「竹山道雄著作集」の最終第8巻・古都遍歴。
その月報に、竹山道雄ご自身による「あとがきにかえて」
が書かれておりました。今回初めて読みました。
そこから引用。
「・・・・私の働きざかりの年頃はたまたま世界の大変動期だった。
私にとっては戦中戦後は人生の体験だった。
そのさまざまな現象を考えてゆくと、
いつもある異様な謎にゆきあたった。
それは世界に対する人間の対世界認識の仕方ということである。
この人間の認識について、今はだいたい次のように考える。
ーー人間の認識は欲求によって左右される。
かくあってほしいということがかくあると信じられ、
自分にとって具合のわるいことはあたかも存在しないかのごとくである。
・・・・・・」
こうして、月報にして3頁の文のしめくくりはというと
「・・・・思うに、われわれはこの変転きわまりない
現代世界に生きている以上、大切なことは、
自分はいかなる状況の中にあるかを明らめ、
その中で人間として正しく生きるべくいかに決断するか、
ということである。自分はどちらにつくかという態度を、
狂信にはよらずにきめることである。・・・・」
読んでいて、私に思い浮かんだのは
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)の
「『声』欄について」という2頁ほどの文でした。
うん。短いので全文引用しておきます。
「自由主義を守ろうとする竹山は『朝日(新聞)』紙上で
『危険な思想家』としてマークされた。
1968(昭和43)年、空母エンタープライズの佐世保寄港について
意見を求められた識者の中で竹山1人が賛成、
他の4人は反対と社会面に出た。
『原子力空母寄港賛成論を朝日紙上で語られた竹山道雄氏、
あなたはあの美しい『ビルマの竪琴』を書いた竹山さんでしょうか。
実に不思議な気がします』といった調子の感情的非難が殺到し、
竹山に答えを求める投書が次々と『声』欄に掲載された。
当時投書した人で存命の方も多いと思うが、今では
米国の原子力空母が横須賀に寄港しても反対の投書は
必ずしもするまい。・・・・・その論争も分析するに値するが、
ここで問題としたいのは竹山を狙い撃ちした『朝日新聞』
投書欄のアンフェアな操作についてである。
・・・問題なのは次の点である。
竹山が2月4日『感情論で解決できぬ』と答えた後も
『ビルマの竪琴論争』なるものは長く続いた。4月14日、
竹山は投書に答えた後『なお、多くの方々からのお尋ねに
一々返事をして、言論ゲリラのために奔命に疲れてはなりませんから、
それはしないつもりです』とつけ加えた。これに対して4月19日に
『許されるのか独立運動圧殺』と『対話の継続を望む』(鈴木氏)と
いう投書があり、竹山がさらに投書欄で答えることを求めた。
これに対して竹山はその日のうちに投書し返事は
常に問と同じ長さに書いた。—――
『私は対話を断わったことはありません。
また鈴木さんを〈言語ゲリラとあしらった〉こともありません。
ただ同欄の(許されるのか独立運動圧殺)という投書などは
あまりにも幼稚な意見で、これに短文で答えることはできません。
前に〈無学な田舎のかあちゃんにも分る言葉で〉説明せよと要求した
投書は、はたしてそういう人が自発的に書いたものかと疑いました。
週刊誌で根拠も示さない煽情的な匿名記事もありましたが、
このような不見識なことも行われているのですから仕方がありません。
ゲリラとはそういう類のことを指しました。事実に即して
論理を正したお説を教わりたいと願います』。
だがこの竹山のこの返事は『声』欄には採用されず、没書となった。
したがって竹山が『独立運動の圧殺』にも顧慮せず対話を断わった
という形で『論争』は終止符を打たれた。
これはフェアではない。
土俵に上げてくれない以上『声』欄に答えることはできない。
投書欄は係の方寸でどのようにでも選択される。
それが覆面をして隠れ蓑をきて行われるのだからどうしようもない。
日本における言論の自由とはこの程度だということを
世間はもっと自覚すべきであろう。」(p321~322)
このあとp324の【注】の形で、経緯をくわしく書かれておられます。
その【注】からも引用。
「竹山がミニコミ紙に書いた『「声」欄について』を読んで憤慨した
徳岡孝夫氏は『竹山論文をボツにした朝日新聞』を『諸君!』
昭和60年9月号で話題とした。すると10月号で『朝日』の
上野春夫「声」編集長が、担当者が自分の判断で投書を
選択するのはどの新聞雑誌でも同じだと弁明し・・・・」
これについては、
講談社学術文庫の竹山道雄著「主役としての近代」と
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」が参考となります。
竹山道雄氏は1968(昭和42)年に
ひとりご自分の意見を述べ、声欄での投書でも
問と同じ長さの言葉で答えておられたわけです。
竹山氏の体験から、52年が経ちました。
朝日新聞という「異様な謎」は、現在
2020年では、解き明かされたでしょうか。