「別冊こどもとしょかん」という冊子を手にしました。
はじめに小さく「石井桃子さんがはじめた小さな子ども図書室」とあります。
題名が「かつら文庫の50年 記念行事報告」となっております。
私が紹介したいのは、最後にかかれている荒井督子さんの「記念行事を終えて」でした。
はじまりは、こう書いてあります。
「2007年の春だったでしょうか、『かつら文庫』五十周年記念行事の計画があらまし決まったとき、私は石井先生のところにお伺いして、その計画についてお話しました。石井先生は、朝日ホールでの集まりについて、『そういうことをするのが、はたしていいことかしらね』と、疑問を呈されたのです。・・・私たちは、石井先生が派手なことはお好きでないことをよく承知していましたから、その意を汲んで何度も話し合い、できるだけ地味で、実のある会にしようと努力しました。・・・」
私が、これは引用したいと思ったのは、以下の「田島さんの手紙」の箇所です。
「茨城県の田島多恵子さんも、後日お手紙をくださいました。『子どもによい本を与えるために文庫を開く』という考えには抵抗があったという田島さんは、石井先生の『子どもと本を一つところにおいて、そこにおこる実際の結果を見てみたい』という文章に心を打たれ、『自分がよいと思った本と子どもたちを一つところにおいて観察するのなら、私にもできる』と思って、文庫をはじめたといいます。『いつもかつら文庫がお手本』だったという田島さんは、この日の『子どもたち』の話を聞いて、『かつら文庫の会員たちが、成人してもなお、自分たちが出会ってきた本に確固たる信頼を抱いているのは、かつら文庫のおとなたちが、一冊ずつ内容を確認するという、地味で手のかかる基本のルールを崩さないからではないでしょうか』といい、子どもから学ぶという石井先生の精神を大切にして、今後もていねいに本を選んでいきたいと述べておられます。」(p83~84)
うん。ここまで引用したなら、それでよいのですが、
あとは、余談にわたります。
この冊子に松岡享子氏の講演も掲載されておりました。
その講演のなかに
「一昨年、石井さん99歳の折に、私どもが行ったアンケートに、『本に石井桃子と書いてあったら、安心して手を出す』と書いていた人が何人もいました。多くの人にとって、石井桃子の名はおもしろさの保証になっています。」(p62)
そうはいっても、石井桃子さんの本は多くて私などはとても読みきれません。
では、どの本をよめばよいのやら。
以前のことですが「毎日新聞2008年5月11日の今週の本棚」にこんな箇所がありました。
そこに松岡亨子が選ぶ石井桃子「この人・この3冊」が掲載されておりました。
その松岡さんの文の最後に、こうあります。
「ご参考までに、石井さんご自身が、これらの作品によって記憶されることをよしとして選び、お墓の脇の石に刻ませたのは、次の六作品である。すなわち
『ノンちゃん雲に乗る』
『幼ものがたり』
『幻の朱い実』
『クマのプーさん』
『ピーターラビットのおはなし』
『ムギと王さま』 」
そしてお墓の石に刻ませたということで、思い浮かんだ言葉があります。
それは、今年のはじめに朝日賞を受賞した石井桃子さんの受賞の挨拶でした。
「初め、この賞をいただきましたときは、なぜ私がこれをいただかなくちゃならないのか、という疑問にさえ包まれたのでした。その賞と、ひと月以上の間、一緒に寝てみました。私の上に賞をくだされるという大きなショック、それこそばくだんとも言うべきショックとなって現れたのです。それがみるみる大きな輝きとなって、私のところまで飛んできて、そしてみるみる私の体内に入り込むと、それが体の中心、自分のおへその中心あたりまで沈み込み、そして『ことっ』と落ちたと思うと、そこで動かなくなったのです。そのとき、やはり私の声で、お礼を申し上げてこなければいけない、と思いました。『朝日賞をいただいた人間です』といってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています。栄えある賞の受け手として私をお定めになったとき、地面の上にひれ伏すような気持ちを味わわせてくれました。ありがとうございました。」
私には分かりにくい石井桃子さんの言葉なのですが、
「六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて」という言葉のヒントが
きっと「お墓の脇の石に刻ませた」六作品のなかに隠されているのじゃないかと思ってみるのでした。
はじめに小さく「石井桃子さんがはじめた小さな子ども図書室」とあります。
題名が「かつら文庫の50年 記念行事報告」となっております。
私が紹介したいのは、最後にかかれている荒井督子さんの「記念行事を終えて」でした。
はじまりは、こう書いてあります。
「2007年の春だったでしょうか、『かつら文庫』五十周年記念行事の計画があらまし決まったとき、私は石井先生のところにお伺いして、その計画についてお話しました。石井先生は、朝日ホールでの集まりについて、『そういうことをするのが、はたしていいことかしらね』と、疑問を呈されたのです。・・・私たちは、石井先生が派手なことはお好きでないことをよく承知していましたから、その意を汲んで何度も話し合い、できるだけ地味で、実のある会にしようと努力しました。・・・」
私が、これは引用したいと思ったのは、以下の「田島さんの手紙」の箇所です。
「茨城県の田島多恵子さんも、後日お手紙をくださいました。『子どもによい本を与えるために文庫を開く』という考えには抵抗があったという田島さんは、石井先生の『子どもと本を一つところにおいて、そこにおこる実際の結果を見てみたい』という文章に心を打たれ、『自分がよいと思った本と子どもたちを一つところにおいて観察するのなら、私にもできる』と思って、文庫をはじめたといいます。『いつもかつら文庫がお手本』だったという田島さんは、この日の『子どもたち』の話を聞いて、『かつら文庫の会員たちが、成人してもなお、自分たちが出会ってきた本に確固たる信頼を抱いているのは、かつら文庫のおとなたちが、一冊ずつ内容を確認するという、地味で手のかかる基本のルールを崩さないからではないでしょうか』といい、子どもから学ぶという石井先生の精神を大切にして、今後もていねいに本を選んでいきたいと述べておられます。」(p83~84)
うん。ここまで引用したなら、それでよいのですが、
あとは、余談にわたります。
この冊子に松岡享子氏の講演も掲載されておりました。
その講演のなかに
「一昨年、石井さん99歳の折に、私どもが行ったアンケートに、『本に石井桃子と書いてあったら、安心して手を出す』と書いていた人が何人もいました。多くの人にとって、石井桃子の名はおもしろさの保証になっています。」(p62)
そうはいっても、石井桃子さんの本は多くて私などはとても読みきれません。
では、どの本をよめばよいのやら。
以前のことですが「毎日新聞2008年5月11日の今週の本棚」にこんな箇所がありました。
そこに松岡亨子が選ぶ石井桃子「この人・この3冊」が掲載されておりました。
その松岡さんの文の最後に、こうあります。
「ご参考までに、石井さんご自身が、これらの作品によって記憶されることをよしとして選び、お墓の脇の石に刻ませたのは、次の六作品である。すなわち
『ノンちゃん雲に乗る』
『幼ものがたり』
『幻の朱い実』
『クマのプーさん』
『ピーターラビットのおはなし』
『ムギと王さま』 」
そしてお墓の石に刻ませたということで、思い浮かんだ言葉があります。
それは、今年のはじめに朝日賞を受賞した石井桃子さんの受賞の挨拶でした。
「初め、この賞をいただきましたときは、なぜ私がこれをいただかなくちゃならないのか、という疑問にさえ包まれたのでした。その賞と、ひと月以上の間、一緒に寝てみました。私の上に賞をくだされるという大きなショック、それこそばくだんとも言うべきショックとなって現れたのです。それがみるみる大きな輝きとなって、私のところまで飛んできて、そしてみるみる私の体内に入り込むと、それが体の中心、自分のおへその中心あたりまで沈み込み、そして『ことっ』と落ちたと思うと、そこで動かなくなったのです。そのとき、やはり私の声で、お礼を申し上げてこなければいけない、と思いました。『朝日賞をいただいた人間です』といってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています。栄えある賞の受け手として私をお定めになったとき、地面の上にひれ伏すような気持ちを味わわせてくれました。ありがとうございました。」
私には分かりにくい石井桃子さんの言葉なのですが、
「六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて」という言葉のヒントが
きっと「お墓の脇の石に刻ませた」六作品のなかに隠されているのじゃないかと思ってみるのでした。