について」という2頁ほどの文でした。
うん。短いので全文引用しておきます。

「自由主義を守ろうとする竹山は『朝日(新聞)』紙上で
『危険な思想家』としてマークされた。

1968(昭和43)年、空母エンタープライズの佐世保寄港について
意見を求められた識者の中で竹山1人が賛成、
他の4人は反対と社会面に出た。

『原子力空母寄港賛成論を朝日紙上で語られた竹山道雄氏、
あなたはあの美しい『ビルマの竪琴』を書いた竹山さんでしょうか。
実に不思議な気がします』といった調子の感情的非難が殺到し、
竹山に答えを求める投書が次々と『声』欄に掲載された。

当時投書した人で存命の方も多いと思うが、今では
米国の原子力空母が横須賀に寄港しても反対の投書は
必ずしもするまい。・・・・・その論争も分析するに値するが、
ここで問題としたいのは竹山を狙い撃ちした『朝日新聞』
投書欄のアンフェアな操作についてである。

・・・問題なのは次の点である。
竹山が2月4日『感情論で解決できぬ』と答えた後も
『ビルマの竪琴論争』なるものは長く続いた。4月14日、
竹山は投書に答えた後『なお、多くの方々からのお尋ねに
一々返事をして、言論ゲリラのために奔命に疲れてはなりませんから、
それはしないつもりです』とつけ加えた。これに対して4月19日に
『許されるのか独立運動圧殺』と『対話の継続を望む』(鈴木氏)と
いう投書があり、竹山がさらに投書欄で答えることを求めた。

これに対して竹山はその日のうちに投書し返事は
常に問と同じ長さに書いた。—――

『私は対話を断わったことはありません。
また鈴木さんを〈言語ゲリラとあしらった〉こともありません。
ただ同欄の(許されるのか独立運動圧殺)という投書などは
あまりにも幼稚な意見で、これに短文で答えることはできません。

前に〈無学な田舎のかあちゃんにも分る言葉で〉説明せよと要求した
投書は、はたしてそういう人が自発的に書いたものかと疑いました。

週刊誌で根拠も示さない煽情的な匿名記事もありましたが、
このような不見識なことも行われているのですから仕方がありません。
ゲリラとはそういう類のことを指しました。事実に即して
論理を正したお説を教わりたいと願います』。


だがこの竹山のこの返事は『声』欄には採用されず、没書となった。
したがって竹山が『独立運動の圧殺』にも顧慮せず対話を断わった
という形で『論争』は終止符を打たれた。

これはフェアではない。
土俵に上げてくれない以上『声』欄に答えることはできない。
投書欄は係の方寸でどのようにでも選択される。

それが覆面をして隠れ蓑をきて行われるのだからどうしようもない。
日本における言論の自由とはこの程度だということを
世間はもっと自覚すべきであろう。」(p321~322)

このあとp324の【注】の形で、経緯をくわしく書かれておられます。
その【注】からも引用。

「竹山がミニコミ紙に書いた『「声」欄について』を読んで憤慨した
徳岡孝夫氏は『竹山論文をボツにした朝日新聞』を『諸君!』
昭和60年9月号で話題とした。すると10月号で『朝日』の
上野春夫「声」編集長が、担当者が自分の判断で投書を
選択するのはどの新聞雑誌でも同じだと弁明し・・・・」

これについては、
講談社学術文庫の竹山道雄著「主役としての近代」と
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」が参考となります。

竹山道雄氏は1968(昭和42)年に
ひとりご自分の意見を述べ、声欄での投書でも
問と同じ長さの言葉で答えておられたわけです。

竹山氏の体験から、52年が経ちました。
朝日新聞という「異様な謎」は、現在
2020年では、解き明かされたでしょうか。



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情報戦。朝日新聞の選択。

2018-10-05 | 朝日新聞
正論11月号。
気になったのは山岡鉄秀氏の文。

そこからの引用。

「朝日新聞は1997年の慰安婦報道検証時には
『広義の強制はあった』などと主張し、
吉田清治関連の記事については真偽は定かではないと
しながらも撤回せず、
2014年8月になってやっと全面的に誤報を認めて
関連記事18本を撤回した。
それでも当初は木村伊量社長の意向で謝罪せず、
その後、福島第一原発の吉田所長証言や
池上彰氏のコラムを巡る不祥事が重なってついに
謝罪と木村社長の引責辞任に追い込まれた。
そして、朝日新聞が自ら組織した第三者委員会の批評を受け、
様々な改革案を発表した。しかし、朝日新聞は
それで悔い改めることはなく、
英語版で徹底的な印象操作を続けている。

英語記事で慰安婦(comfort women)という言葉を使うと、
その後必ず自動的に
『who were forcend to provide sex japanese soldiers
(日本兵に性行為を強要された)』と続ける。
複数のバリエーションがあるが、・・多用されるのが
『慰安婦の多くは日本の植民地だった朝鮮半島の出身だった』
と続けるパターンだ。
これを英語話者が読めば、
『日本軍が植民地から多くの女性を狩り出して
慰安婦にして性行為を強要した、その大多数は朝鮮人だった』
と読めてしまう。

これはまさしく狭義の強制だ。
とんでもない背信行為であり、
日本国と日本人に対する攻撃なのだが、
英語に疎い日本人には
なかなかピントこない。」(p270~271)


こうはじまりながら、
朝日新聞側の対応を逐一、正確を期しながら、
つづっておられます。
8頁に及ぶ文の最後は

「朝日新聞は『国民の敵』となる
ことを選択するのだろうか。」(p277)


ちなみに、正論11月号には興味深い対談
(現代史家・秦郁彦 × ジェイソン・モーガン)。

始まりは紹介の言葉でした。

「このたび秦郁彦さんの『慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999)
と『慰安婦問題の決算』(PHP研究所、2016)を組み合わせた
英訳本が米国の出版社から刊行されました。・・・』

著者とその翻訳者との対談。
やっと出た英訳本の出版記念対談のようです。

秦氏は語っています。

「吉見義明さん(中央大学名誉教授)の
『従軍慰安婦』(岩波新書)が2000年に英訳されていますが、
彼は慰安婦問題について左翼陣営のリーダー格で、
英訳書の副題は『日本軍の性奴隷』です。」(p144~145)


うん。ここだけは引用しておきます。

「―――たしかに、日本では左翼的な人たちも、
秦さんの研究を参照しているように思われます。

秦】 確かにそうですが、
彼らは取捨選択をして都合の悪い事実は
見てはいても使わない傾向があります。
実は日中戦争期に日本人の慰安婦のほうが
朝鮮人慰安婦より多かったという外務省の
詳しい統計があるのですが、これは
『朝鮮人慰安婦が一番、多かった』ことを
前提としている人たちにとって都合の悪い話なので、
彼らは読んでいてもその部分は使いません。

モーガン】 日本で研究をされている方は、
事実に基づいて研究を進めて全体像を明らかにして、
それを発信すればいいと考えていますが、
外国の学界はそうではなく、とりわけ中国では
事実と関係なく自分の言いたいことを言うだけ
という傾向があります。
海外の学界では、都合の悪い事実は無視することが
当然のようになってきています。
神話というかプロパガンダから研究が始まっていて、
そこで都合の悪い事実は無視されるのです。
それが、情報戦の戦い方になっています。
・・・」(p146~147)

「 モーガン】 米国では先日、大きなニュースがありました。
カリフォルニア州選出の民主党女性上院議員の元補佐官が
5年ほど前に解雇されたのですが、その人が実は20年にわたって
中国のスパイとして彼女の側にいたことが判明したのです。
その元補佐官の次の就職先は何と、
米サンフランシスコに慰安婦像を立てるのを煽っている
中国系の団体でした。これを見ると、なぜサンフランシスコに
慰安婦像ができたのかが分かります。
ナジョナリズムというよりは政治的、
あるいは金銭的な理由ですね。
カリフォルニア州には中国系、韓国系の人が多く。
政治家は当選するためには彼らの票が必要になります。
米国では政治と人種とお金が複雑にからみ合っているのです。」
(p147~148)

p152まで対談は続きます。
全文引用できなくて残念。
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朝日新聞の「非生産」力。

2018-09-03 | 朝日新聞
私など、テレビのニュースを見ていると、つい、
画面に向かってツッコミを入れてたりします(笑)。

ツッコミといえば、月刊雑誌「正論」の
「メディア裏通信簿」という連載が健在。
取り上げているテーマがタイムリーなんです。
10月号では

「自民党・衆議院議員の杉田水脈が『新潮45』8月号で
LGBTについて・・・書いて、メディアが問題にして
いたが、杉田バッシングはちょっとやり過ぎじゃないか。」

と話し合いがはじまっておりました。


そういえば、『新潮45』8月号の特集は
「日本を不幸にする『朝日新聞』」です。

はい。何となくわかります。
この『新潮45』8月号は朝日新聞の広告から
はずされただろう。
そして、そこに掲載された杉田水脈氏の文に
難癖をつけるというメディアの手順。

その裏通信簿にはNHKも登場しており、
引用しておきます。

「8月3日のNHKニュースウォッチ9はもっと、
ひどくて、杉田がまるで、不出来な人間はいらない
という優生思想の持ち主かのように報じていた。
・・・・キャスターの桑子真帆が
『浅はかとも言える言葉に反発や嫌悪感を
覚えた人は少なくないのではないでしょうか』、
有馬嘉男も
『一人一人の価値を数字ではかるような考え方、
受け入れることはできません』と同調するだけ、
政治的中立のかけらもなかったぜ。」
(p327)

う~ん。子供や若い人が本を読まないのは
別に叱ることでもなくって、それより
ニュースキャスターが本を読まない。
ブラタモリの頃の桑子真帆さんなら、
タモリがやんわりと苦言を呈することもできたのに、
ニュースウォッチ9じゃ、そうもいかない。
素直に台本どおりなら、悩まない。
けれども、聞かされる方としては、悩ましい。
桑子真帆も有馬嘉男も、
どちらも『新潮45』8月号の
杉田水脈氏の文を読んでいないだろうね。

忙しくって、読めないというなら、
『新潮45』8月号の杉田水脈氏の文のはじまりだけでも
ここに、引用しておきますので、せめて、
このブログ読者だけでも読んでもらえたら(笑)。

「この1年間で『LGBT』(L=レズビアン、
G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)
がどれだけ報道されてきたのか。
新聞検索で調べてみますと、
朝日新聞が260件、
読売新聞が159件、
毎日新聞が300件、
産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。
・・おおよその傾向が分かるのではないでしょうか。

朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは
『LGBT』の権利を認め、
彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、
違和感を覚えざるをえません。
発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。

・・・そもそも日本には、
同性愛の人たちに対して『非国民!』という風潮はありません。
一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、
同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。
時には迫害され、命に関わるようなこともありました。
それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、
そのような迫害の歴史はありませんでした。・・

どうしても日本のメディアは、
欧米がこうしいるから日本も見習うべきだ、
という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、
そもそも社会構造が違うのです。

LGBTの当事者の方たちから聞いた話によれば、
生きづらさという観点でいえば、
社会的な差別云々というよりも、
自分たちの親が理解してくれないことのほうが
つらいと言います。・・・・

リベラルなメディアは『生きづらさ』を社会制度のせいにして、
その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、
理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけ
させることが教育の目的のはず。
『生きづらさ』を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。
しかし、行政が動くということは税金を使うということです。」
(~P58)

ここから『生産性』の言葉が登場する箇所となり、
メディアが囃し立て、この雑誌4ページほどの文を
読んではいないだろうニュースキャスターが、
メディアの囃し立てに乗ったコメントをする。


でも、聞かされる方としては、
ついつい、テレビに向かって語りかける。
おいおい、杉田水脈の文は読んだのかい。

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朝日新聞は諦めていません。

2018-08-26 | 朝日新聞
Hanada10月号の
K・ギルバート。山岡鉄秀。櫻井よしこ。
この3人の鼎談を引用することに。
題して
「反省なき朝日新聞 今も英文では『慰安婦強制』と」。

はじまりは櫻井さんでした。

「朝日新聞は四年前の2014年8月、吉田清治氏に関する報道を
『虚偽であった』とし、取り消しました。四ページも紙面を割いて
検証していましたが、一方で朝日の本質はいまも全く変わっていません。
朝日新聞は英語報道で、あたかも慰安婦は『性行為を強制された』、
性奴隷であるかのような印象を抱かせる表現を使う報道を、
いまも続けています。」

はい。鼎談の3人の写真が載っています。

真ん中はカットして、最後の方をすこし引用
ケント・ギルバートさんの指摘です。

「たとえばジャパンタイムズは、オーナーが代わったことで
慰安婦報道にも変化が出ました。
ジャパンタイムズは、2016年の時点では
『第二次世界大戦前、および大戦中に日本の軍隊に
強制的に性行為を行わされた女性たちのことを
【性奴隷】と表現するのが妥当だというのが
ジャパンタイムズの方針である』と明言していました。

これに対しては、心ある日本の方々が抗議を申し入れる
などしていましたが、全く改まらなかった。ところが、
昨年六月下旬頃に売却されてオーナーが代わってからは、
自虐的な記事が極端に減り、慰安婦についての報道も
ほとんどなくなりました。だからいまは、
誤った英語報道の発信源は朝日新聞の英字報道だと見ていいでしょう。」
(p302)

つづいて山岡氏は、語ります。

「たとえばロイターが書いた慰安婦記事を、
朝日が配信する際、そのロイターの記事には
朝日とほぼ同じ表現が出てくる。
つまり、朝日が【forced to provide sex】
という表現を使い続ければ、それを読んで
慰安婦に関する記事を英語で書く別の媒体の記者も、
同じ表現を定型文のように使ってしまう。
だからこそ、元を絶たなければならないのです。

もはや国内の議論では、2014年に決着がついた。
しかし、朝日新聞は諦めていません。
・・・」
(p303)
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非常に巧妙な印象操作の技術。

2018-07-30 | 朝日新聞
雑誌「正論」9月号届く。
気になっていたので、
「ケント・ギルバート朝日新聞へ【抗議】訪問記」
(p169~175)をさっそくひらく。
こちらは、まだ朝日新聞からの回答が届く前に書かれたものでした。

さてっと、ここには、ケント・ギルバートと山岡鉄秀氏の
二人の連名で文が書かれていたのでした。
その文の山岡鉄秀氏が書かれた箇所を
今回は引用してみます。

「申し入れの際に、朝日新聞側には
『間違った報道によって一大国の国益が
これほど損なわれたことは、ほとんど例がないでしょう』
と申し上げました。それだけ重大な問題であることを、
朝日新聞社には理解してほしいのです。
朝日新聞は後になって、吉田清治の証言について
間違いだったことを国内では認めました(謝罪はしていませんが)。
しかし海外に対しては何もしていません。
ニューヨークタイムズやワシントンポスト、
朝鮮日報なども皆、朝日新聞の報道を引用していたわけで、
本来なら各新聞に『あの報道は間違いでした』と
朝日のお金で謝罪の1面広告を出すべきではないのか、
と伝えました。
forced to provide sex というのは、
ネイティブスピーカーからすると、非常にずるい表現だと言えます。
典型的な印象操作です。
この表現だと『誰に』性行為を強要されたのか、
『どこで』『対価の有無』も分かりません。
しかし、この表現に接した読者は
『強制連行があった、性奴隷だった』などという朝日のかつての
間違った記事を様々なメディアを介して読んでいますから、
自動的に強制連行や性奴隷を連想するわけです。
あのような表現をすると、どうしてもそうなってしまう。
これは非常に巧妙な印象操作の技術だといえます。・・」

朝日新聞が手中に持つ『非常に巧妙な印象操作の技術』が、
朝日の購読者に、どんな広範な汚染を振りまいているのか?
それを朝日新聞の購読者に聞いても、分からないでしょう。

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不幸にする新聞。

2018-07-21 | 朝日新聞
月刊雑誌「新潮45」8月号が出ておりました。
特集は「日本を不幸にする『朝日新聞』」。

う~ん。朝日新聞の雑誌広告には
この特集の題名は黒塗りなのかなあ。
以前は、その確認のために、その日の
朝日新聞を捜してひらいておりました。
今では、そんな確認しなくなりました。

特集の最初は、上條昌史(ノンフィクションライター)
の「放射能不安を煽って生れた福島『甲状腺がん災害』」。

11頁です。これだけを読めば十分。
立ち読みでも、読破できますよ(笑)。

そこから、すこし引用。

「いま福島で議論され、危惧されているのは
『過剰診断』による子どもの健康被害である。
それは甲状腺がんの特殊性に起因する。」

「朝日新聞は、こうした動きを福島版では伝えている。
だが全国版では相変わらず・・危機感を掻き立てている。
さらに読者からの『声』欄では、検査の縮小を危惧する
投書を積極的に取り上げている。・・・
『声』は記事や社説ではないが、掲載にあたっては
内容の取捨選択が行われるわけで、朝日新聞の『主張』で
あることには変わりない。ちなみにこうした
【原発事故=甲状腺がん】を訴える投書の掲載数は、
他紙に比べて圧倒的に同紙が多い。・・・」


過剰診断については、この文から一部だけ引用。

「それを裏付けるデータは韓国にもある。
韓国では2000年頃に超音波によるスクリーニング検査が
導入され、従来の15倍もの甲状腺がんが見つかり、
手術数も急増した。ところが、早期診断・早期治療を
したにもかかわらず、いまに至るまで甲状腺がんの
死亡率は変わらない。つまりは過剰診断だったと言える。

高野(徹)氏はこう指摘する。

『がんの問題を議論すると、必ず
【早期診断・早期治療のどこが悪いのか】という話が出ます。
しかし、若年型甲状腺がんは早期診断・早期治療をしては
いけないことが人類史上初めて証明されたがんなのです』

本来、手術の必要のない若年者の甲状腺がんを見つけて
手術をしてしまった場合、どのような弊害が起きるのか。
まず、一定の割合で手術の合併症で声がかすれたり、
血中のカルシウムや甲状腺ホルモンが低下する。
また、甲状腺を摘出した場合は、甲状腺ホルモン剤の
服用が必要になる。再発も起こりうるので長期にわたる
通院を余儀なくされる。・・・・
とくに甲状腺がんは、超音波でしか見つからないような
小さながんでも、頸部リンパ節へ転移するケースが多い。
だが、たとえ転移していても、ほとんどが途中で成長を止め、
一生悪さをせずに終わるという。高野氏は言う。

『私の診ている子どもの患者でも、来院時にすでに
遠隔転移や再発をしている例がありますが、
放射線治療などをしつつ経過を見ていると、
しばしば頸部リンパ節への転移などが治療もしないのに
自然に消失します。25年以上も診療していますが、
未成年で受診された患者で死亡された方は誰もいません』

高野氏によれば、14年頃から早期診断・早期治療の弊害が
広く認識されるようになり、超音波検査はむしろ危険で推奨
できないということが、甲状腺の専門家の間では国際的な
コンセンサスとなっているという。たとえば17年には、
アメリカ予防医療サービス専門作業部会が、世界中の論文を
調査した結果、超音波検査を受けることにより甲状腺がんの
死亡率は低下しない、その後の健康状態が改善することはない、
という結論を出している。」

以下に、例証が続くのですが、
気になる方は、雑誌をご覧ください。くれぐれも、
朝日新聞の『声』欄のレベルで、満足しないよう。


さて、この文章の最後はというと、

「朝日新聞の報道や、検討委員会の異様な記者会見には、
課題を解決しようとする姿勢は見られない。・・・」


うん。それから古谷経衡(文筆家)の
朝日新聞編集委員・高橋純子を取り上げた文も忘れ難い。
この女性編集委員は、きっと使い捨てになるのだろうなあ。
手短に、この箇所を引用。

「要するにこの高橋は、朝日新聞論説委員でありながら
長文を書く基礎的な訓練を受けていない。
長い文章を書く文章力が存在しないのだ。」(p44)


まあ、私のこのブログも引用ばかりで
長文を書けないわけなので、人のことは言えないので
恥ずかしいのですが、やはり気になります。


「問題なのはその文章技量そのものである。
高橋には、それが全くゼロなのだ。・・・
高橋の存在は、他の朝日新聞記者に対して失礼である。」


こちらは、4頁ほどで、高橋女史の例文断片も載っていて
立ち読みでもスラスラと内容が飲み込めます(笑)。



特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」
朝日新聞の購読者の皆さんにお聞きします。
朝日新聞の広告欄に、この特集の見出しを
見かけたことがありますか?
それとも、「新潮45」8月号の雑誌広告自体が
朝日新聞には載りませんでしたか?






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オレオレ「社会の木鐸」詐欺。

2018-06-28 | 朝日新聞
外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)に
「振り込みサギ」への言及があります。

「少し、話は違うが、国を挙げて、
振り込みサギの警戒をしているのに、
いつまでたってもなくならない。
それどころか、被害の額が大きくなっている。
おもしろいことに、関東、首都圏のほうが、
京阪神に比べて、はるかに被害が大きいという。」
(p139)

これは、「広告」と題する箇所にありました。
ここに、こんな箇所もあります。

「・・新聞が考え出した広告の最新のスタイルは
記事と見まごう広告である。多く、全面広告である。
走り読みしている読者は、普通の記事として読み出す。
しばらくして、広告記事とわかって、多くは
いやな気持になる。ダマされたとハラを立てる人もある。」
(p136)


「新聞大学」に「社会の木鐸(ぼくたく)」と題した文もある。

「木鐸とは、
『・・・『社会の指導者』の古語的表現。
新聞は社会の、(世論を導くもの)〈「明解国語辞典」〉」
(p192)

『新聞は社会の木鐸』

「つまり、新聞は自ら社会をリードしていく
エリートであると言っているようなもので、
指導性、教育性を巧みに表明したものである。」
(p192~193)


辞典の解釈によれば、
新聞というのは、
「社会の指導者」で「世論を導くもの」であるらしい。


う~ん。「朝日新聞や毎日新聞などは社会の木鐸である」
と簡単に信じてしまう方と、オレオレ詐欺被害者との、
類似点について、どうしても考えてみたくなる(笑)。

オレオレ詐欺の手口については、
よく解説されていますが、手口が巧妙になってきています。
たとえば、新聞でも一面、社会面、家庭面、声欄、歌壇俳壇と
新聞紙面のどこからでも関連しているような手口が
オレオレ詐欺に見られる多人数主義の傾向と合致します。
その世界で完結してしまえば、詐欺は完璧。
そこにある世界を、そのままに信じ込ませる語り口。
他に相談するという発想が起こる前に完結する世界。

ということで、外山滋比古著「新聞大学」では

「とにかく、
併読紙を持つか持たないかは大きな問題である。
軽い気持ちで、もうひとつ新聞を
購読するなどということは考えにくい。
やはり、ものの考え方にかかわってくる。
ひとつの新聞しか見ていなければ、
その新聞の考え方、見方、価値観に、
しばられるという自覚もなくしばられている。」(p170)


この言葉などは、そのままに、
オレオレ対策の処方箋。そう、私は思います。
ということで、
中年以降は、オレオレ対策の
知的処方箋として「併読紙」をもつこと。

外山滋比古著「新聞大学」には
その大学院にもふれておられます(笑)。

「併読紙を持つことで、
新聞大学に学ぶものは、大学院へ進むことになる。・・・
一紙だけでは得られないものがあることを
発見できるのが、新聞大学の大学院である。・・・
併読の読者は、真の新聞読者であるということができる。
国際競争力のある知性を育むことも可能であるように思われる。」
(p170)


ふ~っ。
「新聞大学」は奥が深い。

「しばられるという自覚もなくしばられている」のは、
朝日新聞の購読者。それにオレオレ詐欺被害者。
「他の人はいざ知らず、私は、しばられてなんかいない」と、
きっと、朝日新聞の購読者の方々は笑うのだろうなあ(笑)。


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朝日新聞『声』欄の、知らない世界。

2018-05-01 | 朝日新聞
朝日新聞の天声人語については、
坪内祐三氏のきめセリフがありました。

「『天声人語』イコール深代惇郎レベルの文章という
印象が体に深くしみついてしまったのは不幸なことでした。
それ以後の『天声人語』はろくなものじゃない。」
(「考える人」p125)

つぎは、声は声でも
大声でも、天声でもなく、
『声』欄の投書について。
はい。『天声人語』の
次は、『声欄人語』。

新聞購読者の知らない
朝日新聞『声』欄の世界。

ということで、
新刊の「渡部昇一の世界史最終講義」(飛鳥新社)。
これは、髙山正之氏による解説・対談。
帯には、

「『知の巨人』の一周忌に、
名物コラムニストとの未発表対談を追悼出版
朝日新聞が教えない歴史の真実」

この最終章は髙山氏の文でした。
その最終章の全部は、読んでいただくとして(笑)。

私は、短く、ここだけを引用。
それは、過去の『声』欄への指摘の箇所。

「渡部先生がなぜ狙われたか・・・
似たようなケースは、それ以前にもあった。
例えば『ビルマの竪琴』で知られる竹山道雄は1968年、
米空母エンタープライズの佐世保寄港について、
朝日社会面で5名の識者の意見を紹介した中、
ただ一人だけ賛成した。
これに対して、朝日の煽(あお)りに乗せられた
感情的非難の投書が殺到し、『声』欄に続々と掲載された。
東京本社だけで250通を越す批判の投書が寄せられる中、
朝日は竹山の再反論をボツにして、
対話を断った形で論争を終結させた。
朝日の『声』欄の編集長は当時の『諸君!』に、
担当者の判断で投書の採用を選択するのは
どこでも行われていることと強弁した。
 ・・・・
朝日に逆らう者は許さないという思考が
朝日新聞にはある。
・・そのまま現在まで続いている。」
(p221)

この終章は21頁です。
その21ページでもって、
朝日新聞購読者の知らない朝日新聞の世界を紹介しており、
これだけでも、知っておいて損はありません。
感冒性情報操作対抗ワクチンとしての効果バツグン。
ワクチンといえば、
最後に「子宮頸がんワクチン」をめぐる朝日新聞の報道と
国際関係とを紹介して終わっております。
そして、髙山氏の文の最後には、こうありました。

  「渡部昇一先生の一周忌によせて」。
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朝日が怪(け)しからぬといえば、同調するのだ読者は。

2018-04-23 | 朝日新聞
加藤秀俊著「社会学」(中公新書)の
第三章「コミュニケーション ことばの力」に
新聞をとりあげた箇所があるので引用。


「だが、新聞はたんなる世間話の拡散装置というだけではない。
なぜなら世の中で起きている雑事のなかのほんの一部分だけを
拡散するのだから、当然、取捨選択する。価値判断をする。
したがって必然的に『党派性』を背負うことになる。

そんなわけで、新聞というものは多かれすくなかれ
政治的メディアという側面をもっていた、といってもいい。
じっさい西洋でも日本でも新聞はもともと『政論』の場であった。
政府の立場を擁護する『御用新聞』もあったし、反対に
ひたすら権力批判や政府高官の醜聞に徹する『赤新聞』もあった。
現在の日本の新聞は『不偏不党』を旗印にしているが、
そんなことはない。とりわけ『進歩的』新聞は慢性的に
欺瞞をくりかえしている。信頼性のない『証言』から書いた記事が、
とりかえしのつかない国際的反日運動の原因になったりしたこともある。
新聞はウソをつかない、というが、
全面的なインチキ記事はいくらでもあった。
じぶんで自然環境に落書きして写真を撮り
『心ない観光客のしわざ』と報道した新聞がある。
潜伏逃走中の思想犯に会見した、という完全ウソで固めた記事が
社会面のトップをかざったこともある。
あとで謝罪したが、それで許されるものではあるまい。」
(p79~80)

うん。きちんと『朝日新聞』と新聞社名が記載されていないので、
一読、読み流してしまいそうな箇所です。

はい。読者の読解力をためされる箇所です。

その後には、『ニューヨーク・モーニング・ジャーナル』の
捏造記事への具体的な言及をして、
そのあとに加藤秀俊氏はこう記しております。


「なぜウソをつくのか。
戦争になれば新聞の発行部数が伸びるからである。
そんなふうにして新聞が『世論』をつくるのである。
世論を誘導するのである。新聞が怪(け)しからぬ、
といえば読者大衆も怪しからぬ、と同調する。
新聞がある人物を悪人ときめつければ
人民ことごとく、その人物を糾弾する。
新聞は政治を、経済を、そして世評を
変化させるだけの力をもつようになったのだ。
わたしたちがもっているさまざまな『意見』は
一見したところ自発的・自主的にみえるが、
じつはそのほとんどが新聞記事の関数だとみてよい。
・・・『ニューヨーク・タイムズ』『人民日報』、
その他世界の有名新聞を世間は依然としてタヨリにしている。」
(p80~81)



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朝日以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない。

2018-04-13 | 朝日新聞
『非国民』というのは、
戦争中に喧しく言われ続けたそうですが、
現在『非国民』という使い方は
どういう風に言葉を変えているのか?

こういう質問に、どう切り込めばよいのか。

市民団体にあらずんば、民主主義にあらず。
非国民。非市民団体。

韓国の現状を知らせてくれる黒田勝弘氏は

「各種のデモや集会など左派・革新系の政治的動きは
『市民団体』と称して前向きに報道される。
ところが右派・保守系のそれは『市民団体』ではなく
『右翼・保守団体』といわれ、かつ無視されることが多い。」

日本でも、マスコミでの記述は韓国並の『市民団体』。
というのが、残念ながら、言葉の使い方の類似性。

日本で前向きの報道される『市民団体』
日本でマスコミから排除されることが多いのは
『非市民団体』であって、それは
『右翼・保守団体』とくくり、無視される対象である。

なにやら、「広辞苑」に記述はなくとも、
「悪魔の辞典」に、記述がありそうです。

『朝日新聞以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない』
という呪縛フレーズも、『悪魔の辞典』にならば、
しっかりと記述されてるかもしれない。

たとえば、典型的な軍国時代。

「・・陸軍の学校でしょうね。
幼年学校でも、士官学校でも、
『教科書以外の本は、絶対に読んじゃいけない』
と言われていた。

そんなわけで本を読まないまま育って、
その分、決定的に世界が狭い、
そして思考が浅薄な軍人たちが国政を預かったから、
日本は滅んだんです。」

軍国時代と韓国でいうところの市民団体時代。
どちらも、世界が狭い。

『朝日新聞以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない』
と、無意識の領域の容赦ない忖度。そんなわけで、
朝日新聞以外の新聞を読まないままに育ってしまい、
『その分、決定的に世界が狭い、そして思考が浅薄』。


現在ただいまの状況は、
朝日新聞購読者は多数派。
産経新聞購読者は少数派。
けれども、国際状況の羅針盤として、
産経新聞の状況把握の確かな提供への信頼感。

それを理解しようとする読解力などいらない、
それよりも、マスコミと、皆で渡れば怖くはない。
という、朝日新聞の「声」欄ならば支持してくれる世界。
あなたは、マスコミという多数派に組むするがいいのだ。


うん。

『非国民』
『非市民』
『非朝日新聞』

『非』が並ぶ三題噺。




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朝日新聞「てるみくらぶ」論。

2018-03-30 | 朝日新聞
月刊雑誌「正論」5月号届く。
巻頭随筆である髙山正之「折節の記」。
その最初の2頁分が読ませる。

私に興味深かったのは
この箇所

「この辺は旅行会社『てるみくらぶ』が
最後の最後まで誇大広告を打って
健全経営を装ったのと似る。」


巻頭随筆の次は八木秀次氏。
題して「狡猾な朝日新聞の見出し」。

そこからこの箇所を引用。

「朝日新聞は最近、新聞の『ちょい読み』
キャンペーンを行っている。
見出しを『ちょい読み』した限りでは、
森友学園の国有地取得には首相夫人の
安倍昭恵氏が関わっており、その意味で
『特例』があったが、そのことを隠すために
財務省は決裁文書を改竄した。その責任から
安倍首相や麻生財務相は逃げようとしており、
それに国民は怒り、不信感を持っている―――
としか読めない。
テレビの報道番組やワイドショーの論調も
大凡同じと言ってよい。」

けれども八木氏は『ちょい読み』しません。

「しかし、書き換え前の決裁文書を読んでも
そのような印象を持つことはできない。
森友学園側の常識を逸脱するほどの強気の
要求を何とか撥ねつけようとしている
財務省近畿財務局の姿が浮かび上がってくる。
・・・」

さて、朝日新聞の見出しばかりでなく、記事も読む
八木氏は、この箇所を指摘しております。

「前掲の朝日新聞3月13日付も2面の記事の中で
『削除部分は、昭恵氏による取引への明白な
関与と言える記載ではなかった』と述べている。」

うん。ここらあたりが『見出し』の誇大広告を演出する
朝日新聞『てるみくらぶ』論となります。
(説明ははぶきますが、あとは髙山正之氏の文を、
本屋での立ち読みでも一読してもらいたいのでした)


八木氏の文は2頁でした。
その最後の箇所を引用。


「森友学園は幼稚園児さえ利用し、
面識のない安倍首相の名前を無断で使って寄付を集め、
首相夫人を開設予定の小学校の名誉校長にした。
さらには、幼稚園のHPには昭和天皇が訪問されたかのような
記述もあった。前理事長夫婦は各種補助金を詐取したとして
起訴されているが、そのような詐欺師的体質を持った人物が
首相夫人を利用して財務省に忖度させようとしたのが
この問題の本質である。
朝日新聞が認めるように、財務省による
『削除部分は、昭恵氏による取引への明白な関与と言える
記載ではなかった』のだ。・・・」

文の最後は

「首相の政治責任を問おうとしているが、
無理があるというものだ。
国民のメディア・リテラシーも問われている。」


ちなみに、
産経新聞3月29日の一面左の見出しは
「森友改竄 首相は『後は国民が判断』」
「過去最大 30年度予算成立」

その内容は
「安倍首相は、予算成立を受けて
国会内で記者団に『30年度予算の成立こそが
最大の景気対策だと言ってきた』と述べた。」

財務省の決裁文書改竄問題については

「当時財務省理財局長だった佐川宣寿
前国税庁長官が27日の証人喚問で
官邸の指示を否定したことを踏まえ
『これまでも私は全く指示していないと
申し上げてきた。後は国民に判断いただくことだ』
と述べた。また
『大阪地検が捜査し、財務省が調査している。
確たるものを得た中で政府としてけじめをつける
ことは当然だ』と語った。

一方、立憲民主、希望、民進、共産、自由、社民の
6野党の国対委員長は28日、国会内で会談し、
安倍昭恵首相夫人らの証人喚問を引き続き求めることで
一致した。これに対し自民党の二階俊博、公明党の
井上義久両幹事長は会談で、昭恵氏らの証人喚問は
『必要ない』との認識で一致した。」

この日の産経新聞の5頁の
下の雑誌広告は、週刊文春・週刊新潮でした。
どちらの見出しも黒に白抜きです。

週刊文春の右見出しは、
『安倍政権「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く』

週刊新潮の右見出しは、
『散り際の「安倍昭恵」』


見出しに踊らされない
国民のメディア・リテラシーが、
今回の事件で、育まれたかどうか。
育ったのだと思いたいですね。
国民は賢くなるのだと、思います。


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「声」欄のボツ原稿。

2018-03-26 | 朝日新聞
ある方のブログを拝見したら、
朝日新聞の「声」欄からの引用から
はじめられておりました。

索引のない文章に、引用があると、
それがどこの出どころなのか
明らかならば、分りやすく。
それはそれで、ありがたい。

朝日新聞の「声」欄といえば、
私は、竹山道雄の原稿を没にした
あの「声」欄かと、思い出します。

竹山道雄は、1903年生れで
旧制一高講師・同教授、
東京大学教養学部教授を歴任。


その方の原稿を
朝日新聞「声」欄はボツにしました。
昭和43年のことです。

竹山道雄著「主役としての近代」(講談社学術文庫)
から引用します。

「・・・鈴木氏『対話の継続を望む』という投書があり、
私がさらに投書欄で答えることを求められた。
これに対して、私はその日のうちに投書した。
返事はつねに問とおなじ長さに書いた。」

 その投書した文が引用されています。
それは省いて、その次から引用します。

「これは『声』欄には採用されず没書となった。
したがって、私が・・・顧慮せず対話を断った
という形で、この『論争』は終止符をうたれた。

これはフェアではないが、土俵に上げてくれない以上、
『声』欄で答えることはできない。
投書欄は係の方寸によってどのようにでも選択される。
それが覆面をして隠れ蓑をきて行なわれるのだから
どうしようもない。
・・・根拠を明示し、署名をして責任の所在を
あきらかにすべきである。全体が無形無名の風潮に
あふれててズルズルと大きな破局にのめりこんだことは、
いまだに記憶にあたらしい。無署名の冷笑嘲罵、一方的な
切りすて御免、誹謗的な毒舌、公けという観念の欠如
(これらのことはジャーナリズムだけではないが)
などは、おそらく封建時代の町人が権力者にむかって
川柳やちょぼくれなどで溜飲を下げた、その残滓なのだろう。
こういうことは戦後しばらくはじつにひどかったが
近頃はよほど平静になった。しかしまだ
世界の他国にはないめずらしい現象である。・・・
『声』欄にあらわれた様相が全体を代表するとは思えない。
そして『声』欄の投書には、
『なぜ戦争があるのでしょう。いま春雨はしとしとと
降っているのに・・・』といった調子の、
詠嘆ないしは怒号が多い。
あのような意見は、平和実現確保とは
縁がないことである。」

ちなみに、
これは文庫本で実質3頁ほどの短い文。
せっかくですから、その文のはじまりも
引用させてください。

「朝日新聞の『声』欄に『ビルマの竪琴論争』
なるものが起こった。これはまだ論争といえる
ものではなかった。人間は善意を持っているが、
また悪魔性をも持っている。国際関係などは
できるだけ冷静に考えなくてはならないのに、
素朴な感情論が演出されて、あたかもそれが
世論であるかのごとく操作された。・・・」
(p195~198)


なお、
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)
には、この箇所を丁寧に取り上げたあとに、
さらに、注として(p324)、
朝日新聞出版局が『声』掲載の投書を六巻本に刊行中に
この竹山の投書の再録を、一切しないことにした経緯が
書きとめられており、読んでいただきたい1頁です。

徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋)
には「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」という
13頁の文があり、こちらは、「諸君!」に掲載されたもの。
そうそう、
徳岡孝夫の本には、裏表紙に山本夏彦の推薦文あり。
この機会に、夏彦氏の推薦文も、ここへと引用。

「新聞の海外特派員は、いつも本社の
デスクの顔色をうかがって原稿を書く。
本社が米英撃つべしなら、撃つべしと書く。
撃つな、と書けば没書になるのはまだしも左遷される。
即ち特派員はむかし国を誤ったのである。
いまだにそうである。
中国は自分の気にいらぬ記事を書く特派員を追放する。
追放されたくないばかりに、気にいる記事だけ書く。・・」


以上3冊のおすすめ。

朝日の新聞ばかりでなく、
朝日の旧聞もお忘れなく。

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正直言って本当につまらない。

2018-02-24 | 朝日新聞
月刊「Hanada」4月号が今日届く。

「総力大特集 赤っ恥、朝日新聞!」の
最初の走者は、櫻井よしこさん。

うん。ここでは、櫻井さんの文を引用。


「民主主義体制とは、
一人ひとりが問題意識を持ち、
一つひとつの政策や国家の取るべき方向性について
国民自身が判断していく制度である。
その判断材料になる情報をメディアがきちんと
伝えなければ、民主主義は立ち行かない。」(p40)

「・・・そのような朝日新聞は、
正直言って本当につまらない。」(p40)

「朝日新聞は訴状で、
≪安倍晋三首相が関与したとは報じていない≫
≪「安倍叩き」を目的として報道したこともない≫
と述べている。だが、
六百本にも上る怒涛の『モリカケ報道』とその影響を
受けた他メディアの報道によって、昨年二月から夏にかけて、
安倍政権の支持率は六割台から三割台に急落した。

朝日新聞は
≪安倍晋三首相が関与したとは報じていない≫と
言ってのけたが、前述したように、その主張はそのまま、
朝日新聞が印象操作報道を行ったという告白と解釈できる。

そのうえ、論争を避けて裁判に訴えた。
朝日よ、言論機関としての矜持を捨てたのか。

物を言う言論人の立場から見て、
今回のような不当な裁判を起こす朝日新聞は、
まさに言論弾圧新聞だと断じざるを得ない所以である。」
(p41)


次のページは小川榮太郎氏で、
題して『朝日新聞の自殺』とあります。


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