週刊文春6月2日号の「私の読書日記」は鹿島茂氏でした。
そこに
「20世紀においては、関東大震災とをウォール街大暴落が歴史の分岐点になっていることがわかる。日本とドイツにおけるファシズムの登場と第二次大戦はその帰結にすぎなかった。この意味で、駐日大使時代に関東大震災を、駐米大使時代にウォール街大暴落を目の当たりにした詩人大使ポール・クローデルはど適任な20世紀の証言者はまたとあるまい。関東大震災については『孤独な帝国 日本の1920年代 ポール・クローデル外交書簡』(奈良道子訳・草思社)が被災の状況を存分に語っている・・・」
このところ、本代を湯水のごとくつかっている私は、さっそく『孤独な帝国』を古本で注文。それが今日来たのでした。
「指導者の心中の思惑がいかなるものであれ、日本の国民は・・・襲った災害に対して全世界で起こった崇高な慈善活動に、感動しないではいられませんでした。このうえない華々しさをもって、美徳を誇示しつつ慈善活動を行なったのは、なんといってもアメリカです。新聞が伝えたことですが、アメリカで集められた義援金はすでに四千万ドルを超えています。さらにアメリカの軍艦は、真っ先に現地にやってきて救助隊を上陸させました。日本政府の活動より早かった事例もあります。・・・」(p194)
ここだけ取り上げれば、東日本大震災の際のアメリカのことかと思われます。
ポール・クローデルはフランス人。詩人、劇作家、エッセイストとして知られております。ところで、フランスといえば、関東大震災の際の柳田國男を思い浮かべたり、内藤初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房)の震災に触れた箇所が思い浮かびます。
もどって、アメリカについて、
東日本大震災に際しては、ドナルド・キーンやダニエル・カールの名前が印象的です。
VOICE6月号にはロバート・キャンベルの「美しくも哀しかった今年の桜」という文が掲載されておりました。何でも3月20日~28日まで仕事でアメリカへ行っていたそうです。
そこからちょっと引用。
「驚くことに海外では、今回の東日本大震災について、本当に詳細な報道がなされています。私は毎日『ニューヨーク・タイムズ』を読みますが、微に入り細にわたり、日本のことが書かれてある。津波の被害に見舞われたのは日本のどの地域なのか、被害はどれほどのものか、原発事故の立ち入り禁止区域はどこからどこまでか・・・。なかには、日本ではあまり報じられていないことまで書かれてあります。その一つが、福島県南相馬市長のインタビューでした。市の一部が原発の避難指定区域に入ったことで数日間、完全に孤立したとき、自ら撮ったビデオをインターネットの『YouTube』に流したのです。私はそれを『ニューヨーク・タイムズ』の記事で知り、実際に動画を見ました。すると市長が『私たちを助けてください。こういうものが必要です。送ってください』と、なんとも悲痛な内容を、じつに淡々と話している。さらに地元の方たちがそれに字幕をつけているのです。これは驚きと衝撃をもって、一気に波及していきました。いままで日本は国際舞台の場でも、よく『顔がみえない』『声が聞こえない』といわれてきました。アメリカにもヨーロッパにも中国にも、反抗せず、楯突かず、とにかく調整に調整を重ね、荒波を立てないようにする。これが戦略的にいいかどうかは別として、海外からみると、『日本人』はどこか特徴がつかめない存在でした。不幸にもこういった災害が起きたとき、それまで閉じていた窓が開いて、そこにいる人の心がみえるものです。そして、今回みられたのは、悲惨な状況のなかで大混乱する阿鼻叫喚の世界ではなく、非常に落ち着いて、お互いを守り合い、助け合う日本人の姿でした。海外の人はそれをみて『そうか、日本人はこのように悲しみ、戸惑うのか』と素直に受け入れているのです。・・・・・
今回の南相馬市長のように、日本がほんとうに困って世界に呼びかけるという姿を、これまで世界はみたことがありませんでした。実際、阪神淡路大震災のとき、日本は国際援助をほとんど拒否したのです。それはそれとして批判されることではありませんが、しかしそれによって国同士の絆が深まることもありません。・・・・」
そこに
「20世紀においては、関東大震災とをウォール街大暴落が歴史の分岐点になっていることがわかる。日本とドイツにおけるファシズムの登場と第二次大戦はその帰結にすぎなかった。この意味で、駐日大使時代に関東大震災を、駐米大使時代にウォール街大暴落を目の当たりにした詩人大使ポール・クローデルはど適任な20世紀の証言者はまたとあるまい。関東大震災については『孤独な帝国 日本の1920年代 ポール・クローデル外交書簡』(奈良道子訳・草思社)が被災の状況を存分に語っている・・・」
このところ、本代を湯水のごとくつかっている私は、さっそく『孤独な帝国』を古本で注文。それが今日来たのでした。
「指導者の心中の思惑がいかなるものであれ、日本の国民は・・・襲った災害に対して全世界で起こった崇高な慈善活動に、感動しないではいられませんでした。このうえない華々しさをもって、美徳を誇示しつつ慈善活動を行なったのは、なんといってもアメリカです。新聞が伝えたことですが、アメリカで集められた義援金はすでに四千万ドルを超えています。さらにアメリカの軍艦は、真っ先に現地にやってきて救助隊を上陸させました。日本政府の活動より早かった事例もあります。・・・」(p194)
ここだけ取り上げれば、東日本大震災の際のアメリカのことかと思われます。
ポール・クローデルはフランス人。詩人、劇作家、エッセイストとして知られております。ところで、フランスといえば、関東大震災の際の柳田國男を思い浮かべたり、内藤初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房)の震災に触れた箇所が思い浮かびます。
もどって、アメリカについて、
東日本大震災に際しては、ドナルド・キーンやダニエル・カールの名前が印象的です。
VOICE6月号にはロバート・キャンベルの「美しくも哀しかった今年の桜」という文が掲載されておりました。何でも3月20日~28日まで仕事でアメリカへ行っていたそうです。
そこからちょっと引用。
「驚くことに海外では、今回の東日本大震災について、本当に詳細な報道がなされています。私は毎日『ニューヨーク・タイムズ』を読みますが、微に入り細にわたり、日本のことが書かれてある。津波の被害に見舞われたのは日本のどの地域なのか、被害はどれほどのものか、原発事故の立ち入り禁止区域はどこからどこまでか・・・。なかには、日本ではあまり報じられていないことまで書かれてあります。その一つが、福島県南相馬市長のインタビューでした。市の一部が原発の避難指定区域に入ったことで数日間、完全に孤立したとき、自ら撮ったビデオをインターネットの『YouTube』に流したのです。私はそれを『ニューヨーク・タイムズ』の記事で知り、実際に動画を見ました。すると市長が『私たちを助けてください。こういうものが必要です。送ってください』と、なんとも悲痛な内容を、じつに淡々と話している。さらに地元の方たちがそれに字幕をつけているのです。これは驚きと衝撃をもって、一気に波及していきました。いままで日本は国際舞台の場でも、よく『顔がみえない』『声が聞こえない』といわれてきました。アメリカにもヨーロッパにも中国にも、反抗せず、楯突かず、とにかく調整に調整を重ね、荒波を立てないようにする。これが戦略的にいいかどうかは別として、海外からみると、『日本人』はどこか特徴がつかめない存在でした。不幸にもこういった災害が起きたとき、それまで閉じていた窓が開いて、そこにいる人の心がみえるものです。そして、今回みられたのは、悲惨な状況のなかで大混乱する阿鼻叫喚の世界ではなく、非常に落ち着いて、お互いを守り合い、助け合う日本人の姿でした。海外の人はそれをみて『そうか、日本人はこのように悲しみ、戸惑うのか』と素直に受け入れているのです。・・・・・
今回の南相馬市長のように、日本がほんとうに困って世界に呼びかけるという姿を、これまで世界はみたことがありませんでした。実際、阪神淡路大震災のとき、日本は国際援助をほとんど拒否したのです。それはそれとして批判されることではありませんが、しかしそれによって国同士の絆が深まることもありません。・・・・」