雑誌「WILL」4月号。
その最終ページにある「編集長から」は
「天皇陛下のお言葉を小誌に掲載するのは、昨年五月号、七月号に続いて三度目です。」とはじまっておりました。
産経新聞社の「東日本大震災 1年の全記録」が最近出ておりました。そこにも昨年の3月16日の「天皇陛下のお言葉」をp18~19と大きな文字で掲載されておりました。その「お言葉」をあらためて読みながら思い浮かんだことがあります。
「記者は何を見たのか 3・11東日本大震災」(中央公論新社)の「まえがき」に、こうあったのでした。「・・・これほどの悲劇に見舞われながら、避難所では被災者らが助け合い、励まし合って生きていた。ことさら明るく、気丈に振る舞う被災者の姿は、取材する記者たちの心を打った。・・避難所では、被災者が届いた新聞をむさぼるように読んでいた。くしゃくしゃになった新聞を何人かで回し読みしていた。」(p2)
うん。思い出すのは、朝日の当時の新聞でした。その「天皇陛下のお言葉」を取り上げた箇所でした。一面にはどこにもなく、目次にもなし。新聞の後半の、しかも、天声人語ぐらいのスペースで紹介し、要約したあとに、ネットで全文掲載しておりますので、そちらを検索してください。とあったのでした。ちなみに、その日の、読売や産経新聞は「お言葉」全文を引用しておりました。
うん。朝日新聞では、普段そのような取り扱いをしていたので、おそらく、そのままを踏襲したのでしょうが、被災者のことを、ここでは考慮することまで思いがいたらなかったのでしょう。
たとえば、もし今、大震災がおこったとします。さいわいにもぶじで私が、避難所で新聞をひろげているのなら、それは朝日より、他の新聞をさがして、読むでしょう。そこに天皇陛下のお言葉があるのなら、くしゃくしゃになった新聞を何度も読むでしょう。そして、その「言葉」を私は心のささえとするでしょう。震災一年の記録を見ながら、そう私は、思っておりました。
その最終ページにある「編集長から」は
「天皇陛下のお言葉を小誌に掲載するのは、昨年五月号、七月号に続いて三度目です。」とはじまっておりました。
産経新聞社の「東日本大震災 1年の全記録」が最近出ておりました。そこにも昨年の3月16日の「天皇陛下のお言葉」をp18~19と大きな文字で掲載されておりました。その「お言葉」をあらためて読みながら思い浮かんだことがあります。
「記者は何を見たのか 3・11東日本大震災」(中央公論新社)の「まえがき」に、こうあったのでした。「・・・これほどの悲劇に見舞われながら、避難所では被災者らが助け合い、励まし合って生きていた。ことさら明るく、気丈に振る舞う被災者の姿は、取材する記者たちの心を打った。・・避難所では、被災者が届いた新聞をむさぼるように読んでいた。くしゃくしゃになった新聞を何人かで回し読みしていた。」(p2)
うん。思い出すのは、朝日の当時の新聞でした。その「天皇陛下のお言葉」を取り上げた箇所でした。一面にはどこにもなく、目次にもなし。新聞の後半の、しかも、天声人語ぐらいのスペースで紹介し、要約したあとに、ネットで全文掲載しておりますので、そちらを検索してください。とあったのでした。ちなみに、その日の、読売や産経新聞は「お言葉」全文を引用しておりました。
うん。朝日新聞では、普段そのような取り扱いをしていたので、おそらく、そのままを踏襲したのでしょうが、被災者のことを、ここでは考慮することまで思いがいたらなかったのでしょう。
たとえば、もし今、大震災がおこったとします。さいわいにもぶじで私が、避難所で新聞をひろげているのなら、それは朝日より、他の新聞をさがして、読むでしょう。そこに天皇陛下のお言葉があるのなら、くしゃくしゃになった新聞を何度も読むでしょう。そして、その「言葉」を私は心のささえとするでしょう。震災一年の記録を見ながら、そう私は、思っておりました。