谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ・新書・平成18年)。
はい。この本を本棚からだしてくる。
52冊の本が紹介されている1冊。
この本が紹介する、最初の本が柳田国男著「木綿以前の事」でした。
谷沢さんは『木綿以前の事』を、どのように紹介されているのか?
「柳田国男は、学問とは何か、と根本から問いかけ、
人は何の為に勉強するのか、と考えこんでいる。
この広い世の中に暮らす多数者を助ける気持ちで、
本を読み努めるのでなければ、我が国の次の代、
またはその次の代は、今より幸福にはならぬのである。
と記した。」(p15)
こうも書いております。
「少数の、運よく成功した人に拍手を贈るよりも、
多数者の幸福を僅かでも増すために、何をどうしたら
よいかの工夫に真心をこめて、じっくりと思案する
のが人間本来の路ではないか。」(p14)
この本は編集者の意向で、年齢別におすすめ本を列挙してゆく
形をとって、15歳・20歳・30歳・40歳・50歳・60歳・70歳と
その年齢に合わせての配列となっておりますが、私はどれも
読んではいないので、あんまりピンとはきませんでした。
最初の章『15歳』のはじまりに『木綿以前の事』があった。
最後の章『70歳』でとりあげられている
安東次男著『定本風狂始末芭蕉連句評釈』のはじまりは、こうでした。
「世界に類例を見ない我が国のみに成立した独自の文芸様式である
俳諧の特色をなす視座の優しみを的確に指摘し、なかんずく
『芭蕉七部集』の、他に替えがたい魅力を、心の底からの
共感に基づいて記した評論の代表は柳田国男(「木綿以前の事」)
である・・・」(p220)
このあとに、『木綿以前の事』の自序を引用しております。
その引用のあとには
「柳田国男が史上ほとんどはじめて強調したように、
俳諧に唱われた女性の映像(イメージ)は、一読して
忘れ得ぬほどひときわ艶(あで)やかである。・・・」(p221)
このあとに、『冬の日』の俳諧を引用して、そのあとでした。
「残念ながら、俳諧表現の陰影(ニュアンス)を解き明かすのに
成功した注釈は少ない。私は教職にある時数年かけて七部集を講じ、
近世期以来の夥しい注解を比較対照したが、そのほとんどは
些事に拘わる近世学問に共通する通弊のため、題材に選ばれた
事象の故事来歴と出典の考証に傾き、句から句への移りに込められた
連想の感得力に乏しいのが常である。・・・」(p222)
はい。これから俳諧がなんであるかを読み始めるには
打って付けのエールが聞こえてくる一冊のような気がしてきます。
いよいよ、私に読み頃をむかえたのでした。
はい。谷沢永一著「いつ何を読むか」をひらくと、
いつも何も読んでいなかった自分が映し出される。
これほど、読んでもいない本が並ぶのは困惑迷惑。
などと、パラパラひらくと『20歳』の章に、
西堀栄三郎著『ものづくりの道』があって、
それについて谷沢さんは、どう書いていたか。
最後にそこから引用しておきます。
「・・明朗な叡智と人を大切にする温情との結晶である。
生涯を日本国民の幸福増進を願うのみ、
画期的な成果を挙げながら
名声を求めなかった豪傑の語録に盛られた声を聞かないで、
一体何のための読書であり学問であろうかと訝しむ。」(p47)